第5冊 詩片『天空に舞う舟』

 それは、古の時代に伝えられし説話。


 曰く、天より睥睨せし翼。


 曰く、地より見上げられし影。


 かつて人が夢見つつも手放した天の国。永遠夢想が揺蕩う、自由を体現した空の都である。


 今となっては、その存在は口伝に在るのみ。そして力の一端は歪められて、異形の方舟として時たま現出するのみである……。



      ☆★☆★☆ ☆★☆★☆



「で、どうやって戦うんだよアレと」

『恰好よく決めたのに台無しですね…』


 実際問題、空を飛んでいる物には手が届かない。悩みどころさんである。


「あははは♪ 面白いねぇキミたちは。今度は、オレが力を貸すよ」


 事態をじっと見守っていたシルクハット男が、笑みを浮かべながら腕をヒラっと回す。舟の中でも見た、不可視の何かがコートの裾から放たれて襲ってきた錨に巻き付いて動きを封じ、即席の足場とする。


 男の視線で意図を理解して、すぐさまジャンプ。錨に乗り移って、そのまま一気に駆けあがる。


〈本当に厄介な…。落ちろ、人形ごときが!〉

「うるさい! 今すぐそこに行ってやるから、待ってなさいオッサン!」


 跳ぶ。頬を掠めた錨の一撃も、セーラー服の裾を千切った鎖の一薙ぎも、全てを紙一重で避けきる。


 たどり着いた船首らしきをぶち破って中に転がり込むと、視線の先に舵輪を握る軍服男がいた。何やら仰々しい鎖の鎧は、先ほどまでとは違う異質な雰囲気を纏っている。


「ビンゴ!」

〈ふん、飛んで火にいる夏の虫だなァ!〉


 舵輪が巨大化して、無数の鎖が放たれる。ギャリギャリと金属が擦れ合う激しい音とともに手足に巻きつくが、圧倒的な膂力を手刀に乗せて糸くず同然に切り払う。


 間合いは掴めた。駆け出す。


 力を込めた右腕に光が集い、振るわれる準備が完了した。引き絞った上体を回転させて、顔面目掛けて右ストレート。

 盾代わりに掲げられた舵輪ごと、砲弾のような拳撃が男の顔に突き刺さる。


〈ぐッ〉

「なにが目的か知らないけど、いい加減観念しなさい!」

〈この空間にあって正気ということは、取り込まれた…。否、取り込んだというのかあの本を…!! 馬鹿な!〉


 アレってそんなに驚くことなのか。すげーな、アタシ。


『凄いのは確かですけど、あなただけがドヤ顔するのは違うと思うのですが』

「あっはっは、いいじゃん別に。んなことより、さっさとコイツぶっ飛ばすわよ!」


 両の拳を構えて気を取りなおす。見たとこ、舵輪と鎖以外には男に変なところはなさそうだ。けれど、なんだろう。この圧倒的な違和感と苛立ちは。大好きな本に勝手に落書きをされたかのような気持ち悪さがある。


『わかりますか、芽理。あれが詩片開放アンリーシュです。あるべき内容を歪めて、己の物とする。あの小刀のように、一部のアーティファクトに備わる術です』

「そういうこと…。つまり、この船は姿をイジられてるっつーわけね」

『思っていたより理解が早いですね。そうです、だからこそ止めなければなりません。世界の理を守るため』


 大ごとになってきた。いや、元から大ごとだったか。なにせ目が覚めたら異世界に魂だけ飛ばされる展開だし。ワンチャン夢の可能性もまだ捨ててないけど。


〈人聞きの悪い。ただ単に、私が読み解いてやっただけのこと。この欠片も本望だろうよ!〉

「読んでやったから感謝しろ? 何様よ、アンタ」

〈なんとでも言うがいい。どのみち、詩片を引き出せない貴様では私には勝てないのだからなァ!〉


 再びうねりながら襲い来る鎖の束。振り払おうとして、今度はなぜか手足の自由が利かなくなる。疑問に思う間もなく、振り回されて壁に叩きつけられる。

 痛みはないがうっとおしい。宙で脚をプロペラのように回転させて、鎖から逃れる。着地した隙にトラばさみのように開いた床が挟み込んでくるが、それも粉砕。


「どうってことないわね!」

〈そうは言うがね。気づいているのかな? 少しずつ、だが確実に動きが鈍ってきていると〉

「え…?」


 ガクっ、と視線が下に落ちた。いつの間にか片膝は床に。どうして。ダメージは全然ない。それなのに、強制的に頭を下げさせられてる…!


『これは…まさかこの船の力ですか!?』

「どう、なって…」

〈ハハハハハハ!! 見たか、これぞ本より出し詩片グリムピースの能力! ただそこにあるだけの情報が、ここまで見事な力となる。だからこそ、惜しいなメリードール。貴様の力も、こうして使いたかったァ…〉

「きんもっ」


 ホント気持ち悪い。ムカつく。本をなんだと思っている。ただそこにあるだけの情報? 違う。ふざけんな、そんな味気ないものじゃない。


『……先ほどから気になっていましたが。芽理、あなた結構な本の虫なのですか』

「本は好きよ。見たことのない景色を教えてくれて。知らない知識を与えてくれて。なにより、アタシに生き方を示してくれた。だから!」


 心の底から湧き上がる激情に惹かれるように、髪の毛が逆立った。強靭な金の糸となって揺蕩たゆたい始める。そうして、イメージが一つ脳裏に浮かんだ。


「メリー、一つ聞かせて。改変された詩片ってのは、元に戻せんの?」

『正直わかりません。けれど、あなたが宿る今のわたしならば』

「可能性はゼロじゃないと。だったら、やるしかないわね」


 気怠く重い体を激励してなんとか起き上がり、仁王立つ。いつだってピンチの中でそうしてきたように。


「勝手に物語を書き換えようってんなら、アタシが止めてやる!」

『ええ、取り戻しましょう芽理!』


 いつの間にか消えていた白本を左手に呼び戻し、掴む。思考を文字に。


 そうして言の葉を紡ぐ。


「“金の糸、金のうた。世を象るすべての文字よ。今この手に集いて一つの区切りをつけろ”」


 荒ぶる髪の一本一本がキリキリと伸びて逆巻き、右腕に巻きつく。気が張り詰め、空間全体に漂うなにかが五指に宿っていくのを感じる。エネルギーが充填されて、臨界点に達するように。


〈無駄だ無駄ァ。メリードールのスペックでは、詩片の力には耐えれまい。自壊してしまうのが関の山!〉

「さっきからゴチャゴチャうるせぇんだよ。んなもん関係ねー。アタシはアタシの道をゆく!」

〈小娘が、粋がるなよッッ〉


 左足を力強く踏み出す。右の掌に感じたひとひらの光片を全力で握り込み、金色の一条と化したパンチを全身の力を乗せて放つ。


 軍服男が何かに気付き、慌てて舵輪と鎖を束ねて分厚い壁とするがもう遅い。


 閃く言葉は。


「―――― 寓話終了ピリオドコールッ!!」


 時が止まったように錯覚するくらいの刹那。なにかを砕いた感触を残して、大きな爆発がなにもかもを包み込んだ。

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