第15話

「しまった…」


勢いよく奥に進んだまでは良かったが、ここから施設は大きく二つに分かれていて標的がどちらに行ったか分からない。

言わば男性が利用する建物と女性が利用する建物を分ける分岐場所だ。


下級冒険者の宿泊施設はかなり汚く、しかも全て男女共用である。

当然部屋も男女別にはなっていない。

個室などなく同じ部屋を赤の他人と共用して使用するためグレタは冒険者になった時に案内されたが入宿を拒んだ。

それでまだ金の無い時代に比較的安めとはいえ一般の宿で寝泊まりしなければならず、宿泊料捻出だけでも四苦八苦した嫌な思い出がある。


それで中級冒険者に昇格し、ギルド運営の宿がかなり綺麗らしいと聞いていたので現在グレタがいるこの施設で寝泊まりするようになった。

この中級冒険者の宿泊施設は入り口は一つだが、建物が前の建物と奥の建物の二つに別れている。

前の建物が男性宿、奥の建物が女性宿だ。

しかも下級冒険者宿と違って個室制で、建物も部屋も比較的綺麗である。

入った時にグレタは下級冒険者宿との余りの違いに吃驚した程だ。

下級冒険者宿あそこって一体…」

そう考え呆れた。



「困ったな…」


懐かしの中級冒険者の宿に足を踏み入れたものの、追っていたローブの奴がどっちに行ったのか分からない。


「どっち?」


女性用の奥の建物の構造ならグレタも知っているが、前の男性宿の建物の構造は知らない。

何せ入った事がないから。


「………」


判断に詰まるが取りあえず奥の女性宿に行く事にした。

知っている場所から探した方が効率が良いから。

ローブの奴の目的は分からないが入り口での事務所スタッフへの殺傷沙汰から見て、誰かを殺しに来た可能性は高い。

ならば…狙われれば女性の方が危険度が大きいだろう。

男性は…正直自分の身は自分で守ってくれとしか言えない。

そう考え、グレタは奥の建物に向かって早足で進む。


そして奥の建物に到着。

前の建物周辺は男臭かったが、奥の建物に着くと女臭くなる。

この辺りは相変わらずだ。


「さて…」


素早く一階の通路を見る。


「………」


特に変わった様子はない。

ちなみにこの奥の建物は五階建てであり、一階辺りの部屋数もかなり多い。

しかし全部の部屋が埋まる事はまずない。

何故なら中級冒険者の女性の数は下級冒険者に比べて随分と減るからだ。

それに中級冒険者辺りになるとそこそこの一般の宿にも宿泊出来る金銭的余裕が出るため、別宿を利用する者達も多くなる。


グレタは目を凝らし耳を済ませた。

部屋の扉が開いていないか…部屋から何かしら争う物音はしないか…

少しざわつきのある昼間と違って深夜帯は特に音の響きが良く伝わってくる。


「………」


しかし一階にはそうした音は聞こえない。


「………」


無言のまま階段を上り二階へ上った。

そして同じように目を凝らし、耳を済ます。


「………」


ここも特に異常はない。

そして三階へ。


「……?」


三階に上ったグレタは音を拾った。

それはドアをノックする音。


「………」


音は三階ではなく四階から聞こえてくる。


「上?」


取りあえず三階は後回しにして、四階に上がってみた。

そして壁に隠れ、そっと四階の通路を見てみる。


通路の奥、そこにはあのローブの奴がある部屋の前に立ちドアを静かにノックしていた。


「………」


遠くから隠れてそれを見ながらグレタは考える。

ローブの奴の目的は今叩いているドアの部屋に住まう誰かだろう。

問題はこのローブの奴と部屋の住人との関係である。

管理スタッフを殺傷した事から考えても、ローブの奴は部屋の住人を殺すつもりでここに来た…と考えた方が妥当だろう。

しかしここで疑問が生じる。

このローブの奴は何故パフュームの家襲撃には加わらず、離れたここにわざわざ走って来たのか?…だ。

二カ所同時攻撃を繰り出すには、これは効率が悪過ぎる。

同時攻撃をするつもりならばローブの奴はこの近辺で最初から潜んで時間が来れば中級冒険者宿に乗り込めば良いだけであって、わざわざパフュームの家からここまで走ってくる理由がない。


「何?、一体…」


考えれば考える程訳が分からない。


そもそも何で同時攻撃?。


「私達と中級冒険者の誰かを同時攻撃って何?」


コンコン…コンコン…


尚もしつこくドアをノックするローブの奴。

それにしても部屋の住人は居るのか居ないのか。

居ないのならローブの奴は間抜けでしかない。

居るのに出ないなら警戒されている事になる。

当然だ、こんな夜中に訪ねてくる者がいれば誰でも警戒するだろう。

それとも爆睡していて気づいていないのか。


そう思っているとローブの奴がドアに向かって何か話し始めた。


「男の声…」


ローブの奴の声は男である。

どうやらドア越しに部屋の住人と話をし始めたようだ。

グレタは最大限聞き耳を立ててみる。

階段の側にいるグレタには通路の奥にいる男の声はいまいち聞き取れなかったが、リヴ…や私…一緒に…ファング…やり直そう…と言った言葉が男のぼそぼそ声で何とか聞き取れた。


「ファング?」


そう言えば中級冒険者グループにそんなのがいる事をごくごく最近にエレンの話で知った。

と言うか「いた」と表現する方が正しいか。

この間のマルルンド騒動において仕事を受け行っていたリーダーと魔術師は死亡。

神官リヴは攫われ重傷を負うもエレン達によってダナウダの森から救出された。

その後、神官は魔法戦士フィンと共に都に戻ってきたがファング自体は登録抹消になった。


「ファングの元メンバー…か?」


ならばあの部屋は神官が住んでいる可能性は高い。

男は…魔法戦士?、いや、確かもう一人メンバーがいた筈だ。



ガチャッ


部屋のドアが音を立てて開く。

その部屋から出てきたのはリヴだ。

そして…ローブの男は被っていたフードを後ろに外し、素顔を見せる。

男は賢者のトールである。


「んー…」


どちらもグレタはその顔をまったく知らない。

しかし、どうやら二人はそのファングの元メンバーらしいというのは理解出来た。


「……!」


その二人が会話しているのを少し見ていたグレタだったが、男が女の手を取り強引に引っ張ったため、ここらで見学は終わりである。


グレタは階段フロアから素早く通路を走り、男と女の立っている場所まで駆けた。


「な!?」


一気に詰め寄られ、掴んでいた右手の手首に手刀を受けてリヴを離すトール。

一瞬の事で何が起こったのか判っていない。


「大丈夫?」


「え…ええ…」


突然現れた女に言われてリヴは頷く。

そんな二人の姿を見て、ようやく状況を把握したトールは目の前に現れた女に問うた。


「何ですか?、君は?」


「パフュームって言えば解るよね?」


「……まさか、つけて来たのですか?」


「そうよー、取りあえず大人しくしなさいね」


「驚きましたね、まったく気づきませんでしたよ」


グレタの言葉にトールはまったく動揺する事なく冷静に答える。

その態度にグレタは少し違和感を感じた。

自分は捕まらない自信があるとでも言いたげだ。


「幾つか聞かせてもらうわよ」


「どうぞ」


「まず、アンタはファングのメンバー?」


「おや?、どうして分かったのですか?」


「今の話を少し聞いてたから」


「なるほど、階段近くからは離れているのに耳が良いですね」


「答えなさい」


「確かに私はファングのメンバーでトールと言います」


「て事は貴女がリヴ?」


「は…はい」


グレタに聞かれリヴは小さな声で頷いた。


「え…と、あの…」


リヴに取ってはグレタは初対面で何故自分の名前を知っているのか分からなかったが、パフュームと名乗った事からエレンさん達から自分の事を聞いていたかも知れないと気づき言葉を飲んだ。


「ん?、何?」


「いえ…」


そんなリヴから目を離し、再びトールに向き合う。


「で、ファングのトール、ここで何してんの?」


「何とは?、私はただリヴを迎えに来ただけです」


「迎えにって…どこに連れて行くつもり?」


「もちろんファングの再結成ですよ」


「はぁ?、アンタここの入り口で暴れておいてギルドでの再結成なんて無理に決まってるでしょ」


「え…、入り口で暴れた…て…何ですか?」


状況が飲み込めずオドオドと聞いてきたリヴにグレタは答えた。


「入り口の管理事務所のスタッフを二人刺したんだよコイツ、一人は重傷、一人は足を負傷ってとこ」


「え?」


驚いた表情を見せるリヴに無表現のトールは言う。


「彼等は私の邪魔をしようとした、リヴを迎えにきた私の邪魔をね、だから排除した、当然の事です

そう、これは罰なんですよリヴ」


「ト…トール?、…何を言っているの?」


それはリヴの知っているトールとは明らかに違った。


「ファングは不滅なんだ、ケネスもハンネも死んでしまったけれど、私とリヴがいればファングはまた再び蘇るんだ、分かるだろリヴ?、分かるよね?」


「トール?…どうしたの?、何を言っているか分からない…」


リヴのその反応を見てグレタはトールの前に立ちふさがる。

コイツの性格や普段の言動は接していないので知らないが、リヴがおかしいと感じている限り普段とは違うのだろう。

何より今言っている事が明らかに異常だと思ったからだ。


「どいて下さい、君も私の邪魔をするのですか?」


「まだ質問は終わってないよ」


「何ですか?」


「ファング再結成なんて好きにすればいい、問題は私達パフュームの家を襲った事ね、何の為?」


「ああ…ある者が君達を殺せと命じたんですよ」


「ふーん、それって誰?」


グレタ的にもそれを聞いて大人しく答えるとは思っていない…があえて聞いてみる。

しかしトールから意外な答えが帰ってきた。


「魔族の女性です」


「……は?」


それを聞いてグレタは髪の毛は逆立ち全身の毛穴が開く感覚を覚えた。


「魔族の女?、本気で言ってんの?」


「嘘ではありませんよ、私は契約を交わしましたから」


「契約?、どんな?」


「君達パフュームの命と引き換えに類い希な力を与えてくれると」


その言葉が言い終わるか終わらないかで、トールの体から黒と紫色の極めて邪悪なオーラが立ち上る。


「これは…」


間違いない、嘘ではなく本当だ。

黒と紫の邪悪なオーラ…これを目にするのは初めてではない。


「く…」


グレタの脳裏に二年前の悪夢が蘇ってくる。


「逃げなさい!!、リヴ!!」


グレタはそう叫びながら素早く短剣を引き抜き、戦闘体勢を整えた。


「でも…」


逃げろという言葉に躊躇うリヴ。

しかしグレタは更に促す。


「早く!!、コイツは魔族と契約して怪物になった」

「怪物?、トールが?」


リヴの目には異常ではあるが、姿はいつものトールと一緒だ。

怪物になったと言われてもピンとこない。


「それはどういう…」

「モタモタしない!!、行きなさい!!」


グレタの剣幕に圧されてリヴは一階に降りるため、階段まで走った。


「リヴ?、なぜ逃げるんだい?、リヴ、待ってくれ…」


トールは熱に浮かされたような表情でリヴを追おうとするが、グレタに立ちふさがられた。


「私を殺すのが契約なんでしょ?、相手になるわよ」


短剣を目の前に突き出し、グレタはトールの意識をリヴから自分に向けさせた。


「そうですね、ならば君を始末してからリヴを追いましょう」


そう言うとトールは一歩踏み出す。

一方、グレタは一歩下がる。


「どうする?」


グレタは奥歯を強く噛んだ。

現在、グレタの所持している武器は二つ。

一つは短剣、もう一つは…。


「どっちにしても不利ね」


狭い場所には短い剣の方が良いとはいえ、魔族と契約し『魔人化』した者と戦うにはかなり歩が悪い。

もう一つの武器も狭い場所では扱えない。

とにかく室内ではなく広い場所…外に出て戦わなければ勝機は無い。

あと戦闘で必要となるのは普通の剣だが、生憎と立っている通路周辺にはそんな剣は都合よく転がっていない。


「今ここで命を削らせてもらうよ、ミス…あー…えーと…」


「グレタよ、私はグレタ」


「なるほど、ではミスグレタ、安らかなる死を」


トールはそう言うと、拳を握りしめグレタに殴りかかってきた。


パワー!?、厄介」


グレタはそう言いながらトールの拳を避ける。

そのままトールの拳は宿の壁に当たり、貫き破壊した。

壁を崩す大きな音が響き渡る。


「雑ね」


壊された穴の開いた壁の周囲は亀裂が走っているのを埃と煙の中で見ながらグレタは呟く。

パワーは雑だが、直接攻撃力は相当高い。

当たればグレタも無事では済まないだろう。

しかし…。


「コイツ確か賢者だったんじゃなかったっけ?」


確かファングの生き残りメンバーは神官、賢者、魔法戦士だったと聞いた。

魔法戦士の名前は確かフィンであり、トールではない。

ならばコイツは賢者という事になる。


「賢者なのにパワーって…」


グレタの経験上、契約して魔人化した人間が手にする力は四つに大別出来る。

パワー速度スピード魔術マジック特殊スペシャルの四つだ。


パワーとは文字通り、攻撃力に能力値を大きく割いたタイプで圧倒的な攻撃力で押してくる。

速度スピードは恐ろしい速さで攻撃を仕掛けてくるタイプ。

魔術マジックは自分の得意とする魔術を一つ長年に渡り極めた程の威力で出せる。

特殊スペシャルは一つの不可思議な能力で戦ってくる。


この中で最も厄介なのは特殊スペシャルだ。

何せどんな能力なのか初戦ではまったく分からないため、危険度は高く非常に戦い難い。

それはそれとして、これらと戦う場合には相性がある。

パワーならアデラが得意とする敵だし、速度スピードならポエルが得意とする相手だ。

しかしパワー、スピードと共にメンバー内では平均的な能力値しか持たないグレタはこのパワー速度スピードの二つとは相性が悪い。


「普通賢者なら魔術か特殊でしょうが!!」


そう言いたいグレタ。

しかしそうも言ってはいられない。

次々と繰り出されてくる殴打を間一髪避けながら、リヴが逃げるだけの時間を稼ぐ。

しかしそろそろグレタ的にも限界だ。


「頃合いね」


既にリヴは階段を下りて一階の入り口辺りまで行っている…だろう。


「は!!」


グレタは短剣をトールに向かって投げつけた。


「うわ!?」


思わぬ攻撃にトールは一瞬怯む。

短剣は腕で弾かれたが、当たった腕からは血が出てきている。

多少のダメージは与えたようだ。

それを見てグレタは少し笑み、全速力で階段まで走る。


魔人化したとは言っても所詮はまだ『覚醒』していない魔人の卵でしかない。

剣さえあればまだ自分一人でも十分に倒せるレベルである。

問題は剣だが、それをどうするか走りながらグレタは考えた。



ダダダダダダダダーーーッッ

ダンダンタンダンダンダンダン!!


大きな音を立てて階段を走り下りるグレタ。

三階から二階、そして一階まで一気に駆ける。

途中少し後ろを振り向けば、トールは追いかけてきている。


「うひゃ!!」


グレタは甲高い声を出した。

こんな緊張感は久しぶりだ。


「早く早く早く早く早く早く!!」


全力で逃げるグレタ。

一階の女性宿と男子宿を分ける通路に辿り着こうとした時、事務所スタッフ殺傷事件の騒ぎを聞きつけた男の冒険者の何人かが起きてきて通路を塞いでいるのが見えた。


「どいてどいてどいてどいてどいてどいて!!」


大声で叫ぶグレタ。

その声に男達は驚いて通路の壁側に寄り道を空けた。

その開いた真ん中を走り抜けるグレタ。

しかし邪魔はまだいた。

管理事務所の前に複数のギルドスタッフらしき連中が出口を塞いでいる。

しかもリヴがスタッフ達と話をしている。

逃げてきた時にリヴがスタッフから呼び止められて、事情を説明している真っ最中なのだろうがグレタに取っては邪魔だ。


「どいてどいてどいてどいてどいてどいてどいて!!」


再び叫びながらグレタは出口に向かって突進する。

ギルドスタッフ達はギョッとして道を空けた。

丁度その時、グレタを追いかけていたトールの目の前に出口に向かって走っていったグレタを唖然として見ていた男達が目に入った。


「邪魔です」


通路を塞いでいた二人の男を左右の手で払いのけた。

その威力で二人の男は壁にめり込み、巻き込まれたもう一人が壁に叩きつけられた。


「リヴ!!」


スタッフと話をしていたリヴの手を取り、グレタは勢いよく出口から宿の外に飛び出した。

そのまま五・六歩ほど走り、リヴの手を離し入り口に向かって振り向く。


その瞬間、ギルドスタッフ二名程を外に吹き飛ばしつつトールもまた外に飛び出てきた。

哀れギルドスタッフ二名はそのまま地面に叩きつけられた。


「さて…と」


グレタは腰に手をやる。


「リヴ、どうして逃げるんだい?、僕たちは仲間じゃないか…困った人だ、後でお仕置きだよ」


トールは目に入ったリヴに向かって言う。


「トール…いゃ…来ないで…」


リヴは尻餅をつき今見たトールの力に歯をカチカチ鳴らして怯えた表情を見せた。


「怖がる必要はないよリヴ、君もまた魔族と契約して素晴らしい力を手に入れられるんだよ、そしてファングを復活させるんだよ、今度こそ最強のファングをね」


「フィン…フィン…助けて…」


リヴの小さな声にトールはあからさまに不機嫌そうな顔になる。


「フィン?、あの無能がどうしました?、そうか…アイツが君を苦しめているんだね?、ならば殺してしまおう、それがいい、そうしようリヴ」


「ひぃぃ…」


トールの言葉にリヴはもはや声も出せなかった。


「そもそもアイツが…アイツがいたからファングは駄目になったんだ、あんな…何の才能もない屑が私たちのメンバーにいたのが間違いの始まりだった…

全てはアイツのせいだ…そうだ…アイツに責任を取らさせないと…」


狂気に血走る目をフィンがいるだろう男子宿に向ける。

と、その時トールの顔面に衝撃が走った。

そのまま倒れ込むトール。

一体何が起こったのか一瞬分からなかったが、どうやら攻撃されたらしい事は地に倒れて数秒で何となく分かった。


「あー馬鹿馬鹿しい」


ヒュンッとグレタは鞭を一振り振るう。


「アンタ達の馬鹿みたいな喧嘩にこっちを巻き込むんじゃないわよ」


腰に巻きつけバラけないようにとめていた第二の武器は解放され、結界のようにグレタの周りを踊った。



鞭には大別して二種類ある。

軟鞭と硬鞭だ。

戦闘用に使用するならば棒状の硬鞭を用いるのが普通だが、世間一般で鞭と言うと長細く、奴隷や家畜を打ったりサーカスで猛獣等を打ったりする握る部分以外は軟らかい鞭だ。

グレタの持つこの鞭も通常の鞭であり、速度はかなりの速さで打ち出せるが攻撃力は硬鞭程にはない。

とは言え人間相手には十分殺傷力はある。

しかしリーチは長く中距離からの攻撃が出来る反面、接近戦に持ち込まれると対応が難しくなる。

当然の如く、魔物との戦闘においては武器としてはかなり怪しい部類に入ると言えよう。


鞭を手にトールと対峙するグレタ。

短剣が無い今、これで何とかしのぐしかない。


「リヴ、離れていて」


今だに尻餅をついているリヴにグレタはそう言った。

それにしても反応の遅い子である。

少なくともパフュームのメンバーにこんなモタモタした動きをする者は誰もいない。


グレタの言葉にリヴは頷き立ち上がる。

それを横目で見ながらトールも同時に見る。


「鞭…とは…、隠し持っていたという事か…」


倒れていたトールは起き上がり、グレタの持つ武器を確認する。

顔を打たれて少し頭にきたトールだったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「タフね、そのまま気を失ってくれてた方が助かったけど」


「…そんなモノで私を倒せるとでも?」


「さぁ?、やってみないと分からないわよ?」


勿論無理である。

普通の人間なら気絶させる事は可能だ。

しかし『魔人化』して防御力も上がっている奴を相手には効果は薄い。

ここは何としても剣を手に入れるしかない。


「早く来い…」


口の中で呟き、トントンと鞭のグリップを指で軽く叩く。

剣をゲットするならさっき入り口辺りにいたギルドスタッフたちからだろう。

もしくはこの騒ぎを聞いて起きてきた冒険者連中だが、出てくる気配はまだない。

こうなれば会話を長引かせて時間を稼ぐしかない。


「一つだけ気になる事があるわね」


「…何ですか?」


打たれて痛む箇所をさすりながらトールはグレタの言葉に乗ってきた。

トールタイプの人間は言葉に重きを置くパターンが多い。

逆に雑な奴は会話を切って問答無用で攻撃してくる。


「アンタはリヴを迎えに来たんでしょ?」


「そうですよ、それが何か?」


「私達の家まで出向いてきていたのは何で?、向こうは向こうで任せて最初からこっちに来たら良かったんじゃないの?」


「ああ…、ああいった金で雇った者達は見張ってないとちゃんとやるかどうか分かりませんからね、だから家襲撃の直前までは立ち会いました」


「なるほど、雇われか…て事は奴らはアンタの様に契約してないって事ね」


「その通りですよ」


それを聞いてグレタは安心した。

連中まで契約魔人だったのならシーグリッド一人では対応出来ないだろう。

しかし単なる雇われの…恐らく冒険者崩れか街のゴロツキ連中相手なら一人でも何とかなる。


「それにしても…」


それにしてもバカ正直に答えてくれるモノだ。

賢者とは所詮肩書きだけか。



じゃり…


「……!」


突然グレタの耳に砂を踏む音が間近で…いや後ろから聞こえた。

トールとの会話や宿の入り口辺りに意識を集中させ過ぎて、背後から近づいてくる者の存在に気づかなかったのだ。


「何!?」


グレタが咄嗟に振り向くと、そこには奇抜なデザインの赤い服を着た女が剣を携え立っていた。


「誰かな?」


剣を持っている所から冒険者らしいのは分かったが、その顔は見た事がなくグレタは知らない。

その赤い服の女はトールに視線少し向け、グレタに戻し言った。


「はい、私はレッドモア、A級冒険者です」


「レッドモア?」


どこかで聞いた名だ…。

どこだったか?、確か…。


「貴女は?」


モアの言葉にグレタは思い出すのを止めた。


「私はグレタ、上級冒険者よ」


「……状況をご説明下さい」


彼奴トール中級冒険者宿ここを襲って女子リヴを連れ去ろうとした…てトコ?」


面倒な説明は省いて簡潔に述べたが、果たして通じているものか…。


「なるほど、犠牲者は出ましたか?」


通じたみたいだ。


「何人か出てるよ、ただ気をつけて、何か人間じゃない力を身につけたみたい」


「なるほど」


そう言うとモアはグレタと対するのとは違って、やや低い声でトールに話し掛けた。


「久しぶりだな、トール」


「……そうですね」


「ファング再結成の為にお前が出した答えがこれか?」


「仕方がないでしょう?、それに私は力を手にしました、もはや誰の力も借りる必要もありません」


「力を手にしただと?、何をした?」


「魔族との契約ですよ、それで私は人間には無い力を手にしたんです」


「……なるほど」


そう言うとモアは剣を抜きはなった。


「人外の存在になったのならギルドの掟に従ってお前を殺さなければならない」


「……くくく……くくくく……あはははははは」


笑い出すトールにモアは目を細めた。


「何が可笑しい?」


「くくく……はは……

そうでしょう?、貴女は確かに強いがもはや私はそれを凌ぐのですよ?

A級如きなど敵ではあ……」


言っているその途中で大型の犬が横から走ってきてトールの腕に噛みついた。


「な?」


いきなりの攻撃にトールは体勢を崩し、地に倒れ込む。


「何だこいつは!?」


引き離そうとするが、牙が腕に食い込み無理に離そうとすると肉ごと引きちぎれる。

しかしとにかく引き離したいトールは犬の頬を殴りつけた。

魔人化したトールの力に犬は吹っ飛ぶ。

しかしトールの腕もズタズタに噛み千切られた。


「うあぁぁぁーー!!、くそ…くそーー!!」


腕の状態にトールは絶叫した。

しかしこれがトールの最後の叫びとなった。


「二刀流」


持っていたもう一本の剣も抜き放ち、モアはトールに向かって走る。


「円舞」


そして左右に持った剣を円を描くように振るった。

その剣技はトールの首を勢いよく飛ばす。


「おお…」


これにはグレタも感嘆した。

実に鮮やかで清々しい剣技だ。


「………」


剣を鞘に収め、モアはトールの胴体を見た。

そして地に転がった首を目を走らせ見つけて溜め息をつく。


「今の様子だとある程度は把握してた?」


剣を収めたモアにグレタは話しかける。


「まぁ…、トールが最近怪しい動きをしているらしいという事は…と言うか上級の貴女がなぜここに?」


「えーと…」


さっきはバタバタして話せなかったグレタの事情を話した。


「パフュームさんのメンバーの方でしたか」


「そう」


「トールがご迷惑をお掛けしたみたいでお詫び致します」


「別に貴女が謝る事じゃないわ」


「そうなんですが…」


中級最上位であるA級持ちのモアには中級冒険者全体のリーダー役としての役目も負っている。

別にそれは義務ではなく、無視してもよい程度の話だがモアは真面目に取り組んでいた。

ただ多少は肩の力を抜いた方が良いとはモア自身も思うが、中々その多少が身につかない。

困ったものだ。


「それはそうとお家の方は大丈夫でしょうか?」


モアが気になったのはそれである。


「まぁ、大丈夫だと思う、ほら、うちのメンバーはめっぽう強いから」


めっぽう強いと聞いてモアは少し苦笑した。

しかし安否が確認出来ていない以上モアもこれ以上何も言えないし、グレタも心配なのは確かである。

むしろ今一番心配しているのはグレタだ。


「こちらの方は任せて家に戻って下さい」


モアの言葉にグレタは周囲を見る。

リヴはへたり込んで泣いているし、宿からはギルドスタッフや冒険者達がぞろぞろとようやく出てき始めていた。


「そっか、なら後は頼んだわよ」


「はい」


ポンとモアの肩を叩きグレタは家に向かって走り出した。



「だる……」


走り出して暫くするとさすがに体力的にしんどくなってきた。

考えてもみれば家からずっと早足で尾行してきていたのだ。しかも契約魔人との戦闘付きである。

更に言うと前日から寝ていないのもキツい。


「ちょと…タンマ…」


一旦立ち止まり呼吸を整える。

そして急いで腰に巻いた鞭をキチンと巻き直しとめた。


「はぁー、あー…だる…」


深呼吸して、今度はトボトボと歩き出す。

正直急いでも意味がないのは分かっている。

家から尾行して宿について、戦闘なんたらしていたら既にあれから一時間以上経過していた。

家の方は既にカタがついている筈だ。

シーグリッドが向かったのだから負けている事は有り得ない。

そうは言っても結果が早く知りたいのは事実だ。

けれども人間の足では限界がある。

今ははやる気持ちを抑えて一歩一歩家に向かって着実に進んでいくのみだ。


「………」


深夜の街道に僅かに響くグレタの足音。

足音を消す技術は実はかなり神経を使う。

実際の所、グレタも極力は使いたくない技なのだ。

何故なら後でくる疲れが半端ないから…そう、まさに今がそれに当たる。


「………」


そう言えば魔人のオーラは久しぶりに見た。

二年ぶりか…。

かつて王国を襲った魔人と怪物群の攻撃が思い起こされた。


「まったく…、嫌なもの見た…」


トールと契約を結びつ、パフューム殺害を企んだ魔族の女。

それは間違いなく「アイツ」だろう。

…いや、間違いであって欲しいとは思う。

二年前に死んだアイツが生きていた…というのは勘弁して欲しいトコロだ。


「…また戦いになんのー?」


例え違うとしても命を狙ってこられている以上、魔族とは再び激突しなければならないだろう。


「あー…面倒くさい」


心の底からそう思う。



明々と燃える街路灯に照らされながら、グレタは進む。

途中で街路灯の火が消えていないかどうかを確認するために巡回している人とすれ違ったたりした。

そう言えばアデラはアレがやりたいとか言っていた。

グレタ的には大した給料も貰えず、毎日毎日夜に起きて同じ場所を巡回して火が消えていたらつけるだけの仕事の何がいいのかさっばり分からないが。


そうこう考えている内に家のある地区に入った。

少し体力が回復してきたのでグレタはまた小走りになる。


馴れた道々を通り抜け、やがて家の近くまで戻ってきた。

周辺に何ら異変はない。

何か争った…とかいう空気は感じられなかった。

そして家の前まで辿り着く。


「あ、ポエル!!」


家の玄関前ではポエルが立っていた。


「あ~グレタ~、やっと帰ってきましたね~」


「何してんのー?、ここで」


「グレタの帰りが遅いんで~待ってました~」


「そっか、皆は?」


「全員無事ですよ~、悪い奴らは捕まえて警備兵さん達に連れて行ってもらいました~」


それを聞いてグレタは肩の荷を下ろし、「はーー」と息を吐いた。


「心配してたんだけど全員無事なら何よりね」


「はい~、てゆーか~私達が心配してました~、中々帰ってこないですから~」


「それねー、話せば長くなるし」


「取りあえず入って下さい~、皆待ってますから~」


「そだねー」


「ただ~、少し散らかってますけど~」


「散らかってるって何?、えっと…あー」


戦闘があったのなら中の状態は想像がついた。


「片付け?」


「大体は終わりましたけど~」


「OK、分かった、取りあえず入ろう」


「はい~」


グレタは玄関のドアを開け、まだ少し散らかっているだろう家の中に入った。

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