5章-2

「ご観覧いただきありがとうございました。また明日も宜しくお願いします」


 アリサが一礼すると周りの観客から拍手が起こり、彼らは立ち去る際にアリサの足元の空き缶にお金を入れていく。


「……今日も何とかなったな。これなら何日か持ちそうだ」


 お金で満杯になった缶をのぞき込んで満足げな顔を浮かべている彼女に近づいていく。


「アリサ、元気そうだね」


「……仁良か。君も元気そうで、何よりだよ」


 久しぶりにアリサと話す。

 ……以前までの彼女と違いどこか冷たい印象を受けてしまうのは、気のせいだと思いたい。


「ボクに何か用事かい? これから今日の寝床を探さないといけないんだ。できれば暗くなる前に見つけたいから、用が無いなら帰ってくれ」


「……寝床の心配をする位なら、僕の家に帰って来ればいいじゃないか。迷惑だって思っているなら気にする必要はないよ。母さんだって喜ぶだろうし」


 いつもと雰囲気の違うアリサに一瞬諦めて帰ろうかとも考えたけど、ここで臆するわけにもいかない。

 アリサがいなくなって母さんが少し寂しそうにしていたし、彼女がいてくれれば元気になるはずだ。

 アリサも泊まる場所が確保できて、デメリットなんて特に無い……と、僕は思う。


「気にするなと言われても無理だよ。気にしてしまう性分なんだから。それに、一人でいた方が気楽で良いんだ」


 軽い口調でそう言うが、彼女からのはっきりとした拒絶の意思を感じる。

 ……これは手強いな。

 意地固になっているアリサを説得するのは骨が折れそうだが、ようやく見つける事ができたんだ。

 これくらいで諦めるつもりはない。


「君が何故そこまで意地を張っているのかわからないけど、帰ってきなよ。食事や寝床の心配をする必要が無くなるんだよ?」


 僕の言葉を聞いたアリサは、俯いて黙り込む。

 家に帰るかどうかを考えているのだろうか?

 ……やがて彼女は、口を開く。


「……どうやら、正直に言わないとわかってくれないみたいだね。君はボクに親切にしているつもりなのだろうけど、迷惑なんだよ。魔王と戦うのに君達のような足手纏いがいると、邪魔なんだ」


 アリサから告げられたのは僕にとって非常に辛い言葉だった。

 ……ショックでその場に崩れ落ちそうになるのを何とか堪えながら口を開く。


「それは、本当なの? 冗談……じゃあ、ないみたいだね」


「……冗談でこんな事、言う訳ないだろ。さあ、わかったら帰ってくれ。ボクだって暇じゃないんだよ」


 再び告げられる無常な宣告。

 僕の事を見ているアリサは真顔で、今の彼女がどんな気持ちなのかを知る事はできない。


「……そうか、迷惑だったかぁ」


 自分の思慮の浅さを自嘲する。

 良かれと思ってやっていた事が迷惑になっていたなんてなあ。

 落ち着いて考えてみれば自分の力でこの世界でも過ごして行けたであろうアリサを、会ったばかりの僕が半ば強引に世話をしていたようなものだ。

 確かに、迷惑だったのかもしれないな。


「気付けなくてごめん。これ以上迷惑かけたくないから、僕はもう行くよ」


「多分、もう会う事もないだろう。……さようなら、仁良」


「……さようなら、アリサ」


 アリサに別れを告げ、僕は駆け出す。

 最後に見た彼女の瞳にどこか寂し気な感情が見えたのは、きっと僕の気のせいなんだと思う。



「……ごめん、仁良。こうでも言わないと、きっと君は僕を助けようとするから」


 遠くへと立ち去る仁良の背を見送った後、彼には伝わることがないであろう謝罪をする。

 お人好しの彼は自分が危険だとわかってもボクの事を助けようとするだろう。

 ……本来だったら喜んで彼の申し出を受けていた所だ。

 だけど、いつ魔王が現れるかもわからない現状では彼等を巻き込まない為にも、彼の誘いを断る他なかった。

 数週間を一緒に過ごし、友人とも思っていた仁良を思っていない冷たい言葉で突き放すのは中々に辛い。

 だけど、一番辛かったのは友人と思っていたボクに突き放された仁良なのだろう。

 ……こう思うのは、自意識過剰なのかもしれない。


「もう、謝る機会なんてないよね……」


 ……駄目だ、気落ちしていても何にもならない。

 早く今日の寝床を探さないと。


「勇者よ、久しぶりに見かけたが随分落ち込んでいるようではないか? 柄にもない事をするからそうなるのだ」


「そんなの魔王には関係ない――!?」


 返事の途中で異変に気付き、振り返りながら後方へと飛び退き、声のした方を真っすぐに見据える。

 元居た世界を恐怖と混乱の渦に陥れ、ボク達がこの世界に来る事になった元凶の魔王が、確かに存在していた。


「……随分と急に姿を現したな。観念して、ボクに討伐される気になったのかい?」


 余裕があるように振舞ってはみるが、これは不味い。

 魔王が接近している事に気付く事ができなかった。

 それほどまでに、ボクと魔王の実力差が開いていると言うのか?


「久しぶりの再会だというのに随分な挨拶だな?」


「自分がやってきた事を思い返してみろ。まともに挨拶なんてする訳ないだろ」


 どうする?

 ここで戦うにしても町の人達に被害が出る事は避けられない。

 逃走しても次にいつ遭遇できるかわからない以上、ここで倒しておければそれがベストなのだが、はたして今のボクで勝つことができるのか?


「随分な言い草だな、勇者よ。元いた世界の事を覚えているのは、この世界では我と貴様だけではないか」


 とにかく、時間を稼ごう。

 何とかして打開策を思い付くんだ。


「……どういう事だ? 今ははぐれているけど、ボクの仲間達だってこの世界にきているはずだ。お前が出現した事に気付いてすぐに駆け付けるぞ」


「ふむ、とっくに気付いていると思ったが我の見込み違いだったか? まあいい、冥途の土産に説明してやろうか。我の偉大なる計画を!」


 ……まさか、こんなに簡単に乗っかってくるとは。

 ともかく、魔王がボクのブラフに上手く乗っかってくれたおかげで、とりあえず時間は稼げそうだ。

 魔王の策はどうせボクの考えていた事とほとんど変わらないだろうし、この間に作戦を練らせてもらおうか。


「貴様らが我を追いかけてこの世界を訪れる事自体が、我の仕掛けた罠だったのだ。我が逃げる振りをすれば必ず追ってくるだろうと考え、転移魔法陣に記憶操作と現実改変の魔法を仕込んでおいた。貴様等を無力化する完璧な作戦だ。まさかここまで完璧に罠に嵌まってくれるとは……流石は我だ」


「な、なんだって。それじゃあボクの仲間たちは皆、記憶を書き換えられてこの世界のどこかにいるというのか。全然気が付かなかった」


 まあ予想していた通りだったけど、とりあえず驚いたふりをしておこう。

 その方が調子に乗ってベラベラと喋ってくれるから時間を稼げるだろうし……。

 奴の自慢気な態度が癪に障るのが問題だけど。


「……様子を見るにどういう訳か貴様にだけは魔法が効かなかったが、まあ誤差の範囲よ。そして、貴様らをこの世界に呼び寄せた理由はもう一つある」


「もう一つの理由?」


 本当によく喋る。

 それほどまでに自分の策に自信があるのか、それともただ油断しているだけなのか……。

 しかし、もう一つの理由だと?

 ボク達の分断と無力化以外に、何か目的があったのか?


「この世界は我らの世界から遠く離れている。貴様に与えられた女神の加護もここまで離れてしまっては効力が薄まり貴様も弱体化すると考えたのだ。どうだ? こちらに来る前の貴様なら、すぐに我の事を見つけられたはずだろう?」


「全然気が付かなかった。流石は魔王だ」


 成程、元の世界との距離が離れすぎたせいでボクの力が弱体化していたのか。

 それならば何とかして元の世界に戻る方法を考えないと。


「フフフ、どうやら人間程度の知能では、最強の魔王である我の策を見破る事ができなかったようだな。我の偉大さを思い知ったか? 勇者よ」


 ……色々と考えたけど、やはり魔王を倒さなければ皆の記憶を取り戻す事ができないし、元の世界に帰る事もできない。

 例え全力を出せなくても、何とかして魔王を倒さなくては。


「驚きの余り声も出ないようだな。……勇者よ、今の内に我の軍門に降るというのならば、貴様の命だけは助けてやるぞ?」


「折角の申し出だけど断らせてもらうよ。お前のような外道の部下になるなんて……考えるだけで鳥肌が立つ」


 さて、勢いよく啖呵を切ったはいいがどうやって戦おうか? 

 とりあえずは奴を人気のない所に誘導しないと。

 ……ここでは、周りの人達に被害が及んでしまう。


「勇者といえども所詮は愚かな人間の同類、情けなどかける必要はなかったか。我の誘いを断ったことを後悔するがいい」


「ちょっと待て。ここじゃ狭くて存分に戦えないだろ? どこか別の場所に移動して――」


「関係ない。どうせ、この辺り一帯は更地になるのだからな」


 魔王が両手を広場に向けて翳し、掌に魔力が集まり始める。

 不味い! 即座に魔法の袋を握りしめて鎧を着込み、剣と盾を携えて広場へと駆けだす。


「『ダークブラスト』」


 魔王の掌から邪悪な魔力の閃光が放たれる。

 ボクは魔法を何とか地面に受け流せるように盾を構えて、魔王の魔法を受け止める。


「ぐっ……!」


 盾を構えた左手に強い衝撃が走る。

 その衝撃で吹き飛ばされそうになるが、何とか堪えて地面に魔法を受け流す。

 受け流された魔法は轟音と共に地面を抉り、ボクはその振動に耐える事ができずに地面に膝をついてしまう。


「街中でいきなり魔法を使うなんて! 何も知らない人達がいるんだぞ!」


「我が人間の事を気にすると思っているのか? そんなに人間が大事なら、貴様が守ってやればいいだろう?」


 ……魔王に人間に対する気遣いを求める事自体が間違いだったか。

 だけど、今の騒ぎで周囲の人々の注目がこちらに向く。

 これは好都合だ。


「みんな、此処は危険だ! すぐにここから逃げてくれ!」


 声を張り上げて周囲の人に逃げるように警告を発する。

 これで危険だとわかって逃げ出してくれれば、被害を抑える事ができるはずだ。

 ……しかし、周囲の人達は逃げようとはしなかった。

 それどころかボク達の事を、観察し始める人達まで現れる始末だ。


「警告したのに、なんで逃げないんだ……」


「人間というのは愚か生き物だな。貴様の警告に耳を貸し逃げ出していれば、少しは生き長らえられるものを。好奇心に負け、自ら危険に身を投じるとはな」


 人々を嘲る様に魔王が笑う。

 ……奴のペースに乗せられてはいけない。

 冷静に、今できる事をやらなくては……。


「さっさと人間共を見捨てて逃げる方法でも考えた方が良いのではないか? 今の貴様では我には敵わぬ。この世界の人間では無い貴様が奴らを守る道理など無いだろう」


 ボクに逃走を勧める魔王を睨みつけ、剣と盾を構える。

 

「ボク達の世界の人だろうが、この世界の人だろうが関係無い! ボクは勇者だ! 人々が危機に瀕しているのなら、相手が誰だろうと助けてみせる!」


「そこまで言うのならば、精々足掻いて我を楽しませてみろ!」


 ボクは雄叫びを上げ、魔王に向かって走り出す。

 ……今ここに、最後の戦いの幕が上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る