020 相撲相撲相模相撲相棒相撲

「相撲しようぜ!」


 僕の叫びに呼応するように、木々達の蠕動がピタリと止んだ。

 散々僕の行く手を塞いでいた枝蔦が静かに引っ込んでいく。


 くくくっ。そうだろう、そうだろうよ。相撲好きの河童ならば今の言葉は聞き逃せまいて。(河童ではない)

 どうやら樹人はぬるぬる珍右衛門さんを前にして、ぬるぬる相撲と洒落込む寸前であったが、僕の言葉を受けてゆっくりとこちらを振り返った。


 ちなみに豆知識だが、東京都に日本ぬるぬ○相撲協会というNPO法人が実在することを付け加えておく。

 内閣府のホームページに記載があるので間違いないはずだ。

 表明されている法人設立の目的は『レクリエーションやゲームの普及啓発に関する事業を行い、コミュニケーションの充実や改善に努めることで、円滑な人間関係に溢れる社会づくりに寄与することを目的とする』だそうだ。


 私見を言わせてもらえば、目的は素晴らしいが手段が間違ってるんじゃないのかな?


 馬鹿な事を考えている場合ではない。

 気を引き締め直して樹人の様子を伺う。よく見ると、節が集まって顔のように見える模様が僅かに歪んだように見えた。口角の様な部分が吊り上がる。

 それは、愉悦だ。


 闇夜の中、月明かりに照らされた虚ろな表情だった樹人の顔が不気味な笑顔に変わった。

 怖いっ、ホラーなんですけど!?


 不気味な笑顔の樹人がジリジリとこちらへとにじり寄ってくる。姿を現した時の様な派手な足音がしない、完全な摺り足だ。両脇を締め、がに股になり腰を落として近づいてくる。


 本気だ。本気でヤル気満々になってしまったな。


 その恐ろしい気迫に思わず腰が引けてしまい、僕は気付いたら腰を落として地面に両手を突いていた。

 僕に続いて同じように樹人が腰を落とし、静かに右コブシを地面に下ろした。


 ……あ、あれっ!? いつの間にか立合いの体勢が整ってしまったぞ!?


 まずい! ホラーな見た目に惑わされている内に相手のペースに嵌まってしまった。完全に雰囲気に飲まれてしまっている。このまま立合えば瞬殺さえてしまうのは目に見えている!


 仕切り直しだ! 残された樹人の左コブシが地面に振り下ろされる直前に、僕は慌てて立ち上がり、間合いを外す。のところで互いの呼吸が逸れ、なんとか一旦仕切り直しとなった。


 樹人はゆっくりとコブシをあげて、立ち上がりながら僕を一瞥した。樹人のその顔には愉悦に歪んだ表情に加えて、臆病者を蔑む内心がありありと見えた。

 おのれ樹人め。

 しかし僕はと言えばすでに負け犬根性のアンダードッグ、もはや抗する術なしだ。 

 しょーがないナー、ゴブリンちゃんには申し訳ないが、ここはモンゴル勢のように無気力相撲で星の譲り合いをするしかないカナー。


 僕は秘本ちゃんメールを使って樹人に白星の売買を持ちかけるべく、秘本ちゃんを持つゴブリンちゃんへと歩み寄った。

 先程の僕の失態を見て、なおかつトボトボと自信なさげに近寄る僕を見て、ゴブリンちゃんはさぞ落胆することであろう。

 ごめんねゴブリンちゃん、このお返しは八百長で得た報酬で美味しいモノを食べさせてあげるから許して。


 そうして秘本ちゃんを受け取ろうと手を伸ばすと、何を思ったかゴブリンちゃんが僕の伸ばした手を取りヒシッと自身の胸に抱き寄せた。ご、ゴブリンちゃん?


「頑張ってください旦那様! 負けないで!」


 ゴブリンちゃんの真摯な声援が森に木霊し、僕は息を呑んだ。澄んだ瞳で見つめられ、無垢な眼差しが僕の濁った心に棘の如く突き刺さる。

 やめてくれゴブリンちゃん! 珍右衛門さんを売ったお金でご馳走するのは嘘だから!


 そうだ。そうだった。この大一番には珍右衛門さんの貴重な尻小玉がかかっているのだった。

 何をやっているんだ僕は。樹人の迫力に精神錯乱して危うく珍右衛門さんをモンゴル牧場に売却するところだったぞ!


「ぬおおぁぉおおぉぅう!」


 僕は雄叫びを上げて全身に力を込め筋肉を膨張させる。モストマスキュラー!

 急激に膨れあがる僧帽筋・上腕二頭筋・大胸筋・広背筋によって、上半身の服が弾け飛んだ。

 続けて、アブドミナルアンドサイ! 極限まで肥大化した大腿四頭筋に耐えきれず、ズボンの太腿部分がはち切れた。


 ボロ布と化して全身に残された服の残骸を引き千切り投げ捨てて、僕は短パン一枚状態になった。そしてさらに短パンの裾を引っ掴み、グイイッと上に引き上げる!

 短パンはブーメランパンツに早変わりして、僕の股間がキュゥッと締め付けられる姿はまさにこれが私のお稲荷さんだ!

 ついでに後ろ側の余った布地を尻の割れ目にギュギュッと食い込ませれば、立派なマワシの完成だい!


「せい! せい! せい! せい! せぇい!」


 僕は近くの立派な木に向かって何度も突っ張りを放った。テッポウ稽古である。一突きする毎に体がグングン温まっていき、気力が充実していく。


 幸いなことにここは異世界。両国国技館と違って『テッポウ禁止』の張り紙はどこにも無い。織田信長垂涎のテッポウし放題、フリーテッポウだ。一突きするごとに白熱していくテッポウ稽古。体が熱いぜ!


「せぇい! せぇい! せぇい! せぇい! せぇい! どおっせぇぇい!」


 テッポウ稽古の最後の締めに気合の入ったブチカマシを喰らわせると、一抱えほども太さがある木が根元からボキリと折れた。


 良し、気合十分だ。樹人なにする者ぞ!


 僕が振り返り睨みつけると、樹人は嬉しそうに小揺るぎた。そして何やら腕を振りあげる。

 すると樹人の周りの木々が蠢き遠ざかり、ぽっかりと広場が出来上がった。


 下草さえも遠ざかり綺麗に整地されたその広場に、大蛇のように絡み合った蔦が這いよってくる。そしてそれは大きな円になって地面に張り付いた。

 その円の直径は15尺だ。計らなくても分かる。土俵と同じに違いない。


 その土俵の上に立つ樹人に向かって別の蔦が伸びていき、樹人の腰に纏わりついた。絡み合う蔦の形が整うとそこにはしっかりとしたマワシが出来ているではないか。

 向こうもいよいよやる気だ。いいだろう、やってやろうじゃないか。


 決意を漲らせ、僕は土俵に歩み寄る。するとそこへ桶と柄杓を手にしたトラ子が近づいてきたじゃないか。


 力水か。それをどこから取り出したのかなど無粋なことは、最早聞くまい。

 トラ子から柄杓を受け取ったゴブリンちゃんが僕に力水をつける。僕は受け取った柄杓から一口だけ口に含み、次いでゴブリンちゃんから渡された力紙で口元を隠しながら含んだ水を吐き捨てた。

 ゴブリンちゃんがどうして力紙を用意を出来たのかは最早聞くま……、やっぱり追求したほうがいい気がするな。


 不意に、今度は視界の端に竹の編みカゴを持つトラ子が目に入った。塩カゴ? 中を見ると塩の代わりに見慣れた例の脱法ハーブ、あの野苺が詰まっていた。こやつ神聖な土俵になんて物を!?

 ……いや、これは先だっての殺し合いを生き延びた際の縁起物か。ならば構うまい。思い直した僕は塩カゴならぬ野苺カゴから野苺をむんずと掴みあげると、土俵に向かってぶちまけた。

 ついでに数粒を口にする。相変わらず舌の先がピリピリして最高にクセになる味だぜ!


 僕は両手で頬をピシャリと張って気合を入れると、ついに勝負俵を跨いで仕切り線へと進んだ。


 樹人はすでに仕切り線の向こうで腰を落として、立合いを今か今かと待ち望んでいる様子だ。頭の上に繁った木の葉がザワついている。

 よし、いざ勝負! 僕も樹人と同じように腰を落とした。


「時間んデッス、マッタァッシ」


 トラ子が傍らに寄ってきて例の枯れ枝を軍配のように立てて声をかけてきた。発声の仕方が庄之助スタイル。キレがいい。


 樹人がゆっくりと右コブシを地に置く。僕もそれに合わせて右コブシを地に下ろした。

 にらみ合う両者の気迫に耐え切れず、ゴブリンちゃんが僅かに呻いた。

 その直後、シンクロするように両者の左手が地面を打ち払った。

 今だ!

 僕は後先考えずにバネ仕掛けのように跳ね上がり、樹人に向かって真っ直ぐに突っ込んで行った。ムキムキボディ渾身のブチカマシを喰らえ!


「ハッキョイ、ノーコッタ!!」


 トラ子が叫ぶと同時に、樹人と激しくぶつかりあった。僕の頭が直撃して樹人は強かに胸を打たれた、はずだ。だが、樹人はお構い無しに僕のマワシに手を伸ばしてくる。

 効いていないのか!? だが低く当たったおかげで僕は二本差しの体勢になっている。を返してマワシを取らせずこのまま寄り切ってやる!

 両脇の下から抱え上げてそのまま寄ろうとするが、しかし樹人は地面に根が張ったように動かない。

 いや、実際に樹人の根の様な足がジワリと地面にくいこんでいるじゃないか!

 それアリなの!? でも今更言っていても仕方が無い。それならマワシを掴んで吊り上げてやるまでだ!


「ヨォーイッ、ハッキョオーイ!」


 だが樹人もさるもの、凄まじい力で腕を絞って僕にマワシを取らせまいとする。

 それどころか巧みに巻き返され、反対に樹人に右下手を差されてしまった。これはマズイかも。僕は必死に左腕でおっつけて、何とか自分のマワシを取られるのを防ぐ。


「ノォッタノォッタ!!」


 すると樹人は差し込んだ右手のを返して僕の上体を起こし、今度は左の上手からマワシを手繰ってくる。

 こいつマジで相撲巧いよ! 


「ノーッタ! ヨォーイッ、ハッキョイヨーイ!!」


 ええい、さっきから煩いぞトラ子! くどい!

 僕がトラ子のショーノスケボイスに気が逸れたその一瞬の隙を突かれ、樹人が左上手と右下手で僕のマワシをがっちり掴んだ。うぎゃああ、十分な体勢になられちゃったぞ!

 その途端にメチャクチャな圧力でガブり寄られて一気に土俵際まで押し込まれてしまった。電車道や、ヤバいでホンマに!

 勝負俵に足を掛け、必死に踏ん張る。それはもう、大便が漏れてもいいくらいの必死さで踏ん張る。ブリーチ、ブリキ、ブリトー、ブリオッシュ、ぶり大根、ブリスベン!(詳細な描写は省く)


 僕の祈りが通じたのか、はたまた魔法の言葉によって気勢を削がれたのか、なぜか僕の腰辺りのマワシを掴んでいた樹人が左上手を離した。すかさず僕は身を捩り土俵際を脱する。

 体を入れ替えたどさくさに紛れて、僕も樹人のマワシを掴んだ。がっぷり四つに組んで土俵際で揉み合う。


「……ョーィ、ハッョォーィ(小声)」


 右四つ、僕の得意の体勢だ。ここが勝負所。

 掴んだマワシを力いっぱい引きつけて相手の上体を起こし、腰を割って樹人を押す。とにかく押し込む。ここからはテクニックは捨てて力相撲だ。借り物の悪魔の身体、血管の浮き出たムキムキでキモい身体だが、力相撲を取るには最適の身体だ!


「ふぬぅおおぉぉう!」


 土俵中央まで押し返してやると、樹人も負けじと押し返してくる。こちらがマワシを切ろうとすれば巧みにられ、反対にマワシを強く引かれればこちらも負けじと頭をつけて押し返す。

 土俵の真ん中で一進一退の押し合いが続いた。

 徐々に夜空が白んでくる。夜明けが近い。

 さぁどうなんだ樹人よ。樹人のスタミナがナンボのもんかは知らないが、こちらはまだまだ元気いっぱいだぞ!


 そんな激しいせめぎ合いの最中、突然樹人が左上手を殊更に引いて体を強引に開いた。


 うん? 上手投げか?

 僕は投げられまいと、反射的に踏ん張った。


 次の瞬間、その踏ん張りに合わせた抜群のタイミングで僕の脇下に差された樹人の右のが返され、僕はフワリとした浮遊感を味わう。


 よ、呼び戻し!? ――やられた!!


 僕は必死に足をバタつかせ、何とか倒れるのを堪えた。だが完全に腰が伸びて死に体になってしまい、一気に土俵際まで追い込まれる!


 万事休す——


 だが諦めん! もうあと一押し、わずかでも樹人が押し込んでくれば僕は土俵を割ってしまう。しかしそこが最後のチャンス。一か八か、起死回生のうっちゃりをお見舞いしてやる!!


 僕は天を仰ぎ、全神経を集中させてその瞬間を待った。

 ……だが、待てども一向に最後の一押しがやってこない。


 代わりに、うーん、何なんだろう? なんかお尻の辺りがムズムズするな。

 気がつくと、僕に組み付いた樹人が、押すでもなく引くでもなく、諸手差しの両手で執拗に僕のうし立褌たてみつ(尻の割れ目にくる部分)を弄っている。

 さらに樹人の全身から怪しげな粘液が垂れ、ヌルヌルと僕の体に纏わりついてくるではないか。


 こいつ、まさか、尻子玉を!? いま!?


「テメェ!! ひとが真剣に相撲を取ってんのに、余所事するたぁ何事だ!!」


 僕の怒りのボルテージが一挙に沸点を突破した。

 と、妙な音が樹人から聞こえてきた。これはもしかして笑い声か!? なんなのコイツ、キモっ!

 おかげで僕の怒りのボルテージは一挙に萎んでしまった。 


 そうこうする内に、僕の足元の土俵がほつれて元の蔦の集まりに戻り、僕の足に絡み付いてきた。もう完全に相撲をする気ナッシングだ。

 何なん? 性欲を我慢できなかったの!?

 だがそっちがその気ならこちらにも考えがあるぞ。

 そっちが変態ならこっちにもHENTAIがいるのだ!

 僕は樹人のマワシをガッチリ掴むと叫んだ。


「トラ子!」

「あいよ!!」


 樹人を挟んだ向こう側に、トラ子が準備万端で待っていた。いつもの枯れ枝を手に、、見たこともない燃え上がるように輝く壮麗な槍を手に、腕を引き絞ってこちらに向かって狙いを定めている。

 えっ!? なに、そのままソレ投げちゃうの!? 樹人もろとも串刺しやん!


「ちょっとトラ子さん!? 待ってソレ投げちゃダメだよ、投げちゃあ!」

「がってん承知の助!!」


 トラ子は槍を手にして怪鳥のように高く羽ばたき飛ぶと、空中で見事なムーンサルトを決め、一直線に飛び込んできた。飛びざま輝く豪槍を振りかぶり、樹人に向かって閃光のように振り下ろした。

 落雷の様な激しい破裂音が轟き、僕は思わず目を瞑ってしまった。


 妙な金属臭が充満し、一変して辺りはして静寂に包まれた。


 恐る恐る目を開けると、僕と組み合っていた樹人はキレイに真っ二つに切り裂かれていた。


 あまりの非現実感に、僕が呆然として握っていたマワシを手離すと、樹人の残骸は左右にゆっくりと傾いていった。

 ドスン、と地面に樹人の残骸が落ちる。その拍子に僕のマワシも真ん中からキレイに割れた。パサリと地に落ちるマワシ。

 僕の腹に薄皮一枚切れていた傷口から血が垂れ、僕のイチモツを伝って地面にポタリと落ちた。


 トラ子が歩み寄ってくる。

 黄金の槍はいつの間にか消え去っていた。いつもの枯れ枝を手に僕に近寄り、縮み上がった僕の血塗れアナコンダを枝先でつつきながら笑った。


「うわははは。勝てばよかろうなのだ。っすね」


 ちょうど折よく、そんなトラ子を山裾から顔を出した朝日が、後光の如く照らし出したのであった。

 うーん。完全にあなたの一人勝ちですね。



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