031 不適切な関係の清算

 渾身の力を込めて振り下ろした枯れ枝は、確かにトラ子の側頭部に直撃した。

 これまで何人もの頭蓋を叩き割ったり腕をへし折ったりしてきた枯れ枝がだ。


 しかし、今回に限っては手応えがまったく違っていた。

 枯れ枝はまるでのように、ペキリと情けない音をたてて真ん中から折れてしまったのだ。


 期待はずれの感触に困惑こそすれど、僕はすぐさま枯れ枝の残骸を投げ捨て、かわりに秘本ちゃんをトラ子の頭に思いきり叩きつけた。


 今度はいつも通りのズシリとした感触。

 いいね。


 間髪入れずに幾度と無く秘本ちゃんを叩きつける。全身を縛り上げられたトラ子にはそれを避けるすべも無く、秘本ちゃんが叩きつけられる毎にトラ子の頭は地面を跳ねた。


 どれだけの時間をそうしていたかは分からない。息が切れ、腕が上がらなくなったところでやめた。

 並みの人間なら、頭部をこれだけ散々に打擲ちょうちゃくされれば確実に死ぬ。


 だが果たしてコイツの場合はどうだろうか。


 ぐったりと横たわるトラ子の体を蹴り転がして、恐る恐る顔を覗き込んでみた。

 トラ子の顔は土ぼこりにまみれて、乱れた毛髪に覆われている。

 そして、その乱れ髪の隙間からこちらを覗くトラ子と目が合った。


「どうしちゃったんすか急に?」


 何事も無かったかのように、平然とした声でトラ子は僕に問う。

 僕はその問い掛けに咄嗟に反応できず、喉の奥で僅かに息を漏らした。


 寝転んだままトラ子が頭を振って髪を払うと、まったく無傷の顔が現れた。表情はいつも通りの頭パッパラパーなままだ。

 そのいつも通りの表情がまた、そら怖ろしい。


 とは言え、今さら後には引けまい。

 ここまであからさまに反抗してしまっては、何かしら罰則があるだろう。誤魔化すように適当なことを言いながら、トラ子の挙動を最大限に注視する。


「いやー僕も転がされている間に色々と考えてね。やっぱり今の僕らの関係性は世間一般としてよろしくないんじゃないか? 世間体に鑑みると、いっそのこと、この不適切な関係の清算をしようと思ってさ。どうかな?」


 おっと。口をついて出た言葉に、うっかり本音が垣間見えてしまった。


 そうなのだ。

 『死後に悪魔が現れ、異世界に飛ばされ、ドラッグに溺れて殺人を犯す』

 そんなあまりにも常識はずれの出来事が目白押しだったせいで、そういうもんかなって納得してしまっていた。


 けど、そもそも冷静に考えて異世界ユーチューバー奴隷ってなんやねん!

 まったく身に覚えの無い奴隷契約を強要されている。

 何と言われようが明らかにクーリングオフ案件だろう。


 しかし現実は非情である。

 異世界には消費者庁は存在しない。行列のできる法律相談所も存在しない。

 ゆえに、悪魔の奴隷たる僕はコイツの言いなりになるしかない。意に沿わない行動をすればどうなるか、それは先程のやり取りが証明している。

 コイツがいる限り僕は自由にはなれない。


 撮影スタッフだと言っていたが、結局のところトラ子は監視役なのだ。


 『異世界に送りこまれて右も左もわからないところに、親切なお色気美少女がお世話を焼いてくれる。

 美少女おっぱいちゃんが異世界をナビゲート。

 クラスで目立たない陰キャの僕はここから第二のチーレム人生がはじまるのだ!』


 そんなテンプレストーリーだと思って納得するとでも思っているのだろうか。


 どんなツラの皮を被ろうとも、コイツは悪魔の手先なのだ。

 それが無害そうな美少女のフリをして、まるでゲームに登場するナビゲーター然として当たり前のようにこちらの懐にスルリと入り込んでいる。

 まあ確かにコイツは運営の意に沿わない奴隷をコントロールするのが目的だから、そのようにはナビゲートされているが。

 僕も知らず知らずのうちに良いように踊らされていたし。


 もちろん仮にコイツを排除しても、セーフティ機能が解除されたり奴隷から解放されると決まっている訳でもない。第二第三の手先が送り込まれてくるかもしれない。

 だがこのままでは確実に奴隷のままだ。そしてそのまま使い潰されて死ぬだろう。

 そのようにあのムキムキ悪魔が言っていたことを僕は忘れてはいない。


 他人に流され、悪魔にも流され、ついには異世界に流れついてしまった僕だ。

 どうせここで誤魔化しをしていても、何かしら理由をつけてさっきみたいに『アバババ』ってやられる事になるだろう。僕がトラ子ならそうする。

 だってヤリタイ放題が撮りたいのだから。

 どの道、僕はヤルしかない。

 異世界に来て僕が学んだことは、殺人・ドラッグ・女犯とロクなものではないが、いまこそそれらを活かす時。


 ここでトラ子を始末して、確実に訪れる死より不確実な生に望みを懸ける!


 そんな決意を胸に、未だ縛られたままのトラ子を見下ろす。

 まあ言ってやりたいことはごまんとある。だがここでコイツに言っても詮無いことだ。

 だから必要なことだけ伝えようじゃないか。


「やっぱりこういう関係は世間的に良くない。だから僕たち、もう別れよう」

「奇遇っすね。アタイもそうしたいなって思ってたトコっす。だって……」


 万感の思いを込めた言葉は、なぜか図らずも別れ話を切り出す間男のようになってしまった。逆説的に不倫女との別れ話は超重いことの証左でもある。

 そして驚くべき事にトラ子も同じようなことを考えていたらしい。


「……だってあなた気持ち悪いから。仕事だと思って我慢してたけど、もう生理的に無理」


 気持ち悪いて……。

 トラ子によって散々と18禁的成人向けサービスを享受されていた僕は、その言葉に少なからず衝撃を受けた。

 あんなノリノリでプレイしていたのに、アレ嫌々だったの……?

 唐突に吐かれた告白に色々なプレイの記憶が脳内を巡り、羞恥心が渦巻いた。

 しかしトラ子が二の句を告げた瞬間にそんな気持ちは吹き飛んだ。


「……だから現場の判断としてアナタを処分をします。キチンと後始末しますね」


 その言葉を聞いた途端、僕は正体不明の恐怖に背筋が凍りついた。

 反射的に秘本ちゃんをトラ子の顔面に叩きつけ、続けざまにムキムキマッチョ悪魔の丸太の様な足でトラ子の腹を蹴り飛ばす。


 しかし羽毛を蹴飛ばしたような感触を残してトラ子の体はふわりと宙を舞った。そのまま後方宙返りをして、不思議なほどゆっくりと地面に降り立つ。


 荒縄で雁字搦めのトラ子がと体を揺する。すると、たったそれだけで全身を拘束していたはずの亀甲縛りがと解けていった。

 そしていつの間にか、その手にあの枯れ枝が握られている。

 その枝、さっき真っ二つに折れたよね? まさか再生したのか?

 まずいぞ、狂人の手に凶器が戻ってしまった。

 

 恐怖と緊張感に震える僕とは裏腹に、トラ子はのんびりと袖を整え、スカートの具合を調整しだした。

 見た目小柄な女性が身支度を整えているだけなのに、猛獣と対峙したようなプレッシャーが僕の胃を締め上げる。

 土ぼこりを払い落としながら、トラ子が乱れた髪を掻きあげた。羽飾りを被り直す。

 こんな時だがその仕草に妙に艶がある。


 やがて身支度を終えたトラ子が朗らかに宣言した。


「さてと。もういいかな? じゃあ、殺りますね」


 その言葉を聞いた僕は一目散に、脱兎の如くダァーっと逃げ出した。



※※※※※※※※



 戦場をひたすらに逃げる。ひたすらに全力疾走。

 驚嘆すべきはムキムキ悪魔ボディである。アンペアだかワットだか言う陸上選手をも凌駕した電撃的スピードだ。

 そして瞬発力だけではなく持久力も抜群である。間違いなく増田●美にも引けをとるまい。


「待ちなさい、往生際の悪い!」


 僕の後方に離れてトラ子が追いすがってくる。

 どうやらアイツは身軽さや跳躍力においては人外だが、単純な走力においてはこの悪魔ボディの方がやや優るようだ。

 障害物の少ない平地におけるトップスピードでは筋力差がモノを言う。力こそパワーならぬ力こそスピード。


 でもいつまでもこうしている訳にはいかない。明美的心肺能力も無限ではないのだ。

 もちろん僕もただ逃げているわけじゃない。諦めてもいない。

 僕は逃げながら、どうにかしてトラ子を始末する算段を考えていた。

 さっきみたいにしこたま殴っても傷ひとつ負わないのであれば、他にどんな方法をとればいいのか。

 刃物で刺せばいいのだろうか、水に沈めればいいのだろうか、はたまた火炙りにすればいいのだろうか。

 そう考えているうちに、実は答えは既に出ていたことにと気付いた。

 本人が言っていたじゃあないか。


 って。


 本家の霊格の高い者ほど、その名を持つ者が受ける影響が大きいとも言っていた。

 トラウィスカルパンテクウトリとやらがなんぼのもんかはよく知らないが、格が高いと信じよう。これでダメなら別の手を考える。


 だから僕は矢を求めて、戦場へ向かって逃げている。

 スーパーやコンビニに矢は置いてないだろうが、中世ファンタジー風異世界の戦場であれば矢の一本や二本は落ちているだろう。

 そいつを拾って上手いことアイツの頭にブチ込んでやれば、問題解決である。

 至極単純なことだ。過程の困難さを考慮しなければだが。

 だか、やらねばならない。


 人はそんな乗り越えるべき困難に直面したとき、どうすればいいのか。

 僕はそれを小学生の時分に教わった。

 みんなで仲良くしなさい。協力しあいなさい。困ったときは大人に助けを求めなさい。

 今こそ、その教えを実践するとき。

 息が切れかけた頃、ようやく目的地が見えてきた。バロメル村の前に陣取るアナンケ勢の本陣だ。

 だから僕はアナンケ勢の本陣に向かって叫んだ。 


「曲者だー! 亜人の女がウゴリーノ様を狙っているぞ! ものども、出会え、出会えー! 暗殺者を捕らえろー!」
















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