第4冊 そして物語は始まる

 こちらを見下ろす巨大な影。さっきまで自分たちが乗っていたらしい飛行船が、今や天空に異形の翼を広げている。耳をつんざくような鋭い咆哮は、その異形のものだった。どこから出てきた。


「次から次と…なによ、これ」

「アレがねぇ、手を貸してくれないかと尋ねた理由でね。詩片開放アンリーシュといって、此の世ならざる物語を顕現させているのさ。放っておくと、非常に不味いわけだよ♪」

「わけがっ、わかんない…! てか、この痛みはなにっ」


 心臓を直接触られているかのような不快感と、吐き気を催す痛みに苛まれる。アタシは本を開いただけだぞ。一体何が起きているのか理解できない。ホントに夢だろうかこれは。そんな生やさしい事ではない気がしてきた。


『運命の、スイッチが入って、しまった…。もう、わたしもあなたも、逃れることは、できない』


 弱々しくなった声が、脳裏にこだまする。


「はっ! 及び腰、じゃない。さっきまでのムカつく感じは、どこいった、のよ…」


 答えが返ってこない。本格的に諦めてしまったのか。いいや、そんなはずない。芽理は、魂で感じ取っている。脳内の声の主は、自分と同じはずだと。


 すなわち、抗い、守る者に違いないと。


「だから、諦めんじゃないわよ。ここからでしょう。面白くなるのは!」


 いつだって主人公が活躍するのは、追い込まれてから。主役が輝くのは、きっかけの後の行動が超絶カッコいいから。


「興味深いねぇ。キミは、押さえ込もうというのかい? 己の始りを」

「始めるかどうか決めるのは、アタシ自身よ。訳のわかんないモンに決められる筋合い、ないでしょう、が!」


 左の掌に張り付いていたように手放せない白い本の、時が止まってるみたいにビクともしない表紙。睨み付けても状況は変わらない。ならば、自分にやれることはいつもと同じだ。たった一つ。


 己の拳を。


 ――――叩き込む!!


 返ってきたのは、とても紙を殴ったとは思えない感触。頑丈な握り拳ですら痺れて、感覚が一瞬遠のく。心臓の動悸も激しくなってきた。本格的に後がないらしい。


『め、芽理?』

「かってー。いいわ、上等じゃない。力を貸しなさいアンタも。一緒にブチやぶるわよ」

『……その本は、この世の理そのものなんです。そんなことはできません。もう始まってしまったのですから』


 生気を失った声になっているのは、自身のこの後を心配してのものではないのだろう。むしろ自分を巻き込んだことを申し訳なく思っている感じだ。そう芽理は信じた。


「ふふっ」

『な、なにを笑っているのですか。状況がわかっていますか。このままだと、わたし達はこの本のさだめに囚われてしまうのですよ』

「わかってるって。けど、それと何もしないのは違うでしょって話。だって、アタシの腕はまだ動くし、アンタの声も聞こえている。まだ、できることがあんのに、諦めちゃうのはもったいないでしょ!」


 この期に及んで他人の心配をできる声の主を、芽理は好ましく思う。優しいヤツなんだと、想った。


『あなたは、本当なんなんですか。どうして、もう一度立ち上がろうと思ってしまうのかしら…!』


 イイ感じ。脳内の声にも活力が戻ってきた。生意気で、我の強そうな声音。それでいい。でなけりゃ張り合いがないというもの。


「そういや。アンタの名前聞いてなかったわね」

『わたしの名前は……………メリー。あなたと同じです、奇遇なことに』

「へぇ…! いいじゃない、それこそ運命ってやつでしょ。こういうのをそう呼ぶのよ」


 左手に力が宿り、己の意志で白本を掴む。そして右手の指で最初の一ページ、摘まんだ。読まされるわけでも、読まなければいけないわけでもない。本とは、物語とはそういうものじゃない。


「今、アタシたちで!」

『わたし達自身の!』


 全身の痛みは全てどこかに置き忘れられてきたようだった。空白の一ページを指でめくった途端に、五感が研ぎ澄まされた。同時に、脳裏に無数のセンテンスが流れ込んでくる。その一文字一文字を掴み取り、血肉と結びつける。


 其れは、誰かの手から誰かの手へと紡がれたおとぎ話。生死の際につながる救いの呼びかけにして、その明るさでまだ見ぬ暗闇を祓う二人の物語。


 今ここからが、序章を超えて、二人の幕開け。


「『物語を始めよう!! ―――― 灯紡ぐおとぎ人形メリードール・フォークロア』」


 金色の光柱が奔流となって立ち昇る。沸き上がるイメージに引き寄せられた体に巻いた黒布が、学生服、詳しく言うと一昔前のセーラー服へと変わる。最高潮に達した金髪の輝きが全身を覆い、二人の姿は完成した。


「なるほどねぇ。それが、キミたちの物語か♪」

「そんな大層なモンじゃねえよ。ただ、一歩は踏み出した。あとは野となれ山となれだ!」

『やはり、言い回しが古いですね芽理…』


 そんなこと言われても。


〈いい加減無視するのはやめてもらおうか!?〉


 水を差す怒号。降り注ぐ鉄錨に、そもそも今なにが起きていたのか思い出した。頭上を見上げると、異形の船がゆらめかせる錨の一つが襲ってきたのだとわかった。今の声はさっきの軍服男か。


 進むべき筋がわかった今、敵の威圧威容を目にしても全く怖くない。


「さぁ、アタシらの初陣よメリー!」

『ええ。けど、今はあなたがメリーよ!』

「オーケー相棒!」


 右の拳を勢いよく掲げて、宣戦布告をぶちかました。

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