窓際おばちゃんと妖怪パワハラン
穂高 萌黄
第1話 つまはじきバーベキュー
彼女の名前は窓際オバ子。商社勤務。勤務とは名ばかりで窓すらない倉庫に追いやられて、転勤先で孤立している50歳独身です。
会社のみんながバーベキューに行く約束をしていました。とっても楽しそうです。窓際おばちゃんは誘われないことが分かっていたので、知らん顔をしていました。イベントが近くなってくると、業務部の中村さんは欠席だの、営業部の山本さんは出席だの、車を出すのは誰だとか、幹事さんを中心にいろいろな会話が飛び交います。それは「あなただけを誘わない楽しいバーベキューが開催されます。」というお知らせがじわじわとおばちゃんの元へ届けられたようなものでした。誘わないなら勝手に黙って行けばいいのに、なぜわざわざご丁寧にそんなお知らせが来るのでしょう。おばちゃんは驚き、悲しみ、そして激しく怒りました。誘って欲しかった訳ではありません。パワハランと一緒に休日を過ごすつもりはないけれど、それはあまりにも酷いお知らせでした。
きっとまたいつか同じ目に遭う、そう思ったおばちゃんは、テントと寝袋を買いました。元々アウトドアには興味があったのですが完全な素人です。テントの建て方も、火の起こし方も、何も分かりません。道具をコツコツと買い集めながら、ガイドさんのいるキャンプ場へ通いました。何度も何度も通いました。やがてテントを一人で建てられるようになり、火を起こせるようになり、調理が出来るようになりました。道具も一通り揃いました。出来る事が増えるとどんどん楽しくなります。月に何度も一人でキャンプ場に現れるおばちゃんは、アウトドアガイドのお兄さん達の間で名物になりました。
数ヵ月後、「もう教えることは何もない!」と、ガイドさんからお墨付きをもらったおばちゃんはいよいよ独り立ちです。ガイドさんのいないキャンプ場を巡り始めました。おばちゃんには車の免許がありません。そして方向音痴です。小さなバイクに大きな荷物を積んで、よろよろと時には道に迷いながら、武者修行に出ました。風の強い時、急に雨が降った時、以前は出来なかったとっさの判断がいつの間にか出来るようになっています。テントを建てるのにも、火を起こすのにも時間がかからなくなりました。大自然の中に身を委ねる事が心地よく、ガイドさんから「荷物は極力少なめに」と何回も言われたのに、これだけは言う事を聞けず、大きな双眼鏡とカメラを買い、鳥を眺めて過ごしたり、山歩きをして写真を撮ったりしました。雪山の写真は軽い気持ちで応募したコンテストで佳作に選ばれ、いただいた商品券はあっという間にキャンプ用のお肉に姿を変えました。
おばちゃんは心から楽しんでいるのに、時折キャンプ場では物珍しそうな目で見られたり、気の毒そうに見られたりします。おばちゃんの一人キャンプは周囲の人達からは寂しく見えるようです。でも、周りからどう思われるかなんて、おばちゃんは全く気にしません。自分が楽しめたらそれでいいのです。時に、火が上手に起こせなくてケンカ寸前になっているカップルの手助けをしたり、調味料を忘れたファミリーに自分の持って来た物を貸してあげたり、少々お節介なまでになりました。そんな事をして、他のキャンパーさんと仲良くなり、おかずの交換をするのも楽しいのです。
決戦の日は急にやってきました。おばちゃんが何をきっかけにキャンプを始めたのか忘れてしまうほどアウトドアにのめり込み、ガイドのお仕事も出来そうな程の実力を身に付けた頃、再びパワハランは現れました。また会社でバーベキュー大会です。おばちゃんの目の前で待ち合わせの約束が始まります。もちろんおばちゃんには声がかかりません。そして今回もやっぱり「あなただけを誘わないイベントが開催されます。」というお知らせがくるのです。静かに仕事をしながら耳を傾け、日にちと場所を覚えました。前日に十分な買い物をして、早朝に家を出ます。大きなリュックを背負い、カートにクーラーボックスと寝袋を積んで、電車に乗るのも慣れた物です。
初めて訪れるそのキャンプ場は、川沿いにあるこじんまりとした景色のきれいな場所でした。早々に奥の一番静かな場所を陣取り、テントを設営し、火を起こして昼食の準備です。焚火に安納芋を放り込んでおいて、焼きそばを作り始めた頃、続々と車が入ってきました。パワハラン達の到着です。おばちゃんは声だけを気にしながら、絶対に相手の方を見ることはせず、モリモリと焼きそばを食べ、苦い珈琲を飲みながら、甘い甘い安納芋を食べ、川を眺めます。パワハラン達は奥のテントでキャンプをしているのが、窓際おばちゃんだとは全く気付かず、大騒ぎしながら肉を焼き、ビールを飲み始めました。食事を終えたおばちゃんは炊事場に洗い物に行きます。炊事場やトイレに行くには、パワハラン達の横を通らなければなりません。気付くだろうか。おばちゃんはワクワクしていました。食器と洗剤を抱えて、まっすぐ前を見て炊事場へ向かいます。パワハランの真横に来た時、わいわいがやがやがひそひそになり、やがてしーんとなりました。洗い物を終えて戻る時もほとんど会話が聞こえません。すっかり静まり返った団体さんを尻目に、おばちゃんは野鳥観察や読書をして楽しく過ごしました。時折ひそひそ話をしてはまた静かになるパワハラン。誰かがおばちゃんの所へ声を掛けに来ようとでもしたのでしょうか、「やめとけ」という少し大きな声も聞こえてきました。おばちゃんはすっかり調子を狂わされたパワハランの横を何回も通ります。その度に感じる気まずさ一杯の視線に愉快な気持ちになりました。
キャンプ場を離れ、近所の温泉に行く事にしました。途中で交番のお兄さんとお話したり、お土産物屋さんで地酒を買ったり、小さな寄り道も楽しみの一つです。お風呂から戻るとキャンプ場の入り口辺りまで、パワハランの楽しそうな大声が聞こえてきました。おばちゃんの姿が視界に入ると再びしーんとなります。おばちゃんはこれが面白くて、二度ほど短い散歩に出かけました。
さて、パワハラン達がバーベキューを終え、片付けを始めた頃、おばちゃんは晩御飯の支度を始めます。焚火の世話をしながら、手際良く小さなまな板と小さな包丁で今夜のメニューは得意のチキンのトマト煮込みです。仕上がるまでにお散歩途中で買ったお酒を楽しみます。チキンを食べ終え、余ったスープにしめのパスタを放り込んだあたりで、パワハランは帰っていきました。
日が暮れて、ほとんど貸し切り状態となったキャンプ場でパスタを食べながら、おばちゃんは一人キャンプを満喫しました。月曜日、何が起こるだろう。そんな事をふと考えると、ちょっとわくわくして、さんざん酔っ払っているのに、テントの中でもすぐには眠れず、川の音に耳を澄ませながら、楽しく長い夜を過ごしました。
月曜日、おばちゃんは社長に呼ばれました。15人程の会社です。週末にあった事はすぐに社長の知るところとなっていました。社長はバーベキューに誘われたのに、用事で参加できなかった人で、おばちゃんからすればパワハランの仲間です。何を言ってくるだろう。録音できるウォークマンをポケットに忍ばせ、普段入る事のない応接室のソファに座りました。「なぜ、呼ばれたか分かりますか?」社長はなんだか遠回しな物の言い方をします。
「分かりません。私は何か失敗をしましたか?」素知らぬ顔で当たり障りのない返事。
「週末は何をされていましたか?」この問いでおばちゃんは話す権利を手に入れました。
「プライベートでキャンプに行っていましたが、何か?」「あ、いや・・・。」口ごもる社長。すでにパワハランの事情聴取は終えているようです。おばちゃんは話を続ける事にしました。「偶然同じキャンプ場で会社のバーベキュー大会が開催されていたかもしれません。私はキャンプ場の奥の方で過ごしていたので、はっきり姿を見ていませんが、話声が聞こえてきて、会社の皆さんの話し方や声に似ているなぁと思っていました。」
「ああ、そうなのか。窓際さんは会社のバーベキューには参加しなかったのですか?」おばちゃんは心の中でガッツポーズをしました。思い通りの質問を社長にさせる事ができたからです。「私は誘われていません。前回も今回も誘われなかった上に、『あなただけを誘わないバーベキューをやるんですよ』という報告を受けています。」社長の慌てっぷりに少し笑いそうになってしまいました。どうやらそこまで把握していなかったようです。それでも、バーベキューに参加したパワハラン達は社長にとって大切な優秀な社員です。何とかして庇って丸く収めようとしている姿が哀れですらありました。
「仲間はずれのような形になっているのは気の毒だけど、勤務時間外の事だし、悪気はなかったと思うので。」おばちゃんに最高のパスがきました。「悪気がなかったら何をしてもよろしいんですね?」社長はもう言葉を続けられません。「このような扱いをする人達と休日を一緒に過ごしたいとは思いませんので、誘っていただかなくて結構です。それにしても、社長が大切にされている従業員の皆さんは、非常識で無神経で人としては落第点の方ばかりですね。仕事さえできればいいのかもしれませんが、人を相手に仕事をするのに、大切な心を持ち合わせていないようですので、取引先で失礼な事になっていないか心配です。」「いや、ちょっともう一度話をしておくので申し訳ない。」おばちゃんに退室を促す社長の声はとっても小さくなっていました。しかし、最後にパッと笑顔になり、まるで良い事を思いついたとでも言わんばかりに手をパチンと叩いて「きっとそんなつもりじゃないから!そうだそうだ、きっと誘っても来ないと思ったんじゃないかな。はははっ。」と笑いました。退室しかけたおばちゃんは「『そんなつもりじゃなかった』は加害者の常套句ですね。」と振り向いて笑顔で返しました。「確かに誘われても用事で参加できない事もあるでしょう。それは誘われる側が決める事で、誘う側が決める事ではありませんよね?誘いたくなかったと言われた方がよっぽど筋が通っていると私なら感じます。悪気なく『あなただけ誘いません』と言ってくるのはハラスメントですよ?」社長は再びしおしおになりました。
その後、バーベキューの幹事が再び社長に呼び出され、何やら注意喚起を受けたようでした。それは、おばちゃんを守るものではなく、ハラスメントに対して、きちんと会社は対処しましたという形を残すためだけのものでした。
翌日、おバカな社長から従業員全員に「皆仲良く!」という訳の分からないタイトルのメールが配信されました。内容は集うときは全員に声をかけましょうというトンチンカンな物で、おばちゃんはほとほと呆れました。
想像はしていたのですが、このメール以降、おばちゃんはたくさんの集まりに声を掛けられる事になります。飲み会、バーベキュー、カラオケ。自分以外の人達はとても仲良く、仕事以外の時間をこんなに一緒に過ごしていたのかとおばちゃんは驚きました。そして、誘いたくないのに社長命令で声を掛けて来るパワハラン達に、毎回はっきりと「私は会社でつまはじきに遭っているので、時間外の会合には出席しません。」と言い続け、その結果半年ほどでようやく誘われる事も、あなただけ誘いませんと言われる事もなくなりました。パワハランはパワハラン同志で集っていればいいのです。やっとつまはじきバーベキューの苦しみから抜け出したおばちゃんは、心穏やかに過ごせる休日を手に入れる事が出来ました。
そうそう、おばちゃんがつまはじきバーベキューに単身で挑んだあの日、散歩の途中で交番のお兄さんに世間話のつもりで、「もうすぐあそこのキャンプ場から団体さんが出て来ると思うよ。酒気帯び運転で。」と言った一言で、退屈そうにしていたお巡りさんが動き、二人のスーパー営業マンが職務質問を受けて、免停になり、一ヶ月のお給料と同じくらいの金額の罰金を支払わされました。しばらく営業に出る事も出来ず、社長にも家計を支える奥様にもボコボコに怒られたそうです。思わぬ形でわりと大きめの仕返しが出来た事をおばちゃんだけが知りません。
教訓:口は災いの元 一人だけ誘わないなら内緒で行動しましょう。
パワハラの定義:隔離。仲間外し。無視。人間関係からの切り離し
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