2話

「やばいちょっと緊張してきた」


 いざやってきた王城の門。その目の前に聳え立つ巨大な建物を見上げながら思わず口に出た言葉。こんなにも厳かな雰囲気があるとは、颯太も近づくまではわかっていなかった。見た目だけなら、日本にあるテーマパークの有名なお城の方がずっと立派なのだが、周囲の空気が全く違う。


「……まぁ、どうせ咎められやしないんですがね」


 一度開き直ると、今まで悩んでいたことをすっぱり考えなくなるのが颯太の特徴の一つである。切り替えが早いと言えば聞こえは良いが、開き直るまではウジウジと悩み続ける。

 涼しい顔で颯太は警備の兵の横を歩き、王城へと足を踏み入れた。


「そもそも城の中って、普段何してるんだ? 国民が王様に謁見したりとか……ダメだ知識がゲームしかない」


 城の武器庫には宝箱があるとか、そんな現状どうやっても使い道のない知識しか思い出せない。特に深く考えることはせず、城の中を歩き回ってみる。


「豪華な置物に、真っ赤な絨毯……うわ、鎧とか飾ってある。これ俺が壊したら誰か責任取るのかな……」


 宿屋の一室を勝手に扱うのも最初は恐る恐るだった颯太には、高い調度品を壊して悪戯しようという発想はない。都会のビル群を眺める田舎少年丸出しのようなアホ面を晒しながら城内を歩き回っていく。

 その間、巡回する兵士や、おそらく召使いなどであろう従業員の横を素通りするも、当然誰からも見向きもされない。さすがに独りでに扉が開いたりすれば怪しまれると思い、扉が閉まった部屋などに入ったりはできなかった。

 おそらく謁見の間に続く扉なのだろうと当たりをつけ、さてこの先をどう通ったものかと考えていると、ここまで見てきた兵士よりもずっと位が高そうな、豪奢な鎧を身にまとった騎士がちょうどその扉を通ろうとしていた。


「警備、ご苦労。私が戻るまでの間、扉から離れておいてくれ」


 これまで見たどの扉よりも立派な扉だ。その扉を開き、偉そうな騎士が入っていくその隙に、颯太もちゃっかり謁見の間に足を踏み入れた。

 その先に広がる間は、予想していたよりもずっと豪華で煌びやかだった。太陽の光がちょうど玉座側にある窓から入り込むような間取りで、差し込む陽光が二つの玉座を後ろから照らしている。


「……完全に場違いだけど、今更だよな」


 しれっとした顔で謁見の間に入り込み、騎士の後ろを歩く颯太。その騎士は玉座に続く階段の前で跪き、頭を垂れると高々と声を上げる。


「王よ、お呼びでしょうか」


 さすがに心情的に落ち着かないので、颯太は騎士から距離をとった。どうせ目には映らないからなどと思い、玉座に続く階段を登り上から見下ろしてみる。大層気分が良かったと同時に、我ながら何をしているんだろうという気持ちに苛まれる。


「騎士アルフレルドよ。城下の様子はどうだ」

「はっ、依然変わりなく、王の御威光は隅々まで行き渡っております」

「いやそうでもないと思いますよ。この一ヶ月街で生活してきたけど、王様の話なんて一回も聞かなかったもん」


 どうせ聞こえないからと好き勝手いちゃもんをつける。当然騎士と王は颯太のツッコミになど気づきもせず、王に至っては満足げな顔でうんうんと頷いて喜んでいた。


「ならば良い。何か変わった点はないか」


 とはいえ、白髭をふんだんに蓄えた王の見た目は、『王様』というイメージにぴったりでぐうの音も出ない。騎士からの報告を受けて喜ぶ姿もどこか人の良さを感じて、颯太も一応は茶々を入れてはみたが、この国が平和であることの要因の一つであることは容易に想像できた。


「……王の耳に入れるべき案件ではないかもしれませぬが」


 騎士、アルフレルドと呼ばれた男は精悍な顔つきを僅かに歪め、口を開く。


「一月程前から、街にゴーストが現れたと噂が出ているようです」



 ――ゴースト。



 それがいったいなんなのか。何を指す言葉なのか。誰からも説明を受けていない颯太にはわかっていない。

 だが、この一ヶ月。自分の行いがそのゴーストの仕業だと恐れられているのは、知っていた。


「……それは確かなのか」


 王の表情から笑顔が消え、一瞬にして温和な雰囲気だった謁見の間に緊張が走る。

 王が玉座から立ち上がり、アルフレルドと距離をつめる。せっかくなので、颯太は空いた玉座に座ってみた。意外と座り心地はよくなかった。現代日本のフカフカなソファーに慣れた尻にはあまり優しくない。王様も大変なんだな、と的外れな感想を抱く。


「騎士団に情報は寄せられますが、どれも信憑性に欠けるものです。ですが、街のあちこちでそういった情報が突然上がってきた、ということは、つまり」

「真偽はどうあれ……何らかの不穏分子がこの国内にいるのは確か、ということか」

「……よくもまぁ、その当人がいる前で好き勝手言えるよな」


 と、玉座に座りながら颯太が呆れた顔で口にする。


「実害はないのだな?」

「はい。現状、被害と言えるほどのものはございません。一月前、最初の報告では西区街の獣人が一人、ゴーストに殴られたと騒いでおりました」

「あー、あいつなぁ……」


 初日に一悶着あった獣人のことを思い浮かべ、颯太は苦笑いを浮かべた。数日後その獣人を見かけたが……ゴースト、颯太の存在がそれほど恐ろしかったのか、額部分に十円ハゲができていた。全身毛むくじゃらだからよりわかりやすく、より惨めだった。


「忌々しいゴーストめ……またしてもこの国に、災厄を持ち込んできたか」

「……一発ひっぱたきたくなってきたな、このおっさん」


 こっちだって好きでこんな世界に来たんじゃない。帰れるもんなら帰りたいわ。と気持ちを込めて王の顔を睨みつける。その盛大かつ立派に生えた髭をどうにかしてやろうか。

 ゴーストという存在がこの世界でどれだけ忌み嫌われているのか。一国の主がここまで嫌悪感を露にするということは、それだけ、何かがあったということなのだろう。聞くこともできなければ、文字も読めないので調べることすらできないから知る由もないが。

 アルフレルドは身を起こし、一礼をして謁見の間から去ろうとする。扉が開くタイミングを逃すわけにはいかず、颯太もその後に続いた。去り際に王様に膝カックンでも一発おみまいしてやろうかとも考えもしたが、いらない波紋を起こすこともないかとやめておいた。

 扉を抜けたアルフレルドは、王の前にいた時よりも疲れたような顔でため息を吐いた。


「件の噂の信憑性を確かめろ。それと、王城内でこの話は決してするな。いつどこで姫が聞き耳を立てているかわからん」

「はっ」


 近くにいた兵士にそう言い、アルフレルドは去って行った。別段それを追うこともなく颯太は門に寄りかかり腕を組む。


「ゴースト、ねぇ……」


 自分がそう呼ばれ、忌避される存在……だという自覚はどこにもなかった。特に何かをした覚えもないし、災厄なんて物騒なものを運んで来たつもりも持っているつもりもない。

 死んだ覚えもなければ、何かをしてしまった覚えもない。ないない尽くしを嘆きながら、やっとこさこの一ヶ月を生きてきたのだ。


「結局俺は、何をどうすればいいんだろうな……」


 犯罪者を捕まえる手伝いをしても、何か報酬がもらえるわけでもないし感謝されるわけでもない。むしろあからさまに手伝い過ぎれば、どうせ「ゴーストの仕業だ!」と叫ばれる始末。やることなすことが無味乾燥でしかない。

 目標が、指針が、何をどうすればいいのか。それらがまるでわからなかった。

 新しい情報を求めて王城にやってきたが、わかったのは自分という存在がただいるだけで迷惑がられるということだけ。ただただ、胸中には虚しさが立ち込めていた。


「このままだとそのうち、気が狂ってしまいそうだな」


 他人事のように口にしてみたが、あながちありえると自分でも思い、身震いする。謁見の間に繋がる扉に寄りかかりながらそんな奇怪な行動をする颯太を、警備の兵士は見向きもしない。

 警備の兵が、颯太という侵入者に一切気づきすらしない。彼らが怠慢なのではなく、颯太が異常なのだ。

 本当に気が狂ってしまえば、「おまえらが探してるゴーストはここだぞー」と言いながら一人ずつ殴ってしまいそうで、自分で自分が怖くなってしまう。


「……もうちょい散策したら、宿に戻るか」


 広い城内、まだ見ていない場所はたくさんある。自分の現状をどうこうできる情報が見つかるとも思えないが、ファンタジーな王城を見て回るという好奇心は満たしきっていない。

 扉から背を離し、颯太は歩き始めた。目につくところ、足が向いたところに適当に歩いて回る。

 ――このまま、俺はどうすればいいのだろうか。

 このまま、この世界で過ごしていかなければならないのか。生きているのか死んでいるのか、誰も教えてくれない世界で。家族は、学校の友達はどうしているだろうか。心配しているのだろうか。

 何も言えてないし、言う暇なんて少しもなかった。やりたかったこと、やり残したことなんて数えれば限りがない。


 ――それなのに、このまま、ずっと、独りで。


 一ヶ月間ずっと付きまとっていた虚無感が顔を出し、颯太の心を締めつける。決して流さまいと決めていた涙が瞳に浮んで、煌びやかな城内の飾りを映した視界をぼやけさせる。

 話がしたかった。誰かと、言葉を交わしたかった。話を聞いて欲しかったし聞きたかった。

 どうしてここに来たのか。その理由が明かされなくても。

 ここに居てもいいと、誰かに言って欲しかった。


「――え?」



 そして、を見た。



 何気なく足が向かった、王城の隅にある庭園。置かれた白いテーブルと椅子。そこに座る、黒い瞳と長く伸びた黒い髪の……少女。少女だ。

 椅子に座りカップを傾ける、黒い髪に黒い瞳を持つ美しい少女。着ている服があまり華美過ぎずとも洗練された白のドレスのせいか、自身の持つ黒色がいっそ不気味なまで映えてしまう。

 だがそれを、颯太は美しいと思った。城内で見たどんな調度品よりも、日本で生きてきた中で見てきたどんな風景よりも、目の前に広がる少女が映った光景の方が何倍も美しかった。

 颯太はその少女から目が離せず、じっと見つめてしまう。この世界に来てから一度も目にすることのなかった、元の世界では見慣れた黒い髪。ひどく懐かしい、郷愁に似た気持ちが胸の底から湧き上がって止まらず、颯太は思わず足を一歩踏み出した。

 足元にあった草を踏み、葉が擦れる音が響き、少女の顔がこちらを向いて。

 颯太と


「え……」

「あ……」


 時間にして一秒以上。二人は完全に、しっかりと目が合って。



 思わず、颯太は逃げ出した。


「ちょ、ちょっと待って!」


 背後から自分を制止する声が聞こえてくるが、颯太の脳内はパニックの極みで冷静な判断が全くできない。この世界で目覚めた時の方が、ずっと混乱の度合いは低かったぐらいだ。


「えええええええなんでなんでなんでなんで!?」


 庭園から情けないぐらい慌てながら逃げ、颯太は頭を抱えながら蹲る。いや、確かに望んではいたけど、こんなタイミングは予想してなかったし心の準備ができてなかったし何より少女の見た目が好みストライク過ぎて照れる。


「ねぇ! 待ってってば!」

「どうしました、お嬢様」


 城の壁からそっと覗き見ると、先ほどの少女が颯太を追いかけようと走り出す前に、近くにいた侍女らしき女性に呼び止められていた。


「い、今そこに誰かがいたの!」

「……お嬢様。庭園には我々以外におりません」

「ううん、そんなことない! 確かにいたの! 私と同じ黒髪の誰かが!」

「――いけませんっ!」


 突如言葉に血相を変えた侍女が声を荒げる。その迫力に、さっきまで颯太を追いかけようとしていた少女の勢いが削がれる。


「お嬢様。立場をお考えください。ただでさえ、あなたの立場は……」

「でもっ……本当に、いたのよ……」


 侍女に窘められても、少女の目は颯太の姿を探していた。しかし侍女の妙に強い静止の意思を振り切れないのか、その場から動けず俯いてしまう。

 目が合った。確かに目が合ったのだ。間違いじゃない。勘違いじゃない。確かに颯太と少女の目が合った。今まで誰にも気づかれなかったはずの颯太が、初めてその存在を視認された。

 話をしたい、が……近くに侍女がいては円満に交流できそうにない。頭を抱えたまま悩んでいる颯太の耳に、短い悲鳴のような音が聞こえた。


「は、離しなさい!」

「……は?」


 突然聞こえた強い叱責の声に目を向けると、またしても全く予想していなかった光景が目に飛び込んできた。


「お嬢様!」


 全身を黒服に身を包み、妙な、目以外の部分が全て白く塗り潰された不気味な面を被った男が二人、いつのまにか少女と侍女を取り押さえようとしていた。


「えええええどういう状況!?」


 パニックが止まらなくなるから、立て続けに超展開起きないでくれる!? と脳内で懇願したところで状況は止まらない。黒服の仮面男二人は侍女に何らかの、おそらく魔法を用いて意識を奪う。崩れ落ちたままの侍女を放置し、暴れる少女の手を掴み抑えつける。

 この状況で飛び出さない理由なんてない。だが、駆けつけようとした颯太の足は動かない。

 目の前で繰り広げられる、悪意によって行われようとしている悪事。

 生まれて初めて見た、どす黒い感情に満ちた犯行現場に咄嗟に飛び出せるほど、颯太の中に根性は座ってなかった。情けないと詰られても仕方がない。だが、どれだけの人間が迷いなく駆け出せるだろうか。


「――助けて!」


 でも、また、もう一度、目が合った。

 この世界で初めて、目が合って、自分を認めてくれた人間が、自分を見て、自分に助けを求めた。

 それだけで、足の震えは嘘みたいになくなった。


「――あああああぁぁ!!」


 裏返った情けない雄たけびを上げ、颯太の足が動き出す。どれだけ声を上げようと、男たちには聞こえない。助けを呼び涙を流す少女にすら、聞こえていないかもしれない。

 勢いを全く殺すことなく、颯太の足が隙だらけの仮面の男の腹にめり込んだ。

 悲鳴もなく吹き飛ぶ男と、駆けた勢いそのまま同じように地面に転がる颯太の体。突然、何にぶつかったようにも見えないのに、まるで人一人分の質量がぶつかったかのように吹き飛んだ仲間の姿を見て、もう一人の仮面の男の動きが止まる。

 その隙に転がって離れてしまった距離を急いで埋めようと、颯太が身を起こし再度駆け出す。思い切り振りかぶった拳に狙いなんて定まらず、少女の手を掴む仮面の男の肩に突き刺さった。


「――ああくそっ、手いってぇ!」


 格闘技なんて一つも習ったことのない颯太に、正しい拳での殴り方などわからない。小指の付け根部分が当たる不恰好な拳でも、意識外からの攻撃はそれだけで充分な威力を発揮して、少女を拘束していた手が離れる。


「なんなんだこいつらは!」

「わ、わからない! 急に現れて……!」


 仮面の男から少女を引き離し、自身の背に隠す。少女も突然現れて、けれど自分を助けようとしてくれた見知らぬ男の背中に隠れるように身を縮こまらせるが、仮面の男の目からは目的の少女一人しか見えない。再度少女を拘束しようと手を伸ばしてくるが――


「隙だらけだバーカ!」


 ガラ空きの男の腹に颯太の爪先が突き刺さる。カウンター気味に入った一撃に今度こそ仮面の男は短く呻き声を上げ、後ろによろける。ここに来てようやく、目には見えない何者かが自分たちを阻んでいることに確信した。


「……逃げられると思わないことだ」


 そう短く、感情を欠片も匂わせない声色で呟き、仮面の男は姿を消した。いつのまにか最初の飛び蹴りで吹き飛んだ男の姿も見当たらない。

 仮面の男たちの姿が消え、ようやく颯太の心臓が思い出したかのように鼓動を早めていく。


「な、なんとかなった……のか?」

「どうした! 何があった!?」


 城内から庭園に向けて、ガシャガシャと音を立てて鎧を着た兵士が数人駆け寄ってくる姿を見て、颯太の体から緊張が抜ける。

 思わずへたり込む颯太の服を、少女はずっと掴んでいた。

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