2章-5

「仁良!」


 木の上から落下する仁良の姿が、ボクの目にはスローモーションのように映る。

 今すぐにも助けに行かなけらばならないのに、咄嗟の事で体が動かない。

 ……その時だった。

 動けないボクの横を大きな影が通り過ぎ、落下する仁良の体を受け止める。


「……怪我はないか?」


「ぼ、僕は大丈夫。……助けてもらってありがとうございます」


 仁良を受け止めたのは先程別れた筈のゴリアンだった。

 ゴリアンは仁良が怪我をしてない事を確認すると一瞬安堵した表情を浮かべるが、その表情はすぐに険しいものへと変わる。


「何故人を呼ばなかった? 危ないだろ」


「早く子猫を助けてあげなきゃと思って、誰かを呼ぶ事まで考えが及ばなかったんです。……五里安さんはどうしてここに?」


「お前達、怪しかったから後をつけさせてもらっていた。まさか、こんな無茶をするとは思っていなかったが……オレは仕事に戻る」


 そう言って仁良をその場に降ろすと、ゴリアンは立ち去ろうとする。


「待ってくれ」


 ボクに呼び止められたゴリアンは立ち止まってこちらを振り返る。


「ゴリア……五里安さん、本当にありがとうございます。本当はボクが助けないといけなかったのに動く事ができなくて……。五里安さんがいなかったらどうなっていたか……」


「……気にするな。困った時はお互い様だ」


 ゴリアンはそう言うと、僕達に背を向け歩き出す。

 その背中を見送った後、ボクは仁良の方を向いて頭を下げた。


「仁良、すまなかった。君のお母さんに仁良の事を頼まれていたのに、肝心な時に何もできなかった」


「母さん、何時の間にそんなことを……。アリサ、怪我は無かったんだから頭を上げてよ」

 

 ボクは仁良の声に従い頭を上げる。

 仁良はボクが頭を上げたのを確認すると口を開く。


「確かに危ない所だったけど、結果的に無事だったんだからそれでいいじゃないか。子猫は無事に助けられたんだしさ。……所で、いつまで子猫を抱えてるの?」


 指摘された事で、先ほどから子猫を抱えたままだという事に気付く。

 それと同時に、ボクの足元で親猫が子猫を渡せと言っているかのように鳴き始めた。


「ご、ごめん。さっきからそれどころじゃなくて君達の事を忘れていたよ」


 子猫を降ろしてあげると、親猫が子猫の身繕いを始める。


「君、二度とあんな危ない真似しちゃ駄目だからね。気を付けるんだよ」


 子猫に語りかけてみるけど、今は翻訳魔法を使ってない。

 猫の親子はボクの言っている事を理解できないだろう。

 だけども、ボク達に向かって猫の親子はお礼を言うかのように一声、にゃあと鳴くと動物園の外に向かって走り去っていった。

 ……もしかして、ボクの言葉がわかったのかな?


「それじゃあアリサ、これからどうする? まだ時間はあるけど、今日はもう帰る?」


「そうだな……折角だから、もう少し園内を見て回ろうか」


 子猫を助けるというトラブルを解決したボク達は、園内を見て回る為に歩き出した。

 



「アリサ、ちょっといい?」


 動物園からの帰り道。

 お母さんへ渡す為のお土産袋を携えた仁良が声をかけてくる。


「いいけど、どうしたんだい?」


「家に帰る前に渡したい物があって」


 そう言って仁良は、お土産袋の中からウサギを模したネックレスを取り出してボクに手渡してくる。


「仁良? これは?」


「動物園で買ったお土産。ウサギを随分と気に入っていたみたいだから、アリサにあげるよ」


「えっ……? 嬉しいけど、一体どうして?」


 突然の出来事に思わず戸惑ってしまう。

 プレゼント自体は嬉しいのだが、仁良が何の目的で渡してきたのか皆目見当がつかない


「アリサが元気無さそうだったから、これで少しは元気になってくれたらいいなと」


 ……確かに、仁良を危険な目に合わせてしまったのを引き摺ってしまい、動物園を楽しみ切れていなかったとは思う。

 隠しきれていたと思っていたんだけど、気付かれてしまっていたか。


「ごめん。余計な心配をかけさせちゃったね」


「謝らなくても大丈夫だよ。僕もアリサの立場だったらがっかりすると思うし」


 ……がっかり?


「がっかりって、どういう事?」


「ゴリアンさんの事だよ。折角アリサの仲間を見つけたのに、アリサの事を覚えていないなんて残念だったよね……」


 成程、どうやら仁良はゴリアンの一件でボクが落ち込んでいると思っているらしい。

 確かにショックではあったけど、ゴリアンが健在である事が確認できただけでも良かったんだけどな。

 だけど、ここは……。


「いっしょに旅をしてきた仲間だからね、とてもショックだったよ」


 仁良に話を合わせよう。

 只でさえ心配をかけているのに、落ち込んでいた原因が自分だと知ったら余計な負い目を感じてしまうだろう。


「だけど、動物園に来ればゴリアンに会えるって事がわかったからね。今まで何の情報も無かったんだから、それだけでも動物園まで出かけたかいがあったよ」


 ……ただ、今のゴリアンに何度会いに行こうと意味はないだろう。

 ゴリアンは恐らく記憶改変魔法が使われている。

 ボクでは解除ができないくらいの強力な魔法だ。

 魔法の扱いに長けている他の仲間と合流できれば何とかなるだろうけど問題は……。


「ゴリアンさんが記憶を書き換えられているってことは、他の仲間も記憶を書き換えられている可能性があるんだよね……」


 仁良の言う通り、他の仲間の記憶も書き換えられていた場合、魔法を解除する方法は一つしかなくなる。

 術者である魔王をボク一人で倒さなければならない。


「仲間の居場所だけでも見つけておかないと。ボクは明日も仲間を探しに行くことにするよ……仁良、君は少し休んだ方がいい。毎日ボクに付き合ってもらって疲れているだろうし、今日みたいに危険な目に合うかもしれない」


「僕は大丈夫だよ。一晩寝れば疲れも取れるから。それよりも、こっちの世界の事をよく知らないアリサを一人で送り出す方が心配だよ。今日も大変だったしね」


「……とりあえずお母さんに言って、明日はズボンを用意してもらわないとなぁ」


「い、いや! そういう事じゃない! 今日ゴリアンさんと会った時、君は冷静でいられなかったろ? 二人でいっしょに動いていれば片方に何かあっても、もう片方がどうにかできるんじゃないかって僕は考えただけで――」


 ボクの呟きを聴いた途端、仁良が顔を赤くしながら慌てで弁明を始める。

 そんな仁良の様子を見て思わず吹き出してしまう。


「いきなり慌てだして、どうしたのさ? 変な仁良」


「な、何言いだすんだよ。それを言うならアリサだってこっちの世界の人から見たら――」


 これからの事は、明日考えよう。

 帰宅するまでの残りの時間を、仁良と他愛もない話をして過ごすことにした。

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