第9冊 少女は物語を纏う

 学園の廊下に爆発の輪が広がる。窓ガラスや床板が砕け散り乱舞するその中を、機敏な動きで逃げ回る金髪の少女がいた。メリーだ。


「ったく、どっから狙ってるのよっ!」

『気配が掴めません、まったく…! 学園の建物中に詩片が散らばっているような感じです…!』


 飛んでくるガラスの欠片を回し蹴りの風圧で弾きながら、階段を走り上る。そこを狙って視えない何かも噛みついてくるが、左ストレートをねじ込む。

 だがなおも隙を突くように、どこからか剣や槍が降り注ぐ。制服はズタズタに引き裂かれるが、さすが頑丈な体だけあって肌は傷つかない。


「つっても、キリがないわねこれじゃあ!」

〈諦めなさい…。見つけられない、オマエでは…〉

『確かに。今のわたし達は、出口のない迷路で彷徨っているようなものですからね。どうしましょう、芽理』

「どうしましょうって、アンタねぇ。くっそ、こういう時に鎖とか縄とかあれば、目印にして抜けられるのに…!」

『鎖…? そういえば』


 メリーが何か思いついたらしい。さすが頼れる相棒だこと。なら、それが形になるまで時間を稼ぐ!


「とりま、試してみましょうか!」


 簡易版でお送りしますと言わんばかりに、金の光を収束させただけの拳を適当な壁に叩きつける。粉々になった壁を通り抜けて教室に逃げ込んだ。


〈観念しなさい…。オマエには、退場してもらう…〉

「はっ。それはアンタの方よ! メリー、準備はできた!?」

『ええ。芽理、今からこちらも詩片を使います。覚えていますか、初めて会った時に戦った、空飛ぶ船のことを』


 あの軍服男が操っていた力のことは、もちろん覚えている。確か、舵輪で舟を操ったり、鎖でこっちの動きを縛ったりしていた気がする。


『そうです。掴めないものなら、掴めるようにすればいい』

「面白いじゃない。アタシ好みだわ。やるわよ!」


 脳裏に浮かんでは消える文字を連ね、束ね、紡ぐ。


 鎖、支配する物。舵輪、道往みちゆきを定める物。それらのイメージを髪一本ずつに集中させると、無数の煌めきが髪から放出される。光の粒が文字をかたどってメリーの両腕に集った。


「“金の糸、金のうた。物語を彩る文字たちよ。今この手に集いて一片を織り成せ” ――― 寓話送装ピリオドメールッ!」


 硬い金属音とともに『鎖』が巻きつき終わる。手甲ガントレットのように具現化されたそれは、道を定めるしるべ


 引き絞った両腕を前に突き出すと、放たれた無数の『鎖』が縛るべきものを求めて縦横無尽に空間を翔ける。


〈オマエは…、これ、はっ…〉

「なぁるほどね。そこ、かっ!!」


 手応えアリ。何かに引っ掛かった『鎖』の一本をたぐって、廊下に飛び出し、真っすぐに駆け抜ける。

 もはや妨害は意味をなさない。なぜなら見えているから、目的地、敵の居場所が。


「見つけたわよ! 観念しなさ、い…?」


 たどり着いたのは学園に相応しい場所のはずだが、現状はおよそ相応しくない空間へと変わり果てていた。


 確か、もとは小講堂だったろうか。本来なら教師が立つための中心の講壇、そしてそこを囲むように半円形に造られた座席列。学びの空間は、しかし今や重苦しい瘴気に沈んでいた。

 まばらに座っている生徒たちは死んだように眠っていて、みな手首に大きな枷がはまっている。彼らを覆うように、腐臭が黒い霧と化していた。


『間違いありません、ここにいます。けれど、なんでこんな場所に…』

「教壇に立つヤツなら、そんなの決まってんだろ。なぁ、


 掛かったままの『鎖』を勢いよく引っ張ると、瘴気が切り裂かれ、その内に立つ者をあらわにする。そこにいたのは、くたびれたスーツ姿の男だった。鼻のあたりに乗せられた眼鏡の奥には、濁りきった瞳がぎょろめいている。校内で見かけたことがある顔だ。


〈オマエ……、転入生、か〉

「だったらなによ。んなことより、コレをやってるのはアンタね。さっさとみんなを返しなさい!」

〈ヒヒヒ…。ダメ、だ…。コイツらは、もうワタシの、モノ、だからな。やっと、大人しく、なったんだ…〉


 このゲス野郎、生徒を物扱いしやがって。いったいどういう了見だ。今すぐぶん殴ろうそうしよう。


『落ち着いてください、野蛮人おばかさん。相手はまだ詩片を開放すらしていません。今倒しても、事件は解決しない』

「あぁ? ちっ、だったらひとまず捕まってる生徒だけでも助けんぞ!」

『わかりました。そうしましょう!』


 講壇前に跳び降りると、生徒の一人に触れて揺り起こそうと試みる。


 バチィッ!!


「なっ、んだと」

『また侵食ですか!? けど、どうしてこんな容易く…』


 頭がクラクラする。酩酊感とでも言うべきなのか、快感と鈍痛を交互に流し込まれている感じ。


 咄嗟に距離を取って、講壇に立つ教師を睨みつけるが、それで状況が変わるわけもない。


〈無駄、だ…。みな、眠りたいのだろう。ワタシの、退屈な授業など、サボって、しあわせな夢のなかで朽ちるが、いい…! この、願いを叶える、大いなる力によって!〉


 なるほど、願いを叶える能力。つまりこの気持ち悪さは、そこに反応してしまっているからと。というか、動機は単なる腹いせか。みっともねぇ。


「いい加減にしろよ。授業を聞いてほしいなら、実力でどうにかしてみろってんだ」

〈なんと言われようと、構わない…。今のワタシは、力が溢れているんだ…。脳内で、彼方の言葉が強く、背中を押してくれている…。オマエは正しい、間違ってないィイイイイ!〉


 一層濃くなった瘴気が教師の体を再び覆い尽くし、その影はいつしか巨大な獣の姿へと肥大化していた。


「…マジでつまんない野郎ね」


 確かに言葉はどこまでも人を強くできる。勇気を与え、新たな道を示してくれることもある。困っている時に寄り添ってくれるのが、言葉であり物語だ。だけど。


「ただ借りただけの言葉に呑まれて、強くなった気でいんじゃないわよ、こんの三下!」

〈転校生…オマエも、ワタシを、否コイツを、バカにするのなら…呑まれてしまえ、終わりなき願いの井戸に……!〉


 いよいよ本気ということか、瘴気を纏った獣が実態をともない始める。無数の剣、鎖、槍、そして無数の文房具らしき小物類がガチャガチャと鎖帷子くさりかたびらのように不協和音をかき鳴らす。腐臭にまみれた吐息と咆哮を轟かせる異形の存在が姿を見せる。秘められた詩片が解放されたのが感じ取れる。


 向こうがその気なら、こっちも遠慮はしない。『鎖』をメリケンサックのように五指に巻き付けて打ち鳴らし、名乗りを上げる。


「アタシの名前はメリーよ。覚えときなさい!」

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