3話
この世界において、狩猟者と呼ばれる生業が重宝される理由は多岐に亘る。
名前のとおり、野生の生き物はもちろん、マナによって体質が変容した個体、魔物を狩り、その素材を持ち帰るのが主な仕事となっている。
マナの過剰な働きによって変質した強固な鱗や、頑強な牙など。武器や日用品にいくらでも加工して利用されている魔物の素材は非常に高価に取引されている。
故に、多くの狩猟者は魔物の討伐に心血を注ぎ、命を賭して狩猟を行っている。
オルヴァーとヘレンの二人組の狩猟者は、その例から漏れた珍しい部類だった。
近隣の村々を回り、依頼を受けて解決していく。何でも屋、という認識が一番近いだろう。
その依頼の中の一つが、森の異変の調査だった。
「ねぇ、本当にいいの?」
その異変の調査に同行することが決まった夜。就寝の用意を整えたクインが颯太に問いかける。
クインとリアに用意された部屋から出ようとしていた颯太は、クインの質問に苦笑を浮かべる。
「いいってば。ベットは一つしかないんだし。俺はいつも通り空いた部屋を勝手に使わせてもらうよ」
「別にリアも私も、ソータと一緒に寝ても大丈夫なのに」
「え!? あ、いや、だ……大丈夫ですよ?」
「……無理しなくていいから。今のうちに村の様子とか見て回っておきたいし」
なんでリアの方が貞操観念しっかりしてんだよ。と思いつつも口にはしない颯太。今更同じ部屋で寝たところで、自分の自制心が限界を迎えるとも思えないが、落ち着いて休める気がしないので遠慮しておきたい。
「それじゃ、二人とも、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
「ねぇ、ソータ」
ドアノブに手をかけた颯太に、クインが呼びかける。
「気にしなくて、いいんだからね」
主語もない言葉。
その言葉が何について告げたものなのか。告げる声は、優しい響きをまとっていて。
「……おやすみ」
颯太はクインの顔を見ないまま、部屋を出る。
そのまま足を止めず、宿を出て行く。外は無音で、人の気配はない。街にいた頃は、今ぐらいの時間であればまだ賑わいはあったような時間帯だが、この村では全ての住人が家に戻り、休んでいるのだろう。
夜の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、颯太は宿の扉に背中を預けて。
「はぁぁぁ……」
そのままため息を吐きながら、座り込んだ。
「……モロバレじゃん……恥ずかしい」
二人を危ない目に合わせたこと。そのことを悔やんで落ち込んでいる颯太に対して、クインは優しい言葉をかけてくれた。
顔を両手で覆い、うな垂れる颯太は、誰にも自分の声が聞こえないのをいいことにひどい呻き声をあげる。
「顔に出すぎなんだよ馬鹿野郎……クインに気を遣わしてどうするんだ」
髪の毛を乱暴に掻き、颯太は心からの後悔の声を出す。
魔物という存在ばかり気にかけ、野生の動物への警戒を怠った。一度あれだけ巨大な危険生物を退けたのだから、野犬の数匹程度に遅れを取ると思っていなかった。
その油断を、慢心を悔いることは正しい。しなければならない後悔だ。でも、自分の力不足ばかりは、悔やんだって悩んだって意味がない。
そんなこと、初めからわかっていたことなのだから。
わかっていながらも、颯太はクインに手を差し出し、掴んでもらったのだから。
手のひらを顔面に強く押しつける。滲んでしまった涙を、二度と出てくるなと眼球ごと押さえつける。
「もう、悩むな」
手を退けた後に見える顔は、これまでの後悔を一切滲ませない、凛とした表情だった。
「次は、二度と油断なんてしない。どんなことをしても、クインを、リアを守る」
誰にも聞こえない宣言を口にして、颯太は立ち上がった。
そして、その決意に満ちた表情のまま、突如開いた扉に押されて地面に顔から落ちた。
「な、なんだ!?」
さっきとはまるで違う情けない呻き声を上げて、両手で顔を覆う颯太の後ろから狼狽する声がする。
「……ソータ、だったか。そこにいるのか」
扉を開ける際に、何らかの物体に当たった感触に最初は狼狽したオルヴァーだったが、すぐに平静を取り戻し、低い声で颯太に問いかける。
「すまない。まさか扉のすぐ傍にいるとは思わなかった」
『い、いえ。むしろそこにいた俺が悪いので……』
地面に叩きつけた鼻を押さえながら、颯太は魔法を用いて返事をする。
「……それで、おまえはこんな時間に何をしていたんだ」
油断を見せない素振りで、オルヴァーは自身の腰に下げた剣に手を伸ばす。
『えっと……夜風に当たりに?』
「……まぁ、いい。不審な行動をしていようと、どうせ俺には見えないからな」
颯太の返答に気が抜けたのか、オルヴァーは剣に伸ばしていた手を下げ、ため息を吐く。
『そういうオルヴァーさんは、何を』
「俺か? 俺は……日課の訓練だ」
そう言ってオルヴァーは歩き出す。宿の近くの庭に立ったオルヴァーは、腰に提げていた剣をスラリと抜き放ち、虚空に向けて振る。
「――っ!」
素人の颯太にもわかるほど、洗練された一太刀。たった一閃で、相手の命を刈り取ることを目的とした剣の軌道は、風を断って夜の慎とした空気を更に冷ややかなものとする。
ただ闇雲に剣を振るうだけではない。一閃一閃が相手の急所を薙ぎ払う軌跡を描く、渾身の一撃。
『毎日、そういう訓練を?』
「そうだな。野営で息を潜めていなければいけない事態でもなければ、この仕事を始める前から毎日やっている」
話しながらも、オルヴァーの剣は鋭く風を切る音を響かせる。
颯太がこの世界に来てから、剣を振るう人間は何人も見てきた。教会の戦闘員には刃物の恐ろしさを心に叩きつけられたし、騎士団長のアルフレルドにはその頼もしさを見せ付けられた。
おそらく剣の使い手として、アルフレルドは最高峰の位置にあるのだろう。それだけの強さが、素人でしかなかった颯太の脳裏にも焼きついている。人が真横に吹き飛んでいく光景など、そうそう忘れられるものでもない。
そして、目の前にいるオルヴァーも、相応の使い手だということを、剣を振るうたびに伝わってくる圧力が表していた。
アルフレルドの剣が嵐のように叩きつける暴風であれば、オルヴァーの剣は一撃で命を絶つべく襲い掛かるカマイタチのようだ。
『すごい、ですね』
「生き抜くためだ。すごいことなど何もない。俺たちの仕事は程度はあれ、気を抜けば死ぬ。今日だって少しでも隙を見せれば……あれだけの数だ。襲いかかられれば返り討ちになっていただろうな」
『……それでも、クインを助けようとしてくれたのですよね』
「あんな年端もいかない少女を、見捨てることなどできるか」
そう、当然のように言い切り、オルヴァーは剣を鞘に収めた。
「……やっぱり、良い人なんだよなぁ」
言動と目つきが厳しいだけで、根は善良極まりない、というのが颯太のオルヴァーに対して抱く印象だ。ヘレンに関しては言うまでもない。
世の狩猟者という人間の全てが全て、彼らのような善人とはさすがの颯太も思えない。偶然、善人だった彼らが颯太たちを助けてくれただけだ。
「おまえの、その、マナを声に変換するという魔法だが……マナは大丈夫なのか?」
渋面のままオルヴァーが問いかける。
『そう、ですね。ずっと使っていれば多少疲れはします』
「……多少、で済むのか。ゴーストというのは、そういう面でも化け物なのか」
「お、なんかひどいこと言われた気がするぞ」
聞こえないのを言いことに好きに言葉にする颯太。今更化け物扱いされても傷つくような精神は持ち合わせていないので、特に怒りも落胆もない。
「普通はそんな、広範囲かつ指向性がまったくない魔法を使えば、マナなどすぐに枯渇するものなのだがな」
『……クインは、俺のマナの総量はいたって普通の量だって言ってましたけど』
「どこの普通の話だそれは。話を聞く限り、あのクインというお姫さまも、幽閉されていたというのだからそういった常識には疎いのかもしれないぞ」
『……否定できないですね』
心の中でクインに謝りつつ、オルヴァーの言葉を肯定する。
クインの知識は閉ざされた城内で、本やフィリスからの教育によるものだ。それらの教育内容すべてが間違っている、などとは欠片も思わないが。世間一般の常識が更新されていない可能性は大いにある。
「というより……増えた、って感じなんだよなぁ」
城の庭園でクインと出会う前。魔法を扱えるようになった頃からの自身の内にあるマナの総量に比べると、明らかにその量は増えている。こうしてオルヴァーと円満に会話をするためにマナを声にして発していても、枯渇の心配などないぐらいに。
日に日に増えている、という感覚ではない。
そんな緩やかな現象ではなく、何かを契機に増えているような――
「俺はもう少しここで続けていくが、おまえはもう休んだらどうだ?」
オルヴァーの問いかけに、思考を止める。魔法を用いると咄嗟の応対もできやしないな、と今更ながら不便を感じる。
同時に、この見ず知らずの他人を助けてくれた恩人に、無茶な頼み事をするための覚悟を決めた。
『……オルヴァーさん。恥を忍んで、お願いがあります』
颯太の真面目な声色に、オルヴァーの視線が鋭くなる。
『俺に、戦い方を教えていただけな――』
「断る」
「即答!」
快諾されるとは欠片も思っていなかったが、そんな少しも考える素振りもなくかつ食い気味に断られるとも思っていなかった。
「なぜ俺がそんなことをしなければならない。俺がおまえに戦い方を教えて、何か得があるのか?」
『そう言われると返す言葉は一つもないですが……』
オルヴァーの言うことはごもっともであり、反論の余地がどこを探したって見つからない。
姿が見えない赤の他人。というだけで警戒するには十分過ぎるほど理由はある。その上、自分から戦い方を教えるなど快諾する方がおかしい。
『それでも、どうか。お願いします』
でも、そういったことをわかった上で、颯太は教えを乞うているのだ。
見えていないのはわかっている。それでも颯太は、膝をつき、額を地面に押し付ける。
『もう彼女たちを、危ない目に合わせたくないんです。二度と、命の危険なんて感じさせないぐらいに、俺が、戦えるようにならなきゃいけないんです』
変換された声が発する位置が下方になったことから、オルヴァーも颯太の今の姿勢を察し、顔を下に向ける。その瞳は、依然冷ややかなままだ。
「さっきも言ったが。旅をしている以上、身の危険がないことなどありえない。いくらおまえが俺から戦い方を教わろうとも、どうしたって何かはある。いいか?
確実に安全な旅などない。そんなことは颯太もわかっている。魔物だなんて暴力の化身のような存在もいるし、腹を空かせた野生の生き物の怖さも思い知った。
自分が暮らしていた世界にだって、確実な安全などどこにも保障されていなかった。
いつものように眠り、目を覚ましたらどことも知れぬ異世界に放り出されるような世界なのだから。
『それでも、です』
諦めず、マナを搾り出す。
『男が、大切な女の子を自分で守りたいと思って……無茶だなんて言われたって、諦めることなんてできません』
自分の手をとってくれた少女を。ついて来てくれると言ってくれた少女を。誰がなんと言おうと守らないといけないのは自分なのだ。
地面に額をつけたまま、沈黙の時間が続く。颯太の必死の懇願の姿は見えずとも、響いたマナが彼の熱量を訴えてくる。
最初に、その沈黙を破ったのはオルヴァーの深い溜息だった。
「……その理由には、俺も弱いな」
髪を乱暴に掻き、オルヴァーが呟く。
「一つ。一つだけだ。戦い方を教えてやることなどできんが、一つだけ、助言をくれてやる」
オルヴァーの言葉を聞いて、颯太が顔を上げる。見えた表情は、本当に渋々、嫌々教えてやると言わんばかりの渋面だった。
「姿が見えない。それだけで、おまえは異様に強い」
オルヴァーとしては颯太の顔を見て話しているつもりだろう。だが、颯太から見れば、若干その視線は外れている。視認できていないのだから当たり前だ。
聞こえてくる声を頼りに、颯太の顔があると感じた位置に向けて、目を向けているに過ぎないのだから。
オルヴァーほどの狩猟者として長けた人物であろうと、見えない者を完璧に感知することなどできやしない。
「おまえは戦い方を教えてくれ、と言ったが、そもそもおまえ相手に
颯太から視線を外し、オルヴァーは剣を抜く。そして、もうこれ以上何も言うことはないとばかりに、再度訓練を再開した。
『……ありがとうございました』
助言をもらえたことに礼を言い、颯太は立ち上がった。
鋭い風切音を伴って振るわれるオルヴァーの剣。紛れもなく、これは彼の武器であり、力だ。
じゃあ、水際颯太の持つ武器とは、なんだ。武器は持っている。颯太の血に塗られた短剣がある。だがこんなもの、素人が躍起になって刃物を振り回すのと変わらない。扱う技量も、振るう覚悟も中途半端な代物は、今求めている武器でもなんでもない。
「見えない体、か」
気づけば無理矢理持たされていた、颯太のただ一つの特性であり、呪いとも言えてしまうような忌まわしいもの。
だが、それに救われてきたことは一度や二度じゃない。
「そうだよな。俺が持ってる武器なんて、ほんとそれぐらいしかないんだよな」
身体能力も並かそれ以下で、卓越した戦闘技術なんて欠片も持っていない。あるのは見えない体と、ちょっと器用に使える魔法だけだ。
思わず、拳を硬く握り締める。
「……やれることを全部やってから、だったよな。頼むぜ、異世界超常現象」
明日には、森の異変の原因であるマナ溜まりに向けて、出発する。しっかり休養を取り、慣れない旅の疲れを癒さなければならない。
だというのに、今の颯太にはこれっぽっちも眠気を感じていなかった。
*
「うわすっごい。本当に馬の姿になれちゃうんだ……」
まだ太陽も昇らない早朝の内に、リアは馬の姿へと変化する。そのどこからどう見ても何の変哲もなく馬でしかないリアの姿を見て、ヘレンが驚きの声を上げた。
人目につかないようにという配慮のおかげで、周囲には村人の姿はない。
「見た目は普通の馬なんだけど……本当はあの愛らしい女の子だと思うと馬の姿でも可愛らしく見えてくるね……うへへ」
「気持ち悪い笑い方してる暇があるなら、おまえも荷物を運べ。クインの方が働いているぞ」
森の異変の元凶である、マナ溜まりの調査。その調査にどれぐらいの日数がかかるかわからない以上、準備には気を抜けない。
テキパキと荷物を馬車から下ろし、持ち運びやすいようまとめていくオルヴァーとは対照的に、心底気の抜けた笑顔でリアの鬣やら顔やらを撫で回すヘレン。
そして。
「ねぇソータ! 私、力仕事って初めて!」
「うん、そうだろうね。喜ぶのはいいけど、危ないからしっかり前見て歩いてね。重量物持ってるときはふざけないでね」
保存食を詰めた袋を抱え喜んでいるクインを見て、その後未だ気の抜けている相方を見て、溜息を吐くオルヴァー。クインの隣には独りでに浮かび上がる荷物もあるのだが、そろそろオルヴァーもその怪奇現象に慣れたのか一瞥するだけで驚きはしない。
「あの……僕も手伝った方がよろしいのでは」
「おまえの姿を村人に見られたらどうする。年端もいかない少女など目立つぞ」
『あの、それだったら俺が荷物運んでるのも見られたら相当騒ぎになるのでは』
「男だろう。働け」
『あっ、はい』
嬉々として荷物を運んでいるクインがいる以上、颯太も力仕事にするのになんの不満はないが、見られたらヤバい度合いは颯太の方が圧倒的にあるとは思う。
「一応、野営も覚悟してもらうが可能ならば日中に片をつけたい。朝早くから動かせて悪いとは思うが、協力してくれ。ヘレン、おまえは働いてくれ」
「はいはい。キビキビ働きますよーだ」
朗らかに口にして、ヘレンはリアから離れる。その子どもっぽい口調を聞いてオルヴァーは溜息を吐くも、それ以上特に言及することなく作業を再開した。
「……あの二人って、本当に仲が良いわよね」
荷物を置いたクインがそっと颯太に耳打ちする。
クインの顔が耳元まで近づいた故の気恥ずかしさに、若干体を逸らす颯太。急に近づいて来られたりすると、女性慣れしていない颯太は思春期を堪えられないのだ。
「そう、だね。口では色々と文句を言ってるけど、オルヴァーさんも信頼してるからああして二人で旅してるんだし」
男女二人組みの狩猟者がこの世界で珍しいのか、そうでもないのか。その判断は知識が不足している颯太にはできないが、相応の信頼感がなければ成り立たないのはわかる。
「……ねぇ、あの二人って恋人だったりするのかしら」
「さ、さぁ。どうなんだろうね」
「私が思うに、二人はまだお互いの想いに気づいてない段階ではないかしら。物語で読んだことあるもの。ああいう歯に衣着せぬ物言いをずっとしてきたから、きっと素直になることに照れてしまって関係性がうまく進んでいかないのだわ」
「けっこうグイグイ推測してくなぁ……」
楽しそうにワクワクと自分の考えを口にするクイン。楽しそうで何よりなのだが、颯太とは違って声もその嬉しそうな表情も伝わってしまうのだから、当人たちに聞こえてやしないかと不安になる。
「もう少し荷物を積みたいが、余裕はあるか?」
「はい。大丈夫ですよ」
「重かったら言ってね。君みたいな女の子を荷物運びに使うのは気が引けるし、遠慮なんてしないでいいんだからね」
荷物を載せたリアを気遣うように声をかえるオルヴァーとヘレンを見て、クインが嬉しそうに微笑む。
「ほら。絶対良い人だもの。私たちのことを知っても、気味悪がったり、敵対しようとしなかったし」
「……そうだね」
リークテッドの街中で自分の存在が露見された時のことを思い出し、颯太は苦笑する。
知覚されただけで市場から人が消えていなくなるほどに怯えられていたというのに、彼らは警戒するだけだった。ゴーストという存在の上辺だけではなく、水際颯太という者を、見ようとしてくれた。
嫌悪ではない。それだけで、気持ちは楽になった。
「頑張りましょう。人助けも、私たちの旅の理由の一つなのだから」
通りがかった森に潜む、巨大なマナの気配。最初はそれに関わることに乗り気ではなかった颯太も、今ではまったく拒否感はない。
「せめて、足手まといにはならないようにしないとな」
助けられたし、助言ももらった。恩を返せる機会があるのだから、返さなければ気が済まない。
「オルヴァーさん!」
荷物を背負おうとしていた颯太は、突然聞こえてきた幼い声に驚いて荷物から手を離す。
まだ太陽も昇らない早朝だというのに、いつしか村人が次々と家から出ては、これから出発しようとしていたオルヴァーとヘレンを囲む。リアはまるで馬のようにヒヒンと鳴き、クインはローブのフードを深く被り直した。
女の子が一人、オルヴァーの手を掴む。
「気をつけてね。怪我しちゃ嫌だよ」
「簡単な調査だ。怪我などするわけがないだろう」
「どうしてそう突き放すような言い方しかできないのよ。素直にありがとうぐらい言っておきなさいよ」
「いいのよヘレン。オルヴァーが殊勝な物言いになったら、逆にこっちが不安になっちゃうよ」
オルヴァーとヘレンを中心に、朗らかな笑い声に包まれる。依頼をする者、受ける者。それだけではないとわかるほどの信頼感が、この光景だけで伝わってくる。
「ああ、あんたが手伝ってくれるって子だね?」
恰幅の良い女性がクインを見つけ、傍に近づいてくる。クインは髪と目を見られないように深くフードを被り直す。
黒い髪も決して珍しいものではない。という事実は知っていても、その黒い髪を長く伸ばした者などいない。申し訳ないと思いながらも、クインは顔を上げずに会釈だけで済ませようとする。
「オルヴァーとヘレンがいるんだから平気だとは思うけど、気をつけてね」
「はい、その、ありがとうございます……」
顔を見せないように振舞うクインに、女性は訝しげな視線を送る。その視線を見なくてもわかっているからか、クインの言葉も歯切れが悪い。
「……そいつは、顔にひどい傷を負ってるんだ。できれば、見ないでやって欲しい」
「おっと、そうだったのかい。悪いことをしたね」
オルヴァーの嘘を信じて、女性は笑って謝罪しながら、フード越しにクインの頭を撫でる。
「綺麗な声をしてるんだ。きっとヘレンよりもずっと美人に違いないのにもったいないねぇ」
「ちょっと、それわざわざ言う必要ある? ねぇ? オルヴァーもここぞとばかりに笑ってんじゃないわよ」
軽口に応酬に、再度場は笑顔に包まれる。
クインは頭を下げ、その場を離れるようにリアの傍に寄った。
「ねぇリア。私、この年になって頭を撫でられたの初めて!」
「え、あ、そうなんですか。それはよかったというかあまり僕に話しかけない方がいいかと……」
喜び笑顔のまま、リアの鬣を撫でまくるクイン。気の抜けて、長閑な光景にオルヴァーはため息を吐いて近づいていく。
「おい、出るぞ。グズグズしてると森で夜を明かすことになる」
「……どうしよう、ちょっと野営に興味ある」
「クイン。ワクワクした顔してないで、早く行こうか」
颯太は呆れた顔のまま、フードの下に隠れた笑顔のクインの背を押す。これ以上グダグダしていたらオルヴァーに呆れるだけじゃ済まなくなるだろう。
「……大型の魔物の兆候は見られないが、危険性のある野生動物は確認している……もし三日も経って、俺たちが誰一人として戻ってこなかったら別の狩猟者に依頼を出すか、国に使いを出してくれ」
そう村人に告げるオルヴァーの表情を見て、村人たちは一様に気を引き締めた。
その律儀な反応を見て、オルヴァーは口元に薄っすらと笑みを浮かべる。
「これが俺たちの最後の仕事だ。帰ってきたら、軽い宴でも開いてくれ」
片手を上げ、そう言い放ってオルヴァーが歩き出す。ヘレンも、クインも、リアもその後に続いて歩き出し、村人たちは笑顔を浮かべ手を振る。
颯太だけが、歩き出しもせずに、立ち尽くしていた。
「……なんでそんな死亡フラグみたいなこと言うの?」
颯太の呟きはクインとリアだけに聞こえていて、二人は振り向いて首を傾げていた。
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