第3羽
その後三十分ほど説教を食らった俺は、夕飯を口実にしてようやく虜囚のくびきから解き放たれた。
「すぐにお夕飯の準備します」
しぶしぶ俺が『真面目に仕事をする』と約束したからか、それとも不満をぶちまけて少しは気が晴れたのだろうか。
機嫌を直したティアは足取りも軽くキッチンへ向かった。
「先生。玉子どうします?」
フライパンを片手にティアが訊いてくる。
「ん? 今日は産んだの?」
「はい。チートイとリンシャンがひとつずつ」
チートイとリンシャンというのは、うちで飼ってるニワトリ。いや、ニワトリっぽい鳥だ。
その姿も特徴としてはニワトリに近い。ほとんどニワトリだ。
ほとんどニワトリなんだが、なんというか……、丸い。鳥としては致命的なまでに丸い。
釣りたてのフグって言うとわかるか? 釣ったことが無いなら、旅館とかに置いてあるフグの剥製(ふくらんだヤツ)を思い出してみろよ。
あれに足とくちばしとトサカをつけて、全身を羽毛でくるんだら大体イメージ通りかな。
もうあれだ。
一目見て思ったわ。「こいつ絶対飛べねえ」って。
それどころか「歩くのすら困難じゃ無いか?」ってくらいに、丸い体とその他パーツの比率がおかしい。
よくわからん奴らだが、たまに玉子を産んでくれるので、これ幸いと庭で飼っている。
ただニワトリみたいにほぼ毎日玉子を産むわけじゃ無く、週に一回くらいしか産まない。
しかも不思議なことに必ず二羽同時に産むんだよな。
まあ、とりあえず食費が浮くので非常に助かっている。
「じゃあ、ゆで玉子にでもしてくれ」
俺がそう伝えると、キッチンから涼やかな声で了解の返事が届いた。
日本で生活していたころは夜の九時とか十時くらいに夕飯を食べていたものだ。
だが最近は夕暮れ前に食べることが多い。
理由はテーブルの向こう側に座り、夕食を一緒に食べている銀髪少女だ。
ティアはなんだかんだと言って良いところのお嬢様なので、さすがに日が暮れる前には帰らせないとまずい。
加えてあれだ。例の幽霊の問題もある。
ティアには話していないので、彼女は夜になるとこの家がどういう状態になるのかは知らない。
まあ俺もこの目で見たことは無いんだがな。
いずれにせよ教える必要も無いだろう。
俺にしたって年下の女の子を若い男がひとり暮らしをしている家に、夜になっても引き留めるのはまずいと思うしな。
え? 手出さないのかって?
おいおい馬鹿言うなよ。
そんな事したら、俺の存在が物理的にも社会的にも抹殺されるのは火を見るよりも明らかだ。
本当なら俺みたいな平凡類一般人目モブ科の人間が会うのも難しいような相手なんだぞ。
たまたまある事件で彼女を助ける結果になってな。
その恩返しとかで俺のアシスタントみたいなことをしてくれてるんだよ。
どうせすぐに飽きて来なくなると最初は思ったんだがなあ。
「どうしました、先生? お口に合いませんでしたか?」
「いや、そうじゃない。ちょっと考え事してただけだ」
答えながらあさり(っぽい二枚貝)の酒蒸しをつまむ。
お? おいしいな、これ。
もうひとつ、と思って箸をのばそうとした時、玄関の方向からけたたましい音が響いてきた。
乱暴な調子で扉が開く音に続き、どたどたと大きな足音と共に軽薄な口調の声が聞こえてくる。
「兄貴ー! オレっすー! オレ、オレ!」
なんかオレオレ詐欺みたいなのがやってきた。
声を聞くだけですぐに誰だかわかる。
というか、勝手に人の家へズカズカ上がり込むようなヤツは知り合いにひとりしか居ない。
やがてリビングダイニングへと入ってきたのは、俺よりも少し背の高い青年だった。
納まりの悪いクセっ毛が猫にいたぶられた毛玉のように見える。
「兄貴! ちあっす! あ、姐さんも、ちあっす!」
俺のことを兄貴、ティアのことを姐さんと呼ぶ男は、家主の許可も得ずに勝手に食卓の椅子に腰を下ろす。
「おい、エンジ」
「なんすか? 兄貴?」
「俺たちは今、食事中なんだが」
「あ、オレもう食って来たんで、気にしないでいいっす」
ダメだこいつ。それとなくオブラートに包んで迷惑だと伝えようとしたのだが、はっきり言わないとわからないらしい。
「邪魔だって言ってるんだよ」
少々ストレートすぎるかも知れないが、多分こうでも言わないと理解できないに違いない。
一瞬お茶漬けでもつきだしてやろうかと思ったが、そうしたらこいつのことだ、嬉々としてかっ食らうだけだろう。
「えー? オレと兄貴の仲じゃないっすかー」
うわー。イライラするわー。むかつくわー。キレそうだわー。
ねえ? 殴って良い? こいつ殴って良いかな?
視線でティアに訴えかけたが、残念なことに彼女はゆっくりと首を左右に振って不同意を表した。
どういうわけかティアはこいつに甘い。
ひょっとしてこういう馬鹿っぽい……、もといチャラいのが好みなんだろうか?
「ねえ、聞いてるっす? 兄貴?」
「……ん? ああ、すまん。なんだっけか?」
気付かない間にエンジが用件を話し始めていたようだ。
「だーかーら。明日ダンジョン行かないっすか?」
「ダンジョンか? 俺とお前ふたりで?」
「やだなー。兄貴とふたりだけじゃ、第一階層も突破できないっすよ」
やれやれといった風にエンジがわざとらしく首を振った。
黒いクセっ毛がもさもさと揺れている。
そこはかとなく馬鹿にしたようなその態度に、俺も言葉を尖らせた。
「じゃ、勝手にひとりで行けよ」
「またまたー。男がいじけても可愛くないっすよ?」
「うるせえ」
「フォルスさんのお誘いっす。断る理由無いっしょ?」
「フォルスの?」
その名前が出てくると、無下には断りづらい。
フォルスというのは俺が学生だったころの元同級生だ。
魔力の無い俺を馬鹿にせず、対等の付き合いをしてくれる数少ない友人といえる。
加えて学生時代、いや卒業してからも幾度となく助けてもらった恩がある。
それにフォルスが声をかけてくるということは、おそらく俺を気遣ってのことなのだろう。
あいつだったらわざわざ俺になんか声をかけなくても、組む相手に困ることは無いはず。
「……そうか。よし。じゃあ連れてってもらおうか。あとは誰が一緒なんだ?」
「フォルスさんと、兄貴と、オレと、あと例のドジッ子っす」
「ラーラか?」
すまん、ラーラ。
ドジッ子と聞いて、真っ先に思い浮かんだのがお前だったわ。
「そうっす」
でも正解だったらしいぞ。
「わかった。時間と待ち合わせ場所は?」
「朝十時にダンジョン入り口の門前で、ってことっす」
「了解だ。わざわざ悪かったな、来てもらって」
「オレと兄貴の仲っす。全然大丈夫っす」
そう言うと、来た時と同じようにやかましく、かつ慌ただしくエンジは帰って行った。ようやく我が家に平穏が訪れる。
明日はダンジョンか。ずいぶん久しぶりだな。
革鎧とか、どこに入れてたっけ?
そんなことを考えていたが、ふと正面に視線を向けるとティアが俺を見つめているのに気がつく。
エンジがいる間は口を挟むでもなくおとなしくしていた彼女だが、それは決して俺のダンジョン行きを歓迎しているからではない。
その証拠に今はひどく冷たい視線を俺に向けていた。
「なるほど。明日『も』お仕事をするつもりはない、と?」
あ……れ?
ちょっと、ティアさん?
その目やめてくれません? ただでさえ薄水色の冷たそうな瞳がですよ? 相乗効果でとっても……、背筋が凍りそうなんですが。
その後の食事はとても気まずかった。
家庭内別居夫婦の食卓というのはこんな感じなんだろうか、と益もないことを考えながら冷たくなったあさり(っぽい二枚貝)の酒蒸しをつまむ。
さっきと同じ味のはずなのに、ずいぶん味が落ちているような気がした。
さすがにまずかっただろうか?
いや、あさり(っぽい二枚貝)の酒蒸しの味じゃないぞ。
ついさっき真面目に仕事すると言ったばかりにもかかわらず、舌の根も乾かないうちに「ダンジョン行ってくる」って、……そりゃ怒るか。
食事中と言うことでさすがにお小言突入とはいかなかったが、すっかり口数の減った年下のアシスタントは体全体から怒りのオーラを漂わせている。
その後、無言で後片付けを終えて帰るティアに、言い訳ひとつ口にすることが出来なかった俺は決して臆病者ではない。
あの後ろ姿には言葉にせずとも隠しきれない怒りがはっきりとにじみ出ていた。
仮に俺が口を開けば即座に開戦となるだろう。
そう、あのティアは触れてはならない存在、アンタッチャブル少女であったのだ。
明日は……、たぶん来てくれないだろうなあ……。
最初に違和感を持ったのは四歳のころだった。
ときおり夢のように浮かんでは消える不思議な記憶。
その頻度が少しずつ増えていき、六歳になったころには自分が転生したんだと理解することが出来た。
思い出せないこともいくつかある。
なぜか自分の名前や家族の名前、友人達の名前が思い出せない。
住んでいた町や通っていた学校の名前もだ。
だがそういった固有名詞以外は大部分が思い出せる。
みんなの顔、通学路の風景、兄と話した内容、一般的な知識など、膨大な情報が六歳の脳に詰め込まれていた。
その一方、こちらの世界で積み重ねた記憶も消えること無く同居していた。
六年間に見たもの聞いたものは余すこと無く憶えている。
って、それは言いすぎか。
実際には二歳頃までの記憶はほとんど残っていない。
三歳くらいになるとかすかに有るような無いような……、夢か現実かわからないおぼろげな記憶だ。
まあそれは日本に居たころも同じだったから、幼い頃の記憶ってのはそういうもんなんだろう。
記憶としては脳に焼きつけられていても、それを引っ張り出す事が出来ないだけ、だったか?
別に赤ん坊のころの記憶なんて思い出したいわけじゃ無いからいいけどな。
それよりな。日本で生きていたころの記憶を思い出した時のあの衝撃、驚愕、興奮。それがあんたにわかるか?
そりゃ思わず夜中に大声出すよ。
「転生キターーーーー!!」
って絶叫したさ。
何事かとあわてて起きてきた父親に思いっきりげんこつを食らったけど、その痛みなんて全く気にならなかった。
異世界であることはそれまでの記憶でわかっていたし、転生して前世の記憶があるって時点で胸のワクワクが抑えきれなかったのも仕方ないだろ?
その日は眠れなかったさ。
で、その翌日から俺のチート探しの日々が始まるわけよ。
だってそうだろ?
『異世界』『転生』とくれば、やっぱ続くのは『チート』とか『ハーレム』とか、バランスブレイカー的な能力で『俺TUEEEEE』じゃね?
むしろそれがなきゃ何のための転生だよ。
と・こ・ろ・が・だ。
いくら探してもチートな能力が見つからねえ。
最初は余裕しゃくしゃくだった俺も、十歳過ぎたころにはさすがにあせっていた。
なんでかって?
その頃にはもう『俺TUEEEEE』どころじゃ無くなってたからだよ。
この世界ではすべての人間が魔力をもっている。
多い少ないの違いはあるけどな。
で、その魔力は大体早いヤツで八歳頃、遅くても十歳頃には発現する。
周囲の子供達が次々に魔力を発現させているにも関わらず、俺は一向にその気配が見えない。
あせったね。ほんと。
それまでの余裕が一気に吹き飛んだよ。
加えて四歳年下である妹の方が先に魔力を発現させちまったもんだから、まあ家の中の空気が重くなる重くなる。
八歳頃までの俺は、前世の知識に加えて経験というアドバンテージがあった。
だから当然まわりの子供よりも何歩も先んじることが出来たのだ。
それどころか大人顔負けの知識をひけらかすものだから、周囲は俺を『神童』と褒めちぎっていた。
だが九歳になる頃には、まわりの子供達も次々と魔力を発現していく。
十歳を過ぎて半年たつ頃になると、ほとんどの子供が魔力を発現させていたのだ。
加えて着々と知識を吸収する他の子供達と俺の差は、確実に縮まっていく。
それどころかいつまでたっても魔力が発現しない俺は、ある一面においては逆転されていた。
知ってるか?
この世界の人間って、百メートルを六秒くらいで走るんだぜ?
走り幅跳びをすれば十三メートルを飛び、握力は二百五十キロとか……、とにかく地球基準からすれば化け物ぞろいだ。
もちろんこれは身体能力に優れた人間達の話だが、道端の露店で野菜を売ってるような小太りの商人ですら、百メートルを十二秒とかで走りやがる。
明らかに基準が地球と違うんだ。
でもな、魔力が発現する前の子供に限って言うと、地球とそんなに変わらないんだよ。
つまりこの化け物じみた運動能力は、どうやら魔力のおかげらしい。
魔法使いが火の玉を放つように意識して使わずとも、人間は――おそらく野生動物にいたるまで――無意識のうちに魔力を運動エネルギーへと変換して使用しているのではないか。というのが通説だ。
しかもこの魔力によるブーストが結構馬鹿にならない。
というかこの世界ではもともとの身体能力よりも、魔力による底上げの方が運動能力に与える影響が大きいんだ。
魔力が高いと、身体能力が低くとも運動能力は高くなる。
そんな世界で魔力が無いというのが、どういうことかわかるか?
いくら体を鍛えて身体能力を人一倍伸ばしたとしても、結局人並みの魔力をもった人間にはどうあがいても勝てない。そういうことだ。
神童と呼ばれていた俺は、その頃からちょっと賢いだけの子供になった。
珍しくとも何ともない、小さな村でもひとりくらいはいるようなただの秀才もどきだ。
当然それまでの期待や羨望が強かっただけに、反動で俺に対する失望も大きかった。
賞賛の的だった幼少期から、一転して魔力を持たない落ちこぼれとなった俺。
誰が最初に名付けたか、ついたあだ名が『残念レビィ』。
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