第4話 全てが面倒KYオシツケルン

 おばちゃんには肩書がありません。勤続二十年のボンクラ社員です。会社の規則にのっとって毎年最低限の昇給があるだけで、倉庫に追いやられた今、一生役職がつく事はありません。おばちゃんもこの会社でそんな物を求めてはいません。一人ぼっちで淡々と雑用をこなすだけです。


おばちゃん以外のほとんどの人に役職があります。平社員は昨年入社した新人とおばちゃんだけで、その事実がおばちゃんの仕事周りを少々面倒にしていました。役職がついていれば「エライ」のです。一回り以上年下の男性が、慣れないパソコンで必死に作業をしているおばちゃんのキーボードの上に、何も言わず、書類の山を置きました。呆然としてパソコンから目を離し、見上げると気味の悪い笑顔で「それやっといて。」と言い放ちどこかへ行ってしまいます。KYオシツケルンはおばちゃんよりずっと後に入社しましたが、主任さんです。エライのです。だからと言って何をしてもいいのでしょうか。


一度我慢すると、攻撃は毎日続くようになりました。分厚い書類の束は物を書いているおばちゃんの手の甲に置かれたり、見ているパソコン画面に立てかけられたりします。そして毎回おばちゃんの困惑した表情を見て、楽しそうに笑っているのです。どんなにエラくても、人としていかがなものだろうか。おばちゃんは少し苦しくなりました。KYオシツケルンが置いて行く書類は、自分が嫌だから、面倒だからという理由で放置された物ばかりで、お客さんの締め切りを過ぎているのに未着手の見積もりなどもあります。取引先に迷惑をかけて、それを会社が把握していないのはまずいと思ったおばちゃんは一応KYオシルケルンの上司に報告をしました。


「あ、アイツは冗談のつもりだから。面白いと思ってやっているだけだから、気にしないで。」責任者から返ってきた言葉に再び呆然です。人に迷惑を掛けて一体何が面白いのでしょう。昔、知人の結婚式に招かれた時、「五万円貯まる貯金箱」に500円玉をびっしり詰めてご祝儀として持って来た友人を思い出しました。「インパクトあるー!」と笑っているのは本人だけで、受付の人も同行の友人も皆彼女を白い目で見ているのに、全く気付いていません。どんな年の取り方をしたのかな、古い友人の事を久しぶりに思いだし、いかんいかんと、我に返ります。


ターゲットはおばちゃんだけでした。KYオシツケルンは人を見て態度を変えています。年齢に関係なくエライ人にはそんな事しません。本来手の甲やキーボードの上に乱暴に書類を置いたり、面倒を理由に人に仕事を押し付けたりしてはいけないことをちゃんと理解しているのです。分かってあえてやっている、その態度にいよいよ腹が立ちました。そんな現状を把握していながら放置している会社にも憤りを感じます。でもここはあわてず、オシツケルンを泳がせ、観察する事にしました。 


おばちゃんが何も言わないのをいい事に、どんどん嫌がらせはエスカレートしていきます。一日の仕事を終え、帰り支度をしている所へ「これ、今日中。」と雑用を押し付け、ニヤリと笑って去って行きます。その場から去って行くだけではなく「お先!」と帰ってしまうのです。周囲は見て見ぬふり。一度消したパソコンをもう一度立ち上げ、黙って作業をします。そのせいで予約していた病院の診察に間に合いませんでした。終電に間に合わなくなる事もありました。そんな時は誰にも相談せずに会社の近くのビジネスホテルに泊まります。そんな事をしたら一日分のお給料が吹っ飛んでしまうのですが、他に選択肢はありません。残業をすると「仕事が遅いからだ」と注意されるので、タイムカードは定時に押して、賃金の支払われない時間外労働です。


毎日夕方に運ばれてくる書類達を眺めながら、おばちゃんは行動にでる事にしました。オシツケルンが外回りをしている間に彼の机上をチェックして、夕方回ってきそうな書類を先に持ち出し、就業時間内に処理をします。取引先とも直接連絡を取り、注文にはお礼のメールを送り、見積もりを出す時には頼まれていなくても参考資料をつけます。会社に戻ってきた時、おばちゃんを攻撃する武器であるはずの書類の束が全て仕上がって置かれている現状に、一瞬きょとんとした表情を見せたオシツケルンでしたが、一転ラッキーと言わんばかりの笑顔で「お先!」と帰って行きました。根気よく毎日武器の解体をしていると、取引先からおばちゃんに直接連絡が入るようになります。注文、見積もり、製品の問い合わせ。山のような雑用を命じられている倉庫係には正直なところハードですが、取引先からの連絡を最優先に対応しました。それは評価されず、最近倉庫の片付けが行き届いていない日が多いとパワハランからも攻撃を喰らいます。


攻撃する者より、攻撃にひたすら耐え続けているおばちゃんの方がずっと強いのです。会社で酷い扱いを受けても、取引先からの評判が上がって行きました。喜んだのはオシツケルンです。仕事をせずにお給料がもらえる、しかも何もしていないのに、いつの間にか最下位争いをしていた自分の業績がグングン伸びています。ラッキーでしかありません。訳も分からず、上司から褒められ、営業手当も少し多くもらえるようになりました。二人分働いて大損しているはずのおばちゃんですが、我関せず毎日取引先と連絡を取り続けました。見積書を送った相手には注文がもらえそうか打診をします。以前価格交渉が難航したお客さんには一つの問い合わせに対して五つの提案をしました。オシツケルンに届くべき書類やメールはやがて全て「窓際様」宛てに届くようになりました。「担当が窓際さんになってから、話が早くて助かる。」と言われることもあります。担当変更なんてしていないのに、お客さんが勝手に勘違いをする程おばちゃんはお客さんのために尽力しました。それは自分のためでもあります。


やがてオシツケルンは武器を失いました。デスクには一枚の書類もありません。未処理の物だけでなく、完成した書類すらないのです。嫌がらせが思わぬ幸運を呼びました。押し付けられるのを嫌がったおばちゃんが、進んで作業をしてくれるようになったおかげで、自分は仕事をしなくてもお給料がもらえるのです。


「いってきまーす。」毎朝、オシツケルンは誰よりも早く営業に出るようになりました。行き先はネットカフェ、映画館、時々一人カラオケを楽しむ事もあります。それにも飽きてくると欲が出てきました。オシツケルンは窓の張り紙を見てファミリーレストランに入りました。「すみません。昼間のアルバイトに応募したいんですけど。」オシツケルンのKYぶりは、おばちゃんの想像をはるかに超えていました。


就業時間に堂々とファミレスで接客のアルバイトを始めたのが運の尽きです。バイト開始からわずか10日後の混雑するランチタイム。

「いらっしゃいませ!何名様ですか?」とシステマティックに声を掛けた相手は営業部長でした。昼食をとるために、取引先の営業マンを連れて入った店で自分の部下がアルバイトをしている、こんなみっともないことはありません。表情一つ変えず静かに「何をしているのかね?」と尋ねられたオシツケルンは、金魚みたいに口をパクパクするばかり。営業部長は答えを待たずに、空いた席に座り、メニューを眺め始めます。事情が分からない先輩アルバイトに「早く注文を聞きに行け!」よ叱られますが、その声がとても遠くから聞こえるように感じます。気付けば部長は注文どころか食事を済ませ、帰って行くところでした。その後の記憶がなく、気付いた時には夕方、会社の前に立っていました。


「ただいま・・・。」出かけた時と一転、小さな声で挨拶をするオシツケルンを皆が白い目で見ています。何かやったな。おばちゃんには何も知らされていませんが、よからぬことが起きている空気に少しわくわくしました。席に着くなり内線が鳴ります。営業部長からの呼び出しでした。上手い言い訳を思いつく程の時間も脳細胞もオシツケルンにはありません。


「呼び出された理由は分かるね?」諭すように穏やかに話す営業部長の口調が逆に恐ろしく、「えっと、あの、ファミレスでバイト中に、えっと、その、部長が昼休みで・・・。」何一つまともに答える事が出来ません。

テーブルに並べられたファイルを一冊手に取り、書類を眺めながら「最近業績がいいじゃないか。」と部長は話題を変えました。

「そうなんすよ。」褒められたと勘違いしたオシツケルンの緊張が解け、笑顔が戻ります。

「この見積の件はその後どうなった?注文がとれたら、結構な金額になるな。」見せられた書類に全く心当たりがありません。おばちゃんの武器解体の成果です。完成した書類は全てオシツケルンのファイルに綴られていたのに、一切内容を確認していませんでした。

「分かりません・・・。」また声が小さくなります。

「分からないってどういうことだ?じゃあこの案件は?

「知りません・・・。」

「一体どうなってる?誰かにやらせて、その間にバイトしてたのか?」

「やらせてはいません。知らない間に売り上げが伸びています!」負け犬の遠吠えよりブサイクな発言に営業部長の口はアゴが外れそうな程、パッカーンと開きました。


「辞令」

翌日、社内の掲示板にオシツケルンの降格及び二週間の出勤停止処分に関する通達が貼られました。さすがに気まずさから自主退職したオシツケルン。その後例のファミレスで社員登用を目指し、元気にアルバイトをしていると風の噂で聞きました。


教訓。甘い話には裏がある。

パワハラの定義。業務上明らかに不要な事や遂行不可能な事の強制。仕事の妨害、課題な要求。

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