善人の条件

かずシ

第1話

 その大きな望遠鏡をのぞきながら神さまはため息をついた。

 どうやら今日も日がな一日地上の人間を観察し、天国へ行ける者を選抜せねばならないようだ。選抜などは天使に任せてしまえばいいのだろうが、その天使も日々の雑務で手一杯、手の空いている者などいないのだ。

 地上の人間が増えはじめたのは一体いつからだったろうか。地上の人口が爆発的に増えるにつれ、死者の数も伸びていった。

 以前は人間の数が少なかったので、わざわざ神さまがじきじきに仕事をする機会なんてほとんどなかったのに。今では最高責任者である自分でさえ、仕事に駆り出されている。神さまのため息の中には昔のような生活に戻りたいという思いが混ざっていた。

 しかし、これも神さまである自分の宿命なのだ。人間の選抜を間違うと天国の治安がどんどん悪くなってしまう。楽園である天国の治安だけはなんとしても維持しなくてはならない。これは重要な仕事なのだ。

 人間は一度死ぬと、その生前の行いから天国で生まれ変わるか、地獄に落ちるか天界で判断される。善行を積んだ人間の魂は楽園である天国で再度新しい人間として生まれ変わることができる。しかし、悪行を行ってしまった人間は地獄の業火で永遠に焼かれ続けるのだ。

 もし、この判断を間違い、悪行の限りを尽くした人間の魂が天国に来てしまっては、いらぬ争いの種をまくことになる。天国の住民たちにはいつまでも争いなどは経験せず、のんびりと暮らしていってもらわないと困るのだ。

 神さまは自慢の長いひげを手で触ると、気合を入れなおし、注意深く地上の様子を観察する作業を続けた。


 そんな生活を続けていたある日のことである。

 とうとう、天使の一人が神さまに直訴した。

「神さま、もうこれ以上この激務を続けることは無理です。人間の数は日を追うごとに増加していっています。このままでは我々が全ての仕事をこなせなくなる日が必ずやってくるでしょう。そうなれば善人と悪人、その両方が天国へ導かれ、必ず天国は崩壊してしまいます」

「そんなことはワシにも分かっておる。ワシもどうにかしようとはしているのだ。しかし、今の状況を解決するための良い案がないのだ。そんなことを言うのなら、お前も何か良い案を提案したらどうかね」

 神さまは自慢のひげを指でいじりながら天使に言った。

「実は、我々天使団もそのことで長い間議論していたのです。そして、ある一つの案が浮かびました。我々の仕事の中で最も時間がかかるのは、その人間が善人であるか悪人であるかの判断です。これまでは一人一人の人間の行いを生涯観察し続け、総合的に判断していました。しかし、これではあまりにも時間がかかりすぎます。その判断をすばやく行うために、天国へ行ける人間の条件を一つだけ先に決めてしまうのです。そうすれば、我々はその人物が生前その条件を行っていたのか、ということを記録からチェックするだけで良くなり、効率よく作業をすすめることができるのです」

「ふむ。つまり、生前、天国行きの条件を行った人物の魂だけをすべて機械的に天国へ送る、ということじゃな」

 神さまは首を回しながらうーんとうなった。この作業は確かに今までの仕事から比べるとはるかに簡単だ。今の現状を考えるとこれを行うのは確かに合理的に思えた。

 しかし、それはある種の危険をはらむものでもある。

「良い案ではある。確かにスムーズに作業が進みそうじゃ。しかし、問題はその条件をどう定義づけるか、ということになるな。これを間違うと悪人が天国へ来る、という事態にもつながりかねん。苦肉の策、と言ったところだな」

 しかし、結論を長引かせるわけにはいかない。この案件は慎重かつスピーディに決めなければならない。

 神さまが思案していると天使はこう助言した。

「やはり、人間のことですので、人間にとっての善人を選ぶべきです。地上の様子を確認し、人間がこれを行う人はすべからく善人である、と思っている条件を探すべきでしょう」

 神さまは納得し、だまって頷いた。


 天使の助言を受けてから、神さまは望遠鏡をのぞいては天国へ行ける人間の条件を探した。これをやった人間はすべからく善人と思われており、悪人は一人もいない、という条件だ。その条件を探すため、短い期間ではあるが注意深く地上を観察し、試行錯誤が重ねられた。

 人間は他人に対して何かしらの慈悲を与える人のことを善人であると思う傾向が強いらしい。それで最初は、寄付を行った人間、という条件を考えた。

 しかし、それではあまりにも天国へ行ける人数が限られてしまう。明らかな善人でも寄付を行わない人は結構いるのだ。さらに、寄付を使って詐欺を行う人間もおり、そういう人物も少額ながら寄付を行っているため、天国へ悪人が来ることになってしまう。

 条件は出来るだけ多くの善人を天国へ導くものであると同時に、悪人を徹底的に排除するものでなければならない。どうやら善行を条件にするのは難しそうだ。

 そこで逆説的に、悪い行為をした人間を排除する方向で考えてみることにした。これはうまくいきそうに思えた。少なくとも悪行を行った人間は天国に来ることはなくなるのだ。

 では、悪人の条件とはなんであるか。現在の地上の様子を考え、一つの結論に至った。

 差別、である。肌の色や出身地でその人を判断する差別こそ、現在の地上で最も悪なことだと見なされているのだ。すなわち、差別を生前行わなかった人間の魂のみを天国へ導けば、悪人が天国へ来ることはなくなる。

 さっそくテストが行われた。新しくシステムが組まれ、差別を行わない人間の魂が機械的に天国へ行ける仕組みが整えられた。今までは人間の生涯をすべて観察し、長い時間をかけて判別していたものが、ほとんど自動で行えるのだ。結果として、作業は格段に効率化した。

 また、このことで、天国で何か問題が起こる、ということこともなかった。天国の住民たちはどの人たちも分け隔てなく平等に他人に接し、広がる大自然の豊かな恵みをそれぞれ享受した。天国で争いが起こることもなく、人々は腹が減れば木の実を食べ、歌い、そして踊る。それだけののんびりとした生活を全うした。

 まさに万事が順調に思えた。神さまも仕事をする必要がなくなり、また以前のようにのんびりとした生活をすることができるようになった。


 それから数十年の月日が流れると、ある問題が発生した。

 天国へ行く人間の魂の数が突然、ガクンと減ってしまったのだ。

「やや、これはいかん。何か地上であったらしい」

 神さまはあわてて望遠鏡で地上の様子を確認してみることにした。

 地上では大きな問題が起きていた。そこかしこで大きな戦争が起きてしまっていたのだ。憎しみと疑心の渦がうずまいている。

 結果として、善人と思われる人の条件も変わってしまったらしい。差別、ということは人間の本質であり、さけることのできない本能である、ということが、地上の普遍的な共通認識となった。他のコミュニティとの衝突を回避するため、人間のグループは同族同士で交流し、他のグループと接することを避けるようになっていったのだ。

 神さまは、頭を抱えた。せっかく善人の条件を設定し、選別作業が円滑に行われるようになったのに、こうも簡単にその条件が変わられてはやっていられない。しかし、人間の数を考えるとまた以前のように逐一観察する作業を行うことはすでに不可能だ。

 天使団を呼び緊急会議を行う。その結果、新しい善人の条件を設定しなおすことにした。人間の考えというのは時代によって異なり、絶対的な価値基準というものは存在しないらしい。神さまたちはその時代に即した善人の条件をその都度設定しなおすことで合意した。これで、当面の間は問題ないだろう。神さまたちは安心して仕事にとりかかった。


 しかし、それから数千年が経った頃、予想もしなかった事態が巻き起こってしまった。天国内の住人たちの間で争いが起こるようになってしまったのだ。

 善人の条件をころころと変えてしまったことで、多様な魂たちが天国で新たな人間として誕生した結果である。

 争いは競争を生み、競争は進歩を生む。いままで野生動物のように楽しく楽園で暮していた人間たちはついには天国内で文明を作りあげてしまった。その文明は知識の蓄積から天国の状況を観察し、科学と呼ばれるものを使い、すべてを解き明かそうとした。

 今では天国のことを地球と呼び、その価値ある資源をめぐって今日も争うのだ。

 しかも、天国へ来たことで自信をつけたらしい。地上の人間に比べ、新しい特性を備えていた。絶対に自分が正しいと思いこみ、独善的で、独りよがりな……

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善人の条件 かずシ @kazushi1016

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