3章-3

 時間は流れて夕方。

 夏日なのでまだ暗くはなっていないが、一時間もしない内に完全に陽が落ちるだろう。

 図書館での勉強を終えて本来なら家に帰りついていた筈の僕は、重い荷物を背負いながら街中を駆けている。


「遅いぞ! もっと早く走らんか!」


 さも当然のように僕におんぶされている爺さんにどやされながら考える。

 ……どうしてこうなった。




 事の始まりは勉強を終え、図書館からの帰路についている途中の出来事だった。

 いつもより長く勉強した結果、帰るのが遅くなってしまい急いで帰ろうとしていた時、男性の声が辺りに響く。


「誰か、助けてくれ! ひったくりじゃあ!」


 声のした方を振り向くと、地面に尻もちをついて倒れている黒いローブを身に着けた初老の男性。

 そして、鞄を持ってその場から走り去っていく男の姿があった。

 ……関わると碌な事にならないやつだ、無視するのが一番だろう。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 そうは思っていても、ついつい声をかけてしまう。

 周囲には他の人の姿も見当たらないし、仕方がない。


「これが大丈夫に見えるのか? わしの商売道具が盗まれたんじゃぞ! 早く取り戻しに行かんか!」


 地面に倒れている男性は僕が声をかけた瞬間に喚き散らし始める。

 ……なんて爺さんだ。

 やっぱり無視した方が良かったんじゃないか?


「……わかりました。お爺さんはここで待っていてください」


「待たんか!」


 ひったくり犯を追いかけるために走り出そうとする僕を、爺さんが呼び止める。

 まだ何か用事があるのか。


「……どうかしました?」


「わしも連れていけ。お主がこのまま逃げ出したり、わしの商売道具を盗まんとも限らんからな。じゃが、わしは腰を痛めて走れん。背負え」


 助けてもらおうというのに何たる態度。

 本当に帰ってしまおうか考える僕を、爺さんは自分を背負って早く追いかけるように急かす。


「……はぁ」


 無視しようかとも思ったが、このまま見捨ててしまっては寝覚めが悪い。

 それに乗りかかった船だ、最後まで面倒を見る必要がある。

 ため息を一つ吐き、爺さんを背負って走り出した。


 


 そして時は現在に戻る。

 ひったくり犯の走っていった方向へと必死に駆け抜ける。

 だけど爺さんを背負いながらの走る僕と身軽なひったくり犯では競争にならない。

 数分もしない内にひったくり犯の背中はどんどん遠くなっていく。


「駄目だ……全然追い付けない」


「お主がもっと早く走らんからじゃ。最近の若いもんは貧弱じゃのう」


 背中で好き勝手に野次る爺さんを無視して走り続ける。

 とにかくひったくり犯を見失わないようにしないと。


「……どこにいった?」


 曲がり角を通り過ぎた所でひったくり犯の姿を見失ってしまう。

 ……ここからまっすぐに逃げていったのなら、ギリギリ背中が見えてもおかしくない距離だったのにも関わらずだ。

 周囲を見渡すと、路地裏へと続く横道を見つける。

 恐らくはここに逃げ込んだのだろう。

 だけどこの先は……。


「ここを通って行ったのか? お爺さん、この先はあまり治安が良くないから、なるべくなら足を踏み入れたくないんだけど――」


「わしの商売道具が盗まれたままじゃ! このまま帰るつもりじゃなかろうな!」


 治安が悪いから諦めた方が良いと言おうとした僕に向けて、爺さんが怒鳴りつけてくる。


「アレは代わりがないんじゃ、何としても取り返さんと……」


「……仕方ない。僕が行ってきますから、お爺さんはここで待っていて。危ないからこの先には連れていけない」


「逃げるんじゃないぞ! 絶対に逃げるんじゃないぞ!」


 喚く爺さんを路地裏の入り口へと置いて、奥へ進んでいく。

 本当にどうして、僕はこんな苦労をしているんだ?

 いや、困っている人を見るとどうにも放っておけない性質が原因なのはわかりきっているんだけど。

 そんな事を考えながら路地裏を進んでいくと、地面に座り込み肩で息をする男の姿があった。


「流石に撒いたか……? あんな爺さんを助けようとするなんて、どんだけお人好しの馬鹿なんか……」


「自分でもそう思うけどさ、そういう性分なんだよ。さっさと盗んだ物を返してくれたら助かるんだけど」


 声をかけられた男が顔を上げる。

 その顔は驚愕に染まっていた。


「マジかよ……こんな所まで追いかけてくるのか」


「そういうのいいから、早く盗んだ物を返せよ。帰りが遅くなるだろ」


 爺さんの荷物を返すように急かす。

 これで返してくれればいいんだが。


「苦労して盗んだ物を返す訳無いだろ! そっちこそ早く帰れ! 今なら見逃してやるからよ」


 男は立ち上がってこちらを睨んで叫ぶ。

 ……まあ、こうなるよな。

 話してわかる相手なら初めから窃盗なんて行わない。


「そういう訳にはいかない。盗んだ物は返してもらわないと」


 さて、どうやって荷物を取り返そうか?

 できれば穏便に返してもらいたい所だ。

 そんな事を考えていると奥にある建物の扉が開き、中から柄の悪そうな男達が群れを成して現れる。

 ……これはまずいんじゃないのか。


「大人しく帰っていれば痛い目見ずにすんだのになぁ……馬鹿な奴」


 ひったくり犯は憎たらしい笑みを浮かべ、僕を煽る。

 何とか荷物を取り返したい所だが一度引き返すべきか?

 しかし、もう一度こいつ等を見つける事ができるかわからないし、見つけたいとも思えない。


「おっと、今更逃がさないぜ」


「とりあえず、有り金全部出してもらおうか」


 迷っている間に男達に囲まれてしまう。

 不味い、土下座して有り金差し出せば許してもらえるだろうか。


「一人相手に複数人で取り囲むなんて、随分と自分の腕に自信がないんだね!」


 懐に手を入れ財布を取り出そうとしたその時、頭上からここ最近、毎日の様に聞いている声が響く。


「何だと!」


 僕と男達が上を向く。

 三階ほどの高さの建物の屋上、その縁の部分に一人の少女……アリサが腕を組んでこちらを見下ろしていた。


「だって本当の事だろう? 自分が相手より弱いって思っているから、複数人で囲む事しかできないんだ」


「うるさい! お前から痛い目に合わせてやる、降りてきやがれ!」


「いいよ。相手をしてあげる!」


 男達が降りてくるように催促するのを聞いたアリサは、屋上から飛び降りる。

 空中で一回転したアリサはそのまま、地面に片膝を立てて着地した。

 その様子を見た男達は、全員呆気にとられてしまう……僕も含めて。


「怪我は無いみたいだね。間に合ってよかった」


「……ア、アリサ!? 何でここに……どうして僕のいる場所がわかったの!?」


 アリサに話しかけられた事で男達に先んじて気を取り直す。


「仁良が帰ってくるのが遅かったから、お母さんに迎えに行ってくれるように頼まれたんだ。図書館を探しても見当たらなかったから魔法を使って仁良の事を探していたら、ここの入り口でお爺さんに会って話を聞いた。それで急いで駆けつけたら仁良が男達に囲まれている最中だったという訳」


「そうか、迎えにきてくれたのか。……アリサ、とりあえず逃げよう。この人数相手じゃ――」


 僕が逃走を促そうとすると、アリサは手をこちらに向けて制してくる。


「任せておいてよ。この位の人数ならボク一人でも余裕で処理できるから」


 一人でも余裕。

 その言葉を聞いて、呆気に取られていたままだった男達は正気に戻り憤る。


「何だと、コイツ!」


「どうしようもない事情があるなら卑怯な手を使うのもわかるけど、君たちはそうじゃないんだろ? お金が欲しいなら真面目に働かないと」


「言わせておけば生意気な口を! この女!」


 アリサの言葉に激昂した男の一人が、拳を大きく振りかぶる。

 彼女の顔を目掛けて振り抜かれたその拳は、彼女が身を屈めたことで空を切る。

 男の拳を躱したアリサは、掌を男に向けて突き出した。


「『スタンタッチ』」


「ギャアアアァァァ!」


 アリサの手が触れた瞬間、男はつんざくような悲鳴を上げて痙攣し始める。

 三秒ほど経ってからアリサが手を離すと、男はその場に崩れるように倒れこむ。


「アリサ!? すごい悲鳴だったけど死んだりしてない!?」


「大丈夫だよ、少し痺れさせて気絶させただけ。手加減しているから後遺症は無いはず……多分」


「多分って……」


「久々の運動だから腕が鈍ってないか心配だったけど、問題ない。さて君達、一応聞いておくけど降参するかい? それともまだボクの相手をしてくれるのかな」


 口元に笑みを浮かべながらアリサは男達を挑発する。

 ……アリサって意外と血の気が多いのか?

 とりあえず、あんまり怒らせない方が良いという事は確かのようだ。


「ふ、ふざけやがって! こっちの方が人数は多いんだ!」


 男の一人が声を上げると共に、男たちがアリサへと襲い掛かる!

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