第13冊 伝説の桜の木の下に埋まる
無限に広がる空間、足の踏み場も見えないくらいに埋め尽くす木の根っこ。高々とそびえ立つ桜の木は全て、桃色を通り越して真っ赤に染まり切っている。
視覚的なおぞましさは目を背けることすら許さない。とてもじゃないが幻想的なんて言葉では表せない。狂気、その一言しか浮かばない。
「なんなのよ、ここ…。以前の旧校舎の比じゃないわよ。夢の世界だっていうんなら、悪夢でしかないじゃない」
『実際、悪夢なのではないですか? あの幽霊たちが現れる原因とでもいうべきでしょうか。サクラの幽霊というのはこういうことでしたか…』
桜を染めている真っ赤なものの正体が、誰かの血だとでもいうのか。想像したくもない。
立ち止まっているのもはばかられて、ゆっくりと歩き出す。履いている学園のローファーが血溜まりに触れて波紋を生むが、それで汚れることがないのは夢の中の証か。だとしても、肝が据わっているメリーですら収まらない居心地の悪さを覚えていた。
しばらく歩き続けると、恐怖的で幽玄な趣の血桜並木を抜けて新しい場所に出た。一際立派な桜の大樹。それを取り囲むような無数の黒い建造物。古来より、神の世界、幽世との境目あるいは入り口として生み出されたオブジェ。
「これって鳥居…? なんで日本の物がここに…」
『ニホンというのはあなたがいた世界ですか? ともあれ、ここが空間の中心のようです』
脳内で、昔から夢は異界と呼ばれるという知識が共有される。中に入れるのは異常ですが、と感想も付け加えられた。
「なるほどねえ」
大樹を囲うように立っている鳥居は門ではなく、どちらかといえば壁のような印象を受ける。中央の樹を守っているようだが、なんのためだろう。
『気を付けて、詩片の反応です!』
「夢の中で!?」
うねり、爆発。赤く舞い散る花びらの幕を突き破って、襲い掛かってくる巨大な ――――『手』。
咄嗟に身をひねってかわす。うねりは、止まらない。とぐろを巻いてもう一度襲い掛かってくる。避けきれない。ならばと右の拳に金光を宿して叩き込むが。
「っ、かった!?」
『効いてない。どころか、相殺しきれていません! まずいです!』
「こなくそォ!」
パンチの連打も意味がなさそうだ。衝撃が殺されて、威力が通らない。しまいには腕を絡めとられて、持ち上げられ、吹き飛ばされた。樹の幹に激突し、息が詰まる。ダメージがない体とはいえこれはまずい。気合いを入れ直さないといけないらしい。
『もう一度来ます!』
「ッ」
ビッグサイズの『手』が拳を形作る。ロケット弾のごとく勢いで迫りくる拳。受け止めきれないのは確実、回避も……間に合わない。走馬灯を見るにはまだ早い。
「伏せたまえ」
理性より本能が先に働く。視界を下に。声の後に感じ取れたのは、肌を紙一重で撫でた刃の熱さ。湿っぽい音で、『手』が消し飛んだのがわかった。
何が起きたのかと起き上がって確かめる。桜吹雪を浴びながら凛と立つ騎士が、そこにいた。背中に青いバラの紋章が刻まれた軽装の鎧、右手に真っすぐな刀身の剣、左手に短銃。なかなかに物騒な取り合わせだ。
「アンタ、誰?」
「ふむ。悪夢の中で誰かに会うとは…。無事かな。ここは私が引き受けよう」
「引き受けるっつったって、どうすんのよ。いやそれに、アンタの声聞いたことがあるわね…?」
思い出した。この声、旧校舎で出くわした女騎士だ。意味深な忠告だけ残して、結局獣の事件には関わってこなかったのに、今度はなぜ。
「ああ。
「なーに勝手に納得してんのよ」
「それこそこちらの勝手というものだよ。さて、この場は任せてもらおう」
柔らかな物腰とは逆の強気な態度で、女騎士がメリーを庇うように前に出る。湿っぽい音とともに『手』が復活する。両手に構えた武器が、不思議な光を纏い始めていた。
「なに…?」
「現で知り合った少女よ。“夢狩り” の戦いをとくと見るがいい」
左の短銃に女騎士が
「―――
稲妻が奔る。
突撃してきた『手』が痺れたように痙攣してのたうち回る。一息で飛び込んだ騎士の剣が、手首のあたりをあっさりと両断して見せた。だが、それで終わらない。
「ほう。そういうタイプか」
分裂して、増殖する『手』。勢い衰えることなく突っ込んでくる。生き物のように複雑な軌道を描いてこちらを捕えようとしてくる。生理的な嫌悪感を覚える動きだが、しかし、女騎士は一切動じることなく右の直剣を正眼に構える。柄部分に深緑が瞬く。
「
水平に振り抜かれた剣が空間を切り取り、不可視の重みが『手』を押しつぶした。なおも這いずって出てこようとする数体を短銃でしとめながら、女騎士が首を横に振る。
「その程度では敵わないぞ。いい加減、本体を呼んだらどうかな」
「本体ですって? どういうことなの。アンタはなにを知ってるのよ」
「ふむ。君は、サクラの下には何が埋まっていると思うかね」
急になぞかけか。いや待った。元の世界で耳にしたことがある。有名な都市伝説だ。桜の下、すくすくと張られた根っこは何を養分に育つのか。その幹が糧とするのは―――――。
「人の死体…」
『なんて醜悪な…』
「
黒鳥居に囲まれた大樹の根本、そこから濃い血の色のような瘴気が堰をきったようにあふれ出す。
灰色の骨片と赤黒い澱みがなにかの形を成していく。メリーは知るよしもないが、獣の詩片と同様に、不定の存在が外部から視られることで定義づけされた結果だ。
その姿は、巨大な『頭』。人間の、だろうか。否、成人のそれではなく、赤子のようなフォルム。片目には赤い澱みが渦巻き、そこから絶え間なく血の滝が真下に向けて流れ落ちている。きっと、これをまともに正視して精神状態を保てる人間はいないだろう。普通の人間であれば。
「夢の主を見ても心を保っていられるとは。君はまるで、誰かに守護されているようだな」
「はっ、そんなんじゃないわよ。って、アレを倒さないといけないわけ?」
「そういうことだが、やけに落ち着いている。君は何者だ?」
不思議と、いかなる魑魅魍魎を前にしても、メリーは一切動じるつもりはなかった。いつも通り大胆不敵に、カッコよく。それはメリーという人間が持つ “物語” の一部とも言える。
「覚えときなさい、アタシの名前はメリー! 女騎士、アイツをぶっ飛ばすから力を貸しなさい!」
「豪気な。いいだろう、お手並み拝見といこうか」
吠えた啖呵へのお返しと言わんばかりに、異形の『頭』の口部が赤黒い血飛沫を放出しながら、あたかも赤子の泣き声のような、不安を掻き立てる不協和音を空間に響かせた。
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