第2話 九尾の女狐
「不味い」
料理を食する度に磯がいう『いつもの』愚痴である
京の文化において貴族の食はさして重要視されておらず、見た目が華やかっぽければ良いという風潮であった
栄養など考えられていない
それ故に栄養失調気味になり脚気や結核に罹る者が多くいた
「不味い」
磯の言う不味いとは魚の事である
固粥[飯]や
いわゆる魚介類系統は食べられたモノじゃないほどに不味い
内陸部に位置する京では取れたれの美味しい海の魚を堪能する事は出来ないとは分かっていはいるが、これは酷い
讃岐国で幼少期を育った磯に取っては魚介類が不味いのは不快以外の何物でもない
かの
「鈴~、うどんな~い?」
「ありませぬ」
少し甘えた声で言う磯にぴしゃりと言い放つ世話役を務める鈴
「讃岐にはあるんだけどな~」
「ここは讃岐ではありませぬ」
「以前何とか神社であるとか聞いた事あるんだけど~」
「春日大社でございますか?、あれは天皇行幸の際に振る舞われたのであり普段から食する事は叶いません」
「肉も何か不味いんだけど~」
「贅沢を言われまするな」
「ちっ」
舌打ちをする磯に鈴は呆れた
讃岐には
小麦粉を練って作る食べ物であり、讃岐では昔からあるよく知られている食べ物だ
それはいつ頃からあるのか?
伝えではかの弘法大師・空海が804年に入唐しうどんの製法と小麦と唐菓子を持ち帰ったという
「まったく、京の食い物はロクでもない」
そういうと磯はガツガツと不味い料理を口に入れ、水で流しこんだ
それを見た鈴は溜息を洩らし言った
「女性がその様な食べ方をするなど、世も末でございます」
保元元年[1165年]7月11日の寅の刻[午前四時]から始まった保元の乱は辰の刻[午前8時]に白河北殿の西隣にある
これにより崇徳上皇側は総崩れとなり敗退
崇徳上皇と
後白河天皇側は残党狩りのため法勝寺を捜索、同時に
午の刻[午後0時]戦勝の知らせを聞いた後白河天皇は高松殿に還御
同じく
顛末を述べれば崇徳上皇は讃岐に配流
藤原長頼は首に矢を受け息絶える
その乱の顛末に満面の笑みを浮かべている一人の女がいた
得子の父である藤原長実は祖母である
院政とは天皇が次の者に天皇位を譲り上皇となりて天皇に代わりに行う政治形態の事であり、この院政は白河上皇[1086~]の頃より始まる
父の死後、長承3年[1134年]27歳の頃に鳥羽上皇の寵愛を受けるようになり、保延元年[1137年]12月30歳の時に叡子内親王を出産
保延5年[1139年]32歳の時に
同年、鳥羽上皇はまだ赤子の
しかし保延6年[1140年]9月崇徳天皇に第一皇子・
慌てた鳥羽上皇と得子は誕生後直ぐに
この一連の動きは要するに崇徳天皇の皇嗣の流れを阻む狙いからだ
鳥羽上皇と崇徳天皇の対立は根深く、鳥羽上皇は崇徳側に一切の権力を渡す気はなかった
この対立は実は崇徳天皇が生まれた時より始まっていた
どういう事かと言うと、崇徳天皇は鳥羽上皇の実の子ではないのである[真偽は不明]
鳥羽天皇の中宮[皇后]
璋子が18歳の時に女御として入内させたが、実は璋子は白河法皇とは肉体関係があり持賢門院と呼ばれてからもそれは続いていた
言わば祖父と孫と女との三角関係である
入内の翌年に璋子は第一皇子である
しかも
当時祖父である白河法皇の権力は絶対であり、鳥羽がどうこう出来るモノではなかった
その時の恨みが鳥羽上皇の中に渦巻き、全て
しかし顕仁親王にとってはその恨みは理不尽なものである
生まれも白河法皇の寵愛も顕仁自体に責任はない
その理不尽さや、鳥羽上皇の自分に対する仕打ちに怒りは沸いてくる
鳥羽と崇徳の対立はこういったモノである
そしてその対立の中に割って入ってきたのが
鳥羽上皇の崇徳に対する恨みを煽り、自分の子が即位する為には邪魔な崇徳を追い落とす為の策
永治元年[1141年]12月
白河法皇が鳥羽天皇に譲位を迫ったように、鳥羽上皇は崇徳天皇に譲位を迫った
それにより
しかし一つだけ目の上のたんこぶがあった
崇徳天皇の母にして鳥羽上皇の中宮である待賢門院である
しかしこれは翌康治元年(1142年)に決着する
呪詛事件が相次ぎ、これが待賢門院の仕業であるという風説がどこともなく流れてきた
こうして待賢門院はかつての権勢を失い落飾、三年後に淋しく三条高倉第にて崩御した
久安5年[1149年]美福門院の院号を得た
だが、久寿2年[1155年]元々体の弱かった近衛天皇は一人の央皇子女ももうけないまま17歳の若さで崩御した
東宮[皇太子]を設けないまま今に至るため、鳥羽法皇と得子は慌てた
関白、
しかし鳥羽上皇は守仁親王が父である
そして
だが、崇徳天皇に取っては面白くない
譲位を強請され、我が子すらも天皇位に着けない体制にされてはもはや希望などはないのだ
その怒りの導火線に火が付いたのは鳥羽上皇の危急を聞いて駆けつけた時だ
この時、院の近臣に阻まれ『父』である鳥羽上皇との対面はならなかった
一方、
保元の乱はこうして始まったのである
「
磯の言葉に鈴は答えた
「女狐ではございません、美福門院様です」
今回の乱では美福門院が直々に平清盛を後白河陣営に誘ったと言われている
「あれは、あの女は女狐だ」
磯はこの間、一度見た事がある
年は既に40歳の筈が非常に若々しい、そして美しい
今でもそれならば若い頃はどんなものか想像する程に驚愕する
「
「鳥羽上皇様はさぞや美福門院様を愛されていたのでしょう」
「虜にする、まさに九尾の狐だな」
「磯様!!」
鈴の怒った声を聞きながら一度会った時の事を思い出す磯
それは会で舞を踊っている時だ
その時に磯に向かって投げられた笑顔に磯は背筋が凍る思いだった
あれはまさしく氷の微笑みである
今回の一連の事も後白河天皇の策というよりもむしろ狐の策であると考えた方が納得はいく
事実もう崇徳はいない
これからは後白河天皇と狐の時代だ
「あれは勝てない」
「あれと申されますと?」
「狐よ」
「また」
磯は扇を開け口元に寄せる
磯の師たる信西もまた今回の件で勢力を伸ばせよう
それによって磯もまた、ますます自由に動ける
しかし磯には一つ新たに思う所があった
「狐に近づいてみるのも良いかも知れない」
片や魔王、片や九尾の狐
案外気が合うかも知れない
扇の下でその唇は笑んだ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます