第4話 狂乱の公家

晴天の日、いつものように磯は洛中を男装で闊歩していた

日も燦燦と照り付け、実に心地よい

最近は何かと物騒な世の中ではあるが、この束の間の平和は何よりも代え難い



「お待ち下されませ~!!」


後ろから男の声が遠くで聞こえた


「?」


磯は立ち止まり、後ろを振り返る


「お待ち下さりませ~!!、お待ち下さりませ~!!、お待ち下さりませ~!!」


繰り返し言いながら遠くから全力で磯の方に走ってくる男が一人

磯は何事かと思いながら、取りあえず男が走って近寄ってくるのを待つ

やがて男は磯の直ぐ前まで走って寄ってきた

そして石につまずき前に盛大に『こけた』


ずぞぉぉぉぉぉーーーーーー!!!!


走った勢いと共に道に撒かれてある小石に体を滑らせる


「…」


突っ伏している謎の男を見ながら磯は怪訝な表情をした


「なんだ、こいつは」


そう心の中で思わず思った


「ふふふ…」


「?」


「ふはははは」


ガバリと起き上がり男は笑いだす

磯はますます怪訝な表情になる


「ははは、こけてしまいました!!、いや~不覚不覚」


そう笑う男

年齢は20代後半ぐらいか?

貴族の服装をしているので、貴族なのだろう

ただ、本来なら綺麗なその服も今は前が砂まみれになっているが


「あなたは一体?」


わざわざ呼び止めるのだから磯に用事があるのであろう

しかし転んで砂まみれになって笑っているおじさんとは余り関わり合いたくはない


「ははは、これは失敬」


そう言うと男はコホンと咳払いをし、名乗りを上げる


「やあやあ我こそは桓武帝の流れを組む桓武平氏高棟流であり父『平時信』の長男・平時忠たいらのときただであります!!」


「はぁ…」


その自己紹介に磯は小首を捻る

武士っぽい言動だが、どこからどう見ても公家である


「それで時忠ときただ様、私に何かご用が?」


「や、その通りでございます!!」


頭を掻きながら時忠(ときただ)はにやけた笑みを浮かべた


「実は好きなのでございます!!」


「は?」


時忠の言葉の意味を計りかねて磯は強い感じで返した


「いえ、ですから好きなのでございます」


「何が好きと?」


「磯様、貴女様をでございます」


「えーと…」


つまるところ、これは磯に対する時忠の想いの告白と受け取ってもよいだろうか?

しかし終始にやけた表情のこの男を磯はまったく好きにはなれそうもない


「貴方様がでございますか?」


磯の問いにそこで男は言葉が足らなかった事に気付いた


「いえ、私の妹です!!」


「…は?」


「妹が磯様の舞われる舞を好きなのでございます!!」


「ああ…そういう…」


ようやく合点がいった磯は胸を撫で下ろす

正直、愛の告白は断るのが面倒なのでいらない


「それはそれは、妹さんに宜しくお伝え下さいませ」


それで切り上げようと思った磯だが、時忠は更に重ねてくる


「もし宜しければ会って頂けないかと」


「妹さんにですか?」


「はい!!」


どうにもキラキラした期待の眼差しで見られるとある意味鬱陶しいが、特に断る理由もない

それに平氏というか公家に近い位置にいそうなこの桓武平氏高棟流なる一門に顔を売っておくのも悪くはないだろう


「構いませんよ」


「おお、それは良かった!!」


「随分と妹さん思いなのですね」


「ははは、異母妹なのですが年が離れているのもあって可愛くて可愛くて」


「そうなのですね」


「はい、それに奇遇にも畏くも丁度磯様と同い年に当たります」


「それはそれは」


そう言うとにっこりと微笑む磯

15の頃よりも随分と成長したものと自分でも思う

その当時の磯ならば男がこけた瞬間に『鋭い突っ込み』を間髪入れずに口にしていた筈だ


「ははは、そうです、妹は磯様と同い年であります!!」


二度言わなくても良いわ、この『たわけ』と心の中で呟きつつ磯は笑顔を作り続ける


「妹様のお名前は?、何というお名前なのですか?」


「や、これはこれは、我が妹の名前は滋子しげこ

平滋子たいらのしげこと申します」


滋子しげこ様ですね」


「はい、現在は上西門院じょうさいもんいん様の女房として仕えております」


上西門院じょうさいもんいん…、統子とうこ様ですね」


「はい」



上西門院統子じょうさいもんいんとうこは鳥羽天皇を父に母を藤原璋子ふじわらのあきこ[持賢門院]に持つ第二皇女である

後白河上皇とは父母共に同じの一歳上の姉に当たる

保元元年[1158年]に後白河天皇の准母となる

現在平治元年[1159年]で34歳


弟である後白河上皇は姉の統子とうこととても仲が良いと聞く

上西門院の名前が出た事で磯はまた面白い繋がりが出来そうだと感じた





平治元年[1159年]12月9日、予てより反信西派として藤原信頼ふじわらののぶよりと手を組んでいた源義朝みなもとのよしともが立った

平清盛たいらのきよもりが京を空け熊野参りに行っている隙をつき院御所・三条殿を襲撃、後白河上皇や上西門院を捕え二条天皇のいる内内裏の一本御所所に軟禁する

そして三条院を放火し逃げまとう人々を射殺した


その赤々とした夜空を照らす火は少し離れた磯の住まう所からも僅かながらにも確認出来た


義朝ぎちょうか、無茶をする」


その空に灯るうっすらとした明りを庭にて見ていた磯は傍にいる鈴に言う


「上皇様も上西門院様もお捕まりになったとの事でございます」


怪僧しんぜいは?」


「どこかにお逃げになったとの事にございます」


「このままでは見つかるのも時間の問題であろうな」


「まったく、どうなってしまうのでしょうか?」


「おや?、鈴

珍しく動揺しておるな、不安なのか?」


磯の言葉に鈴は眉間に皺を寄せた


「当たり前でございます、勝敗の見えていた三年前のいくさとは違いまする」


「保元の乱か、懐かしいな」


「私は大いに不安です、磯様はどうお考えでございましょうか?」


「ふむ…」


鈴に振られて磯は少し考えた


清盛しんせいがこのまま黙ってはおらんよ」


「そうでしょうか?、中には信頼のぶより様に味方するかも知れないと言う者もおりまする」


「私はそうは思わん、源氏と平氏は今や犬猿の仲だ

清盛しんせい今更義朝ぎちょうと手を組むとは考え辛い、何より…」


「何より?」


信西かいそうが死ねば天皇親政派と院政派は対立しだすだろうな

あくまで反信西で手を組んでいる連中だ、統一感はない

それに雅仁がじんを殺していないのは失敗だったな」


「と申されますと?」


「あの男はかなり『したたか』だ、転んでもただでは起きないだろうさ

もっとも、殺せば朝敵になるだろうから殺せないだろうがね」


「はぁ、つまりは義朝公は負けると?」


清盛しんせいが体制を整えるまでの天下だよ、何故なら義朝ぎちょうとは戦力が違う」


「磯様お得意の戦力差論でございますね」


「義朝は所詮、東を地盤としている武士だ

京においての乱で機内を含む西を地盤としている清盛しんせいとは即座に動員出来る兵の数が違う」


「なるほど」


「まぁ、見ていよ

場合によっては義朝ぎちょうの最後が見れるやも知れん」


そう言うと磯はくいっと杯に入っていた清酒を飲み干した

磯の脳裏に義朝ぎちょうの顔が浮かんでくる

宴の席で何度か義朝とは接した事があったが、酒が入ると保元の乱後の恩賞が少なかっただの助命嘆願がどうのと愚痴を聞かされたものだ

それ故に磯の義朝観は『器の小さい小者』であった

その『器の小さい小者』が一世一代の大勝負に出たのだ


「まぁ、何ら悔いる事なく散るなら派手に散れ義朝ぎちょう

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