018 私の注意力は誤重散漫です


「おみゃーら、とろくせゃあことしとらんで、ちゃっとまわしせゃあ! まあひゃあばんげになってまうで、はよせんとワヤになってまうがね!」

(あなた達、ばかばかしい事をしていないで、早く準備をしなさい! もうすぐ夕方から夜になってしまうので、早くしなければ台無しになってしまうよ!)


 秘本ちゃんの通訳を駆使して、珍右衛門さんの言いたいことがやっと理解できた。まあ雰囲気で大体の事は察していたが。





 とにもかくにも、僕達は珍右衛門さんの提案に乗って、ドラゴン対策のために彼らの里へ行くことになった。


 ついに愛しの川を離れるのか。ようやくと言ってもいいが……。

 さらば我が心の故郷。郷愁と共に、僕は今後トラ子が穢れても川で清めることが出来ないの事に対する一抹の不安を感じた。決して前フリではない。押すなよ、絶対押すなよっ。


 出発に際し、珍右衛門さんが先導を買って出た。まあ、里の場所なんか僕もトラ子も知らないので当然っちゃあ当然なのだが。


 僕達は珍右衛門さんを先頭にして鬱蒼と茂る森の奥へと小道を進む。慣れない獣道だったが、僕達は随分と楽をさせてもらっている。


 理由はこれも毎度ながら珍右衛門さんのおかげだ。


 珍右衛門さんは手に持った槍を振り回しながら、それでいてペースを落とすことなく歩いていく。

 すると驚くべきことに、その事も無げに振るわれる槍によって、行く手を塞ぐ太い枝はスパッと切り落とされ、邪魔な下草は切り払われ、邪魔そうな石は弾き飛ばされていく。


 そうすることで珍右衛門さんの通った後には綺麗な道が出来上がっていった。そうして僕達は歩きやすくなったその道を悠々と進んでくのだ。


 しかしまあコヤツとんでもない豚だぞ。森の中というのは本来は槍を扱いにくい場所なのに、まったく苦も無く振りまわしている。もうこれチートやん。改めて僕は珍右衛門さんの実力に戦慄した。


 珍右衛門さんの後ろを、少し離れてトラ子とゴブリンちゃんが続いている。

 時に語らい、時に触れ合いと、二人は並んでキャッキャウフフと百合百合しく歩いている。仲のよろしい事で。

 僕の耳に、二人の話し声が微かに聞こえてくる。


 ぁ……、ょ……。

 ……で、……これは……。

 だから……、……でも、……ということ……

 お姉さま、あのピンク色のお花はなんというお名前ですの?

 ゴブ美、あれはチューリップだよ

 まぁ、あれがチューリップ

 ピンク色のチューリップの花言葉は『愛の芽生え』さ

 お姉さまはお花にお詳しいのですね、素敵です

 隣の赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』、紫色は『不滅の愛』なんだ

 愛の告白……不滅の愛……

 ほら、そこにある四葉のクローバー、それは『私のものになって』だよ

 お姉さまの、ものに……?

 ゴブ美、君にはこの黒いバラを送るよ。花言葉は『貴方はあくまで私のもの』

 ……では私からはこの白いアサガオと赤いバラを差し上げます。花言葉は――

 『あふれる喜び』、『貴方を愛しています』!?

 受け取って貰えますか?

 ……ゴブ美!

 お姉さまぁ!


 まあ、僕の妄想なんですけどね。

 二人の仲良し具合に、思わず勝手に二人の会話をアテレコしてしまったぞ。


 だがそもそもこんな森にチューリップは咲いていない。いわんやトラ子に花言葉なんて教養があるべくもない。奴は花言葉なんて高尚な物とは無縁な存在である。

 いまもキャバクラに入り浸っている中年オヤジの如くゴブリンちゃんの尻をお触りしているし。あやつめ、イエスロリコン・ノータッチの精神を知らんのかい。


 そして最後尾を陰キャがとぼとぼ付いて行く。

 僕はマッシブボディを活かすべく皆の荷物持ちを買って出た。珍右衛門さん達の荷物に加えてあの5人組から拝借した荷物を、これまたあの5人組が持っていた背負子に積み込んで運んでいる。


 おかげで山盛りだ。こんなに荷物山盛りの背負子を見るのは、テレビ番組でお笑い芸人がヒマラヤ登山する際に現地のシェルパに背負わせている大荷物を見て以来だ。もしくは絵本のカチカチやまのタヌキ以来。どちらも炎上必至だね。


 しかし、生来の陰キャ気質であろうか、荷物持ちとは完全にモブムーブである。

 タヌキであれば少なくともメインキャラではあるが、シェルパであるならばモブどころかむしろ画面に映っちゃいけないレベルだ。


 これは本当にトラ子の言うところの『画』になっているのだろうか?


 老婆心ながら心配になってしまう。ここはもっと主人公ムーブをして積極的に今後の展開に関わっていくべきなのかもしれない。ちょっと前の女子二人に絡んでラッキースケベを狙ってみるべし。

 よし、転んだ拍子に二人の股間に顔を突っ込んで鼻先で下着をズラすぞ!


 でも主人公ムーブは、珍右衛門さんが完全にOretueeeしてて、敵いそうにないんだよなぁ。いま思うと何で5人組に負けそうになってたんだろうあの人。


 主人公ムーブを期待するならもしかしてワンチャン、界隈で流行のいわゆる『追放系』や『もう遅い系』のように、ここから僕が追放された後にザマァする展開もあるのだろうか。

 でも珍右衛門さん顔に似合わずいい奴なんだよ。面倒見のいい任侠みたいな感じだ。だから僕を追放なんてしないだろうし、僕からもザマァ展開するつもりはない。


 むしろ追放されては僕が困る。こんな未開の地に放り出されても、僕にはサバイバル能力どころか日常生活力すらない。錬金チートもなければNAISEIも出来ないし隠された能力もなければ秘められた血統もない。シブがき隊も真っ青のNAINAI・16だ。

 あるのは借り物の超ムキムキマッチョボディだけ。


 これはもう必死で珍右衛門さんかトラ子に縋りつくしかないね。今の内からという時のために渾身の土下座靴舐めに磨きをかけねば。靴どころか全身ねぶり尽す所存。我々の業界ではむしろご褒美です。


 プライド? 無いね。NAINAI・16にはそんなものはないのだ。主体性なく流し流され異世界にまで辿り着いた僕ならその程度はお茶の子SAISAIだ。流されやすい事河童の如し。


 よし、主人公は珍右衛門さんに任せよう。

 君に決めた!



※※※※※※※



 夜の帳が静かに下り、辺りは暗闇に包まれた。


 濃く重なった枝葉が頭上を閉ざす。月明かりはその隙間からわずかな銀光を延ばし、仄かに地面を照らすだけだ。


 闇に慣れた目に、降り注ぐ数条の銀線が幻想的に映った。

 ふと見上げると、繁みの切れ目からかろうじて月が見えた。

 異世界の月も丸いらしい。今夜は満月だった。


 でも、ホームシックからかも知れないが僕の知っている月より大きいような気がする。

 ……いやいや大きいぞ!? 当社比2倍くらいデカイな。


 時に、月と潮汐との関連性は広く認知されているが、潮汐と気候との関連性はあまり知られていない。というか関係はあるけどまだ厳密に解明されていないらしい。

 曰く、潮の満ち引きが起こす海水の混合が、南極環海の気候を決定する要因の一つであるそうだ。他にも、植物の生育に大きく影響するという研究結果もあるようだ。


 学術的なことはさて置き、潮の満ち引きのように、月が自然や環境に影響を与えることは間違いない。


 であれば、この当社比2倍の月はどうだろう? 

 見付けの大きさが2倍という事は、直径が2倍ということだ。

 数学的には、直径が2倍なら断面積は4倍で体積は8倍だ。

 重力・引力は質量に比例するので、単純に考えると月の重力が8倍になる。つまり、潮汐などに関係する力が8倍になる訳だ。


 影響力8倍。


 もちろん月までの距離や月の質量が違えば結論も変わってくる。単純比較をするなど暴論であろう。そもそも物理法則が地球上と同じかも定かではない。


 だが、月の大きさがちょっと違うだけでもこの様な事態が想定されるのだ。

 ファンタジー物にありがちな、月が赤かったり2個あったり丸じゃなくて楕円だったり大きく欠けていたりしたら、もうどうなっちゃうのだろうか。


 そもそも赤い月ってなんなの? 空にフィルターかかっちゃってるの? 劣悪な大気汚染や女の子の日のメタファー?


「ぼくは、おそらにうかぶ月をみて、そんなことをぼんやりと思いました――まる」

「まる、じゃないっすよ! ちょっとは手伝って欲しいっす!」

「あばうバばぅばばァうばっ」

「姫っ! こちらへお寄り下され!」


 皆が大忙しだ。

 何かと言えば、いままさに僕達は影響力8倍のパワーを受けて生育しまくった植物から襲撃をうけている真っ最中なのだ。


 周りの植物が、太い枝を振り下ろしてきたり、蔦が絡み付いて締め上げてきたり、謎の粘液を振りまいてきたりと、ここいら一帯が割とデンジャーな空間になっている。


 うーん。これも月の影響力の成せる業か。

 さすが異世界だな。影響力8倍がキチンと仕事をしているぞ。悟空ですら3倍以上は体が負荷に耐えられないのに。


 地球の研究では、月の影響力はちょっとばかしレタスの生育が良くなる程度だったが、コッチの世界では植物が自律的に動いて獲物を襲うようになるようだ。

 植物なのに生き物のように動くとは、これもう何が動物かわかんねぇな。


「地球に戻れたら、研究者の人に教えてあげよう。森は生きてるって」

「それC・W・ニコルに言ってあげた方が喜ぶっすね!」 


 絡み付く蔦を引き千切りながら律儀にトラ子が返事をくれた。


「――モリは、イキテる」

「たぶん、エイッ! C・W・ニコル風に言ったつもりだと思うんすけど、トリャ! 全然伝わってこないっす!」


 トラ子はいつもの枯れ枝を忙しなく振り回して、迫り来る蔦木を打ち払った。そして続けざまに僕に言い放った。


「ていうか忙しいから無視していいっすか!?」


 そんなヒドイ。トラ子は四方八方から絡みつく植物に四苦八苦しているみたいだ。話し相手がいなくなっては僕の四方山話が八方塞がりになってしまう。でも四荒八極どこかに四海同胞の心でもって僕の話を聞いてくれる人がいるはず。ただの八方美人かもしれないが。


「だってなんかコイツら女子ばっかり狙ってくるっすよ。エロ蔦っす! 異世界の蔦はエロ触手っす!」


 ともあれ地球の研究者はどうやら正しかったようだ。月の影響は植物にありまぁす! STAP細胞で植物がエロ触手に進化しちゃってるぞ。


「たぶんその研究とは関係ないっすよコイツら!」

「研究とは関係ないって、じゃあなんで木が動きまわってるのさ。あと蔦にスカートめくられてて尻が丸見えだぞ」

「うひー!? アタイが思うにコレの原因は、珍右衛門さんが調子こいて道中に木を切りまくったからっすよ。森が怒ってる的な!」 


 なぬっ?

 トラ子の爆弾発言に全員が珍右衛門さんを注目した。

 そんなまさか、子供向けの童話じゃああるまいし。森は怒ったりはしないんじゃない? ニコルん的には生きてるみたいだけど。


「どうなんすか珍右衛門さん!」


 なおも問い詰めるトラ子。

 喧騒の中、問い詰められた珍右衛門さんは呑気な風で顎を撫でた。


「…………ふむ」


 まさか図星なの!? 珍右衛門さん主人公属性じゃなくてドジっ子属性だったか。




 

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