2章-4

 声につられて視線を地面に向けると、一匹の猫がボク達を見上げていた。


「餌でもねだっているのかな? ……餌付けしちゃ駄目だよな。ほら、他所に行きな」


 仁良が足元にいる猫を傷つけないように追い払おうとする。

 ……しかし、猫はボク達から離れようとせず、何かを伝えるかのように鳴き続ける。


「ボク達に何か伝えようとしているのかな?」


「ね、猫が? ……ありえなくはないと思うけど、猫の言葉なんてわからないし……」


「そういえば言ってなかったけど、翻訳魔法は人の言葉以外にも使えるんだよ。『リンガル』」


 翻訳魔法を唱えると、その場に屈みこんで猫へと話しかける。


『やあ、ボクの名前はアリサ。君はボク達に何か用があるのかな?』


『私の子供が木に登って降りれなくなっている。助けてほしい』


『成程、事情はわかった。ボク達を子猫のいる場所まで案内してもらっていい? 助けてあげるよ』


『ありがとう。こっち』


 猫はそう言うとボク達に背を向け走り始め、ボクも猫を追う為に走り出す。


「アリサ!? どうしたの!?」


『仁良、この子の子供が木から降りれなくなっているんだ。早く助けてあげないと!』


 ボクの後を慌てて追いかける仁良へ、猫から教えてもらった事を説明しながら園内を駆け抜ける。

 ……三分ほど走り続けて動物園の外れまで到達した所で先導してくれていた猫が立ち止まる。

 動物園の敷地内と外の境目に植えられている木々、その内一本の枝先に子猫が震えながらしがみついているのが見えた。


『この上にいる』


『よし、確認できた。……だけど、ここからじゃ届かないな』


 子猫の掴まっている枝は地上から三メートルほどの高さにある。

 手を伸ばしただけでは子猫の位置までは到底届かせる事はできないだろう。

 跳躍すれば届くとは思うけど、驚いた子猫が落下するかもしれないし……さて、どうしたものかな。


「や、やっと追いついた……。いきなり走り出して、どうしたのさ?」


 遅れて到着し、ゼエゼエと息を切らす仁良が先程と同じ質問を投げかけてくる。


『だから、この木の上に子猫がいるんだよ! 早く助けてあげないと』


「……アリサ、さっきから何を言っているかわからないんだ。猫の鳴き真似をしているようにしか聞こえないよ」


 ……え?


「『リンガル』。 ……仁良、ボクはいつから猫の鳴き真似を?」


「猫と話を始めてからずっと。……え、ええっと、動物とも会話できるなんて凄いと思うよ」


 仁良は気まずそうにボクから目を逸らす。

 今までずっとにゃあにゃあ言っていたのを自覚すると同時に、顔に熱が集まり赤くなるのを感じる。

 これはヤバい、かなり恥ずかしい。

 ……しかし、『リンガル』を使っている間のボクの発する言葉は、猫と人の両方に伝わるように調整していた筈だ。

 ……仲間の場所を示さない『サーチ』といい、この世界に来てから魔法の効果が弱くなってないか?


「……と、とにかく状況はわかったよ。木の上にいる子猫を助けてほしいから、僕らに付きまとっていたんだね」


 顔を赤くして震えるボクを見ていたたまれなくなったのだろう、仁良が本題へと話を戻してくれる。

 そ、そうだ、ボクは子猫を助けるためにここまで来たのだ。

 恥ずかしがっている場合じゃない。


「それじゃあボクは行ってくるから、仁良はここで待っていて。子猫が落下してしまったら、君に受け止めてほしいんだ」


「……行くって、どこに?」


 子猫のいる木に向かって歩き始めたボクを、仁良が呼び止めてくる。


「どこって……木の上にきまっている。子猫は木の上にいるんだから、そこまで登らないと助けられないじゃないか」


「問題しかないよ!? アリサ、自分がどんな格好しているか思い出して!」


 ボクの言葉を聞いて、仁良は随分と大袈裟に慌て始める。

 ……ボクがどんな格好をしているかだって?

 いつも着ている服とは勝手が違うけど、木登りするくらいならまったく問題ない。

 多少は動きにくいかもしれないし、ブラウスやスカートが汚れるかもしれないが……。

 そこまで考えて、仁良が何を言おうとしているのか、ボクは何を失念していたのかようやく理解する。


「……スカートって、本当不便だな」


 不幸な事に、魔法の袋は今着ている服には似合わないからと家に置いて来ている。

 つまり、着替える事はできない。


「……アリサが登れないんじゃ僕が登るしかないよなぁ」


 そうぼやきながら、仁良は木に向けて歩き出す。


「頼んだよ、仁良。ボクが下で子猫を受け止めるから、無理しないでよ」


「木登りなんて小学校以来だよ……」


 溜息を吐いてから木を登り始めた仁良を、ボクは下から眺める。

 ……彼は木登りに慣れていないようで、子猫のいる高さまで辿り着く途中、何度も落ちかける。

 これは、恥ずかしがっている場合じゃないのでは?

 

 「仁良! 危ないから降りてきて! ボクと後退しよう!」


 「だ、大丈夫。段々慣れてきたから」


 ボクの提案に仁良は大丈夫だと言い張り、再び木登りを再開する。

 ……同じようなやりとりを何度か繰り返しながらも、仁良は何とか子猫の近くまでたどり着く。


「アリサ、子猫のいる高さまで辿り着いたよ。子猫を受け止める準備をしておいて」


「任せてくれ。……何度も言うけど無茶だけはしないでよ」


 仁良はボクに向けて頷くと、枝を伝いながら子猫の方に慎重に進み始める。

 ミシミシと怪しい音を立てる枝を注意深く進み、子猫に近づいた所で仁良が片手を伸ばす。

 子猫は仁良を警戒して動こうとしなかったが、暫く彼の様子を見続けて自分を助けに来てくれたと判断すると、彼が差し出した手に向けて動き出そうとする。


「う、うわっ!」


「仁良!」


 子猫が仁良の元へと辿り着く瞬間、強風が木々を吹き付け、木の枝が大きく揺れる

 仁良は枝にしがみついて振り落とされてしまう事はなかったが、バランスを崩した子猫が滑り落ち、地面へと落下していく。


「アリサ! 子猫を!」


「わかってる!」


 子猫の落下地点まで駆け出し手を伸ばす。

 落下してきた子猫は、ボクの腕の中に吸い込まれるように収まった。


「子猫は確保できたよ! 仁良! 落ち着いて降りてきて!」


「……良かった。子猫は無事――」


 そう呟くと気が緩んでしまったのか。

 手を滑らせた仁良は、木の上から落下した。

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