EP39.姫と早朝の学校

 俺だ、江波戸蓮えばとれんだ。


 なんの変哲もない、いつもの通学路。

 薄暗い景色の中、小鳥はさえずり、冷たい風が頬を擦ってはどこかへ消えていく。


 最近は毎日付けているマフラーを鼻まで上げて、その中で温まった吐いた。

 もう冬も終盤だというのに、まだまだ防寒具は欠かせない時期である。


「………」

「………」


 かれこれ歩いて半時間、校門が空いたばかりであろう我が母校が顔を出す。

 それまでの間、隣で共に歩いている白河小夜しらかわさよとの会話は一個もなかった。


 当然といえば当然かもしれない。


 バレンタインの日、特に変わった会話はしていないはずだったのに変な空気だった。

 それは今も変わらず、何を話せばわからなくてお互いに口を開けないでいる。


 居心地悪く感じながらも、俺は睡眠不足気味による萎んだ目を擦った。


「………」

「………」


 そのまま校門を潜って、学校の敷地内へと足を踏み入れる。

 ここから見える鮮やかな緑の芝生は、こんな俺の心を浄化してくれているみたいだ。


 一人馬鹿なことを考えつつ、俺は玄関には入らずにその裏側……中庭へと回った。

 気になったのか、小夜も無言ではあるもののついてきている。


 その事に追求はせず、視界に映ったのはかなり敷地の広い花壇だ。

 近くにあった如雨露じょうろを手に取って、水道でその中に水を入れる。


「……水、いつもあげてるのですか?」


 そこでようやく、小夜が口を開いた。

 やはり気まずさの含んだ声色だが、質問されたので俺は「ああ」と頷いておく。


 ここは美化委員会を中心に、生徒が管理している中庭の花壇だ。

 基本的に教師が手を出すことはなく、生徒が一から育てて作り上げている。


 俺は美化委員でもなんでもないのだが、毎日必ず水やりをしていた。

 代わりに教師が水をやってくれる長期休みにも、俺は毎日欠かさずに来ていた。

 つまりいえば、全く認識しない人間の地味で儚げな日課と言える。


 今日はいつもよりかなり早めに来ているので、俺はのんびりと水を撒いていく。

 如雨露じょうろの水が無くなると再度汲み直し、まだ潤っていない所も撒いていく。


「……素敵な花壇ですね」

「……そうだな」


 先程よりはやわらかい口調で、どこか微笑ましそうに言う小夜に、俺も頷いた。

 美化委員による花の手入れは丁寧で、雑草も一つなく綺麗な景色となっている。


 粗方水を撒き終わると、俺は元あった場所に如雨露じょうろを片付ける。

 そのまま、ゆるやかな風で靡く潤った花壇を尻目にその場を去った。


「………」

「………」


 話す議題が無くなってしまったのか、もう口を開かない小夜。

 俺も最初から話す議題など思いついていないので、再び気まずい空気となる。


 そのまま靴から上履きのスリッパへと履き替えて、小さく音を立てながら廊下を歩く。


 早朝だからかまだ薄暗い外景、心做しか肌寒い校内、静かに隣を歩いている小夜。

 長く変わらなかったいつもの朝と違う、今のこの状況にはなんとも言えない気持ち。


「………」

「………」


 ……ようやく教室に到着したのはいいのだが、扉を開けようとしても鍵が空いてない。

 ウチの教室は4階で、鍵のある職員室は無論のこと1階……かなり面倒だな。


 だが、エアコンのないこの寒い空間にいても、二人して辛いだけだろう。

 俺は諦めのため息を吐くと、荷物を教室前に置いて、近くにあった階段を降り始める。


「………」

「……別に一人だけでよくないか?」


 いつの間にか荷物を置いて着いてきた小夜に、俺は視線を階段下から外さずに尋ねる。

 職員室で鍵を拝借するだけのお仕事で、別に重いものを運ぶわけでもあるまいに……


 小夜はスピードを緩めずに言った。


「職員室に入るのに断りを入れないといけないので、私が行った方がよろしいかと」

「……言われてみれば」


 失敗だ……


 どうやら気まずい空気に頭がやられたらしく、そんな簡単なことに思い至らなかった。

 生まれた頃からこの体質の俺じゃ、当たり前のことだと言うのにな……


「……まあ、いいか」


 もう降り始めているし、どうせなら最後までやり遂げた方がいい気がした。

 往復しても疲れない体力なら今もまだ持ち合わせているし、多分だが問題ない。


 職員室に到着すると、小夜が緩く拳を作って扉を二回叩いた。


「失礼します。一年○組の白河です。教室の鍵を取りにお伺い致しました」


 扉を開けるなりそう断りを入れると、取るように促されたのか中に入っていく。

 『お伺い』って、無駄に丁寧だな……


 少しすると小夜が中にお辞儀しながら出てきて、振り向くなり鍵を掲げてくる。

 別に簡単なことだろうに……だが一応、感謝の念を込めて頷いておいた。


「戻りましょうか」

「ああ」


 そう言いつつ、俺と小夜はゆっくりと階段を登っていく。

 階段を登ることによって生まれるスリッパ以外に、なにか音がすることはない。


 ただ、ついさっきまでみたいな気まずさはいつの間にか弱まっている。

 かといって完全に消えたわけではないが、やけに居心地は良かった。


「………?」


 否定的にならずにそう到ってしまった俺は、自分に対して首を傾げたのだった。

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