2話
「……水と枯れ草だけで、足りる?」
「……まぁ、なんとか」
森を抜けた先にあった、小さな農村。その村の一角で、馬の姿のままのリアが枯れ草をもっしゃもっしゃと食べている。颯太はその傍に膝を抱え、蹲ってため息を吐いた。
小さな村だが、別の町や村との交流のため、一軒だけ宿屋を経営している家があった。その家の傍に馬車を置かせてもらっている。
「枯れ草も、この姿の時に食べると結構おいしく感じられるんですよ。味わい深い風味してますし。僕よりも、ソータさんは何も食べなくていいんですか?」
「あとでこっそりいただくよ。リアの様子を見に来ただけ」
魔物の大群に襲われてから時間はそう経っていない。突然姿を現し、助けに入ってくれた二人は手馴れた手つきで数頭の野犬の血抜きをして馬車へと運び込み、クインを連れてこの村へと護衛してくれていた。
そして今、三人は宿の中で食事を摂っている。当然、そこに姿の見えていない颯太の分も、馬の姿のまま戻れないリアの分も用意されているわけがなく。
「僕のことはいいので、ソータさんも何か食べてきてください」
「あー……なんというか、あんまり食欲湧かなくてさ」
「大丈夫ですか? もしかして、マナの枯渇が相当ひどいのでは」
「いや、それは不思議とあんまり」
立ち上がり、首を回したり手足を動かしてみる。体内のマナが枯渇した際特有の体の重さは然程感じない。
日に日にマナの回復が早まっている実感を不思議に思うも、颯太の内心は別のもので一杯になっていた。
「なんというか。クインに、合わせる顔がない」
「合わせる顔、ですか?」
「うん。というより、ちょっと自己嫌悪中というか」
これまで。クインと出会ってから何度、彼女に命の危険が及んだだろうか。一度目は、城の近くの森の中で、教会の戦闘員に襲われたこと。二度目は、つい昨日の話だ。魔物を抑えきれず、リアがいなかったらクインの命はなかっただろう。
そして、三度目。あの時、誰も助けなど来なかったら。今頃どうなっていただろうか。
クインの魔導やリアの力ならば、ある程度は抵抗できただろう。でも、あれだけの大群を退けられたか。
そんなこと、考えるまでもない。
確実に、食い殺されていた。
「力不足は百も承知だったけど。ここまで無能だったなんて、さ」
姿が見えなければ、相手にされることもない。どれだけ矢面に立とうとしても、身を盾に振舞おうとしても。敵は目に見える者を優先して襲い掛かる。
身を挺して守ると決めた誓いが、目に映らないこの体では、こんなにも果たすことが難しい。
「……悩んでも仕方ないよな」
リアが何かを言おうとする前に、颯太は頭を振って顔を上げる。
「クインの様子を見てくる。リアのご飯も、隙を見て何かもっと良い物持ってくるから待ってて」
馬の姿のままなので表情から何も判断することはできないが、リアだって突然弱音を吐かれて困っていただろう。苦笑を浮かべ、颯太はそう言って宿の中へと戻っていく。
「リアに愚痴ってどうすんだよ……」
合わす顔がないのは、リアにだって同じことだ。クイン同様、リアも危険な目に合わせてしまったというのに。
情けない想いを抱え、額に手を当ててため息を吐きながら戻ってきた颯太に、宿の中で食事をしていたクインが目を向けてくる。
どうやら食事も終わる頃らしく、クインと同じ卓に座っていた二人組みの冒険者……その内の一人である赤茶色の髪の女性が口を開く。
「どう? ここの宿のご飯おいしいでしょ。あなたの馬車のおかげで助かったし。足りないならもっと食べて食べて」
と、人懐っこい笑顔で食事を勧めている女性に、クインは苦笑を浮かべる。
「その、十分です。いただいた分だけで、お腹いっぱいです」
私だけ先に食べちゃってごめんねと、クインが視線だけを颯太に向けて謝る。勝手な都合で席を外していたのは颯太なのだから、謝られる筋合いもない。クイン同様、苦笑を浮かべて颯太はクインの近くに立った。
「……まぁ、見えてないよな」
見知らぬ男が一人、唐突に話相手の傍に立ったら普通は驚くし目を向けるだろう。そのような様子もなく、女性も、その隣に座る目つきの鋭い男も颯太の存在を少しも視認できていなかった。
「ヘレン。それぐらいにしておけ」
呼びかけられた女性、名をヘレンというらしい。彼女は突然制してきた男に向けて不服そうに目を細める。
すでにクインとは自己紹介を済ませているのだろう。身なりからして町から離れ魔物や動物を狩って生活をする、狩猟者なのだろうかと勝手に予測する。
「何よ。オルヴァーだって馬車があったおかげで儲けが格段に増えて喜んでたじゃない。食事代と宿代ぐらいでケチケチ言わないでよ」
「違う。そんな小さいことを言おうとしてるんじゃない」
オルヴァーと呼ばれた男は、今しがたまでクインが食べ終えた空の食器を指差し。
「おまえは人一倍よく食べるからわからんかもしれないが、もう十分過ぎるほどこの子は食べているぞ。これ以上無理に勧めるな、と言っているんだ」
その言葉に颯太も卓の上に並べられた空の食器に目をやる。三人分だと思っていたから不思議に思っていなかったが、クイン一人で食べた量にしては妙に多い。
「あーごめんね。ついあたし基準で考えちゃった」
勧められた物を勧められた分だけ食べたのだろう。もしくは、もっと早くから傍に来てくれると思っていた颯太の分もあったのかもしれない。
食べ過ぎた苦しさを隠そうとする笑顔を浮かべるクインを見て、またしても颯太は悔やむ想いを抱える。
「いえ、本当に助かりました。村まで護衛していただくだけではなく、こうして宿まで紹介してもらえるなんて」
「あそこまで野犬の群れに追われた者を放っておくわけにはいかないだろう。礼には及ばない。ヘレンの言うとおり、こっちも馬車があったおかげで助かった」
「時期が時期だし。ああいう群れも、放っておいたら村まで縄張り範囲を広げたりするし」
「……普段は、あそこまで野犬が群れを成すことはない、と」
「そう、だね。元々群れで行動しているけど、あそこまで大所帯なのはお目にかかったことはないかな」
自分たちが退けた野犬の群れを思い出すように腕を組み、ヘレンが口を開く。
「あたしたちはこの辺りを根城にしてる狩猟者なの。この村や、他の近くの町や村を回って依頼があったらそれに対処するって生業なんだけど……さすがにあの量はちょっと驚いた」
野生の動植物や魔物の対処に慣れている狩猟者の顔を曇らせるほどの、大群。野犬があれだけの群れを成して行動するというのは、どうやらあまり例を見ない話らしい。
「あの、最近この近辺の森で、変わったことはありませんでしたか?」
「……なぜおまえがそんなことを聞く」
クインの質問に答えることもなく、問い返す鋭い視線。
「……確実に何らかの訳ありだろうから、聞かないでおこうと思ったが。そもそもおまえはなぜ一人であの森の中にいた」
「ちょっと、オルヴァー」
言葉に不信感を滲ませるオルヴァーを遮ろうと、ヘレンが声を上げる。
だが、その言葉すら制して、オルヴァーは更に口を開く。
「鈍重な馬車を引いて森を抜けるなど、大所帯の商団でもない限り危険極まりない愚考だ。今回のような野犬に限らず、魔物だってこの近辺の森には現れても不思議ではない。それに、明らかに一人分にしては多すぎる荷物を載せた馬車の中には、ローブを着込んだ少女が一人だけ……不審がるな、という方が無理な話だとは思わないか?」
オルヴァーの指摘に、クインは何も返すことはできなかった。ヘレンも最初はオルヴァーを止めようとはしていたが、こうまで言い切られてしまっては今更取り繕うこともできないのだろう。頭を掻いて、ため息を吐いていた。
「……あのね。別に、あたしたちはあなたをどうこうしようって気は更々ないのよ? ただ、その……ねぇ」
ヘレンの目が、クインの顔を見つめる。
クインが生まれながらに持つ、黒い髪と瞳を見た。
「あなたは、ちょっと、普通じゃないみたいだし」
「……やっぱり、街の外でも、私と同じような人はいないのね」
訝しげな視線に慣れてしまっているクインは、飄々とした様子でそう口にした。
どうしよっか? とクインが視線だけで颯太に問いかける。
信頼は、できなくはないだろう。いくら手馴れたプロだからとはいえ、あれだけの量の野犬を相手にすることはまずない。むしろ、プロだからこそ避けようとするべき事態だったはずだ。
にも関わらず、彼らはクインたちを助けに入った。それだけで、颯太からしてみれば充分に信用に値する。
そもそも、彼らがいなければ、無力な自分はクインやリアを失っていたのだから――
「……俺は、信頼してもいいと思う。クインに任せるよ」
颯太の言葉を聞き、クインは静かに目を閉じて、数秒考え込んだ。オルヴァーもヘレン急かすことなくクインの言葉を持っている。
目を開いたクインの黒い瞳は、まっすぐに目の前の二人を見つめる。
「お察しの通り、私は一人で旅をしているわけじゃありません。具体的には、二人。私の他に同行者がいます」
「……そいつらは、今どこにいるんだ?」
「一人は、ここに。もう一人は、外で待機しています」
ここにいる、という明らかにおかしな言葉に、オルヴァーの双眸が更に鋭く細められる。
空いた手の意識が腰に下げた剣に向けられているのが、颯太にもわかった。
「……何を言っているんだおまえは」
「冗談を言ってるわけじゃ……ないんだよね」
「はい。嘘偽りはありません。紛れもなく、彼はここに。私の隣にいます」
二人の視線が動き、より警戒心が増していく。どこにもいやしない別の誰か、それも彼という具体的な存在を表す言葉。
「……やっぱり、論より証拠、かしら。お願い、ソータ」
クインの呟きは、明らかに目の前に座る二人以外に向けたものだった。二人は表情を切り替え、警戒心を露にしてクインを睨みつける。
「……やばい、ちょっと緊張するな」
アルフレルドやフィリスに用いた時とは違う。彼らには最初からゴーストとして忌み嫌われていたため、マイナスからのスタートだった。
今は、まったくのフラットの状態からのスタート。言葉だけで、彼らの信頼を勝ち取らなければならない。
自分は人畜無害の、ただの平凡な少年なのだということをわかってもらわなければ。
「――声よ、届け」
そう唱え、自身の身の内から放たれるマナを変換する。
『まず、驚かないで欲しい』
努めて朗らかに、優しく搾り出した声は、目の前の二人に届く。
「なっ、何!?」
怯えて立ち上がるヘレンと、迷いなく剣を抜き去るオルヴァー。その切っ先はしっかりと颯太が声を発した方向に向けられてはいるが、距離は離れていたので飛び上がってビビる程度で済んだ。
『お、驚かないでって言ったじゃん!』
「ふ、二人とも、落ち着いて! オルヴァーさんは剣を納めてください!」
「……いや、それは無理な話だろう。何者だ……いや、というよりも、今のはなんだ?」
「急に声がしたよね……男の子みたいな、なんか頼りない感じの……」
「頼りなくて悪かったな」
悪態までも魔法を用いて伝えるのはマナの無駄遣いなので、普通に独り言として処理する。
「彼はミナギワソータ。姿が見えないだけで、極々普通の男の子です」
「だけ、って……それだけで済む話?」
「えっと、見た目は私よりもちょっと背が高くて、顔は女の子みたいに可愛い顔をしてます。髪と瞳の色は私と同じ黒色で、性格は優しいけどちょっと怒りっぽいっていうか、私のことを心配してくれるのは嬉しいのだけど、時折子ども扱いされてるみたいで、私としてはそこだけが不満――」
『クイン。クインさん。今そういう話してましたかね?』
颯太の人となりは今はどうでもいいだろうと、わざわざ魔法を用いてクインを制する。
「また聞こえた……どうなってるの? 姿が見えないって、まるでゴーストのような――」
具体的に名前を口にして、ヘレンの表情が更に強張った。剣を握るオルヴァーの手にも、更に力が込められる。
「……そうです。彼はゴーストです。でも、噂で聞くような、悪しき存在なんかでは、決してありません」
姿が見えず、人知れず悪意を成していく嫌われ者。
災厄の前触れ。悪しき元凶の発端。理からの異端者などと散々な言葉で揶揄されるような存在ではないのだと、クインはまっすぐに二人を見て言い放つ。
「普通の男の子なんです。姿が見えなくても、あなたたちを傷つけたりなんて、絶対にしません」
『……彼女の言うとおり、俺は、ただの人間です。姿が見えないだけで、無力な』
言葉にして、圧し掛かっていた事実が更に重く心に居座る。今はそんな後悔してる場合じゃないと、颯太は頭を振って再度口を開き、マナを放つ。
『ありがとう、ございました。あなたたちがいなかったら、俺は、彼女たちを失っていました』
凶器を向けてくる人間に頭を下げるのは、どうしたって恐怖が募ったし、そもそも、頭を下げたところで二人には見えていないのだから意味はない。
でも、見えなくても、自己満足に過ぎなくても。この姿が見えるのは、この場ではクインただ一人だとしても。誠意は、示したかった。
突然騒ぎ出した一角に、宿の主人などが様子を伺いに出てくる。
オルヴァーは宿の主人と、剣の切っ先にいるであろう颯太の方向に視線を動かし、やがてため息を吐きながら剣を納めた。
「すまない。少し商談で揉めただけだ。迷惑ならば、宿代を多く払う」
「い、いえいえ。日頃からお世話になっている二人にそんな」
「……修繕費も兼ねるかもしれない。いいから受け取ってくれ」
低く言い放ち、オルヴァーは宿の主人を奥へと引っ込めさせた。
「ここでは騒ぎになるな。部屋に戻るぞ。ヘレン、毒袋を用意しておけ」
「こんなところで使えないわよ、そんなの」
「警戒をしろと言っているんだ。先に戻れ。俺はこいつらの後から行く」
「……信じて、くださらないのですか」
クインの黒い瞳が、揺れることなくオルヴァーを見つめる。
その予想外に強い少女の視線を、オルヴァーは怯むことなく見つめ返した。
「……おまえたちが、俺たちを信頼してくれて話をしてくれたのは、理解している。理解しているし、好ましくも思う」
鋭くも、敵意を含まない。努めて含もうとしない視線をクインに、見えもしない颯太に向ける。
「だが、それでも。それで俺たちがおまえたちを信頼するかどうかは、別問題だ。姿が見えない者を信頼することは、簡単にはできない」
いつ襲われるか、その事の起こりすら見えない事実は、どうしたって不信感を生む。
見えもしない握られた拳が、いつ振りかぶられるともわからないのだから。
「外で待機させている一人というのも連れて来い。もし少しでもおかしな真似をしたら――その場で全員切り伏せる」
握り締めた剣の柄の軋みが、その言葉に嘘がないことを伝えていた。
*
「こんなちっちゃい女の子が悪い奴なわけないじゃない!」
「だからいつも言っているだろうが! 見た目に騙されるな! この間だっておまえは小熊の愛らしさに惹かれてノコノコと前に出ては親熊に襲われそうになったのを忘れたのか!?」
「あれは小熊に罪はないでしょう!? だいたいあんただって油断してたから、二人して追われる羽目になったんでしょうが!」
「原因を作った本人がよくもまぁそう堂々と言えたものだな!」
「……あの、とりあえず、僕を間に挟んで怒鳴りあうのはよしていただけないでしょうか」
オルヴァーとヘレンの口喧嘩が突然始まってから早数十分。颯太とクインはとっくに見切りをつけて部屋のテーブルに腰掛けて二人でお茶を飲んでいるが、間に挟まれているリアはそうはいかない。
ヘレンに抱きしめられている……というよりは羽交い絞めにされているリアは、人見知りするという自身の性格を忘れてしまえるほど、冷めた視線で同行者二人を見る。
「お二人も、僕……というかこの二人を放っておいてよく呑気にお茶を飲めますね」
「いやだって、長いんだもん……」
抜き身の剣を携えて警戒したままのオルヴァーに連れられ、部屋にやってきた三人はこれまでの事情を赤裸々に全て狩猟者の二人に伝えた。
単身、突然誰からも視認されない姿で異世界にやってきた颯太に、生まれの境遇から国の姫という立場からも外され、忌み子として扱われてきたクイン。そして、幻獣の子どもであり、悪質な商売の駒として使われてきたリア。
その三人の境遇をありのまま話しただけなのだが、どうやらこの狩猟者の片割れは、そんなそう簡単に信じるとは到底思えないほどの身の上話に、ひどく共感してしまったらしい。
「こんな小さな子が三人……一人は見えないけど! 頑張って自分たちなりに切磋琢磨して旅に出たって言うのよ!? 信じてあげたっていいじゃない!」
「……まさかこんな展開になるとはね」
世の中わからないものだなぁ……と呟きながら颯太は用意してもらったお茶を啜る。最初はこれに毒でも盛られているのではと警戒していたが、二人が言い合いを繰り広げてから五分後ぐらいに馬鹿らしくなってきたので素知らぬ顔で飲みだした。クインもそれに習って苦笑を浮かべながらカップを傾ける。
部屋の一角では、テーブルに置かれたカップが独りでに宙に浮いている怪奇現象が起きているのだが、その目撃者となりうる二人は気づかずにいる。
「ゴーストに、大国の隠匿された姫、それに幻獣の子どもの一団と言い張る連中をどうしてそう簡単に信用できる! その内一人は姿すら見えないのだぞ!」
「……ごもっとも過ぎて口を挟めないな」
「……そうね」
「というか、そもそもどうしてこんな展開になってるのか、それすら僕は説明されていないのですが」
そろそろ渦中のど真ん中にいるリアからの視線が辛くなってきた颯太は、溜息を吐いて立ち上がる。
喉に手をやり、体内のマナを声へと変換する意識を固めて。
『あの、お二方、そろそろよろしいでしょうか?』
耳に飛び込んでくる明らかに異質な響きの音に、二人は言い合いをやめて颯太がいるであろう方向に目を向ける。
「……まさかゴーストに話しかけられるような日がくるとはな」
額に手をやり、深々と溜息を吐くオルヴァー。最初こそ、凄腕強面の厳格な印象にも見えたが、今では気苦労の多い真面目な苦労人のようにしか見えない。自由で人情味の厚いパートナー、ヘレンの奔放さにいつも手を焼いているのが手に取るようにわかった。
『すみません。マナを使いすぎると疲れるので、あまり何度もお話はできないのですが』
「……その魔法の使い方も独特だな。マナを声に変換するなど、まあ、普通は使わない」
手に持った抜き身の剣を一瞥し、鞘に収めるオルヴァー。その姿を見て、目に見える敵意がなくなったと判断したクインは安堵からか表情を和らげる。
「信用してもらった、と思ってもよろしいでしょうか」
クインの問いに、オルヴァーは渋面を少しも崩さないまま口を開く。
「信用も信頼もしていない。だが、少なくとも敵意がないことはわかった……おかしな真似はするなよ。まだこの部屋には瞬時に毒を撒ける手段は用意してある」
「え、片付けたわよあんな危ないもの」
「だからおまえはなぜそうも簡単に警戒を解く!」
「……この人、絶対良い人だよね」
慌てて剣を再度抜き、叫ぶオルヴァーを見て、颯太が魔法を使わずに呟く。クインもリアも、無言で頷いて見せた。生真面目なだけで、相当お人好しなのが手に取るようにわかる。
「……とにかく、おまえたちの事情はわかった。旅をしている理由も、一応ではあるが理解している。俺たちに、敵意がないことも」
と言いつつも、決して剣からは手を離さない。片割れが全幅の信頼を置いてしまっている以上、彼だけはどうしても警戒心を手放してはいけないのが、颯太たちにだってわかっているからもう言及することはない。
「クイン……と言ったか。おまえのような黒い髪と瞳を持つ者を探している、と」
「心当たりはありますか?」
その質問に、狩猟者の二人はそろって首を横に振る。腕を組み、思い出すように視線を上にしてヘレンが口を開いた。
「黒い髪、というのはいないこともないけどね。狩猟者の中にも、明るい髪の色を警戒して自ら黒や目立たない色に染める、って人もいるし。でも、生まれながらにして、なんて人、聞いたこともないわ」
「俺たちも多くの国々を回った経験はないから、可能性はまったくないとは言い切れない。だが、あまり期待はしない方が無難だろう」
「そうですか……」
落胆、というほどの感情は滲ませず、クインが軽く溜息を吐く。
「でも、あくまでそれは目的の一つです。私たちの旅は自由に、色々な世界を見て回りたい、というのが主目的ですから」
元々の旅の目的は、城の中で幽閉されて一生を終える予定だったクインが外の世界に触れてみたいという知的好奇心によるものだ。
もし、これからの旅路で自分と同じような黒い髪と瞳を持った人間を見つけられなくても、当の本人はそれほど気にはしていない。見つけられたらラッキーだ、といった具合のあっけらかんとした表情を見て、オルヴァーの視線がまた鋭くなる。
「……簡単に言うが、危険を伴うぞ。おまえたちのような子どもが旅をするなど、褒められた行為だとは思えない」
「あら、結局心配してるんじゃない」
ヘレンの指摘に、オルヴァーは更に表情を渋く歪めて口を噤む。
「あたしも、オルヴァーと同意見ではあるかな。さっきも、あたしたちがいなかったら実際に危なかったでしょ?」
ヘレンの指摘に、今度は三人が表情を歪ませた。特に、無力感を痛感していた颯太の表情はわかりやすい。
目を逸らし、少しだけ唇を噛む颯太を、リアが不安そうに見つめる。
「……そう、ですね。楽観視していた、と言われれば返す言葉もありません」
クインの言葉は、紛れもなく自分自身を捉えた言葉のはずなのに。颯太には必要以上に突き刺さる。その事情を知っているリアが、颯太を心配そうに見てくるから、颯太は慌てて表情を取り繕おうとして。
「だから。次は油断なんてしないで、頑張っていこうと思います」
クインの、そのあっけらかんとした言葉を聞いて、間の抜けた表情を晒してしまう。
「……旅をやめよう、とは思わないんだ」
「思わないです。もう旅立ってしまったし、今更帰る場所なんてありません」
そう言い切り、クインは自分の長く伸びた黒い髪を撫でる。
「染めてしまえば、私も大衆に紛れるように生きていけるかもしれません。ですがそれは、これまでの私を否定してしまう気がして嫌なのです。それに、そこではソータを受け入れてもらえない。それじゃ意味がないんです」
自身の髪の色を変えることなど、物体のマナを操り変じさせることのできる魔導を扱うクインには容易いことだ。
でも、しない。
この忌まわしき経緯を持つ黒い髪と瞳は、水際颯太との代え難き共通項だから。
「私は、ソータと、リアと。二人と、一緒にいたいのです。そのために旅立ちました。危険は、覚悟の上です」
迷いなく言い切るクイン。黒い瞳には一切の反論も聞かないかのような、強い意志が宿っている。
その瞳を見て、オルヴァーは鼻で笑うも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「……覚悟があるならば、こちらがとやかく言うことでもない。好きにしろ」
「あたしたちが今取り掛かってる依頼を片付けたら、リークテッドまで護衛してあげようとか思ってたけど……どうやら、その必要もないみたいね」
「すみません。何から何まで心配をかけてしまって」
「いいのいいの。あなたたちは無事に助かって、私たちは臨時収入でウハウハで腕の中にはこんな可愛い女の子がいてウキウキ。それでいいじゃない」
「……話はまとまったはずなのに、僕は解放されはしないんですね」
ヘレンの腕の中で乾いた笑みを浮かべるリア。愛らしい見た目をしているからこその可愛がられっぷりなのだが、当人は当然のごとく不本意そうな目をして颯太たちを見る。
人見知りのリアも、ここまで物理的に擦り寄ってくる人間に気兼ねしても仕方ないと判断したのか、「それで!」と大声を出して今度は猫耳に鼻を埋めようとしてくるヘレンを制した。
「お二人は、なぜあの森の中にいたのですか?」
「まぁ、依頼でちょっとね。最近森の中の動物や何やらが活発過ぎるから、様子を見てきて欲しいってこの村の人たちに頼まれて」
「……そもそも、なぜおまえらは森の中にいた?」
オルヴァーが苦笑を止め、目に見える相手、クインを見つめる。
「確かにリークテッドからこの村にたどり着くために、最短距離を通ろうと思えば森を突っ切った方がずっと早いだろう。だが、馬車を連れての悪路だ。急ぐ旅でもないのに、なぜわざわざ危険な道を選んだ」
「……もしかしたら、お力になれるかもしれないですね」
ニコリと、急に笑い出したクインを見てオルヴァーの目つきがまた更に悪くなる。
「ね。いいかしら、ソータ」
「……何言いたいかだいたい予想できるけど」
颯太だって、恩を返せる機会があったら是非とも返したいと思っていた。
颯太が溜息を吐く姿を見て、クインはそれを了承と受け取る。
「森の異変の原因に、心当たりがあります。私たちなら、それを見つけられる」
胸に手を当てそう言い切るクインに、狩猟者の二人は目を見開く
「ぜひ、受けた恩を返させてはいただけませんか?」
お姫様のように、堂々とした気品を持って、クインは笑顔でそう問いかけた。
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