第132羽

 それから一時間ほどして、俺たちはようやくシュレイダーの邸宅へとたどりついた。

 広い学都を、街行く人々に道を訊ねつつやって来たわけだが、その間に一体何度ティアやラーラがナンパされたことだろうか。いい加減うんざりである。


「おぉ、待っておったぞ!」


 到着したシュレイダー宅で待っていたのは、屋敷の主本人であった。

 以前学都で行われた新人賞授賞式に出席した際会った人物であり、賞の選考委員会筆頭でもあるおっさんだ。

 背広スーツよりも甲冑スーツの方が似合いそうなたくましい肉体を持ち、やたら凄みのある巨体には違和感しかない愛嬌たっぷりのチョビひげ。俺の周囲にいる人間とはまた違った意味でアンバランスな人物である。


「よく来た! すぐに客間へ案内させよう。まずはゆっくりして旅の疲れを癒すことだ。夕食の時間になったら人をるから、それまでのんびりしていると良い」


 でかい図体をゆすりながら、シュレイダー氏は自分が言いたいことだけを言うと立ち去っていった。


「ささ。皆様こちらへ。ご案内いたします」


 挨拶する暇さえ与えられず、あっけにとられる俺たちを屋敷の使用人だという女性が案内してくれる。

 通された客間は二十畳ほどの広さがある部屋だ。それが二部屋。俺とエンジの男部屋と、ティアとラーラの女部屋にわかれて使うことにした。ルイはどうやら女部屋に連れて行かれたようだ。誰が連れて行ったかは言うまでもない。


 個室を用意できず申し訳ございません、などと案内してくれた使用人は言っていたが、元日本人の俺からすればふたりで二十畳の部屋というのは十分な広さだと思う。全員でこの部屋に泊まれと言われても、ベッドの数さえ足りていれば問題なさそうなくらいである。もちろん、同じ部屋でティアや一応年頃の娘であるラーラが一緒に眠るというのは別の意味で問題だろうが。


 その後、使用人の女性が入れてくれたお茶を飲みながら体を休めること約一時間。学都に夜のとばりがおりはじめた頃になって、ようやく晩餐の準備が整ったと連絡があり、俺たちはゾロゾロ連れ立って食堂へと身を移した。


「すまなかったな。招待しておきながら放ったらかしにしてしまって」


 豪快にワインをあおり、シュレイダー氏が謝罪の言葉を口にする。

 晩餐といっても堅苦しい感じではない。一般家庭ではあまり目にしないような大きめのテーブルは色とりどりの料理で飾られているが、どれも格式張ったテーブルマナーが必要になるほどのものではなかった。


 俺の斜め前では、どこからどうみても人間の幼児にしか見えない希少種モンスターであるルイが満面の笑みで鶏の唐揚げを頬張っていた。その横にいる空色ツインテールも、上等な肉の入ったシチューを飲み干すかのようなスピードでかきこんでいる。スプーン一本でそれだけの早飲みができるなら、立体映信りったいえいしんの『世界ビックリ人間』とかに出演できるんではなかろうか。

 俺の正面にいるモジャ男は相変わらず食べる物すべてに「神味っすね!」と謎の賞賛を捧げながら食事を楽しんでいるようだった。幸せな男である。


 お前ら一応招待された人間なんだから、食ってばかりいないでちゃんとホストの話し相手になれよ。


「すみません。食い気ばっかりの連中で……」


 おかげで俺は肩身が狭いっての。今回は俺だけじゃなく、俺が書いた本の登場人物であるエンジやラーラも招待を受けているのだ。付き添いで来たティアや幼児枠のルイとは立場が違うってのに……。


「なんのなんの。喜んでもらえたのならそれでいい」


 上機嫌でチョビひげマッチョなおっさんが笑う。襟付きシャツを内側から張り裂かんばかりの筋肉がゆれた。


「しかし残念だな。アヤ、と言ったか? レバルト君の書いた物語終盤に颯爽さっそうと登場する女性剣士のモデルは。彼女には会ってみたかったな」


 チョビひげ親父は残念そうだ。そういえば受賞式で会ったときもそんな事を言っていたっけ。


「すみません。アヤもフォルスもちょっとスケジュールの都合が悪かったみたいで……」


「いやいや、そう気にしないでくれ。こっちが勝手に招待したのだから」


 だからこそ、エンジとラーラにはふたりの分も役目を果たして欲しいものだが――。


「ルイルイ、これおいしいですよ。ほら、あーん」


「ンー!」


「すげえっす! まだ食べてない料理があんなにあるっすよ! 今日の夕食神っすね!」


 スイカの種を庭に飛ばすかのごとく、ゲストとしての責務を放り投げたデコボココンビにそれを期待するのは無駄というほかない。もしかして連れて来なかった方が良かったのだろうか?


「それでレバルト君、そのアヤという女性の髪色は――」


 その後も俺は、やたらとアヤの情報へ食いついてくるチョビひげのおっさんへ笑顔で対応を続けるはめとなった。

 こういった社交はティアの方が慣れているのかもしれないが、さすがに事件の当事者でもない彼女を矢面に立たせるのはおかしな話だろう。くそお、フォルスが一緒だったら役目を押しつけてやったのに。


 おかげで豪勢な料理をいまいち堪能することもできず、晩餐後にもお茶を片手に話し相手を続けることになった俺は疲労困憊の極みである。


 どうやらシュレイダー氏は『謎の女剣士』ことアヤがいたくお気に入りらしく、使っている武器は何だとか、戦い方はどうだとか、魔法は使えるのかとか、根掘り葉掘り聞いてくる。

 俺としてはアヤだけでなくフォルスの活躍も語りたかったのだが、チョビひげ親父はそちらにまったく興味を示さなかった。


 まあ確かにイケメンリアルチート男の活躍なんぞ聞いても、おっさんにとっては面白くも何ともないかもしれない。俺だってフォルスが友人でなければ「ふーん、そうなんだー。へー、どーでもいーやー」と投げやりに右耳から左耳へスルーパスをかますことだろう。


 でもな、おっさん。

 招待された身でこんな事を言うのもなんだけど、せっかく本人が来てるんだからエンジやラーラにも話をふってやれよ。あいつら結局ろくに会話へ参加することなく、終始ごちそうに舌鼓を打ち続けていたぞ。




 こうして学都到着の初日は終わった。

 エンジとふたり、まるで公衆浴場のように広い風呂場を堪能した後、やたら壁が遠い客間のベッドでぐっすりと眠ること数時間。ふっかふかのベッドではあったものの、やはり慣れない場所ということで完全に疲れを癒すことはできなかった。


 翌朝、やや疲れの残った体を起こした俺とエンジは、ティアたちの身支度が終わるのを待って食堂に向かう。

 どうやらシュレイダーのおっさんはすでに仕事へ出かけた後らしく、俺たちは他人様の食堂で身内だけの朝食という一風変わった状況を堪能することになった。


「主に成り代わり、私どもが精一杯おもてなしをさせていただきます」


 妙に丁寧な態度の使用人たちが、目覚めのコーヒーから朝食の準備まで全てやってくれる。なんだかホテルに泊まってサービスを受けているような気分だな。

 俺の隣では銀髪アシスタントが大人しく座っているが、時折腰を浮かしかけているところ見るに、手を出したくてたまらないという感じだろう。さすがにゲストとして歓待されている屋敷でおのずから給仕を行うわけにもいかないらしく、微妙な表情を見せながらも自制している。


「さて、夕食までどうやって過ごす?」


 シュレイダー氏は日中多忙で時間がとれないらしく、基本的には晩餐とその後の時間で俺たちから話を聞きたいとのことだった。ということで、朝食を食べてから夕方までは特にやることもない。「この機会に学都を観光してまわってはどうかね?」というチョビひげ親父の言葉へありがたく乗っかることにした。


「せっかくだからいろいろ見てまわりたいっす! できれば可愛い女の子が居るところを!」


「見知らぬ町でするべきことはただひとつ! 有名スイーツ店巡り一択のみです!」


「ンー!」


 エンジは意外にこの町と相性が良いのかもしれないな。気付いたら、昨日ティアを囲んだようなナンパ男の群れに溶け込んでいそうだ。ラーラの意見は聞くまでもない。むしろ普通に観光したいなどと言いだしたら、熱があるんじゃないかと疑ってしまうだろう。


「ティアは? トレストおうのところへ顔出さなくて良いのか?」


 この学都にはティアがおじ様と呼ぶ、遠い親戚筋のダンディ様がいる。ティアが言うには生物学の世界で結構な権威らしいが、俺から見れば孫の代わりにルイを猫可愛がりする激甘おじいちゃんである。


「おじ様はご不在のようです。昨日の晩に連絡してみたのですが、しばらくは戻ってこないとかで」


 そうか。俺も挨拶くらいはしておこうかと思ったんだが、居ないんじゃ仕方ないな。


「じゃあ、観光がてら町をブラブラするか」


「レビさんレビさん。それならば、私が三日かけて考えた学都スイーツ巡りルート『ぶらり極上甘味プラン』にそって行きましょう!」


 無駄なところで勤勉さを発揮する空色ツインテールが、やたらとメモのかきこまれた地図とノートを両手に強烈アピールしてくる。


「いや、これだと二日間ずっとスイーツ巡りになっちまうだろうが。俺はせっかく学都まで来たんだから古本屋巡りもしたいんだよ」


「ならば別行動で良いではないですか」


「却下だ」


 あくまでもスイーツにこだわるラーラは、甘味への欲望を優先して単独行動すらしかねない勢いだ。しかしこの町に出没するナンパ男どもが、群れからはぐれた子羊ラーラをみすみす逃すはずもない。

 エンジは頼りにならないし、ティアは俺のお供をすると明言している。となると、ラーラは自分で自分の身を守る必要があるのだが……。不安だ。おまけにラーラのことだからルイも連れ歩こうとするだろう。なおさら不安だ。


 はぁ……、仕方ない。古本屋巡りはまたの機会にして、ラーラにつきあってやるとするか。


「わかったわかった。俺たちもスイーツ巡りにつきあってやるから、そんなふくれっ面するなよ」


 リスのように頬をふくらませていたツインテールは、ならば良しとばかりに機嫌を回復させると自作のスイーツマップを大きく広げて俺たち全員へ見せつけた。


「それではまずこの南にある区画から攻めて行きましょう!」


「なんでわざわざそんな遠くから? 近場から行けば良いじゃないか」


「わかってないですねえ、レビさんは。南の区画にはグルメ番組常連の超人気スイーツ店があるのですよ。三時間待ちは当たり前という人気店です。朝早くなら、まだ行列も短いので並ぶ時間が短縮できるでしょう?」


「何もわざわざ行列に並んでまで――あれ? 何か見たことがある店だな」


 ラーラの持っているスイーツマップには、各店舗を外から撮影した画像も添付されている。行列必死という超人気店の画像を見た俺は既視きし感を覚えた。


「このお店はもともと知る人ぞ知る名店として密かに支持されてきたのですが、『特別メニュー』などという余計なものを売り出してからというもの、開店から閉店まで行列の絶えないお店になったそうです。まったく、余計なことをしてくれたものです」


 ぷんすかと拳を振り上げながら憤慨するラーラ。一方の俺は『特別メニュー』という言葉に記憶野を刺激された。


「あー、思いだした。そういえばこの店、見覚えがあるぞ。授賞式出席で学都へ来たとき、一緒に行った店じゃないか? なあ、ティア」


「え、あ、そ、そうでしたか? そんな事ありましたっけ?」


 珍しくうろたえた表情のティアが視線をそらす。


「ほほう。おふたりでこのお店に行ったことがある、と?」


 ツインテ魔女が出来の悪い探偵じみた視線を俺に向ける。


「まあ三時間も待たされたけどな。……確かに食べたやつは美味かったぞ」


「ふむふむ。それで? レビさんはどんなお菓子を食べたのですか?」


「あの、えーと、先生……」


「なんだっけ? 名前はわからないけどパイケーキっぽい焼き菓子だったな。皿から切り分けて食べるタイプのやつ」


「なるほどなるほど。ちなみにですね、レビさん。このお店が超人気店になったのは、とあるメニューにまつわる噂というかジンクスというか、そういうものがありまして」


「さ、さあ! 早く行かないと行列が長くなってしまいますよ!」


 ニヤリと下品な笑みを浮かべながら語るラーラを急かすように、慌てた様子でティアが口を挟む。


「ひと皿をふたりで切り分け完食すると、想いが成就すもがふががふ」


 なおも話を続けようとするツインテ娘の口を、物理的に塞いだティアの顔はそこだけが夕焼けに照らされたのかと勘違いするほど真っ赤だ。


「俺も妹に聞いたことがあるっすよ。特別メニューっていうのをふた――」


 それまで静観していたエンジが話に加わろうと聞きかじりの情報を口にした途端、どこからともなく現れた氷塊がモジャモジャ頭に直撃する。


「お、おいエンジ! しっかりしろ!」


 突然の不意打ちに、一瞬で意識を刈り取られたエンジが往来のど真ん中でぶったおれる。


「お、おいしいものは自分の舌で確かめた方が感動もひとしおですよ。事前にあれがおいしいこれがおいしいとか、変な先入観は持たない方が良いに決まってます。だからお店の情報はもう必要ありませんよね。メニューの話とか、噂とか、ジンクスとか、人気の秘密とか、そういうのはまた今度にしましょう。あー、どんなお菓子が食べられるのか今から楽しみです。ね、そうですよね、ラーラさん! そ・う・で・す・よね!」


 いつになく饒舌じょうぜつに語るティアだったが、その表情にはまったく余裕が見られない。

 口を塞がれたままのラーラへ言い聞かせる語気はやけに強く、同時に妙な迫力まで感じられる。至近からその視線を浴びるツインテ娘の目には怯えの感情が浮かび、ブンブンと音がしそうな勢いで首を縦に振っていた。


 いつもと様子の違うティアと必死に頷き続ける怯え顔のラーラ、その傍らには往来に突っ伏して気を失っているエンジ、俺の足もとには雰囲気を感じ取って震えているルイ、そしてあっけにとられる俺。わざわざ学都までやって来ておいて、朝っぱらからなにやってんだろうな、俺たちは。


 行き交う人々の視線がやけに痛いのは、きっと気のせい――だと思いたい。

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