第4話 最後の縁談

 それから、数日が経った二月の寒い朝、華子と令子が皇居内の事務所でコーヒーを飲みながら話していた。

「今度は大丈夫だと思っていましたのに、あんな事になって悔しいですわ。私に人を見る目が無かったという事ですね」

「まったく、世の中には悪い人間が多すぎます。警察に突き出してやればよろしかったのに」

 令子が憤って言う。

「公になれば私の恥にもなると、京吾さんが判断したようです」

 冷静に話す華子に、落ち込んでいる様子は無かった。

「華子様はお強いですね」

「こんな事で落ち込んでいては大事を成すことは出来ませんから、必死なだけですわ」

 その時、ドアが開いて京吾が入って来た。

「華子様、おはようございます。令子姉さん、話って何です?」  

 令子は、京吾を手招きして華子の前に座らせ、暖かいコーヒーを入れて彼の前に置いた。「京吾、あなたもお婿さん候補の一人だから、お二人で話してみたら? 私は席を外しますから」

 令子が席を立とうとするのを、華子が制した。

「令子さんも居て下さい」


 華子は身上書を手に取ると、面映ゆそうにしている京吾に質問を始めた。

「お父様とは、何故絶縁状態なのですか?」

 京吾は何処か遠くを見つめるような眼をしてから話し出した。

「私は一人っ子で、一条家はホテル経営を手広くやっています。父は私を跡継ぎにと考えていましたが、私はホテル経営など性に合わなくて、高校を卒業と同時に家を飛び出してしまったのです。

 中国や、アメリカなどで格闘技を修得してニューヨークでボディガードの仕事をしていたところを、松下隊長に引き抜かれて皇宮護衛官になりました。母には時々近況を知らせていますが、家には十年余り帰っていません」

「ご両親に会いたくありませんの?」

「勝手に家を飛び出した手前、家の敷居が高くて帰れなかったのです。しかし、もう十年ですからね。何時までもこのままと言う訳にもいきませんから、近い内に両親に会って、けじめをつけたいと思っています」

 京吾は緊張の為か喉の渇きを覚え、コーヒーを口に運びグビリと飲んだ。


「今度はこちらから質問させてください。過去に恋人は居ましたか? 私は、格闘の修行の事ばかり考えていましたので、恋はしても付き合った事はありませんでした」

「皇女と言う立場上、私も深い付き合いをした方は居りませんわ」

「私との偽装結婚について考えてみましたか? 結論が出たなら聞かせて下さい」

 矢継ぎ早の京吾の問いに、華子は少し考えるような素振りをしてから口を開いた。


「今回、六人の方とお見合いをして分かった事は、私の為に命を捨てようなんて人は、いないってことね。でも貴方は、仕事とはいえ私の為に命を捨てる覚悟があります。ですから、貴方の偽装結婚の話をお受けしたいと思います。今日から結婚を前提にお付き合いをしましょう」


「えっ、私と……偽装結婚を!?」


 唐突な申し出に、京吾は目をぱちくりさせた。軽い気持ちで言った事が、まさか現実になるとは思ってもいなかったからだ。

「そうです」

 華子の澄んだ瞳が、狼狽える京吾に無言の圧をかけてくる。

「……偽装結婚なら、付き合う必要は無いのでは?」

 京吾がボソボソと言う。

「赤の他人が、毎日一緒に過ごすのですよ。皇女と護衛官のままでは、夫婦は演じられないのではないですか? 例え愛がなくても、それなりの努力はしておくべきですわ」

「なるほど……」


(いや、そうじゃないだろう。どうしてこんな話になるんだ!)

 

 そんな京吾を他所に、華子はどんどん前へ進む。

「結婚会見は一月後としましょう。その間にお互いの両親に挨拶したいと思います。令子さんどう思われますか?」

「あなた方さえ良ければ、それで進めさせていただきます」


(まいったな。自分で言いだした手前、今更断る訳にもいかない。うーん、腹を決めるしかないのか……)

 

「何か問題でもあるのですか?」

 俯く京吾に、華子が顔をグッと寄せて来た。

「あ、いえ、はい、何もありません」


 そんなこんなで、華子の結婚は偽装という形ではあったが、一気に現実のものとなっていった。



 二人の最初のデートは、皇宮警察の道場での剣道の試合となった。武道好きの京吾が、彼女に試合を申し込んだのだ。

 華子は剣道三段で、今でも月に数回は練習に来ているバリバリの現役である。一方、京吾は、高校の剣道部で初段を取ってはいたが、それから十年余り竹刀を握った事は無かった。 

「華子さん、全力で打って来て下さい」

 最近、京吾は彼女の事を華子様とは呼ばないように心掛けていた。彼女との距離を少しでも近付けようとの思いからである。


「じゃあ、遠慮なくいきますわよ!」

 白い道着に身を包んだ華子と、紺の道着の京吾が竹刀を合わせる。

 開始早々、彼女の鋭い籠手や面への攻撃が連続して打ち込まれると、京吾はそれを竹刀で防ぎながら、じりじりと後退りした。

 京吾の剣道は殆ど素人だが、格闘術の専門家だけに、真剣で戦うような気迫は、当然華子を上回っていた。彼は下がりながらも華子の攻撃パターンを読んで、一気に反転攻勢に出た。次の瞬間、一瞬の隙を突いて京吾の竹刀が彼女に打ち込まれた。

「面!」

 京吾が一本取った。


 負けん気が強い華子は、もう一番もう一番と戦う内に、京吾の動きを学習したのか、最後に彼を負かしてしまった。

「参った! 流石ですね。華子さんにも天性の格闘家としての資質があるようです。驚きました」

「貴方こそ流石ですわ。護衛官としての貴方の強さを垣間見る思いがしました」

 かれこれ一時間も打ち合った二人の息は上がっていて、面を取ると汗が噴き出していた。


 二人は、シャワーで汗を流して、近くの喫茶店に入った。皇女と護衛官のカップルは、世間の目にもあまり違和感を感じさせなかった。

「華子さんの実力なら、護衛官にもなれますよ」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいですわ。でも本気じゃなかったんでしょ?」

「私の剣道は実戦的ですから、私が本気になると、足を払ったり倒れていても攻撃したりと、ルール無用となってしまいますので、あれが、スポーツとしての私の剣道の限界です」

「そういう事なの。警護は命懸けですものね。でも私を護って死ぬような選択はしなくていいから」

「いえ、自分の命を捨てても、マルタイ(警護対象者)を護るのが私達の仕事ですから、そういう心使いは無用です。でも、夫婦になるんですから「死ぬときは一緒だ!」と格好をつけたいところですけどね」

「……ここって笑うところ?」

 華子が、京吾の下手なジョークに戸惑いを見せる。

「……いや、聞き流してください」


 一時間余り話して、帰る間際に京吾が言いにくそうに聞いた。

「華子様、一つ確認なんですが、偽装結婚なんですからベッドを共にするような事はしないんですよね? 変な質問ですいません。現実に暮らし始めると、そういう問題も起こってくると思いますので……」

「そうですわね。……京吾さんは、本当の夫婦と偽装の夫婦の違いは何だと思いますか?」

「世の中には色んな夫婦が居ますから一概には言えないと思いますが、一般論で言うと、愛し合っているかどうかという事でしょうか」

「私達は、偽装する為にお互いを知ろうとお付き合いをしていますが、まだ、相思相愛とは言えませんわ。ですから、当面、ベッドは別にしたいと考えています」

 回りくどい言い方だったのは、京吾に気を使っての事のようだ。

「分かりました。そこを聞いておかないと、男はすぐにその気になってしまいますからね」

「貴方がでしょ?」

 華子が、京吾を上目遣いに睨む。

「私も男ですから」

 照れ笑いしながら京吾が頭を掻いた。


 二人は、それからも時間の空いた時に道場で汗を流したり、食事を共にしたりして親交を深めていった。 

 

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