第3話 パワハランとセクハラン

おばちゃんは窓際族とはいっても、普段は窓すらない倉庫で仕事をしています。


でも、別フロアの窓際に一応専用デスクがあります。おばちゃんの仕事は「なんでも」だからです。他の人が「嫌だから」、「めんどくさいから」、「時間がないから」で放りだしてしまう、「誰かがやらなければならない雑用」が全ておばちゃんの仕事なので、昼休みもなくデスクにしがみついていることが多々あるのです。


電話の取り次ぎ、メールの転送、そんなことを淡々とやっていると、お客さんから製品の値段の問い合わせがありました。親切に教えてあげた結果、おばちゃんはそのお客さんに気に入られ、毎日のように問い合わせや注文が来るようになります。労せずに売り上げの数字が増えるのでパワハランは喜びました。


お客さんからのメールや電話はどんどん増えて行きました。

メールの宛名も、最初は「コロコロ商事御中」だったのが、「コロコロ商事 窓際様」になり、「窓際さん」になり、やがて「オバ子ちゃん」になりました。お客さんとはいえ、親しくもない相手にこの宛名書きはおかしいと思い、担当者に報告すると、たった一言「気持ちを入れずに読んで」と言われました。最初は意味が分からなかったのですが、「こういう事をされて気持ち悪いと思っていいのは、若くてかわいい女の子だけだよ」という意味だと気付いてから、おばちゃんは誰かに相談するのをやめて、お客さんの好きなようにさせてみることにしました。


当然、お客さんは何も言われないのをいい事にエスカレートしていきます。

メールの宛名は呼び捨てになり、友達に宛てたような文章になり、その分売り上げは増えていくのです。会社が近いので、時々商談や注文品の引き取りに訪れたその人と顔を合わせる事もありました。年老いた自分の姿を見てさえくれたら、セクハランもシオシオになるかと期待していたのに、お会いしてみるとお客さんはだいぶご年配で、おじいちゃんから見ればおばちゃんは残念な事にピチピチなのでした。その翌日のメールには「いい匂いがするね。」と書かれていて、背中にナメクジが這いまわっているような感じがしました。どこで見たのか、「私服のセンスいいね。僕ロングスカート好きなんだ。」と書かれている事もありました。いよいよ気持ち悪くなって、ガリガリの足を露出するようなミニスカートを穿こうか、体には犬のウンコを塗って通勤しようかと思案し、そんな策しか思い浮かばない自分に腹を立てます。そんな事をしたら、自分が周囲から変な目で見られるばかりです。


そんなおばちゃんの気持ちを知らず、セクハランからの攻撃は続きました。

それと比例して商談も増えて行くので、辛くても耐えるしかありませんでした。


会社では孤立しているおばちゃん、例えるなら清掃会社から派遣されているような状態です。同じ会社に出勤しているけれど、同じ会社の人間じゃない、そんな扱いを受けています。でも子供のいじめと大きく違うのは、無視されないということでした。大人は頭がいいのです。大切な話には絶対加えないけれど、無視はしない、そうすればいじめていることが外にばれないことを知っているのです。すれ違う時には挨拶をするし、時には世間話もする、でも大切な仕事はさせない、売上に貢献した時は他の人の数字になる、まるでシステムとして確立されているかのように、全員がおばちゃんのことを出入り業者のように扱いました。


 そんなおばちゃんと分け隔てなく接してくれるのは、内部事情を知らない配送業者の人達だけでした。荷物の受け渡しの時に挨拶がてらにお話をする時だけが、人として扱われていると感じられる瞬間です。セクハランと入口ですれ違った配送業者さんが、「あれ?あの制服、クルクル製造さんじゃない?」と聞いてきました。「そうですよ。ご存知なんですか?うちのお客さんなんです。今日はご注文品のお引き取りだったみたいで。」いつものように、おばちゃんは当たり障りのないお話をします。「うん、近くだから配送にしょっちゅう行くんだよね。」配送業者さんは製品の受け渡しで会社の中に通されるようで、セクハランの勤めている製造会社のことをよく知っていて、いろいろなことを聞かせてくれました。ただ、セクハラン本人とは面識がなく、その部分について情報を得る事ができなかったのは残念な事でした。


 おばちゃんは、意を決して気持ち悪さを感じながらも、毎日セクハランと対峙しました。届いたメールの文面はちゃんと営業担当に転送し、なすべき仕事をして、どんどん売上を上げ、「前にも言ったけど、気持ちを入れないで文章を読んでね、ただの注文書と思ってね。」という指示メールは何重にも保存しておきました。

 

 勝手におばちゃんと親しく、良き人間関係が築けていると勘違いしているセクハランからは、高額製品や、大型案件の話が舞い込むようになっていきます。1台100万円以上する物の見積もり依頼が届き、「オバ子ちゃんから買いたいので、競合他社の見積書を開示してあげるから、なんとか下回る見積書を出してね。」と電話がかかってくるようにまでなりました。「1台50,000円の見積もりを出してもらったこの前の話だけど、注文は100台単位になると思うので、納期の確認をしてもらえるかな。商談成立したら、ご飯に行こうね。」こういう連絡はすべて営業担当者に転送しました。節穴パワハランには数字の部分しか読めません。おばちゃんが読んで欲しかった「ご飯に行こうね。」の部分は想像通りスルーされました。


 作戦始動です。おばちゃんはセクハランが持ってくる大型案件を猛追しました。

自分からセクハランに連絡を取り、商談の進捗を確認して、金額で困っているのか、仕様で困っているのか、正しく見極めて、必要な資料をタイムリーに出します。「そこまでやってくれるなら」と、おばちゃんに注文をくれる機会がさらに増え、売上金額もどんどん多くなっていきました。


 3ヶ月後、500万円分の注文品が揃い、営業担当者がドヤ顔で納入に出発していきます。全部おばちゃんの功績ですが、誰もそんなこと言いません。おばちゃんも知らん顔で「いってらっしゃーい」と送りだします。


 営業マンが真っ青な顔で帰宅するまでにそんなに長い時間はかかりませんでした。「ク、クルクル製造がなくなってる・・・。」

あの会社は危ない、急に人が減って、作業場も閑散としている、「移転ですか?」と尋ねても、みんな口を濁して何も話してくれない。そんな話を配送会社の人から聞いていたのはおばちゃんだけでした。本当かどうか分からないけど、いつか来るかもしれないその日のために、全力で頑張ってみる事にしたのです。半年分の約束手形は全て紙切れになりました。営業マンが納入できずに持って帰ってきた500万円分の製品は返品する事も出来ず、むなしく仕入れ先から請求書が届きました。


 倉庫で過ごす一人ぼっちの昼休み。おばちゃんは小さくガッツポーズをしました。このタイミングで、労働局に今まで保存してきたたくさんのメールを全て開示して相談をしました。セクハラの加害者が外部の人であったとしても、企業には従業員を守る義務があります。法律で定められていることがなされていないと、パワハランは厳重注意を受けました。「気持ちを入れないでメールを読む」という明言を生みだしたパワハランは、報告を怠った事、それが原因で対応が遅れたという理由で減給処分です。報告したところで対応してくれたとは思えませんが。そして、お得意さんの倒産により会社は多額の損失を受ける事になりました。


 もちろん、こうなることをおばちゃんが知っていたことは内緒です。

たった一人でセクハランを退治したおばちゃんのところへ、元クルクル製造の路頭に迷ったじいさんからメールが届きました。「オバ子ちゃん、元気?会社が倒産した~!オバ子ちゃんのところで雇ってもらえないかな?上の人に取り次いでくれない?」そのメールを最後にブロックです。これで一件落着、と行けばよかったのですが、パワハランにもきっちりダメージを与えたおばちゃん、自分の会社が取引先の倒産で損失を受けるというのはどういうことか、というところまで頭が回っていませんでした。長期にわたり、経営悪化でボーナスが支給されず、クレジットカードの決済に四苦八苦したことは、今では笑い話です。


教訓:窮鼠猫を噛む 

セクハラの定義:性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなり、労働者の能力の発揮に大きな悪影響が生じること。

 






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