第5話 怪盗パワハランと窓際おばちゃんの休日
電卓が盗まれました。盗難に遭うのは久しぶりです。しかも以前、怪盗パワハランはおばちゃんが退治しているので、前回とは別の人の仕業です。そして、残念なことに電卓は会社の備品です。勝手に警察に連絡しようものなら、「備品を紛失した上に、警察に通報している。」とおばちゃん自身が責められるに決まっています。会社で誰かに相談しても「ちょっと借りてるだけじゃないの?」と相手にされないことも分かっています。とりあえず、ないと困るのでおばちゃんは自腹で電卓を買いました。少し大きめで真っ赤な電卓は他に同じ物を使っている人がいないので、パワハランも盗みにくいだろうという作戦です。身銭を切って買った物は私物なので、次に盗まれた時には警察にも通報できます。思いつく対処はしたものの、おばちゃんの心は晴れません。やっぱり、物が盗まれるのは気分が悪いのです。
ある日、モヤモヤを抱えたまま働いていると、「あれ?」と言いながら自分のロッカーをのぞき込んでいる若きパワハランがいました。引っ張り出してきたのは、盗まれたおばちゃんの電卓です。「これ、誰の?」と尋ね回っているので、「それは、先日盗まれた私の物です」と大きい声で言い放ちます。フロアが凍り付きましたが、気にしている場合ではありません。電卓が二つになってしまったことも大きな問題ではありません。問題は電卓の発見された場所でした。このロッカーの所有者であり、おばちゃんの電卓の発見者であるパワハランは一週間出張に出ていて、久しぶりに事務所に来たのです。誰かがあえて不在者のロッカーに電卓を隠したのでしょう。その現実が気味悪く、おばちゃんをさらにモヤモヤさせました。
なぜ、誰も現状を正しく理解しないのだろう。対処しないのだろう。そう考え続けていると、モヤモヤはやがて怒りへと成長していきます。おばちゃんを辞めさせたい一心で一丸となっているパワハランズにしてみれば、やって当然のことかもしれませんが、許される問題ではありません。
久しぶりに週末に立ち寄ったのは、馴染みの美容院。「あれ?窓際さん、予約なしなんて珍しいね。」美容師さんはいつも笑顔で迎えてくれます。「さっぱり短くして!カラーリングも明るめで。」はらわたの煮えくり返っているおばちゃんと、付き合いの長い美容師さんはおしゃべりが止まりません。電卓を隠された話をすると、
「何それ、悪質!大丈夫?その会社。」とごく当たり前のリアクションが返ってきます。おばちゃんがまさに求めていた反応です。「やっぱり、おかしいよねぇ。」
「放置する経営者、頭おかしいんじゃないの?」
誰も理解してくれないのではなく、理解してくれる人が職場にいないだけでした。直接パワハランを退治しなくても心を軽くする方法を知ったおばちゃんは元気を取り戻します。
「自分は間違っていなかった。こんな解決法もあるんだな・・・。」
仲良しの美容師さんは、生活の為にすぐには仕事を辞められないおばちゃんの現状までを心配し、自身が主催するワークショップに出店してみてはどうかと声をかけてくれました。
「すごくいい物を作るのに、買いたい人と出会えない人の橋渡しをしたい。」バイタリティのある美容師さんがそんな思いで開催しているフリーマーケットに、恐る恐る参加したおばちゃんは、カフェの一日店長をやってみました。自分で作った珈琲が人に安らぎを与え、時に会話を生む、そんな幸せなひと時がお金まで生む。久しぶりにやりがいを感じながら働きました。収入はわずかな物ですが、おばちゃんのこと、そしておばちゃんの作る珈琲を好きになってくれる人と出会えたのは、何にも変え難い財産です。
わずかな臨時収入を使いスーパー銭湯に立ち寄ります。露天風呂に足を伸ばして浸かると、思っていたより体が冷えていたことに気づきます。一度お湯を通してガリガリのふくらはぎに届く日の光は不思議な模様を描いていました。それは似てはいるけれど、二度と同じ絵柄にはなりません。「後悔のないように生きよう。」そんな思いを胸に家路についたおばちゃんの後姿は少し強くなったように見えます。
週末にリフレッシュして、翌週気分一新出社したおばちゃんですが、朝イチで年下の上司に叱られることになります。先週怒りに任せて自分の電卓を瞬間接着剤でデスクに貼り付けたのがバレてしまいました。それと同時に電卓の盗難も社内に知られることとなり、犯人を捕まえるには至りませんでしたが、一応全てが社内通達されました。パワハラはしたいけど、公にされては困る。そんなパワハラン達が少しでもヒヤヒヤしている姿を想像すると、デスクになるべく傷をつけないように電卓を剥がす作業をしながらも、ちょっと笑ってしまうのでした。
教訓:井の中の蛙大海を知らず
一歩外の世界に実は味方がたくさんいるかもしれません。
パワハラの定義:精神的な攻撃
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