順路

後ろからスタッフの声が聞こえる。何やら、電話が掛かってきているみたいだった。今代わります、と保留ボタンを押してから、はい、とスマホを渡される。


 誰?と彼女スタッフに聞くと、先日此処に来てくださったお客様の中にクリエイターの人がいたらしく、その人から連絡があったらしかった。


事情を瞬時に理解し、咳払いを一つして応答する。


「はい、藤沢です」


藤沢遼。


アーティストとして活動すると決めてから、本名で活動するか、それとも別で活動するか迷った挙句、元の名前からニュアンスをとったものにした。昔からの名前を呼ぶ人もいれば、’藤沢遼’の方で呼ばれることもあった。


―― その声の相手は、まだ若そうな男の人だった。

俺は、扉の合間から展示部部屋の方を見ながら用件を受けていた。



と、その時、眩い画廊の中に、見たことのある背中がある気がした。



それは、最後に見た彼女の姿と酷く重なって、不意に心臓が脈打った。



穏やかだった昼下がりの空間に亀裂が走った。佐倉さんが、今目の前に現れるなんてそんなことあるのか?—— 俺はこの上なく気が動転していた。


電話から聞こえていた声は、もう途切れ途切れにしか聞こえなかった。


―――彼女は“藤沢遼”が俺だと分かって来たのだろうか? 貴方はひどい人だ。いつも、大事な時に現れる。


そうしている間にも彼女は順路を行っていた。


十年ぶりの『再会』にただ俺は立ち尽くすしかなかった。


もう何十分も其処に居座っていた気持ちになり、いつの間にか浅くなっていた呼吸を吐き出した。



呆然としている俺に、スタッフの1人が心配そうに声を掛ける。その一方で俺はそれに答えることすらできずに、視界から消えた彼女に引き寄せられるようにスタッフルームから出た。


―― そこには、他でもない「俺」が再び歩きだすきっかけになった'一枚絵'を見ている彼女がいた。


―― その表情はよく見えない。中学卒業後、ずるずると何年も腐っていた俺とは違って彼女は、あの時のままだった。順路の真ん中で突っ立っている俺は、多分 ’不審者’ でしかない。

 

空からは、雨がポツリとまた降りだしていた。その噪音にどこか背中を押されるように、俺は声を掛けようと決心した。


「、佐倉さん―――!」


あの時を繰り返したくない。


あれから十年も経ってしまったけど―――貴女は、俺の声に振り向いてくれるだろうか。

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Yuma. @meemo

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