第3話 最強の修験者

黒衣の宰相・信西入道藤原通憲しんぜいにゅうどうふじわらのみちのり

保元の乱で勝利した信西しんぜいの権勢はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった

様々な政策を打ち出し、権力を振るうその姿はまさに怪僧である

そして信西は当然の如く自分達の息子達を要職に就けた

しかしそれが旧来の院の近臣や貴族の反発を受けない訳が無く、次第に信西は天皇親政派からも上皇院政派からも疎ましく思われ出した


決定的だったのが保元3年[1158年]8月、守仁もりひと皇太子が16歳で即位し二条天皇になった時の事

この時の皇位継承に際し『仏と仏との評定』が行われた

仏と仏とはいわゆる仏門に入っている者同士の事で、守仁即位の裏舞台には美福門院びふくもんいんと信西が関わっていた

この二人の話し合いによって決定し行われたのだ

そういった経緯から信西を快く思わない者達が更に増えた

後白河天皇の寵愛を受けている近臣・藤原信頼ふじわらののぶよりもその一人である


一方、即位した二条天皇は天皇主導による天皇親政を主張し、上皇が主導する院政派と対立した

信西は院政派であるが、同じ院政派でありかねてから信西を疎ましく思っていた藤原信頼ふじわらののぶよりは信西打倒を掲げる派の中心人物となっていく

信頼のぶより源義朝みなもとのよしともを配下に付け、反信西派として同じく信西を嫌う天皇親政派である権大納言・藤原経宗ふじわらのつねむねと検非違使・藤原惟方を味方に付けた

本来なら天皇親政派と院政派は立場を異とする所だが、この際はそうも言っていられない

互いに反信西派として手を組んだのである


一方、源氏と双璧をなす武士の戦力たる平氏はというと平清盛たいらのきよもりは信西とも信頼とも婚姻関係を結んでおり、どちらかに味方する訳でもなく中立の立場を取っていた

源義朝みなもとのよしともを取り込み、反信西勢力として力を持った藤原信頼ふじわらののぶよりに慌てた信西は後白河上皇に信頼排斥を訴えるも、後白河上皇は取りあわなかった


こうして平治元年[1159年]12月、院近臣らの内部対立による乱が幕を切って落とされる

これが『平治の乱』である

そしてこれは源氏と平家の二大武力の激突であった




しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ


白い水干すいかんに鞘巻きを差し、鳥帽子えぼしの出で立ち

その格好で京の都を闊歩する磯

女であるのにも関わらずその珍奇な様に行き交う人々は興味を持って見る

とは言えその姿が物珍しかったのは何年も前の事であり、今や驚く人も少ない

それでもまた『そうした姿をしている』女が磯だけであり、貴族や朝廷の覚えがめでたい舞の名手たる磯御前の姿を一目見ようと振り返る人々は多い


磯が白拍子の格好をし始めてから数年が経つ

保元の乱から3年、磯は18歳になった

この3年の間に磯は舞子として絶対の地位を築いた

都の貴族からも武士からも引っ張りだこであり、相当に忙しい

怪僧・信西の権勢は磯の周りも潤した

いわゆる口づてでの評判もさる事ながら、貴族同士の横の繋がりから仕事の斡旋は多く来るようになった

それだけではなく信西を介して、女狐『美福門院』との繋がりも持てたからだ

そしてそれと同時に『後白河上皇』とも

磯は会う機会を設け、二人に直接話をする機会も持った

本来なら一介の舞女が会う場を設けるなど不可能なのだが、そういう意味では怪僧様々だ

とは言え磯の舞う『魔王の舞』の事は美福門院も知っているし、後白河上皇の耳にも届いていたらしく、その事も良く働いた

ただ、信西に関しては行きすぎた権勢と奢りは自らの首を絞めると感じる

最近の反信西勢力の動きは只ならぬモノを感じるからだ


「いよいよ怪僧ししょうも終わりか」


扇を手に磯は歩きながら呟く


しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ

履物と路の砂が当たり心地よい音を奏でる


磯は歩くのが好きだ

好きといっても限度はある

とは言え都の外は治安が悪いので出歩く事はめったにないが、歩いた所で暴漢や野盗に襲われても『ひらりと』かわしてしまう


この3年で今様や朗詠も格段にうまくなった

それだけではなく、一つの力を手に入れた事にある満足感がある

その力とは雨乞いの法だ

雨乞いとは旱魃かんばつが続いた際に雨を降らせるように神仏に祈る儀礼である

何故に磯がその法を手にしたか?

それは2年前に磯が拾われたという『鞍馬山』に磯自体が登り、見に行った所から始まる

登った際に一人の修験道者と出会った

その修験道者は随分とした年でおじいさんに近かった、というか仙人のようであった

山中の道で出会わした磯と修験道しゅげんどう

磯は特に驚きはしなかったが、修験道者の方は驚いていた

無理もない、おおよそ山を歩く格好でないばかりか男装の格好をした女が山中でウロウロしていればさぞ驚くだろう

しかし驚いたのはそればかりではなかったようで


「そなたは真に不可思議な相をされている」


「え?、変な顔って事?」


「いや、そうではない」


「とても強い運の相をお持ちだ、あと感じられるその霊力も並ではない」


「霊力?、私は沙弥尼しゃみにじゃありませんよ?」


「いや、持って生まれた力というべきか

御前様おまえさまは一体?」


その修験道者の言葉に磯は赤ん坊の頃の事を話した

この鞍馬山で棄てられていた事を


「不思議な事にございますな」


聞き終わると修験道者はそう口にした


「かの役小角えんおおづぬも一度は母親に棄てられたという逸話がありまするが」


「えん?、誰それ?」


役小角えんのおづぬでございます、修験道の祖と仰がれいる御方がかつておられましてな」


「いつの頃?」


「詳しくは分かりませんが、舒明じょめい天皇の御代の頃と伝えられております」


舒明じょめい天皇?」


「34代目の天皇でございます」


「今が78代だから、うん、随分昔ね」


「左様にございます」


「で、そのえんちゃんがどうしたと?」


「役小角は大和国葛木やまとこくかつらぎの村に生まれ、その手には一枝の花を握り「人々を救うために天から遣わされてきた」と泣きました」


「はぁ…」


「母親は不気味に思い林に棄てたが、雨にも濡れず獣や鳥が身守り何日経っても衰弱する事もなく、やがて母親はついに家に連れ帰って育てる事にしたといいます」


「まぁ棄てられたという点は一緒ね」


「左様です」


「で、そのえんちゃんはその後どうなったの?」


「子供の頃より葛木の山々を駆け巡っていたとか」


「山が好きなのね」


「左様にございます」



山を駆け巡り、滝に打たれるという修行を行っていた小角を心配した母の白專女しらとうめは小角に出家を勧めたが小角は出家には興味がなかった

小角(おづぬ)15~16歳の時、飛鳥・元興寺の彗観えかんが小角の山林修行に関心を寄せ、密教の呪術である『孔雀の呪法』を小角に伝授した

19歳の頃、山中に生駒いこま明神が現れ「授けたい法があるから生駒山に登れ」と託宣

生駒山に登り3年間修行を行った小角は龍樹菩薩から再生の儀式[潅頂]を受け、宝珠を授けられて仏身へと成った

その後色々な霊山に籠って修行を続け、道教の秘法たる『飛天の術』も会得し自由自在に空を飛べるようになった

世上の事に一切の関心を寄せなかった小角は蘇我氏の滅亡も大化改新たいかのかいしん[645]も天智てんじ天皇も壬申じんしんの乱[672年]も大友皇子の悲劇も天武てんむ天皇即位も全て無縁の事であった

ただひたすらに修行に明け暮れた

そして天武3年[675年]41歳の時に祈りの最中、金剛蔵王権現しんごうぞうおうごんげんという神が現れた

金剛蔵王権現しんごうぞうおうごんげんを見た小角はその神こそ我の祀る神と悟った


「はぁ…」


修験道者の長々としたその小角話を聞いて磯はそう言った

空を自在に飛ぶ法とやらも伝説じみていて何やら後世の創作ものと感じる

小角には前鬼と後鬼という鬼を使役しそれに自身を守護させていたという話であるが、それもまた作り話めいていて信憑性に欠ける

そういった話は話としては面白いが事実であるとは到底思えない

以前、磯は安部晴明あべのせいめい5代目の子孫である同じく陰陽師である安倍泰親あべのやすちかと会い、式神しきがみを見せて見ろと迫った事があったが、どうこう理屈を捏ねられて逃げられた経緯がある


しかし小角の方の話は後に一応信用した

というのはその時に話した修験道者から『雨乞いの法』を教えて貰ったからだ

というか信じて欲しければ何か面白い法をと強請った時に修験道者が苦笑しながら教えてくれた

後日試してみると確かに雨が降ったか

それは一度だけではなく五回試し、五回ともその法を行使すると雨が降った

その効力には磯自身も驚いた

しかし同時に舌打ちした

というのも確かに『雨を降らせる』能力は凄いが、どうせならもっととてつもない能力が欲しかったと思う


その修験道者にはそれ以来会う事はなかった

ただ言っていた事は覚えている


『雨乞いの法』もまた厳しい修行を長年行ってきた者のみが使う事が出来ると


「修行していなんですが使えましたよ~」


磯は最早会う事もないであろう今はどこにいるのか分からないあの修験道者にそう呟いた

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