第15話 京吾クビになる

華子は東京に帰ると、テロ法案の反対運動に全力を注いだ。

 それから一月後、世論の盛り上がりの中、テロ法案の強行採決は見送られ、事実上廃案となったのである。


「華子様、良かったですね。あの法案が通ってしまえば、私達の運動は潰されていたでしょうから」

「これからの戦いも、どれだけ民衆を味方にするかが勝負ですわね」

 華子の事務所では、令子と華子、西郷などが話し合っていた。

「参院選まで、半年を切りました。いよいよ本番です」

 西郷が緊張した面持ちで、皆の顔を見渡した。

「そうですね。参院選には西郷先生にも出馬して頂いて、議員を纏めてほしいのですが、よろしいでしょうか?」

「分かりました。華子様は衆院選に出られるのですね」

「そのつもりです」

 華子達は、参院選で改選議席の百二十四の内、その半数以上の七十議席を目標としていて、現時点で、既に百名の候補者を擁立する事が決まっていた。

 そして、来る衆院選には、三百人以上の候補者を出して政権を取り、日虎の野望を打ち砕き、政治を国民の手に取り戻す事が最終目標なのである。

 日虎が、あらゆる手段を講じて邪魔をする事は間違いなかった。当に命懸けの戦いの本番が始まろうとしていたのだ。


 京吾は、華子が在京中は彼女から離れて、鈴麗から“極冷掌”の手ほどきを受けていた。場所は、京吾の実家の広い庭で行った。

 太極拳の基礎を完全に習得している京吾は、乾いた布が水を吸うように神技を吸収して、一月後には“極冷掌”を会得してしまったのである。

「京吾すごい。こんな短期間で習得できるなんて信じられない」

 鈴麗も、その速さに驚いていた。


 京吾は、鈴麗にこのまま残ってもらうかどうかで悩んだが、結局、彼女には帰ってもらう事に決めた。鈴麗にも生活があり、長期間日本に留める事は出来ないし、彼女が最強の援軍だからと言って、戦いの前面に押し出すのは筋が違うとも思ったからである。

「京吾、中国にも遊びに来て、きっとよ」

 輝く笑顔を残して、最強の助っ人鈴麗は中国へと帰っていった。


 京吾は、鈴麗が帰るとすぐに、アメリカ海兵隊のメンバーを呼んで、ある作戦を決行した。それは、やられたらやり返すと言う、彼の考えによるものだった。


 四月のある日、総理官邸に大型ドローンが飛来し、総理執務室のガラスを突き破るという事件が起きた。警察は、ドローンを徹底して解析し、犯人探しに躍起となったが、捜査は途中で打ち切られてしまった。何故かと言うと、そのドローンは、死神たちが北海道で華子を襲う時に使ったものだったからである。

 その次の日、総理専用車が爆破され炎上した。更に、一週間ほど置いて、今度は日虎の側近である、虻島官房長官が何者かに襲われ、左腕を切り落とされるという事件が起きたのだ。ただ、傷口は止血され、切られた腕の方も何時でも接合手術ができるように保存されていた。 

 日虎総理の近辺で次々と起こる怪事件に、日本は騒然となった。中でも、一番驚いていたのは日虎本人だった。虻島官房長官が襲われた現場には、「日虎、次はお前だ!」とのメッセージが残されていたからだ。

 華子の陣営の誰かの仕業である事は間違いなかった。彼は、自分の命も危なくなったことに気付き、身を震わせた。


 次々と起こる怪事件に、華子も不信感を募らせていた。というのも、事件の起きた時に限って京吾が出掛けていたからだ。

 ある夜、いつもの様に零時を過ぎてベッドに入る時に、華子は京吾にその疑念をぶつけてみた。

「京吾、あの三つの事件は、あなたの仕業じゃないの?」

「何のことです。私には何のことやら分かりませんが……」

 とぼける京吾に、華子の目がキラリと光った。

「仮とはいえ貴方は私の夫。妻である私を欺くの?」

「君は僕の妻ではない!」そう言おうとした言葉を京吾はゴクンと飲み込んだ。

「そうさ、僕の仕業だよ。やられたらやり返す。これは海兵隊での合言葉だった。相手にもリスクがあると知らしめることは、自分達を護る事にも繋がる。事が成就するまでは、止めないからね」

「それじゃあ、こちらも悪にならない?」

「これは戦争です。正義を叫ぶだけでは悪は亡びない。貴女を護る為なら日虎の命だって取って見せる!」

「やめて頂戴!!」

 華子が、京吾の言葉を遮るように叫んだ。 

「……あなた、その腕を失ってから変わってしまったわ」

「何も変わっていませんよ。これが本気の私です。嫌いになりましたか?」

「嫌いよ、嫌い! ともかく暴力を認める訳にはいきません。どうでもやるというなら、あなたは首よ。出て行って!」

 華子は怒りの目で京吾を睨んで、顔を背けた。

 華子が自分の信念を変えない性格である事は京吾も分かっていたが、自分まで遠ざけられる羽目になるとは、思いもよらない事だった。

「僕がいなくなったら、誰が命を懸けて君を護るんだい?」

「……あなたが考えを変えない以上、私の陣営に置くことはできないわ。警護の件は松下隊長に相談します」

「勝手にしろ」

 京吾はそう呟いて部屋を出て行った。


「京吾を首にしたですって!?」


 事務所の一室で、華子から報告を受けた令子が驚きの声を上げた。 

「そうなの。意見の食い違いがあって、どうしても受け入れられないから追い出してやったわ。あの分からず屋」

 華子は昨夜のことを思い出してか、怒りが顔に出ていた。

「何があったのか話してください」

 事務長の西郷がやってきて華子の前に座った。

 警護のメンバーもいるところで、華子は、昨夜の京吾とのやり取りをすべて話した。

「そんな事があったのですか。華子様のお怒りは最もですが、今、彼に離脱されては警備体制が揺らぎます。何とか穏便に出来ませんか?」

「それは無理です。正義で悪を倒そうというものが、正当防衛以外の暴力を容認しては、大儀が立ちません。そうは思いませんか?」

 華子の言い分はもっともな話だった。西郷は沈黙するしかなかった。

「京吾らしいわね。彼のやり方は過激だけれど、華子様を思っての事だと思うわ。かと言って華子様のいう事も正論だから、暫くは京吾無しでやるしかないわね。彼の事だから、何があろうと華子様を護ろうとするだろうけど」

 京吾をよく知る令子が、冷静な口調で言った。

「京吾も鈴麗も居ないとなると、大蛇が現れたら手の出しようがない。警護の人間を増やすしかないですね。幸い私の知り合いにアメリカで警護の経験を持つ人物がいます。少しお金が掛かりますが依頼してもよろしいでしょうか?」

 そう言ったのは、護衛隊長の松下だった。

「貴方にそんな知人がいたなんて初耳だわ」

 令子が不審げに松下を見つめた。

「私だってこの道は長いんだ。そんな友人の一人や二人居ても不思議ではないだろう」

「お願いします。私達の戦いを止める訳にはいきませんから」

 華子の一言で、この話は決まった。

 その後、スミスという三十代のアメリカ人が率いる五人の警護のスペシャリストが華子の警護を担当する事になった。彼らの手際よい動きは京吾のそれに似ていた。

 

 京吾が姿を消して一週間ほど経った頃、華子の元に京吾から離婚届が送られて来た。京吾のサインは既に書かれてあった。

 華子は無言で、大きく溜息をついた。

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