6話

 落ち着いて話が聞けるように、場所をいつもの宿屋の一室に移した三人。すでに時刻は夕方に差しかかり、オレンジ色の夕日が部屋の中を明るく照らしている。

 颯太は備え付けの椅子に座り、クインとリアはベットに腰を下ろしていた。


「山火事で母を亡くし、行商人に拾われて……そこまでは、本当のことです。行商の方々は本当に良い人たちで、母を亡くして途方に暮れていた僕を拾って、色々と教えてくれました。次の街に移った後でも、僕がそこで仕事がもらえて苦労しないようにしてくれようとしてくれた人もいて、本当に、良くしてもらいました」


 街と街を渡り歩く行商人の中には、身寄りのない子どもを引き取って労働力として扱う傍ら、技術や知識を得て単身でも生きていけるように教え込むという、半ば慈善事業のようなものをしている一団もいる。

 その子どもが能力を得て、その一団の労働力になるも良し。別の街に住み込み、紹介料をもらうも良しと、善的な人身売買のようなものと思えば颯太の耳にも馴染みやすい。


「でも、その一団の一人に、僕が幻獣としての能力を使っているところを見られてしまったのです」

「……どうして、その能力を使ったんだ?」


 普通にその行商の一団として生活していくのならば、リアが受け継いだ幻獣の能力は必要ない。姿を変えることなく、ありふれた亜人としての見た目で生きていくことだってできたのだ。

 颯太の質問に、リアは少しだけ俯いて、ゆっくりと口を開く。


「……段々、母の姿が記憶から薄れていくのが怖くて。つい、母の姿になったんです。その姿を鏡に映したくて」


 写真技術など普及していないこの世界において、造形を残しておく手法は絵に描き残すぐらいしかなかった。根無し草のように生活していたリアの母親の姿など、絵として残っているわけがなく、記憶から薄れていく母親の姿を思い出すために、リアにのみ可能な想起の仕方だった。


「僕の不注意で、母の姿に変わるその瞬間を見られてしまって……」


 すぐにその事実は、リアという少女が、普通の亜人ではないことが一団の中で広まった。幻獣、という存在に結びつくための知識がその場の人間たちになかったのが不幸なのか幸いなのかはさておき、超常の存在はどうしたって周囲に混乱を招く。


「僕の能力がバレて、行商団は荒れました。物珍しい亜人として高く売れるという話を聞いた皆はすぐに目の色を変えて……我々はそんな人の道を外れた生業をしているのではないと、反対してくれる人もいましたが……」


 多数の人間が集まる以上、思想や理念は一枚岩ではなくなっていくものだ。リアの特異性を目の当たりにし、人道に反するような行いに目を向けてしまう者もいるだろう。

 リアの小さな唇は、その時の後悔に震えている。震える唇を強く噛んで、もう一度口を開く。


「……結局僕は、この街で売られることになりました。買い手がどこの誰になったのか、そんなことは知りたくなかったし、信頼していた人たちを恨みたくなかった僕は、その場で別の生き物に姿を変え、逃げ出しました」

「恨みたくなかったって……そんな人たち、恨んでも仕方ないと思うのだけど」


 珍しく不満げに、怒気を含んだ声を出すクイン。その優しさ故に発露した怒りを、リアは首を振って否定する。


「仕方ないですよ。彼らにも生活はありましたし、やっていることは、これまでと変わりません。僕は生きていくための知識や経験をもらいましたし、むしろ、逃げ出してしまったことを申し訳なく思うぐらいです」


 笑いながら、諦めたように。


「僕は、普通じゃなかったのですから。普通じゃない僕が、普通の生き方なんてできるわけがなかったんです……でも、幸せにはなりたかった。得体の知れない生き物……幻獣の血を引く僕でも、母が産んで育ててくれたからには、僕は人生を無駄にするわけにはいかなかった……その後は、お二人が知っている通りです。魔物の姿に変わり、奴隷市場に身を隠していました」

「じゃあ、リアが言う心当たりって」

「その行商人たち、もしくは僕を買い取ったはずの買い手の誰か、のどちらかだと……」


 金と信頼の問題はどうしたって根が深く、執念が募るだろう。逃がしてしまいましたごめんなさいで済む問題ではないからだ。どちらも秘密裏にリアを捕まえようと画策していても不思議ではない。


「なるほどねぇ……」


 追われる理由はわかった。リアの特徴は割れているのだし、尾行として何者かが配置されてもおかしくない。

 だが、追われる筋合いはない。逃げ出してしまったことによる罪悪感がリアの胸の内に巣食っていようとも、そもそも売る方が大前提として悪い。

 よって、颯太とクインの方針に変更はない。


「もうとっとと街を出てしまった方が早いかな」

「でも、相手は行商で各地を転々としているかもしれない人たちなのよ? 下手に街の外に出るのはむしろ危険なんじゃないかしら」

「リアの場合、別の姿に変われるっていう、追っ手を撒くためにはこれ以上ないぐらいの反則技があるんだし……そんなに慌てることもないかもしれないけど」

「あ、あの!」


 淡々と今後の方針を話し合う二人に、リアが声を上げる。


「自分で言っておいて申し訳ないですが、お二人には本当に迷惑をかけています。もしかしたら、命を狙われてしまうかもしれないのに……どうして、僕を責めないのですか?」

「……どうして、って、ねぇ?」

「なんていうか」

『今更っていうか……』


 などと、二人して口裏合わしたわけでもないのに、同じ言葉を同じトーンで口にする。


「クインも俺も、命を狙われるってそんな大仰な表現するほどでもないけど、まぁ少なからず色々と危険視される立場だしね。俺に関しては、存在するだけで粛清対象っていうか……」


 ゴーストを敵視し、粛清対象として活動する教会の存在はどうしたって忘れられない。これまで街で人知れず生活をしてきた中、あの不気味で無骨な仮面を付けた人間を見かけたことはないが、未だにゴースト騒ぎが起きるたびに「教会に連絡しろ!」と叫びだす者がいるということは、街にも拠点のようなものがあるはずなのだ。顔には出さないだけで、正直いつも冷や冷やしてる。


「だからまぁ、今更命を狙われる理由が増えたって言われても、あんまり実感がないというか。それに、で命を狙われるっていうのなら、仕方ないし、構わないと思うよ。だってそれは、理不尽じゃない。自分で選んだ結果だ」


 産まれてきただけで、生きているだけで。そんなどうしようもない理由で命を狙われるよりか、ずっとわかりやすい。受け入れられるか否かは別として。


「それに、リアは旅の経験が素人の私たちよりずっとあるんでしょ? 利害の一致というか……そういうわかりやすい理由もあるんだし、命を狙われる可能性があるからって、今更あなたを放り出したりしないわ」

「安心して。俺たちは、最初っからそのつもりだから」


 ヘラヘラと笑いながら、無自覚にリアが一番欲しがっていた言葉を二人は言った。


「……ありがとうございます」


 誰にだって、命は大事だ。失いたくないし、失うような危険性などあって欲しくない。だから、そんな危険があるならと、放り出されてしまっても文句など言えるはずもなかったのに。

 この二人は、それが当然であるかのように、リアの求めていた答えを口にした。


「さて、それじゃ状況を整理しようか」


 そんな、数ある選択肢の内の最適解を選んだことになど気づかない颯太が両手をパンと叩いた。


「リアには悪いけど、その見た目は向こうには知られてるみたいだし……何か別の人の姿になってもらうとして。別人が部屋にいました……だと、さすがに宿の人に驚かれるだろうから今はそのままでいいけど」


 すでに宿の従業員には、クインに加え猫耳の亜人の少女が追加で宿泊する手配を済ませている。それなのに、部屋に別の人間の姿が当然のようにあったら、混乱は免れないし、さすがに迷惑だろう。ただでさえ、この部屋の住人は一人なのに虚空に向けて何かを話している、なんて噂話をされているかもしれないのに。


「そう、ですね……」

「ごめんね。自分の姿を偽るようなことをさせてしまって」


 申し訳なさそうに口にするクインに、リアは大げさなほどに首を振った。


「いえ、いいんです。元々、この姿だって僕の本当の姿なのか、わからないですし」


 生前の母親を幼くして、亜人らしくそれっぽい要素である猫耳をつけてみた、という現在のリアの姿。物心ついた頃から基本の姿としているため、自然とその姿を形作るようになっているらしいが、幻獣という不定形の生き物と人間の混血が、果たしてどのような姿形になるのか誰もわかっていない。


「……ちなみになんだけど、どうして猫耳なの?」


 リアの頭部でピコンと動く耳を指差す。

 どういった進化の過程を経てきたのか颯太には想像もつかないが、この世界には犬型、猫型といった多種多様の要素を持った亜人がいる。国内で見かけたことはないが、クインの話では魚や海の哺乳類の要素を持った亜人もいるというのだから驚きだ。だからこそ、猫型の獣人、というのはこの世界において然程珍しい存在でもない。


「そうね……幻獣は不定形の魔物、と呼ばれてるぐらいなのだから、特定の生き物としての形を持たないはずだけど」

「その、母が猫好きで」

「君のお母さん、なんていうか、やっぱたくましいね」


 境遇だけ見れば不幸極まりない割には生き方が強かだ。


「……ねぇリア。お風呂に行きましょう」

「え? あ、はい。いいですけど……」

「私、小さい頃お人形さんと一緒にお風呂入ってたのよね」

「だからなんで今そんな事実を明かすんですか!?」


 たぶん、お人形遊びで、人寂しさを紛らわしてたんだろうなぁ……と、妙なところで察しの良さを発揮して、一人納得する颯太。


「冗談はさておき。やっぱりもう一度、ちゃんとあなたの体を見せて欲しいの」


 真面目な顔つきになったクインが、リアの栗色の髪の毛を指で撫でる。


「高密度のマナを有していながら、それを受け継いだ特性のみで扱うことができる。それだけで充分すごいのだけど。万が一、体内のマナが暴走しないとも限らない」


 クインの視線はリアを真っ直ぐと見つめている。


「脅すわけじゃないんだけどね、マナの扱いなら私にも一過言あるから。知識としてだけでも知って欲しいの」

「そのために一緒にお風呂、ですか?」

「ううん。そのためじゃないけど」

「そのためじゃないんですか!?」


 漫才染みた問答の末、どこか納得のいかない顔をしながらも、リアはクインに連れられてお風呂場へと向かった。

 遠慮がなくなってきて、リア本来の素顔のようなものが見えてきていた。喜ばしいと思いつつ、生真面目そうな性格のリアは自由奔放な性格のクインに振り回されそうだなと、颯太は苦笑いを浮かべる。


「……さて」


 一人、当然ながら部屋に残された颯太は、自身の両手を広げ、じっと見つめてみる。


「やっぱり、多いよな」


 颯太が体内に保有できるマナの総量はリアほど膨大でもなく、クインからは一般的な総量と言われた。

 奴隷市場での火事の際、リアを助けるために振り絞ったマナは完全に空となっていた。ただでさえ二週間かけていても完全回復とは程遠かったはずなのに、今の自身の中に巡るマナの量を知覚して、その違和感に気づく。

 使い慣れた風の魔法も、声の魔法も、これならば不自由なく使えてしまうほどに。この身にはマナが満ちていた。


「なんだ、何が原因なんだ……?」


 マナの回復が早まったこと自体、僥倖でしかないし喜ばしいことだ。手持ちの武器は多い方がいいし、颯太としてもありがたいことこの上ない。

 ただ、という疑念が、素直に喜ぶことを許さない。胡散臭いし、薄気味悪い。

 自分のこれまでの生活を振り返り、いったい何が変わったのか。そんなもの、悩むまでも無く答えが出てくる。


「幻獣、か……」


 多種多様の特性を持ったマナが一つの生命として誕生した存在。つまり、言ってしまえばマナの塊である生命であり、その存在の子である、リア。

 リアだからこそ、颯太が視認できるのか。そのような存在であるリアが傍にいるからこそ、今この身にマナの充足を感じるのか。


「あーもうよくわかんねぇ。誰かぽーんと答えくれねぇかな……」


 判断材料だけがひたすらに供給されても、太鼓判を押してくれる存在が誰もいないのではもやもやが募るだけだ。

 正直、最早颯太にとって異世界に連れて来られた理由などどうでもいい。

 むしろ今更知らされても、その理由がクインやリアに関わることでなければ丁重にお断りするつもりですらいる。そもそも、そんな大層な理由があるなら初めから言え、と声を大にして言いたい。


「ゴースト。マナ。魔法。魔導。魔物に、幻獣……」


 颯太が暮らしてきた現代日本にはありえなかった、言ってしまえば超常現象以外の何ものでもない存在の名称を羅列していく。それらに、何らかの繋がりはあるのだろうか。あるのだろうけど、それらがいったいどのように関係しているのか。わからないことだらけ過ぎて、考えることすら馬鹿らしく思えてくる。

 馬鹿らしく思っても、考えは止められない。結局は自分の存在という謎が解けなければ、不安要素はなくなりきらないのだから。

 これからの人生を、クインとリアのために使う覚悟はもうできている。決めるまではグダグダと悩んでも、一度決めたら揺らがない、頑固な精神が颯太の骨子だ。

 だからこそ……だからこそ。もし自分という存在が。ゴーストという存在が、彼女たちを不幸にしてしまう存在なのだとしたら。

 そんな不安を、疑念を解消したいがためだけに、謎の解明をしたかった。

 自分で思っているよりも長く考え込んでしまったのか、風呂場の方から二人の賑やかな声が聞こえてきた。

 ……さて。ここまで一週間。颯太は正直に申し上げれば、好み真ん中ストライクの女の子と同じ屋根の部屋で過ごしてきた。

 名を連ねることは許されなかったとはいえ、王族の血を継いだとして相応しく見目麗しい相貌に、見たものを萎縮させ、同時に目を離せられなくなるほどに深く澄んだ黒い瞳。忌まれることになろうとも、長く伸ばされた黒い髪は艶やかな光を放つ美しさを周囲に振りまき、それでいて言動は人懐っこく優しく、辛い過去を感じさせずによく笑う。

 恋愛感情を抱いていない。とまで、颯太は断言することはできない。持ち前の善性と頑固さが邪魔をして、『そんなものを抱いている場合じゃないぞ落ち着けバカ』と心に蓋をしているに過ぎないが、颯太の性格上、その蓋はひどく強固で簡単には開けられない。

 だが、そんな颯太といえど、さすがに性差を感じずにはいられない場面になると、平常心が揺らいでしまう時がある。風呂上がりの塗れた艶やかな黒髪を見た時など露骨に顔に出る。

 だから、怪我も癒えて一人で出歩けるようになってからは、クインがお風呂から出る前に部屋を出て、自分の食事や用事を済ませてくるのがこの二週間の流れだった。

 今日はたまたま、その流れに乗れなかっただけ。自身の身に起きた何らかの異常が、思考を止めさせることなく、普段の流れを許さなかっただけのこと。考え込んでしまって、部屋を出るタイミングが遅れてしまった。

 そのたまたまが、今日に限って何よりの悪手を引き寄せただけのこと。


 遅れて椅子から立ち上がろうとした颯太がいる部屋に、窓ガラスが割れる音が響き渡る。


「――は?」


 何か、硬い何かが窓の外から投げ込まれた。窓を突き破って飛び込んできた、小さな手で握り締められる程度の大きさのガラス瓶。それが、床に落ちる様がスローモーションで視界に映り――

 床に叩きつけられたガラス瓶が割れるのと、湯上りで頬を赤くして髪を塗らしたクインとリアが扉を開けるタイミングが重なった。


「――来るなっ!」


 叫ぶような忠告も遅い。すでに瓶は砕け散り、同様にその中身であった何らかの液体も飛び散っていた。甘い、咽返る様な甘い匂いが部屋中に漂い始め、最初に足の力が抜けた。


「ソータっ!」


 名前を呼び、駆け込んでくるクインの姿が見える。来るなと言ったのに、いっそ笑ってしまうほどの無視っぷりだ。

 ――まぁ、俺も逆の立場だったら、血相変えて飛び込むよな。

 そんな、思わず苦笑いを浮かべてしまいそうなことを考えて、実際に口角が上がり切る前に。

 颯太の意識は、途絶えた。

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