第2話 怪盗パワハラン
更衣室のロッカーの中から物がなくなるようになりました。最初の一回は、自分で家に持ち帰って持って来るのを忘れただけかも知れないと思いましたが、自宅を確認しても記憶を確認しても、前日に間違いなくロッカーに入れた物が翌朝なくなっていました。おばちゃんには会社に相談できる人がいません。物が盗まれたなんて信じてもらえないはずです。黙って様子を見る事にしました。おばちゃんに苦痛を与えたくて盗んでいるなら、おばちゃんが黙ってさえいれば、何度でも行動してくるだろうと思いました。予想は的中して、盗まれた物が返って来たり、また別の物がなくなったりを繰り返しました。一応報告しておくか・・・。重い気持ちで社長室へ向かいました。ロッカーの中の物が盗まれたり、勝手に出し入れされたりしていると、起こった事を簡潔に伝えます。更衣室に出入りするのは当然女性です。加害者が限定されてしまいます。会社には数人女性がいて、全員会社の戦力なのでしょう、社長はおばちゃんの話を全く聞きませんでした。
「どこかでなくしたんじゃないの?盗まれてはいないだろう。」
「はい、分かりました。」報告しても会社が対応しないという事実が欲しかっただけのおばちゃんは、それ以上食い下がる事はせずに社長室を出ました。
たった一人での作戦会議が始まります。ロッカーを開けた時に水風船が割れ、中からインクが飛び出して全身真っ赤になる装置を作ろうとしました。会社の中で、何の説明もできず絵の具まみれになっている人が仕事をしている姿を想像すると、笑ってしまいます。問題はおばちゃんが不器用な事でした。失敗して自分がインクまみれになったら、犯人を捕まえられない上に、顰蹙を買ってしまうことになります。
シンプルにロッカーの取っ手の裏に塗料をつけてみました。ブラウスがなくなった日、おばちゃんのロッカーの中にある物で手を拭ったのか、あちこちに赤いインクがつけられていました。特定は出来なかったけれど、犯人がいる事ははっきりしました。そこで自腹で小さな防犯カメラを買い、ロッカーの中に置いてみる事にしました。
怪盗は毎日現れるわけではありません。むしろ忘れた頃にやってきます。おばちゃんが自分で設置した防犯カメラの存在を忘れかけた頃、ロッカーの中の水筒とマグカップがなくなりました。おばちゃんは盗難に遭っているのに、嬉々としてカメラのデータを持って帰りました。何が映っているのか早く見たくて、普段は乗らない特急電車で帰宅です。カメラに映っていたのは、入社5年目の事務員さんでした。翌日おばちゃんは休暇を取り、警察に被害届を出しに行きました。
「会社の中の事なら、会社内でなんとかしろ。」「盗られたのが水筒とマグカップ?」一向にやる気の出ない警察官に、自分は会社でパワハラ被害に遭っていて相談できる人がいないこと、社長には報告済みで鼻から相手にしてもらえなかったこと、データがないだけで盗まれた物は他にもたくさんある事をおばちゃんは根気よく伝えました。それでも警察は動きません。おばちゃんはコツコツ動きました。傘がなくなった、ブラウスが戻ってきた、そのたびに被害届を出しに行きました。貴重品はロッカーに入れず持ち歩いているので盗まれる事はなく、なおさら警察にも届け出は軽く扱われてしまいます。ブラウスが刃物で切られたという届を出した時、ようやく警察は渋々動いてくれました。加害者がいきなり呼び出され警察に事情を聞かれたようです。将来を期待された中堅社員は多くを語ることなく自主退職していきました。警察から会社に、ロッカーに鍵をつけるようにという指導も入りました。
おばちゃんは社長に呼び出しを喰らいます。
「なんで、会社に相談せずに直接警察に行ったんだ!」と怒られました。ナイスパスです。
「ちゃんと報告しましたよ?それなのに、なくしたんだろうとか、盗まれているはずはないと全く話を聴いて下さらなかったのは社長です。盗人でもお気に入りの美人さんだったら無罪放免ですか?それでは会社に悪いイメージがつきませんか?他の人の物が盗まれたら速やかに対処したんですか?盗難はハラスメントではなく犯罪ですよ?だから警察も動くんです。お分かりになりませんか?そして、そもそも盗難の報告に耳を貸さなかった、その社長の行為がハラスメントです。」
何も言い返す事が出来ず、モゴモゴしている社長に背を向けて、とっとと持ち場の倉庫へ戻り、うーんと伸びをしたおばちゃんに再び笑顔と元気が戻ります。さあ続き、と段ボールを片付け始めました。時すでに遅しですが、近々会社のロッカーは全て鍵付きの物に交換されるそうです。パワハランを一人退治したおばちゃんですが、証拠として警察に提出した防犯カメラの映像のほとんどが自分の着替えシーンで、数人の警察官を失笑させた事に気づいていないのが何より残念です。
教訓:知らぬが仏。物はきちんと使い方を理解してから使った方がいいです。
パワハラの定義:業務の適正な範囲を超えて精神的な攻撃を与える。
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