第5話 京吾の両親

  ある日の事、華子は、京吾の暮らしぶりが見たくなって、彼の休日に官舎を訪ねた。

 華子がドアを叩くが返事がない。しつこく叩いていると、パジャマ姿にボサボサ頭、寝ぼけ眼の京吾が姿を見せた。

「えっ? 華子さん、何事です?」

「貴方の部屋を見れば、暮らしぶりが分かると思ってお邪魔したのよ。参考の為に見せて頂ける?」

 散らかっているから今日は堪忍してという京吾を押しのけて、華子はサッサと部屋へ入って行った。


「……貴方、掃除をしたことはあるの? こんな汚い部屋、見た事がありませんわ!」


 部屋を見渡した華子が、驚きの声を上げた。

 小机の上にはカップラーメンの食べ残しが放置されていて、週刊誌や本、衣服などが所狭しと床に散乱していた。更に、ベッドの上の布団のシーツは汚れていて、部屋には男の臭いが充満していた。

「……あなたと一緒に住む事に、自信が無くなりましたわ」

 華子は大きな溜息をついた。

 彼女は、薄いピンクのスーツの上着を脱いで椅子に掛け、髪を後ろで束ねると、勢いよく部屋の窓を開け放った。春三月とはいえ、部屋に入って来る風はまだ冷たい。

 両腕を組んで寒そうな仕草の京吾を他所に、彼女はせっせと部屋を片付け始めた。


「いつまでそうしているつもりなの。早く着替えて掃除を手伝いなさい!」


 声のトーンが上がって来た華子に恐れをなした京吾は、慌てて着替えて、掃除機を手に取った。


 一時間ほどで部屋が片付くと、華子は、シーツなどの洗濯に取り掛かろうとした。

「華子様、もう結構です。後は私がやりますから!」

 流石に、自分の下着まで皇女に洗わせるわけにいかないと京吾が止めたが、彼女は聞かなかった。


 ベランダに、洗ったばかりのシーツや彼の下着や衣類などが風に揺れている。華子と京吾は、美しくなった部屋の真ん中で、小机を挟みコーヒーを飲んでいた。

「華子様、今日は申し訳ありません。こんな事までさせてしまって……」

「華子様はよして、呼び捨ててくれても良いのよ、もうすぐ貴方の妻になるのですから」

「すいません。つい癖で」

「国会議員になったら忙しくなるから、私達の部屋もこんな風になってしまうのかしら……」

「選挙ともなると、殆ど自宅に戻る事は無くなるんでしょうね……」

 二人は、色々考えると、黙り込んでしまった。


「ところで、貴方のお給料の事聞いていいかしら? 私は結婚一時金は辞退するつもりだから、無一文で貴方の所へ転がり込む事になると思います」

 突然、華子が切り出したのはお金の話だった。

「学歴は高卒で、入社二年目ですからね。まだ、年収五百万ほどです。あなたが国会議員になるまでは、生活は厳しいと思って下さい。最悪此処に住むことになるかも知れません」

「それは仕方ありませんわ。皇女だからと言って毎日贅沢三昧しているわけでは無いのよ。世界の貧困や、食糧難で苦しんで居る人達の事も見て来ていますから、その事を思えば何でもないわ」

「そう言って頂けると、少し安心しました。

 そうだ、話は変わりますが、私の両親に会ってもらえますか」

 京吾が思い出したように言った。

「お会いしたいわ。でも勘当されているんでしょう、会って頂けるの?」

「恋人を紹介したいと言ったら、両親も会ってくれるかもしれません」

 京吾は、ポケットからスマホを取り出して何処かへ電話していたが、話は直ぐに終わった。

「華子さん、両親が会ってくれるそうです。今から行ってもらえますか」

「良かったわね。行きましょう」


 京吾の実家は、新宿区の高田馬場にあった。

 それは、大きな門構えの大邸宅で、玄関先まで車を乗り入れた京吾が緊張しながらチャイムを押すと、懐かしい母の笑顔が迎えてくれた。

 彼女は、彼の後ろに居る華子を見ると驚きの声を上げた。京吾は紹介したい人が居るとだけ言って、華子の事には触れていなかったのだ。

「お父さん! 華子様が……」

 母の上ずった声に驚いた父が、居間のドアからひょいと顔を出した。彼は、華子の姿を玄関に発見すると、顔色を変えて丁重に彼女を迎え入れた。


「お父さん、お母さん、ご無沙汰してすみません。今日は、結婚相手の華子さんを連れて来ました」

 京吾が、十年ぶりに再会した両親に神妙な顔で挨拶すると、父は驚きを隠せない様子で、京吾より華子をまじまじと見ていた。

「華子です、急に押しかけて申し訳ありません。今、結婚を前提に京吾さんとお付き合いさせて頂いています。今後ともよろしくお願い致します」

 華子は丁寧にお辞儀をして、微笑んだ。

「結婚? 京吾と華子様がですか?」

 父親が信じられないと言った表情で聞き返した。

「はい、ご両親が認めて下さるなら私の両親に会って頂き、早急に婚約会見をしたいと考えています」

「……本当に、こんな息子でいいんですか? 京吾は貴女を養うだけの経済力すらないと思うのですが」

「全て、承知の上です」

 華子がきっぱりと答えると、父親も納得するしかなかった。

「急な話で戸惑っておりますが、華子様がお決めになったのなら、私共に異存は御座いません。こちらこそよろしくお願い致します」

 京吾の両親が揃って頭を下げた。

「有難うございます。実は、今回結婚に踏み切ったのは、一般人となって政党を立ち上げ、現政権の暴走を止めようと思ったからなのです」

「……」

 華子は、この結婚が偽装であるという事以外は、自分の思いを包み隠さずに京吾の両親に伝えた。

 華子のとんでもない話を聞いて、両親の顔は青ざめていた。

 日虎の機嫌を損ねて潰された会社の噂は、何度も耳にして来たからだ。その、日虎に立ち向かおうと言う嫁を貰うとなると、自分達にも、火の粉が降りかかる事を覚悟しなければならなかった。


「こんな事を頼めた義理ではないんですが、政党立ち上げの為の資金を、少しでも出して頂けないでしょうか。お父さん、お願いします!」

 京吾が必死で頭を下げると、華子もそれに習った。

「華子様、お顔を上げて下さい。……分かりました、協力させて頂きます。それと、宜しければ此処の離れを新居として使ってはどうですか、それまでに改装しておきますから。不束な息子ですが、華子様の良いように使ってやって下さい」

 揃って頭を下げる母の目には、涙が光っていた。それは、嬉しさと不安の入り混じった涙だった。

 

 華子と京吾は夕食をご馳走になるなどして、機嫌のいい両親に歓待された。帰り際、父が京吾に言った。

「京吾、華子様をしっかりお護りするんだぞ。お金のことは出来る限りの事はするからな」

「ありがとう父さん。命を懸けて護ります!」

 父子が、がっちりと握手を交わすと、十年に渡る確執は既に消えていた。


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