第11話 魂を感じ取る少年


 川土手には穏やかな風が吹き、枯れ始めた草が擦れ合い、秋の音楽を奏でていた。

 土手の下では複数の子供が、いくつかの塊になって遊んでいる。ある者はボールを蹴り合い、ある者は追いかけっこをしていた。

 それらのどのグループにも入ろうとせず、グラスはひとり、土手の上で膝を抱えてぼんやり下方を見やっていた。側に厚さのある本を携えているが、読もうとする気配は皆無だった。

「いいな。行け」

 ブロムは小声で命じると、地面へ下ろしたサンディの砂色の尻をそっと押し出した。心細そうに振り返った目は、黒く潤んでいる。早く行けと下げた手首から先を振れば、太腿を揺らしながらグラスへ歩いて行った。

「ウアン!」

 吠える仔犬に振り返ったグラスは、たちまち顔を、輝かせた。

「可愛いなぁ。どこから来たの? わあ、もふもふ」

 丸い頭を撫でられ、眉間をくすぐられ、サンディの尾はピチピチと左右に振られた。

 物陰から待ち構えていたブロムは、がっくりと肩を落とした。

 グラスにサンディをけしかけ、悪霊を誘き出そうとしたのだが、砂色の毛玉には役不足であった。よほどの犬嫌いでなければ、小さなサンディを怖がらないだろう。

「ウ、アン! アン、アン!」

 サンディは、それなりに頑張って、四つ足を踏ん張って吠え続けた。尾が左右に振られているので、説得力に欠けるが。

 ブロムは諦め、サンディを呼び寄せようとした。

 その時、左手の方向、少年の背後で悪霊の気配が急速に膨れ上がったのを感じ取った。

「来たか」

 用意していた柄を握りしめる。たちまち現れた光に、悪霊も反応した。相手の憎悪がはっきりと殺意に代わり、漠然としていた目標がブロムへ定まった。

 獣の勘だろうか、サンディも、少年の足元で首筋の毛を逆立て、鼻に皺を寄せて唸る。不思議そうに顔を上げた少年が、ハッと息を呑んだ。

 悪霊が、収束した風となってブロムへ吹きつけた。肉体を切り裂く勢いがある。生きたものに取り憑くことが多い悪霊だが、これは風に取り憑いていると言えた。

 短く息を吐き、ブロムは脇を締め低く構えた。風の向きを見定め、やや左に踏み込む。真っ直ぐ吹きつける風をわずかにかわし、すれ違いざまに斬ろうと柄を握り込んだ。

「やめて!」

 少年の声に怯んだのは、ブロムではなかった。ブロムに達する直前、風は勢いを失くした。悪霊の気配は細かく砕け、周囲に散らばっていく。

 勢い余って土手の草地で膝を強打したブロムは、恨めしく少年を睨み上げた。

「なぜ邪魔をした」

 少年はたちまち蒼白になり、逃げ腰で震え始めた。

 ブロムは忌々しく舌打ちした。サンディをけしかけるより、自分が出て行った方が効率よく悪霊をおびき出せたかもしれなかった。

 震えながらも、グラスは一度唾を飲み込んだ。

「僕が、しっかりしないから、だから、僕がしっかりしたら」

 呂律が回らない。それでも悪霊を庇おうとする姿勢に、ブロムは眉を顰めた。

「あれの元の魂に、心当たりがあるのか。そもそも、魂を感じている? 死線を越えたことがあるのか」

 独り言のようなブロムの言葉に、グラスは一拍おいて、コクリと頷き、続いて首を横に振った。

「死にかけたことは、ないよ。だけど、ミィがまだ側にいるのは感じられるんだ。他の魂は、知らない」

「ミィ?」

 訝しげなブロムに、グラスは傍の本を手に取った。栞として挟んでいた写真を見せる。

「猫?」

「うん。野良猫だったんだけどね、僕がいじめられたとき、いつも慰めてくれた。だけど、夏にどこかへ行っちゃって。その後しばらくして、ミィを感じるようになったの」

 人に情を移した獣の未練が、風に憑依している。

 これまた厄介な相手だと、ブロムは口をへの字に曲げた。

 不機嫌なブロムを他所に、少年はサンディの背中を撫でながら続けた。

「僕が、しっかりしてないから。何をしても愚図で、上手くできなくて、みんなに馬鹿にされるから、ミィは心配なんだよね。だけど、だからって怪我させたりするのは、間違ってるよね」

「アン!」

「いや、お前が答えるのか」

 へっへと舌を出し、サンディはブロムへ駆け寄った。

 ため息をつき、再度栞の写真を見下ろす。

「猫の未練、ね」

 そこには、毛の艶も失いながら愛しそうに目を細める老猫の姿が焼き付けられていた。

 ブロムは、短い吹きさらしの髪をガシガシと搔いた。

「なんであれ、被害が出ている以上、放置はできない」

 冷たく言い放つと、グラスはビクリと肩を震わせた。



(#novelber 11日目お題:栞)

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