第一章 異世界には夢もチートもなかった
第1羽
「なんか良いのないかなあ?」
「ありません」
目の前のクールビューティは素っ気なく言い捨てた。
「そんなつれないこと言わないで、なんか紹介してよ」
「無いものは無いです」
なおも食らいつく俺に、その女性は目線を手元の書類へ向けたまま冷たく答える。
今俺がいるのは『出会いの窓』と呼ばれる施設だ。
おい、こらそこ。
なんかいかがわしい場所と勘違いしてないだろうな?
別に怪しいところでもエロいところでもないぞ。れっきとした公共施設だからな、ここは。
出会うのは『人』と『仕事』。つまり平たく言うところの職業斡旋所だよ。
よりにもよってどうしてこんな誤解を生む名前にしたのか、名付けた人間のセンスを激しく疑う。
だがまあ、俺が生まれる前からずっと存在してた施設だからな。
町の人々にとってはとっくになじんでしまった名称なんだろう。
調べてみると、創設者は最初『こんにちはお仕事』といったような意味の名前を考えていたらしいが、大人の事情でその案はお蔵入りになったらしい。
うん。その判断は正解だと思うよ。元日本人の俺にはなんとなくわかる。
「こんなところで油を売ってないで、本業に専念したらどうですか?」
窓口担当の彼女があきれ半分といった口調で訊いてくる。
「本業だけで食っていけるなら、わざわざこんなところまで来たりするかよ」
そう、俺は今『出会いの窓』へ仕事を探しに来ている。
なぜかって?
決まってる。金がないからだ。
一応本業と呼べる仕事は持っているが、なにぶんそっちの実入りはとても少ない。
どれ位かというと、近所の六歳児にすら日々の生活を心配されてしまうほどだ。
はっきり言って本業だけでは食っていけないのさ。
だからこうして三日に一度は『出会いの窓』に来て、俺でも出来そうな単発の仕事を探している。
さっきから俺の話し相手になっているのはアルメさんという女性職員だ。
俺がこの施設に通い始めたころからの顔なじみで、かれこれ五年以上のつきあいだろうか。
あまり感情を表に出さないので冷たい印象を相手に与えがちだが、実は根が世話焼き体質であることを俺は知っている。
「ひとつくらいあるだろ?」
俺は仕事の募集票が一面に張られた掲示板を指さして言った。
アルメさんは軽くため息をつくと、目を閉じて首を左右に振る。
頭の後ろでひとまとめに束ねられた翡翠色の長い髪がそれにあわせて揺れていた。
「そうですね。仕事自体はたくさんあります。……では言い換えましょうか? レバルトさんに斡旋できる仕事はありません、と」
「でも、あれだけ依頼があるんだったら、ひとつくらい……」
「ではあえてお伺いしますが。ここに第三街区道路脇の草刈りという依頼があります。短期のお仕事ですが、依頼主は領主様名義になっていますので、報酬はかなり良いです。さて、レバルトさん。草刈り、出来ますか?」
草刈り程度……と思うなかれ。
なんせ俺は生まれつき魔力がない。人間であれば、いやそこら辺に生えている雑草ですら微量ながら持っているという魔力が完全にゼロなのだ。
その一方で、この世界の道具はその多くが魔力によって動いている。
あれだ、地球で言うところの電気みたいなものだ。いや、まあ電気自体もあるんだけどな。こちらの道具は電気と魔力の両方を組み合わせて動くと言って良いかもしれない。
とにかく魔力がないと草刈り機みたいな道具もろくに使えないんだ。
単純なハサミや鎌なんかだと魔力も必要ないんだが、それだと草刈りに使う労力も時間も膨大になってしまう。
個人の庭だったらそれで良いかもしれない。でも公共事業としての草刈りとなればそういうわけにもいかんだろう。
たぶん作業範囲や達成期限の設定が草刈り機使用を前提とした依頼になっているはずだ。
結論。俺には無理。
「他にはこんなのがありますよ。魔法具研究所の大掃除手伝い。研究所という場所柄、建物内の扉はすべて魔力扉ですが……。レバルトさん、魔力扉ひとりで開けられますか?」
魔力扉というのは、人間が持っている微量な魔力に反応して開く仕掛け扉のこと。
これまた地球で言うところの自動ドアみたいなものだが、魔力扉の場合はセンサーに魔力を使っているというわけだ。
当然魔力ゼロの俺が触れても開かない。
まさか掃除をしている間中、毎回誰かに扉を開いてもらうわけにもいかないだろう。
それじゃ手伝いどころかただの邪魔者だ。
結論。俺には無理。
「街灯の点検作業っていうのもありますね。点検した時に魔力が不足している街灯があれば、その場で補充をしていただく必要がありますが……。レバルトさん、魔力の補充って出来ますか?」
魔力がない――(以下同文)。
書類をめくりながら、次々と募集中の仕事内容を説明するアルメさん。
そのひとつひとつがボディーブローのように俺のデリケートな心へと突き刺さる。
もはや俺のブレイクハートはタップアウト寸前!
というか自尊心の方はすでに早々とギブアップ済みなんですけど!
レフェリーはどこ? このマットの上にはレフェリーは居ないの!?
泣いても……、いいですか?
「もう、いい……」
――つまり。
仕事はたくさんある。依頼もたくさん来てる。
でも悲しいかな魔力が一切ない俺に出来る仕事はありませんよ、というわけだ。
「レバルトさん……」
意気消沈してカウンターの上で突っ伏した俺に、アルメさんがフォローを入れてくれる。
「そう気を落とさないでください。レバルトさんの仕事ぶりは依頼人からもとても好評なんですよ。礼儀正しくて、丁寧で、心配りのできる人だと、みんな口をそろえて言ってくださるんです。当方としてもできる限りレバルトさんのような方にお仕事を斡旋したいと思っています。魔力を問わない仕事があれば、最初に声をかけさせていただきますから……。だから、仕事がない時はすみやかにお引き取りください。毎回毎回同じようなやりとりをするのは時間の無駄ですし、順番待ちをしている他の方に迷惑となります。なにより私自身が面倒くさい――、あら? どうかされましたか?」
落ち込んだ気持ちが話の前半部分で浮上したのもつかの間、後半部分のやや毒を含んだ言葉は残り少ない俺のヒットポイントをさっくりと刈り取っていった。
出会いの窓を後にすると、俺は肩を落として家路へついた。
道行く人々は皆忙しそうに動き回っている。道の端には露店が並び、客の気を引こうと大声を張り上げていた。
ああ、あそこに見えるのは串焼きの露店。
木串に刺さった豚肉が魔法具から発生する炎にあぶられ、美味しそうな匂いを漂わせている。
実際には豚肉じゃ無くて、品種改良したイノシシっぽい獣の肉なんだけどな。
あ、脂が落ちた。
焼ける音がして脂が落ちた部分から白い煙が上がる。
その音がまた俺の胃袋を強烈に誘惑してきた。
「食いてえ……。でも金が……」
買い食いするような余分の金は無い。
俺は首をがくりと落とし、家へと続く石畳を足取り重く歩いて行った。
出会いの窓から徒歩十五分。表通りから二本ほど裏に入ったところへ俺の家はある。
紹介しよう。
間取りはリビングダイニング、書斎、寝室、客間、倉庫の四LDK。レンガ造りの一軒屋。
築三百年と少々年代物ではあるが、その分頑丈さは折り紙付き。
表通りまで徒歩五分、外壁の正門まで徒歩二十分の好立地。
南向きの小さな庭までついて、お家賃なんと四万五千円!
しかも敷金ゼロ、礼金ゼロ、仲介手数料ゼロ、保証金ゼロ、管理費ゼロ、共益費ゼロ!
わお! わんだふーる!
え? なに? 突っ込みどころが多いって?
うん。わかるよ。わかる。
俺も最初はそうだったさ。「なんでお金の単位が『円』なんだよ!」って。それはもう盛大に突っ込んだよ。
その時の周囲の反応わかるか? 冷たいぞ。「はあ? 円は円だろ?」みたいな感じだ。
あとで調べてみたんだが、百年以上前からずっとお金の単位は『円』だったらしい。
今生きてる人間はみんな生まれた時から『円』という単位に慣れきっているってことだ。
だから特に何も感じないし、わざわざ気にするようなことでも無いらしい。
確かにそうかもしれん。
俺だって日本に居たころ『円』というお金の単位に文句つけようなんてこれっぽっちも思わなかったし、突っ込み入れるとか考えもしなかった。
仮にそんなヤツが周囲に居たら、俺だってきっと「うわー、変人がいる」とか思ったはずだ。
だからもう、そういうもんだと受け入れるしか無いんだよ。
なんで単位が『円』なのかはもう理由がわかってるんだけどな。
まあその話、今は置いておこうか。
で、なんで金無いのに一軒家住んでるのかって? しかも家賃安くないかって?
うんうん。ごもっともだ。
実はここだけの話、ここって、『わけあり物件』なんだよ。
よくあるだろ? 住人が自殺したとか、殺人事件があったとか、そういうやつ。
ここも同じ。
『出る』んだと。幽霊が。
昼間は何も問題無いのに、夜になると女の幽霊がすすり泣く声が聞こえてくるらしい。
ポルターガイストみたいな物理的被害は無いらしいけど、一晩中おどろおどろしい泣き声が響きわたるんだとさ。
買い手がついたと思ったら、すぐに住民が逃げ出して売りに出され、というサイクルが何年も繰り返されてきた物件だそうだ。
『出るらしい』と伝聞調なのは、俺自身がその幽霊を見たことも泣き声を聞いたこともないから。
自分なりの推測はあるんだが、実際その推測があっているのか、それとも他の理由があるのかはわからない。
だが現実として俺にだけは幽霊の姿は見えないし、泣き声だって聞こえないから大して気にならない。
さらに幽霊に加えて、築三百年という古い物件だ。
魔力扉や
不動産屋としては、費用をかけて除霊に成功したとしても物件としての魅力が薄い、いわば不良物件なのだ。
ところがな。俺にとってはその程度、不良物件でも何でもない。
だってそうだろ?
幽霊が出ます――俺見えないし聞こえないから問題なし。
魔法具ゼロです――あっても使えない俺には無用の長物。むしろ魔力を使わない設備がそろってる分、俺にとっては有益とさえ言える。
その上、家賃が格安なんだからこちらとしては言うことなし。建物が古いのには目をつむった。
ということで不動産屋と俺の利害が見事一致した結果、月四万五千円という格安の家賃で借りることが出来たのだ。
そんな数奇な巡り合わせで手に入れた――っていっても賃貸だから所有物では無いんだが――俺の家が目の前にある。
さすがに築三百年ともなると威風堂々としている。
屋根のあたりにいくつか崩れそうな部分があるのは気のせいだろうけどな。
周囲の住宅からひときわ浮いて見えるのもたぶん目の錯覚なんだろう。
近所の人によれば、夜中の窓辺に青白い人型の光が浮かび上がっているらしいが、俺は見ていないので問題ない。
言わばオールオッケー。心憩う麗しの我が家というわけだ。
世の中、気の持ちようというヤツだな。
そんなことを考えながら、俺は玄関の扉に手をかけた。
「たっだいまー」
言いながら、古めかしい扉を開いて家の中に入ろうとした俺の足がはたと止まる。
「お帰りなさいませ。レバルト先生」
そこに紺地のエプロンドレスを着たひとりの女の子が立っていた。
肩から背中にかけて伸びた白銀色の髪が、夜空を彩る星の河を思わせる。
さなぎから蝶へ脱皮したばかりのあどけなさを残した面立ちだが、もう少しすれば少女という表現はふさわしく無くなるだろう。
街を歩けばいつも男の目線を引きつけてやまないその整った顔は、初心な男を振りまわす魅力的な笑顔を浮かべていた。
だがしかし、俺は知っている。顔が笑っているからといって、心の底から笑っているわけではないということを。
なぜか?
それは彼女が俺のことを『レバルト先生』と名前付きで呼んでいるからだ。
普段彼女は俺のことを『先生』とだけ呼ぶ。
それが名前付きの呼び方に変わる時、十回に九回の割合でお説教タイムだということをこれまでの経験が物語っている。
加えて彼女は腕を組み、仁王立ちであった。
その足もとに何やら物騒な武器がスタンバイしているのも俺の目は見逃さない。
この状況を分析すると、十回に一回の
うん、無いよね。無い。絶対無い。百万円賭けても良いや。
俺は無言で微笑みを返すと、ゆっくりとかつ丁寧に扉を閉める。
それからすかさず回れ右をして、遠く賑わう表通りへ転進しようとした。
だがなんということであろう! 敵軍は転進しようとする我が軍に対して、卑怯にも後背からの攻撃をためらうことなく加えてきたのだ!
「はい。逃げなーい」
俺が足を踏み出すよりも早く、再び開いた扉から伸びる細腕が俺の襟首をつかんで引っぱる。
だが歩き出そうとしていた俺の体は急に止まれない。
その勢いを無理やり止めるべく、引き戻された襟首の縁が俺の首に食い込んだ。
「ぐぺっ」
おかげでみっともないうめき声をあげた俺は、そのままリビングへずるずると引きずられていった。
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