第4話 林間の戦い

 林の中に、人々の悲鳴が飛び交った。

 悪霊に取り憑かれた青年が、枝から枝へと渡っていく。人には不可能な速さと身軽さだった。

 悪霊の害の一つだ。人の運動能力を無視した動きをさせることができるため、取り憑かれた本体が傷つき、体力を消耗させられる。取り憑かれる人の多くは、元から弱っており、魂に隙がある。その上で力を奪われ、死に至る場合もあった。

 木を渡っていた青年が、足を滑らせて落ちる。宙で一回転すると、軽やかに着地した。

 逃げまどう人々をぬって追っていたブロムはその動きに、取り憑いて間もない悪霊と判断した。まだ、体を扱い慣れていない。手早く浄めれば、青年は疲労蓄積だけで解放されそうだ。

 走りながら柄を抜く。

 構えようとして、片手が塞がっているのを思い出した。

 毛玉だ。

 この騒ぎの中、仔犬はぬくぬくと眠っている。ぷひ、と鼻息をたてる仔犬を見下ろし、数え飽きたため息を吐き出した。

 邪魔だが、下手に地面へ置けば、右往左往する人にまた蹴られてしまうかもしれない。

 仕方なく片手で構えるが、どうにも精神統一ができない。左手にわだかまるモフモフした感触に気が散ってしまう。

 もどかしくしているうちに、悪霊もブロムに気がついた。歯をむき、背負っていた荷物を掴んだ。振り回す。

 ブロムは咄嗟に、上半身を反らせて避けた。

 かわされ、勢いで斜め後方へ突き進む悪霊の動きに、一瞬ヒヤリとする。たまたま人が側にいなかったから良かったが、誰かがいたら巻き添えにするところだった。

「厄介だなぁ」

 呟くと、再び襲いかかる悪霊を、落ち葉の上を転がって避けた。着地と同時に、左手の毛玉を、道端の木の根元へと転がす。きれいに転がったのを見届ける間もなく、柄を両手で構えた。

 呼吸を整え、意識を手に集中させる。光が迸り、刃となった。

 奇声をあげて、悪霊は持っている荷物を振り上げた。精神の刃で現実の攻撃を受けることはできない。かわすしかない。

 ブロムの頭があったはずの場所を唸りを上げて横切った荷物が、木の幹に当たった。ブロムの胴と同じ太さの幹の中程まで食い込む。高さの異なる金属音がした。大きさ、形状からも、おそらく中に入っているのは鉄琴だと察せられた。攻撃力は高い。

 歯ぎしりをした悪霊は、即座に幹から鉄筋を引き抜いた。より力を込めて横薙ぎにした。ブロムの左から、迫ってくる。当たれば、腕と肋骨が折れるだろう。

 ブロムは後ろへ引いた右足を軸にして、唸りを上げる鉄琴の動きに合わせて回転した。勢いを利用して悪霊の横腹から肩にかけて斬りつけた。

 周囲から悲鳴が上がった。

 顔を背ける人もいる。

 だが、彼らが予測する事態にはならない。精神力の刃で斬れるのは、悪霊だけだ。肉体には、なんの損傷も残らない。肉体が本来持っている魂にも影響が出ない。

 惑星中の誰もが知っている事実だ。が、絵面の残忍さに、魂狩りの印象は悪くなる。

 青年から漏れ出た光が、刃に吸い込まれる。解放され、青年は糸が切れたように膝から崩れ落ちた。

 ひときわ高い悲鳴と共に、中年女性が駆け寄った。年齢的に、彼の母親だろう。昏睡した青年の肩や横腹にオロオロと手を沿わせ、悲痛な声で名を繰り返す。

 刃が消えた柄を収め、ブロムは無言で足を踏み出した。

「あの」

 恐る恐る、一人の少女が声をかけてきた。戦いを終えたばかりの魂狩りを呼び止めるなど、珍しい。勇気を振り絞っての所作だろう。小さな英雄に敬意を示し、ブロムは振り返った。

 一度、短く呼吸を止めた少女は、震えながらも両手を差し伸べた。

「お、落とし、お忘れ物です」

 彼女に抱き上げられ、砂色の毛玉は激しく尾を振っていた。



(#novelber 4日目お題:琴)

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