5章-4

 人生で一番と言ってもいい程に全力で走って駅前に駆けつけた僕の目に映ったのは、地面に倒れ伏して光のチェーンで拘束されたアリサ。

 そして、彼女を見下ろしている、ローブ姿の男だった。

 男は長身のイケメンで、モデルとかをやってると言われても信じてしまうだろう……明らかに異常な様相の右腕を隠しさえすれば。


「本当に愚かな奴だな、貴様は。そんなに死にたいのなら、まずは貴様から止めを刺してやろう」


 ローブの男はそう言うとアリサに向かって歩き始める。

 ……不味いな、何とかしてローブの男を止めないと。

 周囲を見渡すと、どうぞお使いくださいと言わんばかりに落ちていたバールのようなモノを見つけて拾い上げ、握りしめる。


「お、おいあんた、何をやろうと……?」


 相手が人間なら躊躇したかもしれないが、あの腕を見る限りどう見てもあの男は人間ではない。

 ……奴がアリサの言っていた魔王だろう。

 僕の様子に気が付いた周囲の人の静止も聞かず、僕はアリサに迫る男の背後に忍び寄り、その後頭部を目掛けてバールのようなモノをフルスイングした。


「人間よ、何のつもりだ」


 ……間違いなくクリーンヒットしたと思ったのだが、男は痛がる素振りすら見せない。


「……後ろから思い切り殴りつけたのに全然効いてないなんて、まいったな」


 睨みつけてくる男の視線に思わず身が竦みそうになるのを、何とか堪えて睨み返す。

 ……足が震えているのは怯えているからじゃない、武者震いというやつだ……多分。

 さて、アリサを助ける為に飛び出したのはいいが、これからどうするかな。


「仁良!? どうしてここに……何で戻ってきたんだ! 魔王! 彼に手を出したらただじゃおかないぞ!」


 ……やっぱり、この男が魔王だったか。


「もう一度聞くぞ、人間。何のつもりで我に歯向かう?」


 魔王は叫ぶアリサを無視して僕に問いかける。

 ……何で戻ってきたか? 何のつもりで歯向かったか?

 そんなの解り切った事だ。


「アリサを助けに来た。……見事に失敗したけど」


「馬鹿なのか、君は!? 危険だって言ったのに、わざわざボクなんかの為に戻って来るなんて……」


 自分が馬鹿だというのはわかっていたが、アリサに言われると少し悲しくなるな。


「自分の身も顧みずに勇者を助けにくるとは中々に勇気がある……いや、無謀な馬鹿のようだな」


 魔王にまで馬鹿と言われてしまった。

 そんな事を気にしている状況ではないのはわかっているが、どうしても気になってしまう。


「後先考えずに突っ込んでこの様だし、我ながら馬鹿だとは思っているよ」


「……まあいい、我は寛大だからな。今すぐ背を向けて逃げるというのなら、この場は見逃してやってもいいぞ」


「仁良! 早く逃げろ! 君が立ち向かった所でどうにかなる相手じゃないんだ!」


 アリサ、僕が危険に巻き込まれないようにそう言ってくれているのはわかる。

 ……だけど、ごめん。

 口には出さないがアリサへと謝罪する。


「断る。ここで逃げ出すくらいなら初めからこんな所に来てない」


「……勇者を庇ったとしても貴様が先に死ぬだけで勇者もすぐに後を追う。ならば、貴様だけでも惨めに逃げて生き延びた方が利口だと思うぞ?」


「魔王の言う通りだ。……頼むから、君だけでも逃げてくれ」


 ……正直な所、今すぐにでも逃げ出したい気持ちはある。

 アリサが手も足も出なかった相手、僕なんかあっという間に殺されてしまうだろう。

 ……でも、それ以上にアリサを見捨てて逃げ出したくはないんだ。


「何を言われても逃げる気なんてない。……僕が、僕がアリサを助けるんだ! その為なら、どんな相手にだって歯向かってやる!」


「……只の人間の分際で我にそこまで大きな口を叩くとは……気に入った。人間よ、我と勝負をしないか? もし勝てば何でも好きな褒美を与えるぞ。……我にできる範囲でな」


 ……怪しい。

 奴にとっては吹けば飛ぶように貧弱な存在である人間に何で勝負を挑む?

 しかも、勝てれば好きな褒美だって?

 めちゃくちゃに怪しい。

 ……だけど、魔王が本気で提案してるというのならこれはチャンスだ。


「……今の話に嘘はないんだよな」


「仁良!? 奴の言う事なんか聞くな! 早く逃げるんだ!」


「……ああ、今の話に嘘は無い。我の提案を受け入れる気になったか?」


 僕に逃げるよう促すアリサを無視し、僕は魔王と話しを進める。

 このチャンスを逃すわけにはいかない。


「何をやればいいんだ? 勝負の内容がわからなきゃ受けようがないよ」


「簡単なことだ。貴様が我の攻撃を受け続けて、攻撃をやめるように懇願しなければいい。それだけの簡単な勝負だ」


「早く逃げるんだ! 魔王が嘘をつかないと思っているならそれは間違いだ!」


 成程、魔王の攻撃を受け続けるだけの簡単な勝負か。

 ……僕に死ねと言ってるのかな?


「僕は普通の人間だぞ? 勝負の前に僕が死ぬよ」


「安心しろ。死なないように手加減はするし、死にかけても最低限の回復魔法はかけてやる。見込みのある人間とこの勝負をするのは我の何よりの楽しみだからな。一瞬で終わってしまってはつまらぬ」


 全く安心できない。

 ……どうやら僕の事を甚振る為にこの勝負を提案したらしい。

 何故こんな面倒な真似をするのかまではわからないが、どうせ最後まで耐えても約束を反故にして僕が絶望する所が見たいとかそんなものだろう。

 ……死ぬほど痛い目を見ると思うけど、今の僕には勝負を受けて立つ他に道は残されていない。


「わかった、その勝負――」


「ボクが代わりに勝負を受ける! だから、仁良は見逃してくれ」


 勝負を受ける旨を伝えようとした時、僕の言葉を遮ってアリサが割り込んでくる。


「勇者、我は貴様ではなくこの人間に勝負を持ち掛けているのだ。第一、貴様とは先ほど遊んだばかりではないか」


 自分が勝負を受けようとするアリサだが、魔王は相手にしない。

 魔王と交渉しようとしても無駄だと考えたのか、彼女は僕に話しかけてくる。


「……仁良、お願いだから逃げてよ。でないと、ボクは何の為に嘘をついてまで君を突き放したんだ」


「……さっきの話は嘘か。それじゃあ、尚更逃げる訳にはいかなくなった」


 アリサの言葉を聞いて覚悟を決める。

 僕の行動がアリサにとって迷惑なんかじゃなかった。

 それがわかっただけでこの勝負に立ち向かう勇気が湧き出る。


「わかった。その勝負、受けてたつ」


「いい度胸だ。耐えきれば褒美として、貴様の命だけは助けてやろう」


 僕の返事を聞いた魔王はニヤリと笑う。

 ……コイツ、さっきと言っていることが違うじゃないか。


「褒美として命を助ける? 好きな褒美じゃなかったのか」


「どんな褒美が欲しいかなど聞くまでもない。人間というのは自分の身が一番大事なのはわかっているぞ」


 ……僕の今までの言動を見ていて、どうしてその考えになるんだ。

 どや顔で語る魔王に、内心呆れ果てる。

 さっきから人間の事を見下している割に、全然人間の事を理解していない。

 いや、理解してないから見下しているのかもしれない。

 ……なんだかムカついてくるな。


「何を勘違いしてるんだ? さっきから何を聞いてたんだよ。僕が要求するのはアリサの身の安全だよ」


「……まさか、自分の身を捧げて勇者を救おうとでもいうのか?」


「そのまさかだよ。命が惜しいならこんな所に来るわけないだろ。何度も言わせるな」


 最初は笑っていた魔王だが、僕が本気だと理解できたのかその表情から笑みが消える。


「……正気か貴様? 何故自分の身を犠牲にしてまで勇者を救う? 勇者と貴様がどんな関係なのかは知らぬが、何故勇者の為にそこまでできるのだ」


「そうだよ。ボクの為に何でそこまで……」


 ……言われてみればそうだ。

 アリサとはこの間知り合ったばかりで、その彼女をなんで僕はここまで必死になって助けようとしているのだろうか?

 ……今更考える事じゃないか。

 彼女を助ける理由なんて、とっくにわかりきっているじゃあないか。


「お人好しなんだよ、僕。困っている人がいたら見逃せない性分なんだ」


 アリサの事が、好きだから。

 彼女と初めてあった日、彼女の見せた笑顔に一目惚れしてしまったんだ。

 ……今までは意図的に考えないようにしていたけど、自覚すると中々に恥ずかしくなってくるな。

 自分の想いを自覚はしたが、今はそれを言うべきじゃない。

 本音を言ってしまえばアリサに余計な重荷を与えてしまうだろうし、彼女に余計な事を考えさせるのは、僕の望むところじゃない。

 ……彼女にとって僕は度の過ぎたお人好し、それで良いんだ。


「面白い思惑でもあるかと思ったが、愚かすぎるだけか。……良いだろう、貴様が勝負に勝てたらその望みを叶えてやろうじゃないか。しかし、我の与える痛みによって自分の命が惜しくなったらいつでも言うんだぞ。勝負の最中ならいつでも褒美の内容を変えてやろう」


「余計なお世話だ。お前が大人しくアリサに倒されてくれていれば、そんな気遣いも必要ないんだけどな」


「今の勇者は弱すぎる。我を殺すことなど到底叶わん。……では、そろそろ勝負を始めようか。心配するな、死にはせん。……死ぬほど痛いがな」


 魔王にとっては遊びだろうが、僕にとっては人生で一番の大勝負が始まる。

 アリサを助ける為にも、負ける訳にはいかないんだ。

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