1章 目が合って、手を取って

1話

 敷き詰められた石畳を、馬車の車輪と馬の蹄が叩く音が響く。

 道の端々には露天商が立ち並び、食料品など多種多様な物品が販売されていた。それらの店主と思わしき人物が威勢よく声を上げ、商品を売り込む情景を天から燦々と照る太陽の光がそれらを明るく染め上げている。

 賑やかな雰囲気が漂う市場を歩く人々の表情には、活気が溢れていて。

 けれど、一人だけ。魂が抜かれたように呆けて立ち尽くす少年がいた。


「……どこ、ここ」


 少年、水際颯太は焦点の定まらない瞳で辺りを見渡す。思わず零れた呟きも返答を期待したものではなく、現状を理解できない故の混乱の発露だ。

 年は十七歳だが、その年の割には幼い顔つきと、まだ成長途中と信じている低身長気味の背丈。背の順で並んだら前から数えた方が早かった小柄な体型だが、線が細いわけではなくひ弱な印象は受けない。表情は親鳥が帰りを巣で待つ雛鳥よりも怯えているが、それも無理はない。


「いやいや……ちょっと待って」


 突然、何の予兆もなく。目を開けたらここにいた。颯太が置かれている状況は、ただそれだけに尽きる。


「俺、普通に部屋で寝てたよな。だから、起きたら布団の中にいるはずで、少なくともこんな真昼間の……何ここ、市場? みたいなところにいるわけが……」


 目が覚めたら、外に放り出されていた。その表現も正しくはない。颯太は自分の足で立っているし、服装も部屋着のダボっとしたスウェットではなく、外出用の私服だ。夏も終わり、肌寒くなってきたからちょっと生地が厚めのパーカーを羽織るようにしたのだ。

 憶えている。忘れていることは、たぶんない。記憶に明確な欠落はないはずなのに。


「……日本じゃない、よな」


 歴史の教科書や海外のニュースで目にするような、月並みな表現になるが中世ヨーロッパの街並みと言えばいいだろうか。道行く人の顔つきも日本人とはかけ離れた容貌をしている。颯太のような黒い髪と瞳を持った人物など一人も見当たらず、異様に筋骨隆々のたくましい商人を見るだけでここが日本でないことは確信できた。

 その上、鎧、剣、槍、猫耳犬耳に留まらず顔つきが明らかに獣でしかない人型が、二足歩行で服を着て歩いている光景。その見慣れない光景が、日本どころかここが地球ですらない事実を叩きつけてくる。

 異世界。漫画やアニメではありふれた単語が、その文化にあまり馴染みのない颯太の頭にすら浮かび上がる。

 今ここにこうして立っているまでの経緯が、まるで思い出せない。家の布団で眠っていた記憶が最後なのに、何がどうしてこうなってこんな状況下に身を置いているのか、心境は混乱の極みにあった。

 成熟した大人の精神をもってしても、混乱は免れない。ましてや颯太は高校生の途中も途中。平常心など保てるわけがなかった。

 耳に飛び込んでくる活気のある声。どう見ても日本人ではない多種多様な人種が放つ言語は、どういうわけか颯太の耳には意味のわかる言葉としてハッキリと聞き取れていた。これで言語さえ理解不能だったら颯太の混乱に拍車をかけていただろうが、好都合とは思いつつも、都合が良過ぎて不気味でしかない。

 市場の中央。呆けた様子で立ち尽くす颯太を誰も気づかないのか、その横を素通りしていく。明らかに顔つきも着ている服装も異質だというのに。


「――ってうぉ危ねぇ!」


 背後から馬の蹄の音が近づいてきたかと思えば、今まで颯太が立っていた位置を馬車が走り去っていった。気づいて、避けなければ確実に衝突していた。


「き、気をつけろよ!」


 混乱と恐怖のせいで、うわずった声を上げて颯太が馬車の主に叫ぶ。だが、馬車の主である男は、颯太に視線を最初から最後まで向けないまま走り去った。

 無視をされた。いや、それも、違う。

 今度は避けられなかった。背中から衝突を受け、颯太は石畳に転がる。混乱、痛み、恐怖。頭の中はそれだけで一杯になる。


「なんだ、何かにぶつかったか?」


 体を反転させ、颯太はぶつかってきた人物を睨みつける。犬の顔と人の顔を混ぜたような容貌。毛むくじゃらな体躯に服を着た、二足歩行で歩く獣人が不思議そうに辺りを見渡していた。


「おい、どうした?」

「いや……何かにぶつかったような気がしてよ」


 獣人の体は颯太よりもずっと巨大で、ぶつかったのは彼の胸の辺りなのだろう。首を傾げ胸の位置を手で撫でながら、口を開き。


「……誰もいねぇし、気のせいだな」

「――気のせいなわけねぇだろ!」


 混乱と恐怖が許容量を超えると、颯太の場合はそれが怒りへと変換された。激昂し、獣人に掴みかかる。


「な、なんだ!?」

「なんだじゃねぇよ! 人にぶつかっておいて謝りもなしか!?」

「お、お……おぉ……?」


 颯太としては力一杯、押したり引いたりしているつもりなのだが、獣人は気の抜けた表情を晒していた。その顔を、別の住人が訝し気な表情を浮かべて見ている。


「何してんだ、おまえ」

「何かが……俺の体を揺らしてるんだけど、なんだこれ」

「……疲れてるんじゃないのか?」

「そうかもしれねぇなぁ……」

「無視してんじゃねぇ!」


 短気でもない。喧嘩っ早いわけでもない。むしろ温厚な性格であったはずの颯太でも、限界があった。握りしめた拳はまっすぐ獣人の鼻っ面へと叩き込まれ、その衝撃はさすがに体格に優勢があった獣人でも尻餅をつかせた。


「俺はここにいるんだよ! 見えてるだろ! 聞こえてるだろ! 無視するんじゃねぇよ!」


 ひたすらに心細かったのだ。どうしてこんな場所にいるのか。どうして、どうしてと疑問はいくらでも浮かび上がるし、尽きることなどない。だがそれよりも、何よりも。


 反応が、欲しかった。


「ここはどこなんだよ! 俺はなんでこんな場所にいるんだ! あんたたちはなんなんだよ! 教えてくれよ!」


 颯太がどれだけ声を荒げようとも、地面に尻餅をついたままの獣人に反応はない。ようやく周囲の喧騒も、颯太が起こした波紋に気づいたのか静かになり、視線が集まっていく。

 だがそれは颯太には一切向けられない。誰も、颯太のことなど見ていなかった。


「お、おい。どうしたんだよ。何もないところでいきなり後ろに吹っ飛びやがって」

「ってぇ……俺も、何がなんだか……」



 誰も、颯太のことが見えていない。



「――いい加減に」


 掴んでも殴っても無視し続けるっていうなら、やめるまでぶっ叩いてやる。

 そんな危険な思考の元、颯太は傍にあった品々を見る。棒状の、長い物が良い。そう考えながら辺りを見渡した。


「……そりゃ、異世界だもんな」


 夢だろうが幻だろうがなんだろうがこの際さておき、異世界なのだから剣だってあるだろう。周りを見れば帯剣している者なんていくらでもいた。売られていたって不思議ではない。颯太は一瞬だけ迷い、その剣を手に取った。


「おい! これでも無視するのか!?」


 初めて手に取った剣を、高々と振り上げる。包丁やカッターとは違う、何かを傷つけるための武器だ。それを手にする颯太も、相手を傷つけようだなんて覚悟は少しもない。

 でも、これで無視はできないはずだ。現に誰もが、颯太が振り上げた剣を見て、呆然とする。



 何もないところで、独りでに浮かび上がった剣を、見ている。



「……なんだよ、その反応」


 視線は集まっている。が、それは颯太にではなく、颯太が持つ剣に向けてのもの。誰一人として颯太とは目が合わず、やがて一人の男性が、両肩を震わせながら、叫ぶ。


「ゴ、ゴーストだぁぁ!」


 その叫びは悲鳴を呼び、市場は騒然とした。

 我先に逃げようとする者。声を上げ狂乱する者。多種多様な人物が、どれも等しく恐怖に顔を歪めながら声を上げる。


「……え?」


 予想すらしなかった事態に、颯太は振り上げていた剣を下ろし、呆然とする。

 手から零れた剣が石畳に落ち、カランと音を立てた。


「え、何? ゴースト?」

「教会に連絡しろ! 街にゴーストが入り込んだぞ!」


 すぐに周囲には人の姿が消え、市場には誰もいなくなった。

 一人残された颯太はただ立ち尽くす。それだけしかできない。


「ゴーストって、なんですか」


 思わず漏れた質問に、答える者などなく。

 自身の手を、足を、体を見る。なんらおかしな点はない。おかしいのは、今置かれている状況だけで。



 水際颯太。特にこれといって特徴のない、平凡な十七歳。

 一切の説明も、助けもなく。ただ一人。

 誰にも見えない体を持たされて、異世界に放り出されていた。





 王国リークテッド。

 高く建造された立派な王城を中心に、城下町が円を描くように配置されている。その円を沿うように建てられた防壁は建国以来一度も崩されたこともない。

 数百年前に終結した隣国との戦争以来、小規模な諍いすらなく関係は良好。国防としての軍備は整えられてはいるが、最早形骸化した礼式と規律によって構成された、言わば実戦的な組織ではない。

 商業が盛んであり、また防壁の中に農作物や牧畜を可能とする平原すらあり、防壁の中だけで帝国内の住民の生活を成り立たせようとすればできてしまうという、半ば自給自足国家としての一面もある。

 というのが、颯太がこの一ヶ月近くこの国家を彷徨って知り得た情報である。

 一ヶ月間。颯太の姿はこの世界の誰にも認識されることはなかった。どれだけ目の前で動き回ろうとも「なんか風を感じる……」や「足音がする、怖い……」と不気味がられるだけだった。

 状況を説明してくれる存在もいない。何がどうなってこの状況下に置かれたのか、判断する材料も何一つない。そんなないない尽くしの一ヶ月間を過ごし続けた颯太は。


「……このままだと、孤独死ってレベルじゃねぇぞ」


 と、低く重く、沈んだ声で嘆いていた。

 高級宿屋として名高い、城下町の一等地に建てられた宿の一室のベッドに寝転がり、リンゴのような真っ赤な見た目をしているが味が梨に近い果物をムシャムシャと咀嚼している。

 三日前からこの部屋の予約は入っていないらしく、従業員が定期的にやってくる掃除のタイミングさえわかれば、その前に片付けておけばいい。そのまま部屋の隅で待機していれば、また自由にくつろげる。

 寝る場所は空いている宿屋の部屋に入り込み、食事は出来上がった料理をこっそりといただく。相手に認識されないのだから真っ当な取引で生活必需品を手に入れられるわけがない。とはいえそんな不可思議現象が立て続けに起きれば、すぐに街の人間は「ゴーストの仕業だ!」と騒ぎだすので、周囲の噂や雰囲気を気にしつつ、この一ヶ月を過ごしてきた。


「娯楽はないけど、生きるだけなら良い街だよな」


 どれだけの声量を出そうと誰にも聞こえない。すっかり癖になってしまった大きめの独り言を口にして、颯太はベッドから起き上がった。間近で見て盗んだベッドメイキングのやり方を真似し、周囲を軽く掃除をして痕跡をなくす。


「……生きてるのか、わかんないけど」


 堂々と宿のフロントを歩いていく颯太の姿に、目を向ける人間はいない。どういう原理だかさっぱりわからないが、人や動物、その他の意思ある生物には颯太の姿は視認されない。それなのに、颯太から触ることもできれば、この世界で目覚めた初日に背中からぶつかられたように、物理的な干渉を受けることもある。


「何がどうなってこんな世界に来させられたんだか知らないけどさ……説明の一つもなく放り出して、そのままノータッチとか普通ないでしょ」


 何をもって普通と称すかはさておき、異世界に来たのだから何かしらの理由があるはずだ。不思議なゲートを潜っちゃったなど、世界の危機を救うべくしてこの世界の召喚者が颯太を呼んだなど。どちらのせよ地元住民との交流を経て、自身のこれからの身の振舞い方などを考えていくものだが、そもそも交流ができていない。

 物理的な干渉ができるのだから、文字を書いて筆談ならどうだ、と試みたのが異世界到着の二日後のこと。周囲の会話を問題なく聞き取れるのだから文字も読めるだろうと思ったが、地球上に存在するどの文字よりも奇怪な形をしていて一瞬で諦めた。

 ならばこっちでわかる文字で書いてみればどうだと、「私の名前は水際颯太です」と日本語と英語で書き、住人の目に付くところに置いてみたが誰も理解できず、終いにはまた「ゴーストだぁぁ」と叫びだす者もいたため、それも一瞬で諦めた。

 交流を試みた一週間後、犯罪行為に手を染めまくってやろうかと自暴自棄になったのはいいが、持ち前の善性が邪魔をして、何もできなかった。女性の着替えシーンを覗いてやろうと試みても、実際に着替えだした辺りで罪悪感に負けて走り去ったぐらいだ。画面や紙面で見る女性の裸とは違い、間近で見る扇情的な光景は颯太には破壊力が凄まじかった。

 誰にも気づかれない。誰も気づいてくれない。干渉してくれない。生きているだけなら容易だが、生きることしかできない。

 そんなことでは駄目だと、颯太は必死に自分がやれることを探そうとしていた。


「働こうにも、まともに金銭を稼げることなんてできやしないんですがね」


 人にぶつからないよう、路地の隅を沿うように歩いていく。広大な王国内を全て歩き回ったわけではないが、人知れず生活する分には生活範囲を広げ過ぎる必要はない。

 人の多い場所にいけば、それだけ周囲には気を使わなければならないし、何より、たくさんの人から見向きもされないという事実に打ちひしがれることになる。近頃は慣れてきた感覚とはいえ、そう何回も味わいたいものでもない。


「まぁ、戦争とかが起こってないようで良かったよな」


 街そのものの雰囲気や情勢は明るいため、颯太のような人間でも気兼ねなく出歩くことができる。そもそも雰囲気や情勢など最初っから関係なく気づかれない存在なのだが、日本の平和な暮らしに産まれた頃から浸かっていた颯太には、争いごとが不慣れなのは当たり前だ。

 だが、それもこの一ヶ月でだいぶ変わった話だ。

 平和な世の中であろうと、罪を犯さない人間がいないわけではない。


「泥棒!」


 短い叫び声が人や物に溢れた市場に響き渡る。颯太はいち早くその声に反応し、人波を駆けていく。路肩に止められた馬車によじ登り高い位置から俯瞰すれば、何者かが脇に何かを抱えて走り去ろうとする姿が見えた。


「これぐらいの距離なら……いけるか」


 泥棒が逃げる先を睨みつけ、颯太は一度深く息を吐く。

 原理は全く理解できていない。誰も教えてくれないからだ。だがこの世界の住人が日常的に用いていて、それを見様見真似でやってみたら、できた。


「風よ」


 短く、呼びかけるように。それがコツだ。どういう原理で、どういう理屈が働き、どういった代償がいるのかすら定かではないが、使えるのだから存分に使わせてもらう。

 この世界には、魔法と呼ばれる技法があり、それを颯太は使える。


「――弾けろ!」


 颯太の声に従うように、泥棒が駆けていく先に溜まっていた空気が、パンと音を立てて弾けた。


「うわぁ!?」


 狙い通りの箇所で発現した不可思議現象は、泥棒を傷つけることなく、ただ驚かせるだけのものだ。眼前に突然現れた衝撃によって泥棒は体勢を崩し、その隙に追いかけてきた男性に捕まった。


「くそっ、離せ!」


 ジタバタともがく泥棒が取り押さえられ、連行されていく。颯太はその光景を馬車の上から苦い顔で見つめていた。

 魔法。その技法の存在を知ったのが、異世界で目覚めてから四日目のことだった。

 あてもなく街並みを眺めながら、道を歩いていた時だ。市場の露天商の一つ、何かしらの肉を串に刺し焼く、串焼き屋のような店の店主が、言葉を用いただけで火を起こしてみせたのだ。何もないところから突然と生み出された炎に驚きながらも、ようやく颯太はここで「さすが異世界だな!」と若干テンションが上がっていた。その上がったテンションのまま、その場で自分も同じように見様見真似で、言葉で唱えてみたら。

 ボヤ騒ぎになった。

 またしてもゴーストの仕業だと、四日目の時点でだいぶ聞き慣れてしまった住人の叫びを聞くことになったのも、記憶に新しい。

 火や風だけではなく、やろうと思えば何もないところから水も生み出すこともできたが、あまりにも大き過ぎる質量や規模のものを魔法を使って生み出すことはできなかった。水で言えばバケツ一杯分が限界量だ。

 それ以上の質量を生み出そうとすれば、そもそも発現しないし、原理もわかっていないものを無理に使い過ぎれば、どういう代償を払えばいいのかすらわかっていない。危ない橋はこれ以上渡りたくなかった。

 こうして泥棒などの犯罪者を捕まえる手伝いをするのも四回目だ。

 一ヶ月で四人もの犯罪者が颯太の目の届く範囲で犯行に及ぶのが多いのか少ないのかわからないが、共通してるのがどれも行われた犯罪だということだ。

 貧困層というのは、この街にも例外なく存在している。生活に困窮した者の数というのは決して少なくはない。

 この国では、犯罪者は奴隷として扱われることになる。日本生まれ日本育ちの颯太には馴染みが全くない制度であり、忌避感が拭えない。

 国としての制度が奴隷を認めている以上、あまりにも非人道的な扱いが許されているわけではないが、それでも一度奴隷として身を落とした者の扱いは劣悪だ。

 厳しい労働や、購入者が解放するまでの恒常的な隷属。例え犯罪の末にそんな結末が待っていようとも、今日を生きることができなければ意味がない。だからこそ、犯罪はなくならない。


「俺だって、やってることは泥棒と変わらないんだけどな」


 金銭を稼ごうにも手段がない。こうして泥棒を捕まえたり、事故を未然に防いだり、人知れず人助けをしてその対価として勝手に食べ物などをいただいているだけだ。奪われる側としては颯太の存在など泥棒と変わらないだろう。この姿がちゃんとこの世界の人間に認識されていたら、間違いなく自分は奴隷コースまっしぐらだ。

 一度、興味半分で奴隷市場を見に行ったことがある。そして、すぐに後悔した。人種問わず様々な人間が奴隷として売られている、ペットショップのように陳列された同じ人間の姿を見て、すぐにその場から離れた。

 先ほどの泥棒も、同じように奴隷に身を落とすのだろうか。もしかしたら、自分がいなかったら逃げおおせたのかもしれない。誰に頼まれたわけでもない自己満足のために犠牲にした男を見て、颯太はため息を吐いた。


「やることないし、やれることも少ないし……やったところで誰が見てくれてるわけでもないし」


 どれだけ善行を積んだとしても、誰もそれを評価してくれない。どれだけの悪行を重ねようとも、それが生き甲斐になるほど歪んだ人間性はしていない。

 生き甲斐が、やり甲斐がない生活だ。そんな生活を、青春真っ盛りの十七歳が耐えられるわけがなかった。


「旅にでも出るかな。外の世界なら俺のこと気づいて……くれるとも限らないか」


 言ってみて、それも現実的じゃないなとため息を吐いた。この防壁の中ですら一ヶ月かけても歩き切れる気がしないぐらい広大だし、そこから出た先に何が待ってるのかなんて想像もできない。

 停滞よりも、未知に対する恐怖の方が大きかった。


「まだ行ったことのないところなんて、いくらでもあるしな」


 この一ヶ月で作った脳内マップを思い浮かべ、さて今日はどこに行こうかと思案する。

 馬車の上から街並みを見渡し、ふと目についた高い建物。

 防壁の中央。国の中心に聳え立つ、王城を見た。


「……行ってみますか」


 どうせ誰にも気づかれないのだから、入ってはいけない場所なんてない。

 颯太は馬車から飛び降り、王城へと足を向けた。

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