第130羽

「むう……」


 俺はリビングのソファーに腰を下ろし、手書きで記された資料を手にうなる。

 平日の昼下がり。温かな日差しが差し込む中、清々すがすがしい天気とは裏腹に俺のおつむだけは曇天どんてん模様だ。


 ユリアちゃんの救出劇から一週間が過ぎている。

 タニアさんの元へユリアちゃんを送り届けた後、警邏に事の顛末てんまつを説明して俺たちはそれぞれ家路についた。


 事情を把握した警邏隊がすぐさま自然公園へと部隊を派遣し、問題の場所――ユリアちゃんが捕まっていた敵のアジト――へ到着したとき、既に魔力の暴走はおさまっていたそうだ。

 駆けつけた警邏は岩壁入口そばで気を失っていたふたりを確保。その後、崩れた岩や土砂を魔法で撤去して救助活動を開始したが、アジトの中に生存者はいなかったらしい。


 なんとも後味の悪い結果となってしまったものだ。

 ともあれ、ユリアちゃんを無事救出できたのは幸いだった。


 警邏に捕らえられたふたりは、未成年者略取りゃくしゅ・監禁の容疑で取り調べを受けている。

 おそらくヤツらも最初からユリアちゃんを監禁するつもりはなかったのだろう。たまたまアジトに迷い込んできた子供の扱いに困り、とりあえず閉じこめておいただけだと推測はできる。

 しかしやったことは立派な犯罪。しっかりとお縄についてもらうべきであろう。


 第一、未成年者略取・監禁の容疑は建前で、実際には疑似ぎじ中核を使った犯罪行為こそが本命の容疑だ。

 ヤツらが疑似中核を研究し製造していたことは、すでに俺たちが警邏に伝えている。当然、昨今の魔力暴走事件に神経を尖らせている警邏たちは、捕まえたふたりを厳しく追求していることだろう。


 結局あの連中の正体がなんだったのか。それは立体映信で流れたニュースにより明らかとなった。


 カルト集団『偽りの世界』。

 それがヤツらの正体だ。


「アヤが言っていたこと、本当だったんだな」


 世界の破壊を目論む過激で危険な宗教団体。それがアヤの口から語られた彼らの姿だった。

 俺を含め、これまで『偽りの世界』を見る世間一般の目はせいぜいが『オカルト的宗教団体』であった。しかし、今回の事件を受けてその見方は一変しつつある。


 俺たちがユリアちゃんを救出し、自然公園にあるヤツらのアジトが崩潰して以降、立体映信のニュースでは『偽りの世界』に関する話題であふれていた。それまで向けられていた『奇妙な団体』という評価から、誘拐監禁を行う『危険な団体』へと世間の認識も変わっている。連日ヤツらを叩く識者やコメンテーターの姿が映し出されていた。


 だがそれはあくまでも『幼児誘拐監禁』という犯罪行為に関してのみだ。不思議なことにどのニュース番組でも疑似中核の件については触れられていない。


「いや、べつに不思議でもなんでもないか。国の思惑が容易に想像出来るな」


 これもアヤから聞いた話があってはじめてわかることだが、国は疑似中核の存在と破壊活動への悪用をまだ世間に知られたくないのだろう。疑似中核の一件は伏せつつ、『偽りの世界』という危険な集団だけを取り締まる。そのために幼児誘拐、そして監禁という名目を最大限に活用しているのだ。


 しかし『偽りの世界』が疑似中核を製造し、それを利用して魔力暴走事件を引き起こしていたことは間違いない。今、俺の手元にある資料がそれをハッキリと証明していた。


**********


○月×日

 聖球の起動実験結果が出た。

 使徒様よりお伺いした通り、二パターンの方法による起動に成功した。また、起動方法によって聖球が周囲へもたらす効果も変化することを確認できている。


 ひとつめの起動方法は、聖球へ強い魔力を衝突させることによってその起動を促すというものだ。この場合、聖球は瞬時に消滅し、周囲へ強力な魔力の放出を開始する。その後一時間ほど、魔力が過供給されたような状態を発生させるようだ。

 この状態では魔力の流れがかき乱されるため、魔法行使を非常に困難とさせることが判明している。細やかな制御を必要とする魔法はほぼ使用不可能になるが、単純な制御で行使可能な魔法であれば、影響は少ないようだ。それどころか、周囲へあふれた大量の魔力を用いることが可能になるため、単純に威力という面だけを見れば増大する傾向が見られた。

 一方で魔力の放出量は起動時に衝突させる魔力の強さによって変化すると思われる。起動者の魔力量によっては、想定外の事態を引き起こすことも考えられるため、今後の検証には細心の注意を払う必要があるだろう。


 ふたつ目は、聖球を物理的に破損させることによって起動を促す方法。この場合、聖球は急激に魔力を吸収し、一時的に周辺一帯を魔力枯渇こかつ状態にするようだ。これは人体に含まれる魔力も対象となるため、魔法使いの無力化、あるいは魔力による身体強化を無効化する用途として非常に有用であると判断する。

 魔力を吸収し続ける時間とその範囲は、聖球の物理的な大きさに比例するようだ。そのため広範囲におよぶ魔力枯渇を引き起こすには、ある程度のサイズが必要となってしまう。個人が携帯できる大きさとなると、持続時間はおよそ十五分。効果範囲は半径五十メートル前後との実験結果が得られている。

 なお、魔力を衝突させた場合と異なり聖球は消失しない。そのため現場に物証として破片が残存する可能性も高く、使用の際には十分な注意が必要と思われる。


 いずれの方法で起動するにしても、準備段階として聖球へ魔力を十分に込めておく必要がある。具体的な数値化にまでは至っていないが、魔力の注入度合いによって聖球表面の光沢と発光に変化が見られるため、今後データを蓄積していくことで理想値を導き出すことができると考える。


**********


 日誌と思われるその資料には、今後実施を予定している実験計画の記述が続いていた。


 計画には夏祭り会場での起動実験も含まれている。『夏祭り会場での聖球起動実験および起動時に周囲へ及ぼす影響の考察』という資料に記された詳細を見るに、俺たちが巻き込まれたあの魔力消失事件はこいつらの実験によってもたらされたものらしい。


「ずいぶん物騒な話になってきたもんだ……」


 思わずため息がもれる。


 ただ迷子の捜索をしていただけのはずなのに、なぜか世間を騒がせる魔力暴走事件にガッツリ巻き込まれているのだ。


 どさくさ紛れに持ち出したこの資料も、どうしたものやら。正直判断に迷う。

 警邏に通報した時点ですぐ渡しておけば問題もなかったのだろうが、アヤに聞いていた話が脳裏をよぎり、ついつい提出するタイミングを逃してしまった。


 俺としては疑似中核なんていう物騒な物、存在しない方が良いと思うのだが、国や軍はそう考えないだろう。実際、立体映信のニュースで報じられる内容を見る限り、表向きは知らぬ存ぜぬを通しながら裏では疑似中核の研究を進めているに違いない。


 もちろん危険なカルト集団に疑似中核を持たせるよりも、国や軍の方がはるかにマシではある。しかし使い方によっては戦術を一変させかねない危険な兵器となるシロモノだ。戦争の火種となる可能性を考えると、研究成果も記された資料を警邏に渡すのは躊躇ためらわれた。


 あの時はそう考えていたのだ。ただ、今となってはその判断が誤りだったかもしれないと思いはじめている。


 俺がこの資料を持ち出した部屋には棚一杯の資料があった。崩潰したアジトで救助活動が行われた際に、あれらの資料が回収された可能性は高いのだ。俺がいくつかの資料を隠したところで影響などないかもしれない。

 それどころか、下手をすると資料を隠蔽したとして罪に問われかねないだろう。疑似中核の悪用を企む犯罪予備軍として、処断されることすらあるかもしれない。


「失敗したなあ」


「何がですか?」


 温かいお茶を入れてキッチンからやって来たティアが、俺の独り言じみたつぶやきを拾う。


「ああ、これなんだけどな」


「あの現場から持ち帰った資料ですよね?」


「そう。考えてみればこんなの持ってたら、俺自身がこれを書いたと誤解されかねない。けど今さら警邏に提出するのもちょっとな……」


 すでに事件から一週間が経過してしまっている。どう考えてもタイミングを逸したのは明らかだった。


「お父様のツテを頼って然るべき方の手で提出してもらえば、先生が疑われる事はないと思いますよ。私からお父様にお願いしましょうか?」


「うーん……。でもそれだとなあ……」


 ただでさえフォルテイム家におけるティアの立場は弱い。直接ティアの口から聞いたわけではないが、なんだかんだと長い付き合いだからそれくらいは感じられる。

 あまり彼女の負担になるようなことはしたくない、というのが俺の正直な気持ちだった。


 かといって、このまま俺の家に資料を置いておくのは危険だろう。いっそのこと資料を焼くなりして処分してしまうのが後腐れなくて良い。


 そう、それが良いのだが……。


 俺は再び日誌に目を落とす。冒頭部分に記された『使徒様』の文字。嫌な感じがした。


 持ち出して来た資料はこの日誌、来訪者の記録帳、出納帳、そして『夏祭り会場での聖球起動実験および起動時に周囲へ及ぼす影響の考察』と題された資料だ。そのうち日誌、来訪者の記録帳、出納帳に『使徒様』の記述があった。


 この『使徒様』とやらが何者かはわからない。だが、日誌や来訪者の記録帳にしばしば名前が出てくる。日誌の記述をさかのぼって読むと、疑似中核の使い方を『偽りの世界』へ教えたのも『使徒様』であることがわかった。


 彼らにとって『使徒様』は重要人物なのだろう。その来訪があった日は、日誌にも必ず記述されている。おまけに出納帳を見ると『使徒様』からの援助金という名目で相当な資金が提供されていた。


 コイツが黒幕なのか? いや、使徒と言うからには黒幕の使いなのかもしれないな。


 日誌には『使徒様』の容姿に関する記述も残っている。

 性別は男。身長は高く、それでいて均整のとれた無駄のない筋肉を身につけた理想的な体型。ブラウンの瞳と赤みがかった茶色の髪を持ち、その微笑みは使徒の名にふさわしく見る者を魅了するそうだ。黒い皮鎧に身を包み、手には片手持ちの両刃剣と円盾を持つ、とある。

 しかしこれだけの情報じゃ、どこの誰だかわからない。


 訪問者の記録帳に初めて『使徒様』の名が出てきたのは初夏あたりだ。それから頻繁に訪問が記録されている。それと連動するかのように、『偽りの世界』の活動が活発になっていることも日誌から読み取れた。


 これらの情報を警邏が入手したかどうかはわからない。だが、もし国や軍が『使徒様』の存在を知らないままであったならば、安易にこの資料を処分するのはまずい。それは黒幕の存在を覆い隠してしまうことになる。

 現場にいた人間と警邏に捕まったふたりが『偽りの世界』の全てならともかく、日誌や訪問者の記録帳を見る限り、学都や別の町にも拠点が存在するようだ。当然そちらにも信者はいることだろう。


 となれば、この資料に記されているのは今後の捜査に役立つ重要情報だ。簡単に破棄するわけにもいかない。

 しかしその一方で、俺はこの資料を手元に置いておきたくない。


「まいったな」


 誰かに相談できれば良いんだが……。


 この情報を明かしても問題ない相手。この情報を正しく活用できる相手。そして俺の味方に――いや、味方じゃなくても良い。少なくとも俺を敵視したり疑ったりしない相手となると……。


「仕方ない。アヤに相談してみるか……」







◇◇◇(終)第七章 迷子には救いの手を、狂信者には鉄拳を ―――― 第八章へ続く

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