第13話 夏の追撃

 悪霊に取り憑かれた男性が、猛然と山道を逃げていた。

 夏の盛りに伸びる草を引きちぎり、木々の間に立ち上る羽虫の柱を蹴散らかす。老木に空いた樹洞を器用に潜り抜け、細い若木をなぎ倒す勢いで岩から岩へと飛び移る。大きく動く度に、あらぬ方向に曲がった左腕が振り回された。

 ブロムも懸命に追うが、人類の動きで叶う速さではない。それに、彼女の武器は中剣だ。遠隔攻撃をして足止めをかけることもできない。

 急がなければ、取り憑かれた人が助からない。いや、もう、九割がたは諦めていた。追いつめた崖から飛び降り、全身を強打しているはずだ。そもそも、彼の背後に崖があったのを見逃したのがいけなかった。生い茂る草で足元が不明瞭だったとはいえ、大きな失態だ。

 息が上がる。もう諦めて、一度引くべきか。

 拭う間も無く藍色の目に流れ込んだ汗で、視界がぼやけた。

 一陣の風が、悪霊の足元をよぎった。一瞬だが戸惑う悪霊の前に素早く回り込み、牙をむいて吠えたてたのは、すっかり大きくなったサンディだ。

 なおも逃走を企てる悪霊の胸を目掛け、砂色の獣が果敢に飛びかかる。避けきれず胸部に体当たりされた悪霊は、体を大きく揺らめかせた。

「でかした」

 その間に追いついたブロムは、残る力を振り絞って柄を握りこむ。意志に反応した魔石から光が迸り、たちまち一振りの刃となって悪霊の頭上に振りかざされた。

 目をむき、再び走り出そうとした悪霊の足は、服の裾に噛みついたサンディによって岩場へ縫いつけられていた。怒りの形相で、反対の足から繰り出された蹴りがサンディを襲う。

 だが、爪先がサンディの脇腹へ届く前に、ブロムの刃が悪霊の脳天から股へと、真っ直ぐ振り下ろされた。

 切ない叫びを残し、男性の肉体から靄のような光が流れ、柄にはまった魔石へと吸い込まれていく。膝から崩れ落ちた男性に手を差し伸べる余裕もなく、ブロムもまた、側の木にもたれかかった。

 全身に汗が流れた。寄ってくる羽虫に構う気力もない。大きく胸を上下させて、とにかく酸素を求めた。

 きゅうん、と湿った冷たい鼻が手の甲に押し付けられた。

「ああ、少し、休ませてくれ」

 褒美にやる干し肉が、あとどれくらい残っていただろうかと、ぼんやり荷物の中身を思い浮かべた。

 薄眼で見下ろせば、サンディはブロムの腰の高さから潤んだ黒い目で見上げていた。心配そうに、頭を押し付けてくる。

 その首元をかいてやりながら、ブロムは弱く笑った。

「そんなに近付くな。暑い」



(#novelber 13日目お題:樹洞)

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