初めての御使い
001 悪魔が来たりて
少し先も見通せないほどの濃く深い森を、必死になって走る。
湿った土の臭いと鬱蒼とした木々。
濃く重なった頭上の枝葉が太陽の光を遮っている。それでもひどく蒸し暑い。
息が上がって心臓が弾けそうだ。苦しくて思わず足が止まる。
肩に担いだ少女が微かに身じろいだ。
僕の激しい呼吸音と周囲の得体の知れない生き物の鳴き声に混じり、少女から切迫したうめき声が聞こえてくる。
もう間に合わないかもしれない。早くしなければ。
僕は少女を抱え直して、再び走り出した。
走り出して、ほんの少し前の出来事を思い出す。
どうしてこうなったんだ。
※※※※※※※
いきなりグロ場面を見させられる事になるとは思わなかった。
頭パッカーンで脳みそバーンで目玉ボーンの内臓グチャアだ。
モザイクなしの無修正ノーカット版をお届けされてしまった。
まさか、自分自身のグロ死体を見させられる事になるとは……。
冬の寒空の下、警察の関係者が僕の体の破片を集めている。
顔を顰めながら黙々と作業をする彼らを見て、僕はなんだか申し訳ない気分になってきた。
肉片が道路に撒き散らされてしまっているので、後片付けもさぞ大変だろう。わざとじゃないよ。
でも、かなり派手に散らばっているとはいえ、バケツとスコップで集めるのはいかがなものだろうか。ひとさまの体だよ?
うーん。そう考えると申し訳ない気分は消えた。
いま僕は自分の死体が片付けられている一部始終を、空中にプカプカ浮かびながら眺めている。
眺めている方の僕の体はバラバラ死体ではない。けどなんだかちょっと透けていてゲル状だ。半透明スライム人間みたいなものか。
手をかざすと向こう側が透けて見える。師走の
誠に遺憾ながら太陽に透かしてみても、真っ赤に流れる僕の血潮は見えなかった。
どう考えても魂とか幽霊のようなものですありがとうございます。
しかしまさか自分が霊魂だとかお化けだとかになってしまうとは思ってもみなかったよ。
もしかして天国や地獄みたいなものもあるのだろうか。
いやーマジかー。もしそんなのがあるって知っていたら、生きている間にもっと熱心に善行を積んだのに。
この世界は告知義務というものを知らんのかい。腐れ運営め侘び石よこせ。ホント神様はクソ。
「まったくその通り。天界はクソ溜めのゴミ溜めのキチガイ製造所だぜ。神とかホントにそびえ立つクソ・オブ・クソ。チェーンソーでぶった斬るぞマジで」
僕の隣で同じようにプカプカ浮いているヤツがそう喚いた。
コイツは僕と同じようにプカプカ浮いていて、でも僕とは違って半透明じゃない。クッキリハッキリしている。
それでいて警察はコイツには気付いていない様子だ。やっぱりコイツも霊的なものなのだろうか。
そして困ったことに、さっきからやたらと親しげに僕へ話しかけてくるのだ。それを僕は華麗にスルーしている最中だ。
なぜなら、知らない人とは話してはいけない、という母の教えを忠実に守っているからだ。『沈黙は金』と言うだろう。
けっして人見知りではない。
「さっきの話の告知義務、ホントそうだよな。告知みたいなことを先に言っとけばいいのに、なぜか言わねえんだよなぁ。先に言っとけば、常世で無茶苦茶やって地獄に行くやつも減るだろうに。ウソかホントか知らねえけど、死者をより多く地獄に行かせるために、地獄のヤツが天界に賄賂を送ってるとかナントカ。地獄は亡者の奴隷が増えてハッピー、天界は住人が増えず既得権益が守れてハッピー、みたいな感じらしいぜ」
なんかやたら早口でまくし立てたんだけど。
しかしまぁ奴隷とか既得権益だとか、死後の世界も世知辛いとは世も末だな。
でも死んだ人間が行く世界なんだから、社会構造が人間社会と酷似するのも道理かもしれないな。
「その通りだぜ実際。この前もブサメン陰キャが天界に行けるってんで喜んでたけど、天界の中の格差ってやつを知って絶望してたぞ。そんで首吊ってたぜ、死なねえけど。まっ、どこの世界でも同じさ、ただしイケメンに限るってヤツ?」
天界ってなんかキラキラしてそうだし、たしかに陰キャには辛かろう。
まいったな。天界は僕のような陰キャは住みづらい所なのか。
「いやいや地獄なんかはもっと住みづらいぜ。散々悪事を働いた極悪人が集まるワケで、一筋縄ではいかねえ。もうあの手この手で裏をかき、法をすり抜け、気付いたときにはどっちが亡者でどっちが獄卒ってなもんよ。コッチにもいるだろ? 庶民よりよっぽど良い生活してる刑務所の中のマフィアのボスとか」
おや? なんだかさっきからこちらの思考を読まれている気がするが……まあ勘違いだろう。
それにしても良く喋るやつだ。おかげでこの数分で僕はかなりあの世の予備知識が出来てしまったぞ。
でも、不思議だな。
コイツはどうやって言葉を発声しているんだろう。
どう見ても、首から上が黒山羊なんだけど。
「いま!? いまそれを聞く!? そういうの最初だろ? だって見ろよこの外見! こんな怪しいヤツがギャーギャー話しかけてきたら腰抜かしてションベン漏らすくらいじゃねえの、普通は!? あまりにも平然としてるからもしかして関係者なんじゃないかって半分疑ってたわ」
怪しい外見?
……むむっ!? よくよく見たら首から下もヤバイな。
なんと全裸でゴリゴリの超マッチョ! ムキムキだ。
しかも股間のイチモツがアナコンダ級。
そして超絶に勃起してる!
ムキムキ勃起ゴリマッチョだぞ。
この山羊、たしかにヤバイな。やらないぞ、僕は。
「すっげー落ち着いてるナー。すごい、逆に凄いわー。自分の死体を目の前にしてこんな怪しいヤツに話しかけられてるのにめっちゃフツーだし!」
いやぁーかなり動揺してるよ。文字通り心が動いて揺れてる。でも右と左に揺れ動いてちょうど真ん中、みたいな?
「本当に動揺してるヤツは、『みたいな?』とか言わねえぞ」
そうなのか。
だってさー現実感がないんだもの。急だったし。
僕はコイツに会う前から急展開に次ぐ急展開で、現状に理解が追いついてこないんだよね。
人生もっと一歩ずつ進んだほうがいいよ。
いやーしかし参ったぞ。でもいまさら一歩ずつ進むと言ってもなぁ。
白状するが僕は今のこの状況が夢か妄想としか思えていない。
しゃーないやん。天国? 霊魂? そんなものは現代人にとってはファンタジーでしかないし。
非現実的な出来事が立て続けに起こった挙句、気が付いたら自分のグロ死体見させられて黒山羊ムキムキ勃起マッチョと対面しているんだもん。
まあ、とりあえず夢から覚めるまで、『今この状態を現実』として話を進めていこう。なーに、これが夢なら、生きてて良かっためでたしめでたし、で済むんだし。
僕は気を取り直し、改めて目の前の存在に目を向ける。
頭、黒山羊。
体、ムキムキマッチョ。
股間、ガチガチ。
背中、コウモリの羽?
尻、黒い紐みたいなモノ?
うーん。これってもしかして……?
ア……アナルから黒い紐出てますよ、って教えてあげたほうがいいかな。
でもそういう趣味だったり、病気や怪我が原因かもしれないしな。センシティブな内容だからアナル紐には触れないでおこう。
こうやって冷静に考えると、しかしなるほど、分かってきた。
『自分の死後に出会う、背中に羽が生えた、黒山羊マッチョ勃起アナル紐』。
間違いない。
これは世に言う、HENTAI、ってやつですね!
「もうね、まいったよ。今までに無いの素質を感じる。お前を見つけてホントに運が良かったわ。これなら期待がもてる」
思いがけずHENTAIに褒められてしまった。
「これ以上誤解が無いようにハッキリ言っておくが、俺は悪魔だ」
そしてHENTAIがアナル紐を手に持ってこちらに近づいてきた。
怖い。
その紐、出来ればあまり関わりたくないんだが。
HENTAIは振り返り、尻ごとアナル紐を僕の目の前に突き出した。
「これはアナル紐じゃなくて俺の尻尾だ」
衝撃的事実判明。
あの手に持ったアナル紐は尻尾だったのか。
ついでに目の前の黒山羊マッチョ勃起さんはHENTAIではなく悪魔だったとは。なんという事だ。分かりにくい見た目をしよって。
やはり第一印象って大切だな。HENTAIだと思って疑ってなかったわ。
しかし困ったことになったぞ。
死後に悪魔と出会うなんて明らかに悪い兆候じゃないか。というか地獄行き確定路線。
なぜだ。
自分で言うのもなんだが、僕は品行方正を地で行く人間の鑑だ。死後に天国へ行くことはあれど、地獄へ行くなんてとんでもない。ドラ○エ風に言うならば、『それを捨てるなんてとんでもない』、だ。
なぜなんだ。
「なぜって、さっきも話していたじゃないか。憶えてないのか?」
憶えてる? 何を?
「賄賂を使って奴隷を増やすって話をさ」
こ、コイツ!?
なんてこった。
悪魔の所業だ。
コイツ本当に悪魔じゃないか! 黒山羊マッチョ勃起悪魔じゃないか!
本来天国に行くはずの僕を、裏で汚い手を使って賄賂に仕立て上げて地獄行きにするとは。なんてヤツだ。
奴隷って言ったか?
僕は地獄で奴隷になるの?
黒山羊ガチムチ勃起アナル紐の奴隷に?
まずい。危険な気配しかしない。尻がいくつあっても足りないぞ。どうすればいいんだ。地獄でアナル紐奴隷とか凄い字面じゃないか!
「勘違いするな。お前には地獄行きにはしない。アナル紐にもしない」
悪魔はそう言うと黒山羊の顔をニヤリと歪ませ、僕にこう告げた。
「お前には、チャレンジ系異世界ユーチューバー奴隷になってもらう」
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