第15話 若い魂狩り

 悪霊の気配は、谷を一本越えた先にある、廃屋から発せられていた。元は何かの工場や資材置き場だったと思われる。外壁一面が大きな開口部になっているが、悪霊が入り込んだのは下方に開いた穴からだろう。朽ちた金属板の壁の隙間から、咆哮が響く。暴れているようで、物が落ちたり壊れたりする音もする。

 刹那、ブロムの脳裏に墜落事故当時の光景が閃いた。計器が床に叩きつけられ、金属の船体が破壊される断末魔。

 歯を食いしばり頭を振るうと、柄を握りしめた。サンディのフサフサした尾を追って中へ踏み込んだ。

 建物内は開けているが、数カ所に機材や道具が積んであった。天井は高い。漏れ入る光が筋となり、舞い上がる埃を白く浮かび上がらせて視界を阻む。

 その一角で、派手に機材の山が崩れた。もうもうと舞う埃の中で、ビュン、と震える音と同時に、魔石の輝きをまとった矢が放たれた。

 多少の追跡能力を持つ矢は、壁を蹴り、床で飛び跳ねる悪霊をしばらく追うが、力尽きて霧消した。

 悪霊に取り憑かれているのは、年若い女性だった。黒髪を振り乱し、血走った目ですぐさま身を翻すと、先程崩れた機材の山へ突進する。積み重なる破片の中から、悲鳴のような呻きが聞こえた。

 疲労の残る重い足を叱咤し、床に散らばる破片に躓きながら機材の山を回る。先に駆けつけたサンディが、悪霊の背中に飛びかかった。

 振り返りざまに振り上げられた腕が、サンディの鼻面を直撃する。

「キャウン」

 短い悲鳴をあげて一度は離れたが、再び果敢に飛びかかった。その間に、悪霊に組み伏せられていた若者が上体を起こした。短弓を構える。

 飛び退いた悪霊が、ブロムに気が付いた。

 血走った眼が、カッと見開かれた。柱を蹴り、一直線にブロムに突き進んできた。歯をむき、涎を垂らした唇が、蠢く。

 呻き声が、自分の名を呼んでいるように聞こえた。

 ハッとして、ブロムの構えが遅れた。悪霊の爪が喉に迫る。

 目の前が急に開けた。よろめき、ブロムは無様に尻餅をついた。悪霊の横から体当たりを食らわせたサンディが、床を転がる。

「大丈夫ですか!?」

 若者が立ち上がり、弓をつがえた。弦を引く指の間から光の線が伸び、矢となる。

 あの矢の威力では、よほど急所を射抜かなければとどめはさせない。悪霊の動きは速い。

 ブロムは、筋肉のバネを使って跳ね起きると、悪霊の腕を掴んだ。噛み付こうとする顔を避け、羽交い締めにする。

「今だ」

 ブロムの声に、若者の矢が放たれた。

 悪霊の心臓部を貫いた矢が、勢い余ってブロムの脇腹をも突き抜けた。

 その軌跡を追った視線の先に、魔石の鏡があった。尻餅をついた時、ポケットからこぼれ落ちていたのだろう。

 その面をよぎった姿に、ブロムは呻いた。

 船の墜落事故で命を落とした、アカデミーの後輩だった。

「そうか。お前も」

 浄められた後輩の魂は光となり、仕留めた若者の弓に嵌められた魔石へと吸い込まれていった。

「いやぁ、助かりました」

 瓦礫の山を降りる若者は、うなじで束ねた金色の長い髪を無造作に掻いた。壁の隙間から差し込む光が、頬の珠花のタトゥーを浮かび上がらせる。その色味に、ブロムは目を細めた。去年新しく採用された色素が使われていた。

「新人か」

「はい。魂狩り始めて5ヶ月のペーペーです」

 あっけらかんと笑う。

 髪の色合いと相まって、その異様な明るさにブロムは面食らった。魂狩りが背負っている闇が、一筋も感じられない。こんな同業者は初めてだ。

 ブロムの困惑を他所に、若者は短弓を背負うとポケットから小さな箱を取り出した。側の棚だった場所に置き、蓋を開ける。

 金属音が奏でる鎮魂曲が、がらんと静まった廃屋に反響した。その中で、若者は悪霊から解放され意識を失っている女性の容体を確認する。魂狩りとしては未熟だが、手つきは慣れていた。

「医者だったのか」

 ブロムの問いに、若者はあっさりと笑った。

「研修医でしたけどね。腕の筋を痛めているようだけど、湿布を貼れば大丈夫ですね」

 鎮魂曲が一巡した。蓋を閉める若者に、ブロムはもう一度問いかけた。

「それは、なんのために」

「浄めた悪霊のためです」

 その笑顔も、少しの湿り気もない爽やかさで、とても魂狩りの表情と思えないものだった。



(#novelber 15日目お題:オルゴール)

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