016 孔明の罠

「今後はド・レェ卿とお呼びいたそう」

「インキャノ様……素敵なお名前です……」

「陰キャの奴隷狂。とりまお似合いな名前っすね」


 トラ子のニュアンスだけ悪意を感じるな。後でお仕置きだ。


 しかしまさか【陰キャの奴隷】が【インキャノ・ド・レェ】になってしまうとは。

 この法則でいくと、かの有名な【青髭ジル・ド・レェ】が【青髭汁奴隷】になってしまうぞ。すごい語感。最高にcoolだな。


 汁奴隷もそうなんだが、【ド】が貴族の称号って事はこの辺りは中世フランスっぽい文化圏なのだろうか?

 そういえば【ディ】もあるって言っていたか? イタリア? スペイン? うーんよくわからぬ! こういう時は、

 

「生まれが貴族といっても、僕は部屋住みの身におこぼれで一代貴族の身分を頂戴したに過ぎません。あまり期待されても困りますよ」


 とりま、口からを吹いておこう。所詮は豚よ、わかるまいて。


「何を仰る。ド・レェ家といえば彼の国では大身の名家ではござらぬか。一代とはいえ卿が家名の名乗りを許されているのであれば、それを隅には置けませぬ」


 おい豚詳しいな。僕よりも僕を知っているぞ。これが無知の知か。(錯乱)

 その時、錯乱する僕をフォローするかのように、元祖無知の知ガールことムチムチガールトラ子が会話に割って入ってきた。


「まあまあ、アタイらのことより、珍右衛門さんたちはこんなところで何をやってたんすか? 素敵な5人組と遊んでいたみたいっすけど」


 トラ子が僕にウィンクをバチバッチーンと決めながら強引に話題を変えた。明らかに不自然。コイツもゴブリンちゃんなみに誤魔化し方が下手すぎるぞ。

 そんな不安を余所に、なんか珍右衛門さんの方が逆に空気を読んですんなり話題を変えてくれた。出来る大人の顔面ヤクザ豚だ。


「儂と姫はここより半日ほど先へ進んだ、アナンケという只人の街に使者として書状を持って行く途中であったのじゃ。途中、腹を下した姫を介抱しておる時にあの曲者共に襲われた次第でござる」

「ちょっともう、ゲオルギオス! 旦那様に余計なことを言わないで! 恥ずかしい……」

「いやいや巫山戯ておる訳ではござらぬ。我ら豚人と小鬼人は元来生命力に優れた種。如何にかよわき姫様とて川の生水を飲んだ程度で腹を下すとは考えられませぬ。おそらく曲者めらが何かしら良からぬ企てをしたに相違ござらん!」


 力説する珍右衛門さんをよそに、僕とトラ子は自然と目が合った。

 甦る爛れた記憶。

 入水、汚物、洗う、流れ、川下、我が肉体より悪魔よ去れ、……うっ、頭がっ。


「珍右衛門さん、それは孔明の罠だ。仕方がなかったんだよ」


 川万能説にこんな落とし穴があるとは。まさかあの時にトラ子から洗い落とした残り汁でゴブリンちゃんが腹を下すとは。

 なんだか申し訳なくなってきた。ゴブリンは生命力が強いかもしれないが、ゴブリンちゃんはまだ子供なんだ。

 ごめんよゴブリンちゃん。

 僕はゴブリンちゃんのお腹を優しく撫でながら呟いた。


「もう大丈夫なのかい? これは僕の責任だ。元気に育ってくれよ」

「だ、旦那様……、アウシャは立派なお子を産んでみせます!」


 ゴブリンちゃんの下痢の話をしていたのに何故か子供の話になってしまった。ゴブリンちゃん自体がまだまだお子様じゃないか。おませだな。


 調子に乗ってゴブリンちゃんのイカ腹をナデナデしていると、トラ子が再度ウィンクをしながら珍右衛門さんに別の話を振った。うん、まあ、下痢の責任追及をされても困るので話題は変えておこう。


「それでアイツ等は山賊か何かっすか? 身形がいいゴブ美を襲ってどこかに売っ払うつもりだったんすかね?」

「いや、彼奴ら薄汚れていたが練度が高く装備も良い。それに魔道士までおった。山賊風情ではあるまいて。俄かには信じられぬがアナンケの手の者であろう」


 珍右衛門さんは二宮金次郎の遺骸に歩み寄ると、事も無げに槍を振るった。すると死体漁りを受けて乱れた着衣であったが、胸元や袖口がキレイに切り裂かれた。

 槍の穂先を器用に使い、中身を検分していく。


「ふむ。冒険者共や魔術師の組合の鑑札が見当たらぬな。さては領主の影働きをする奴ばらか。そうであれば、先振れを出しておる我らがここを通ることを承知しておるのは道理じゃ」

「アナンケとかいう街以外の仕業の可能性は無いんすか?」

「無いな。ここら辺りにはアナンケの街に横槍をしようという者はもうおらぬ。アナンケの領主に粗方平らげられたわ。まあ証拠はないがの」


 そう言ったっきり考え込む珍右衛門さんを離れて、トラ子は跳ねるように僕の元にやってきた。ゴブリンちゃんのイカ腹をさする僕を引き剥がし、そのまま僕の腕にしがみ付いてきた。満腹の猫のようにニンマリと相好を崩す。


「これはよくわかんないけど、面白そうなことに巻き込まれたっすね。現地人のトラブルに巻き込まれるなんてめったに無いシチュエーションっすよ。なにせ大抵はコッチが無茶苦茶やって状況を作るばかりなんで。上手くいけば撮れ高がかなり高そうっす!」


 人の不幸を歓迎するとはハタ迷惑なやっちゃな。異世界ユーチューバーは業が深過ぎ問題。


 でもなー、チャレンジ動画を撮影するなら、他人と絡まず自己完結するものにして欲しいんだけどなー。

 例えば、危ない薬を飲むとか虎と格闘するとかでもいいので、とにかく人と関わりたく無い。

 だって世の中何が怖いってやっぱり人だよ。でなきゃ人間が世界を支配しているはずがない。


 しかし僕の苦悩を余所に、トラ子が珍右衛門さんと何やら今後の打ち合わせを始めだしてしまった。


 おいおい待て待て。ちょっと前までの、僕の自主性を重んじる風潮はどこにやったんだ。

 こんなんヤラセだ。断固として企画変更を求める!


 署名活動を始めようとした僕の元へ、話を纏めた様子のトラ子が再び戻ってきた。

 おや? ちょっと神妙な顔をしている。

 さてはトラ子のお好みではない穏便な結果になったのだろうか。であれば僕にとってはありがたい。


 珍右衛門さんからは見えないように背を向けると、トラ子の口元がまたしてもニンマリと吊り上がった。

 トラ子は囁くように僕に告げた。


「あの豚マジもんの脳筋っすね。まんまとコッチの口車に乗ってきたっすよ。このままアナンケの街に進んで元凶っぽい領主に直談判することになったっす」


 全然穏便じゃなかった。火に油を注ぐ展開じゃないか。そんなことして無事に済むとは思えない。


「そりゃあそうでしょう。なにせ刺客を送ってきた大元に乗り込みに行くんっすから。でも珍右衛門さんはアタイらがいるからなのか、上手くやる自信があるみたいっすよ。さっき殺されそうになってたのに、ぷーくすくす」


 口車に乗せた張本人が言うセリフじゃないぞ。


「いやーどうなる事やら。この後更に刺客が送りこまれてくるのか、街で門前払いされて一悶着あるのか、はたまた領主とやらが出張ってくるのか。どちらにせよ、無事ではすまないっすよ!」


 もうトラ子大興奮やん。しかしこれを、トラ子の望んでいた『現地のトラブルに巻き込まれる』って言っていいのだろうか。

 口車に乗せちゃって、結局、無茶苦茶やるのはコッチが原因ってのに変わり無いような気がする。


 ホントにそれでいいんかい、トラ子さんや。


 そう思った矢先、ゴブリンちゃんの肩に掛けられた秘本ちゃんが不意に光りだした。表紙がピカピカして文字みたいな物が宙に浮かんでいる。略してピカチュウだ。


 これはいつぞやの【お題】ってやつじゃないか。秘本ちゃんの本来の役割をすっかり忘れていたぞ。ただのお漏らしマゾ翻訳機じゃなかったのね。


「あれれ? お題っすよ。これはもしかして、街に潜入して謎を解明してみた、みたいな指令が来るかも! 早く読んでほしいっす!」

「任せておけい。インサートオブ秘本ちゃん、カモン!」


 言った途端にいつものように、意味のわからない文字列の内容だけが頭の中に入り込んでくる、奇妙な感覚。

 ぬるん――。


『 貴方の魂は失われました。かりそめの魂がどのような運命を巡るかは主命次第です。


そういう契約です。


疾く貴方はこの示された主命に挑むでしょう。


1、突撃となりの晩御飯! ドラゴンの巣穴に飛び込んでみた!


逃れることは出来ない。現実は非常である 』


 まさかのドラゴン一択。


 おいおいコレいままでの話まったく関係ないやん。ていうか僕がドラゴンの晩御飯になっちゃうよ。

 秘本ちゃんよ、この子やっぱり空気読めてないぞ!








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