第7話 ブラックモラウンダー

おばちゃんはある日、自分の一ヶ月分のタイムカードを振り返り見て呆然としました。会社は土日祝日がお休みです。平日一日も休まずに働いたはずが、データを削除され、休日以外に毎週二日間休んだ事にされていました。会社の中にはタイムカード上「休み」とされた日におばちゃんが出勤していた痕跡はたくさん残っています。伝票に押した日付入りの印鑑、メールの送信履歴。無断欠勤を続けたと解雇するつもりなのか、休んだ分お給料を減らすと言ってくるつもりなのか、何をされるのか分からない恐怖でいろいろな悪い想像をしました。パワハランと戦い続け、時に退治してきたおばちゃんですが、たった一人で頑張り続ける事に疲れきっていました。


「もう、挑むのはやめよう。」

 

そう決めたおばちゃんは、潔く退職届を出します。その日を待ち望んで今まで攻撃をしてきていたパワハランは、何を問う事もなく退職届を受理しました。数年前まで別の営業所で第一線で活躍していたおばちゃんですが、転勤先では倉庫の片付けだけを任されていたので、引き継ぎもありません。もちろん、送別会もありませんでした。やりがいを感じながら仕事をしていた頃が懐かしく、こんな形で会社を去る事が少し悲しくもありましたが、おばちゃんは明日を見据えて生きて行かなければなりません。近所のコンビニでアルバイトをしながら、たくさんの勉強を始めます。コンビニで働いてもファストフードのお店で働いても、パワハランはおらず、快適に仕事が出来ましたが、やりがいを感じる事ができませんでした。お休みの日に山奥の喫茶店に出向き、お手伝いをしながら珈琲豆の焙煎の仕方を教えてもらったり、バイクで1時間以上かかるところにある観光農園に頼み込んで、ボランティアで馬の世話をさせてもらったり、興味を持った事には全部挑戦しました。知りたいと思ったら、とことんのめり込んでしまうおばちゃんです。馬に踏まれて足の指の骨を折った時も、「なんか歩きにくいねぇ」と言いながら、翌日も笑って現れ周りを心配させました。

 

 アルバイトのお給料で細々と暮らす事になったおばちゃんですが、たくさんの知識と技術を積み重ねて、もう一度やりがいを感じながら仕事をすることを目標に、たびたび職業安定所や労働局に相談に出向きました。

 労働局の男性は、おばちゃんの話をひとしきり聴き、提出された書類を丁寧に見て、ちょっと困った顔をし、「これはパワハラではないねぇ。」と言いました。誰にも話を信じてもらえない事に慣れてはいましたが、勝手に修正されたタイムカードのデータに悪意がないと専門家が言うのかと、本当にがっかりして労働局を後にしました。

 

 しかし、悪い事ばかりが続く訳ではないのです。せっせとボランティアで通った観光農園の責任者から、正式に馬の厩舎を任せるから、社員寮に引っ越しておいでと連絡が入りました。おばちゃんは飛び上がって喜び、あわやお礼を言わずに電話を切るところでした。今までとは畑違いですが、大好きな動物達に囲まれ、時に大きな怪我をしても、労働時間が長くても、全てが幸せでした。50歳を過ぎた新入社員は自由奔放で、昼休みには勝手に外で珈琲豆を焙煎し、動物達の餌を納入してくれる業者さん達にふるまい始めます。おばちゃんを雇った責任者も少々困惑していましたが、「あの農園でおばちゃんが淹れてくれる珈琲が美味しい。」といつの間にか話題になり、たくさんの取引先さんとの温かい人間関係が生まれ、おばちゃんは動物達だけでなく、農園にとって必要な人になっていきました。

 

 おばちゃんが新天地で軌道に乗った頃、パワハランの元に自治体の調査が入っていました。タイムカードの修正はおばちゃんだけにしていた物ではなかったのです。従業員全員のタイムカードを改ざんして、パワハランは自治体からの助成金を不正受給していたのでした。労働局の担当者はおばちゃんが提出した資料を見てすぐに不正の事実に気付いたのでしょう。調査が入った時には充分過ぎる証拠が揃っていて、言い逃れが出来ない状況になっていました。そんな中でもおバカな社長は「内部告発した奴は誰だ。訴えてやる。」と言い放ち、調査員に「告発者よりあんたの方が悪いだろう。訴えたって負けるぞ。」と冷ややかに言われ、それ以上何も言えなくなってしまったそうです。


 助成金の不正受給の罰則は大変厳しく、全額返還はもちろん、返還に時間がかかる場合は延滞利息の支払い、社名の公表、むこう5年間は助成金申し込み不可などいろいろあります。窮地に追い込まれたおバカな社長は「社則に『会社の不利益になる情報を外部に漏らさないこと。』とあるだろう!誰だ!違反者は処罰する!」と社員の前で言い放ち、「お前がやった事の方が悪いだろう。従業員の生活はどうなるんだ?保障しろ!」と言い返され、パワハラン同士が醜い争いを始めました。それもつかの間、不正にもらったお金をすぐに返金出来なかった会社は倒産に追い込まれ、いくら社長に食ってかかっても、パワハラン達には退職金すら支払われませんでした。


 早期退職して、きっちり退職金をもらい、青空の下で動物の世話に明け暮れる、元窓際おばちゃんは、今はもうあの会社がないことを知りません。たった一人でパワハラン達を退治したことにすら気づいていないのです。もう、どうでもいいことです。今が幸せならば。

 

教訓:飼い犬に手を噛まれる。仲良しだと思っているのは自分だけかも知れません。

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