EP21.姫と水族館を巡る

 俺こと江波戸蓮えばとれんは、第二のエリアから身を引き、次のエリアへと足を踏み入れた。

 次のエリアは、水槽を上から小さな魚や平たい魚、軟体動物などを観察するエリアだ。


「うっ……」


 いきなり明るいところに来たから、俺は目を細めて顔を顰める。

 視界の端の白河小夜しらかわさよは、その碧眼の入った目をめいいっぱい開いて興奮してやがった。


 子供かよ……と、先程と同じ感想を抱きながら、そんな小夜を放って俺は歩き出す。

 とある魚の習性を試したくなったのだ。


 目的地に付き、近くにあった消毒液で手を消毒して思い出すように人差し指を見る。


「待ってください……」


 不安そうな声と少し大きな足音が後ろから聞こえて、俺は「ん?」と振り向く。

 視界に移るは、水族館内に関わらず駆け足で追いかけてくる小夜の姿だった。


 そんな小夜のす姿が滑稽で、面白半分で見ていた人差し指で小夜の額を小突いてやる。


「……蓮さん、なんだか私の額を突くのにハマっていませんか?」


 小夜は仰け反ったかと思うと、突かれた額を抑えながら半目でこちらを睨んでくる。


「当たり前だろ?」


 俺はそんな小夜に対して、ニヒルに笑いながらそう言ってのけた。

 そう……正直言うと、小夜の額を小突くのはすごく楽しいのである。


 具体的には説明しにくいが、とにかく癖になりそうな感覚なのだ。

 そんな俺に小夜が頬を引き攣らせるので、俺は勝利のドヤ顔を向けてやった……はっ。


 すると小夜はぷいっ、と顔を逸らす。

ふっ、完全勝利だ……


 俺は勝ち誇った表情を崩さずに、ある魚の水槽に人差し指を浸す。

 その水槽に俺が水槽を浸したことにより……魚に変化は訪れなかった!!


「……なあ、ドクターフィッシュって皮膚に付着してる物質を捕食するから、指を入れたらそこに集まるんじゃなかたっけ?」


 ……そう、俺が興味を抱いていたのはドクターフィッシュだ。


 だけどな……そのドクターフィッシュは、俺の指に全然集まってこないのだ!!

 これもほぼ存在しない俺の体質だっていうのか……?いらなすぎるだろ!?


 俺は項垂れた。


 対して小夜がキョトンとした顔になった。

 自分もしようとしているのか、手をアルコール消毒して、水槽に人差し指を浸す。


 すると、ドクターフィッシュは勢いよく小夜の指に食いついた!

 その凄まじい勢いに、俺は絶句した。


「………」

「……あの、ご愁傷さまです……」


 ……はあ。


「ふざけんなよなあ…」







 あの一件があって、無論俺はドクターフィッシュが大っ嫌いになってしまった。

 だからイカやヒラメをみたり触ったりすると、すぐに次のエリアで移動した、ふんっ!


 で、次のエリアはというと……おお、これはたまげたな。


 次は通路を通ることになるんだが、上下左右どこ見ても碧い景色が拡がっている。

 つまり、透明のトンネルに入って水中から魚を観察するというものだ。


 ちなみに泳いでいる魚は比較的大きく、真上で泳ぐエイもかなり様になっている。

 さすがの俺も目を見開き、口も半開きにして言葉を失ってしまっていた。


「わあ……」


 視界の端に映る小夜も目を見開き、そう感嘆の声を上げていた。

 それから、うっとりとした表情でその碧眼を更に青く光らせていく。


 まあ、小夜の反応にも無理はない……この景色はそれほど凄い規模なのである。

 ジンベエザメよりこれがメインじゃないのか?って一瞬思ったほどだぞ、これ。


「……やべえ」

「そうですね……」


 俺らは揃って、もう口を閉ざすことができなくなっていた。

 しかし先程よりは冷静で、ゆっくりではあるが二人並んで歩き出す。


 ふと気になって小夜を見ると、小夜が貸したマフラーを握ってこちらを見ていた。

 それによむて目がばっちりと合うと、小夜は慌てて視線を逸らしやがる。


「……なんだ?」


 失礼なやつめ、と思いながら胡乱な目でそう訊くと、小夜は「いえ……」と零す。


「少し、蓮さんがどういう表情でこれを見ている気になってしまいまして」


 ……まあ、珍しくはあるが俺も良いリアクションをしていたからな。

 先程の明るい情景と比べてギャップが凄いのもあり、さすがに抑えきれない。


 それが気になる理由はわからんが。

 それを聞くのは、なんだか野暮なような気がした……なぜだろうか。


 まあいいか。


「まあ……これはすごいしな」

「ええ……はい……」


 もはや語彙力の欠けらも無い。


 もう少し歩いたら、出口が見えてきた。

 しかし俺らはまだこの景色に心を掴まれているため、同時に立ち止まった。








 暫くすると俺は満足感で心がいっぱいになったため、まだ見とれている小夜を待った。


 ……その隙に、改めて[学園の「姫」様]と呼ばれるその美形を横から眺めてみることにした。

 時々、小夜がどれほど人気なのかを近場で見ることがあったため、少し気になったのだ。


 横から見ると更に目立つ通った鼻筋に、意識を奪われて極限に蒼く光る瞳。

 うっとりと息を漏らしながら艶めかしく開く口、なにか塗ってるのか瑞々しく光る唇。


 興奮か……寒さかで火照る頬に、それを鎮める役目を担ってるはずのマフラー。

 そして、皮肉にも一度見たら今後も忘れそうにないその横顔。


 ……平穏な生活を邪魔されて醜い存在ではあるが、美しさだけは否定できないな。

 そんな小夜は静かに口を閉ざし、こちらに向き直った。


「……行きましょうか」

「……おう」


 そういうやり取りを交わし、俺らは出口に向かって歩き出した。

 ……何故だか、こいつとのこのお出かけも悪くない、と思い始める俺だった。

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