007 春の目覚め

「さぁ秘本ちゃん。リラックスして、そのままもう1回飛んじゃおうか」

「ヤバっ。完全に怪しい催眠術AVじゃないっすか……」


 トラ子の声援に後押しされて僕はスローイングサークルの中へと戻った。

 この投擲がラストチャンスだ。なぜならIOC=国際オリンピック委員会によると、秘本ちゃん投げの公式ルールでは『投擲回数は二回』と定められているからだ。


 さぁ仕切り直しだ。イクぞ秘本ちゃん!


 気合と共に秘本ちゃんを構えた。するとブルルっと秘本ちゃんが僅かに振動したように感じた。どこか機械的な、というかまんま電子機器のバイブレーション機能みたいに。


 はて? 秘本ちゃんはでっかい携帯電話になってしまったんだろうか。しもしも~? 石●賢~?

 バイブに驚いて投擲を中止し、秘本ちゃんを注視する。だが異常は見られない。そして良く考えたら昭和の携帯電話にバイブ機能はない。


 不思議に思いながらもそのまま投擲体勢に戻ると、今度はハッキリと振動を感じた。秘本ちゃんを持つ手が痛いくらいだ。

 これは間違いなくバイブってる! 現行犯逮捕だ!

 すぐさま投擲体勢を解き秘本ちゃんを確保すると、しかし振動はウソのように収まった。

 またか……。なんだった今のは。誤認逮捕してしまったのか?

 こうなってしまっては仕方がない。この事件は、僕の鍛え抜かれた揉み消しや隠蔽や見て見ぬフリや裏のコネクションのスキルを使って解明するしかない。いやこれ絶対闇に葬りさられるやつだ。


 ダメだ。役に立たないスキルに頼るのはやめて、ここはどういった条件で秘本ちゃんがブルるのかをもう少し検証してみよう。


 もう一度構える。するとやはりバイブ弱が始まった。

 投擲体勢に移る。今度はバイブ強に変わった。

 やめる。バイブが停止した。

 また構えるとまた弱くブルる。

 投擲体勢に移ると強くブルる。


 ――これは、キラっとひらめいた!


 もしかしたら、これを見た安直な人間は『どうせまた秘本ちゃんが感じちゃってるとかいうくだらないオチなんだろ?』と思うかもしれない。

 違うぞ! そうじゃないんだ!

 僕には分かる。秘本ちゃんと魂の絆で結ばれた僕ならば。

 これはそんな低俗な話ではない!


 秘本ちゃんは何かを訴えているのだ。

 今は投擲をする時ではないと、僕に必死に呼びかけているのだ!


 そう、つまり秘本ちゃんは今この瞬間に『感情』と『自我』に目覚めたのである!


「……コレガ、『カンジョウ』……。コレガ、『ワタシ』……」

「なんで急にロボットみたいになってるんすか?」


 トラ子がこてんと首をかしげて訊ねてきた。羽飾りが揺れる。ついでにパイオツカイデーも揺れる。あざとさと可愛さとエロさのトリニティ。

 しかし所詮はこれが、男に媚びるだけで頭パッパラパー女の限界でもある。


「愚かなトラ子よ。この片言シャベリは秘本ちゃんの気持ちを理解するために必要な行動なのだ。無垢な存在が初めて感情に目覚めた瞬間をトレースしているのだ」


 秘本チャン、教エテクレヨ。youハ何ヲ訴エタカッタンダ?

 僕は秘本ちゃんの表紙を優しく撫でながらボビー・オ●ゴンのように問いかけた。その問いかけに彼女はブルる事を止め、沈黙でもって僕に返した。

 しまった、片言キャラの選択を間違えたかもしれない。


 くっ、どうすればいいんだ。もはや秘本ちゃんに芽生えた意思は知る術はないのか。せめて何かヒントがあれば。例えるなら株式会社JTBパブリ●シングが発刊する旅行ガイドブックのようなものがあれば。秘本ちゃんのぶるるのガイドブックがあれば!

 教えてくれ秘本ちゃん、トラ子は僕に何も言ってくれない……。教えてくれ秘本ちゃん!


 ……ところで気になってたんだけど、秘本ちゃんってばさっきから表紙がピカピカしてて、文字みたいなものが浮かんでいるけど、どうしたの? イメチェン?


 やっぱりよく分かんないな。もーこれは完全に迷宮入り!

 すると突然トラ子が僕から秘本ちゃんを奪い取り、表紙を指差した。


「もうっ。さっきからなにやってんすか。お題が来てるんですから早くこの表紙の文字を読んでほしいっす」


 な、なんだってー!?

 まさか秘本ちゃんはこの事を伝えたかったのか……!? 頭パッパラパーだったのは僕の方だとは!

 僕よりトラ子の方が秘本ちゃんを理解しているなんて、軽くNTRされた気分だ。秘本ちゃんの初めてをトラ子にとられちゃった。


「今回は中身を見る訳じゃないから大丈夫っすよ! ほらほら。アタイには読めないようになってるんですから、早く読んでほしいっす。ねえねえ、早く読んで、よーんーでー」


 トラ子が秘本ちゃんを僕の顔にグイグイ押し付けてくる。絵本の読み聞かせをせがむ子供か。

 おやおやトラ坊や。NTRれたバアちゃんの気持ちも考えておくれ。まったくもぅ、若い子はせっかちでイカンねぇ。そんなにオババのNTRを見たいんかい?

 ……大体さぁ、『おだい』ってなんのことだよ。家康の母かよ。

 そもそもトラ子さんが読めないものを僕が読めるわけ――――、あったよ。


 僕は秘本ちゃんの表紙に現れた文字を読もうとそれを意識した途端に、奇妙な感覚に襲われた。

 ふあー、なんだこれー?

 秘本ちゃんの表面にピカピカでミミズ模様みたいな文字が浮かんでいて、それを読もうとすると、その内容がぬるりと頭の中に入り込んでくるような、元々知っていた記憶が呼び起こされたような、とにかく奇妙な感覚なのだ。


 読んでいるのだけど、同時に聞いているみたいでもある。

 まさに不思議体験。アンビリーバブルや。


 もしかしたらこの細かい光の明滅がある種の信号なのかもしれない。

 ええー!? おいおい嫌だよ。もしかして視覚経由で脳みそハッキングしてるんじゃないだろうね。

 僕は自分で勝手に想像しておきながら自身の考えに恐怖してしまった。異世界ファンタジーなのか近未来SFなのかジャンルをはっきりしてくれ、と僕のゴーストが囁いている。


 怖ろしくて、これ以上この文字を読み取ろうという気が全く起きない。全く気乗りがしないのだが、トラ子をチラ見すると期待に目をキラキラさせてこちらを注目している。


 うーん、ゴーストハックはともかく、まあ、理解できるんだ。仕方がない。ちょっと怖いが、とにかくそのお題とやらを読んでみよう。


 再び秘本ちゃんの表紙の文字を読もうと意識すると、さっきと同じようにヌルっとした妙な感覚と共に文字の意味が頭に入り込んでくる。ふははは。読める、読めるぞ!

 さてさて秘本ちゃんはいったいどんなおしゃべりをしてくれるんだろう。

 秘本さん、初めまして! プロフ見ました、素敵な錠前ですね。よかったらお話しませんか?

 僕の問いかけに答えるように、秘本ちゃんのメッセージが脳内に流れてこんで来た。


『……コレガ、カンジョウ。……コレガ、ワタシ……』


 ほらー! やっぱり秘本ちゃん自我に目覚めてるじゃん!

 





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