淡いようで濃い

 エアコンの無い留置所で汗を掻き、目覚める。辺りを見回し、自宅でないことにため息が漏れる。


(はぁ、カカさんとミーに会いたい……)


 喉が水分を求める、配給されたペットボトルの水を飲みゴクゴクと飲み干した。鏡の前に移動し顔を確認する。相変わらず冴えない顔だった。


(確か計算上では、今日は三十三トン位まで上げられるはず……、なに三十三トンって……? 俳優が断捨離だんしゃりで、三十三トン不用品捨てたってニュースあったなぁ)


 落ち着いたら、この力を使ってゴミ拾いでもしようかと考える。ヒーローとしては地味に感じるが、それが正しいことのように感じる。


 顔を洗い歯を磨く。普段はしないが冤罪えんざいに立ち向かうべく、準備運動をして身体をほぐす。


『おはようございます』


「はい! おはようございます」


 元気よく挨拶を返すトット。


『朝の運動は良い、身体に生気が通うのを感じます』


「そうですね! 恥ずかしながら普段はやってないのですが、こんなに気持ちが良いなら明日からも……、どちら様ですか??」


 男は両手を後ろに組み、地面からピンと真っ直ぐに立っていた。仕立ての良いスーツにはシワひとつなく、気品が漂っている。短く揃えられた白髪は一本の違いも許されず後ろへと流され凛々しい顔を引き立てていた。歳の頃は分からず、服の上からでも分かる細密さいみつに鍛え上げられた肉体は、鋭気あふれる若者のようでもあり、老練ろうれんな顔立ちは年老いた学者のようでもあった。


「あれっ? えっ?? 何時いつからそこにいらっしゃったのですか?」


 ジワリジワリと疑問が湧いてくる。見晴らしの良い留置所の廊下、歩いてくれば気付かないはずがない。


「そうですね、貴方が目覚める前からとでも言っておきましょう」


 低く細い声なのに、耳元で言葉をささやかれているかのように感じる。驚き、つい耳を触る。


 遠いようで近い、あわいようで濃い。


「貴方様は幽霊ですか??」


 あまりに不確かな存在に、思わずアホな質問が口を走る。


「いいえ、私は生きています。貴方と私の生きた人間の定義が同じならですが」


 クックックッと短く笑う。笑うという表現が当てはまるのなら、彼は確かに笑っていた。


「そっ、それは失礼しました。最近変な力が身につきまして、その……、幽霊も見えるようになったのかと勘違いしまして。お恥ずかしいです」


 ポカンと口を開け、今だに夢を見ているような気がしてくる。


「その、失礼ついでにお聞きしますが、どなた様でしょうか?」


 本日二回目の質問をする。


「おっと、私としたことが申し遅れました。『からす』とお呼び下さい」


 スルスルとお辞儀する烏。


「それはそれはご丁寧に有難うございます、小沢時寺とうじと申します。みんなからはトットの愛称で呼ばれております。はい」


 ギクシャクとお辞儀を返す。格子こうしを挟み、挨拶が交わされた。


「そのからす様は、私にどう言ったご用件でしょうか??」


「様など敬称は付けずに、呼び捨てにされて結構ですよ。本日は貴方に会いたく、やって参りました。貴方の人となりに大変興味がありまして」


 深い皺を更に深くして笑顔を貼り付ける。付け替えたような笑顔に背筋が段々と冷えてくる。


「私にですか?? あのぅ、大変申し上げ難いのですが。あっ、良ければ私の動画を見てもらえたら、今ちょっと立て込んでおりまして……、分かりやすいかと……。宣伝じゃないんですけど」


 しどろもどろになり不安定になるトット。


『どうも最近の流行はやりにはうとくて、幾つか質問しても宜しいですかな?』


「あっ、はい」


『貴方の一番好きな人は?』


「家族です、はい」


『貴方の一番悲しいことは?』


「えっと……孤独? ですかね」


『貴方の一番嬉しかったことは?』


「それはミーが、娘が生まれた時です」


『貴方の一番望むことは?』


「家族と一緒に歳をとるです」


『貴方の一番怖いと感じることは?』


「ことというか……、その…………、烏さんが怖いです」


 烏その者もそうだったが、機嫌を損ねてはいけない、怒らせてはならない空気に今まで感じたことのないを感じていた。今ではハッキリと全身が震えており、かいた汗が凍りつくように全身をおおっていた。


「それは大変申し訳ない! どうも私の悪いところのようでして……。あまり長居してもご迷惑ですかな?」


 迷惑とはカケラも思っていない、寧ろトットの変化を楽しんでいるような声で謝る。ブルブルと震え返事が出来ないでいると、話を続ける烏。


「ふぅ、どうも御迷惑なようですね。残念です。このままでは申し訳ないのでひとつ、貴方の喜ぶ情報を差し上げましょう」


 右手の人差し指を立て、言う。辛うじて指までは視線を上げることが出来たトット。


「木村、と言えば理解出来ますでしょうか?こちらに所属する人間なのですが、怪我も無く、元気に生きていますよ」


 木村の名前に脳が反応する。だが身体は言うことを聞かなかった。


「もっと喜ぶと思ったのですが……。そうですか、ではそろそろおいとましましょう。あっそうでした、それとお知らせがあります。準備はもう直ぐ整いますので、楽しみにお待ち下さい」


 烏の姿が見えなくなると、トットは直ぐに洗面器に向かい朝飲んだ水と胃液を吐き出す。全ての内容物を吐き出しても嘔吐感だけがいつまでも続く。


楽しみにお待ち下さい。


楽しみにお待ち下さい。














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