第5話 故郷の村

 無言で、ブロムは少女に抱き上げられた仔犬を見つめた。いっそこのまま、彼女に託すことは出来ないか。

 交渉を持ちかけるか否か、躊躇している間に、彼女の父親らしき男性が恐怖の形相で猛突進してきた。あっという間に、少女を小脇に抱えて逃げていく。

 宙に放り出された仔犬を危ういところで受け止め、ブロムはため息をついた。

 困惑顔のブロムに頓着せず、仔犬はふんふんと鼻を鳴らし、腕の上を器用に歩き回る。やがて、日に焼けて乾燥したブロムの褐色の手の甲を舐め始めた。

 少しだが、皮がめくれていた。さっきの戦いで、いつのまにか負傷していたようだ。これくらいの擦り傷はいつものことで、いちいちカウントしていない。それを、仔犬は小さな舌で労わるように舐める。

 くすぐったさに、仔犬の首根っこを摘むと片手に抱き直した。

 ギルドで、引き取ってもらえるだろうか。魂狩りソウルハンターの中には、寂しさを紛らわせるために旅の道連れを求める人もいるだろうか。

 街道を先に進もうと踏み出した足を、止めた。思い直して踵を返すと、木立に踏み込む。街道に沿って来た方へ戻った。

 道標まで戻ると、先程は選ばなかった細い道へ入る。ブロムの双子の姉、フラウが住む村に続く道だ。

 しばらく行くと、道の両側に、村の入り口を示す飾り柱が立っていた。ギョロリと目玉を突き出した人類の抽象的な彫り物に、鮮やかな彩色が施されている。このまま進めば、村の中心地へたどり着く。

 だが、ブロムは飾り柱の間を通らず、脇の山へ分け入った。獣道すら無い崖の縁を、木の幹に手を掛けながら登っていく。

 腕の中で、仔犬が鼻をひくつかせた。遅れて、ブロムも香ばしく焼ける肉や酒の匂いを嗅ぎつけた。

 茂みを透かし見ると、眼下に村の広場に屋台が並び、たくさんのチェス盤と、向かい合って対局する人々の姿があった。

 ああ、とブロムは合点した。

 村を挙げてのチェス大会が、今日行われていたのだ。

 毎年、収穫された穀物や野菜、冬の間に必要な燃料を景品にして、老人から子供までが腕前を競う。ブロムは興味がなかったので参加したことはないが、母と兄はよく景品を勝ち取り、父を悔しがらせていた。だが、その父がフラウと屋台で売るパンは、村の評判だった。

 仔犬が喉で鳴き、ブロムを見上げる。

「お腹が空いたのか?」

 尋ねたところで、伝わっているものなのか。仔犬は首を伸ばし、ブロムの顎を舐めた。

「そうか。だけど、お前に焼肉はまだ早いだろう」

 柔らかな丸い頭を撫で、ブロムは広場に背を向けた。

 もう、あの広場にブロムが身を置ける場所はない。親しかった村人に不快な思いをさせないよう、気配を消し、忍び足で山の奥へ進んでいった。



(#novelber 5日目お題:チェス)

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