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 そして今日、僕は確かに聞いたのだ。


 ハエの声を。。。


 僕はじっとハエを見つめていた。


『おいおい、こいつ俺の事めっちゃ見とるやんけ。なんかやらしい目つきやなぁ。』


 何言ってんねんこいつ。心の中で笑いながら呟いた。お前の声は丸聞こえですよ、と言ってやりたい。


『あぁ、くそ!俺はこんなんしてる場合じゃないねん。約束してんのにこのままじゃ間に合わへん!そんな所でぼうっと突っ立っとらんと助けてくれや、、、。いやはや伝わらんのが悔しいわ。』


 ピリッと空気が変わった気がした。いや僕自身が変わったのか?なんだろうこの感覚。僕は何かに背中を押されているのだろうか?このどうしようもないハエに、僕ができる事はあるのか考え始めていた。


『聞こえてんで、しっかりと。なんでお前は喋れるん?』自分でもおかしく思えてくるが試しに聞いてみた。


『、、、、、、』


『どうやって取んの?これ。』


『、、、、、、』


 なんか喋ってくれ。寂しいやんか。

 ハエの目なのか何かよく分からない部位を見つめ続けていると、少し気持ち悪い。だがじっと返答を待ち続ける。


 ふっと風が吹いて、震えた声が聞こえた。


『、、、え?聞こえてんの?』


『しっかりと聞こえてるよ。』


         

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 ハエの足が取れないように粘着から剥がすのは一苦労だった。ちょっと引っ張ると『痛い!』と叫ぶ。その気持ちは充分理解できるが、そもそも剥がれないように強力な粘着力を持っているのに、どうやったら剥がせるのか分からない。


『ちょっと我慢してや。』


『いぎゃあぁぁーー!』


 助けるつもりが、拷問しているかのようなやりとり。一本ずつ足を剥がしていたのに、ハエが気を緩めたせいでまたくっついてしまった時は一気に剥がしてやろうかとも思った。


『もうすぐ全部取れるぞ。』


 ハエは慣れてきたのか、すっかり大人しくなった。


『そういえば、何かに間に合わへんって言ってたけど、どっか行かなあかんの?』


『そう。助けてくれてんのに急かすようで悪いけど、十二時までに丸太公園へ行かなあかんねん。大事な約束や。そのために練習もしてきたんや。』


『練習?なんの練習、、、。』


『痛っっ!!』


 今度は僕が気を抜いて、引っ張ってしまった。気をつけないと足がもげてしまう。


『よしっ!取れた。』


 慎重にゆっくりやれば取れるものなのだな。足は特に大きな傷なく無事だと言った。


『ありがとう。ありがとう。』


 必死に頭を下げて礼を言うハエ。もうこの時点で僕はハエと話している事に違和感を感じていなかった。動物と話せる大田の影響もあるかもしれない。

 何か俺にできる事があれば言ってくれ、とハエは手をこすりながら言う。


『さっきの話、約束とか言ってたやつ。気になるからさ、その約束の場所まで連れて行って欲しい。』


『分かった、、、。でもなるべく離れていて欲しい。これは俺がずっと計画してた事やから。』


 余計に気になる。僕はもっとこのハエを知りたい。丸太公園まではすぐだから、休憩時間が終わるまでに戻って来れるだろう。


『じゃあついてきてくれ。』


 ブーンと軽快に飛んで行くハエはかなり速いスピードで進んで行く。僕は見失わないように目を凝らしながら走って追いかける。


      

          13


 とても楽しかった。こんなにワクワクするのが新鮮だった。『楽しい』『夢中になれる』というのがこんなにも原動力となるのだな。

 

 僕は大事にしてきたいろんな事を捨ててきた。それらが全て、これまでの僕の人生を作っていた。だからこそ失くした時の虚無感は言い知れぬものだった。そして無情にも時は素早く流れていく。まだ若いまだ若いと言ってられない程に。そして焦れば焦るほど道が見えなくなる。


 そんな日々の暗い部分を、忘れてしまう程、“今”に夢中になってもいいんじゃないかな?そしてその時に見える一瞬の光が照らす道を信じれば良いんじゃないだろうか。


『ちょっとここで待っといてや。』


 ハエに言われた通り、公園の入り口で止まった。ハエは公園のブランコの方へゆっくりと飛んで行く。


『あれ?なんだろう。』


 じっと目を細めて見た。僕はなんでこんなにも目が良いのだろうと思った。

 もう一匹、別のハエがブランコに向かっている。時計を見ると十二時ちょうど。さっき言ってた約束とはこのことか。。。


 二つのブランコに一匹ずつ乗っている。今は風もなく、誰もいない公園にハエの世界が形成されている。


 何やら話しているのだろうが、ここからはあまり聞こえない。ただ、もう一方のハエの声は女性だと分かった。カップルなのだろうか?デートの約束だったのかな?


 そんなことを考えてこの当たり前のようでいて不思議な空間に身を任せている。そんな自分が心地良かった。

 そんな時、突然、、、。


『この曲は、、、?もしかして昨日の、、』


 この柔らかい音色。そして優しい声。昨日河川敷で聴いたそれと全く同じだった。聴いていて心が温まる。


 この歌を歌っているのがハエなのだろうと直感的に分かった。ギターの音色はどこから鳴っているのだろう?もうそんな細かいことはどうでも良かった。すでにハエが喋っているというおかしな現象に納得していたから。

 

      あなたに会いたい

       僕はまだ道半ば

      何もない僕の手に

     覚悟の二文字が眩く光る


      あなたに会いたい

      夢はまだそこにある

      嘘のない君の目に

      本当の心を映したい


      あなたに会いたい

      僕らまだこれからだ

      何ともない大丈夫

   不安や悩みがチャンスなんだから


      あなたに会いたい

      あなたに会いたい

      あなたに会いたい

     僕ら一緒に生きていこう



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 ハエは去り際に、『じゃあな!ありがとう!』と手?足?を振って、二匹仲良くブーンと、まるで手を繋いでいるように飛んでいった。


 僕が見たのは何だったのだろう。夢ではなさそうだ。だが僕に重くのしかかっていた暗い思想がゆっくりと溶けていく感覚があった。これこそが生きる道なのだと、教えてくれたような気がした。


 茜音に対して僕はなぜ前向きになれなかったのだろう?僕は何も分かっていなかったし分かろうとしていなかった。もっと前だけ見つめていれば良かったのに。取り返しのつかない事をしてしまった。


 今、僕にできることは?


 僕は慌ててスマホを開いた。トーク画面、茜と書かれた文字、、、。

 ちょっとの間見つめていたが、そっとスクロールして、大田にメッセージを打った。


『今日話せる?』


 今日起こった事、感じた事を大田に全部伝えてみよう。前は偉そうに、自分もできない事をぺらぺらと述べてしまったが、それも謝りたい。そしてお節介かもしれないが、大田ならまだまだ先がある。道はしっかり残っている。


 そして僕もまだまだ人生は続いていく。初めて自分が変わっていくその瞬間を感じている。目の前の壁は壊そうと思えば硬かったが前に強く押せば簡単に倒れた。


 また同じように壁が立ちはだかるかもしれない。不安や悩みが夜の眠りを妨げてくるかもしれない。でも、その度に今日のこの感覚を思い出そう。強く一歩を踏み出すこの心の色を覚えておこう。


『今日いけるよ。ゆっくり話そう。』


 大田からのメッセージに胸を躍らせ、僕は職場に戻りながら、新しい道を歩んでいく。

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ハエ、そして一つのセレナーデ メンタル弱男 @mizumarukun

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