第2話 ラウラ・ドーム



 アルドは、ラウラ・ドームを目指していた。



 プレート間移動用シャトル——AD1050年代に整備されたこの交通機関は、工業都市への通勤客の輸送の役目を終えた後も、ニルヴァやラウラ・ドームを訪れるエルジオンの市民にとって、貴重な移動手段となっている。

 普段のアルドであれば、このシャトルを利用することはない。だが今日は——風変わりな同行者の勧めに、アルドは従うことにしたのだった。



(初めて、乗るかもな……?)

 アルドはおずおずと、シャトルの内部に据え付けられた、表面の磨り減ったベンチに腰を降ろす。

 無駄を極限まで省き、エンジンと配管を隠す長方形の箱が、ベンチとしてあてがわれた車両。その無機質さすらも、アルドにとっては新奇なものに感じられた。


 シャトルの曇った窓から、アルドは外界を見下ろす。

 見晴らす限りの、雲の上に広がる青い空。天気の良い日のエルジオンからは、その下に広がる、紫色の海の表面さえも、僅かに望むことができる。

 二層の青を眼下に控えながら、シャトルは雲を切り、東を目指した。

 その先には、金色の麦畑が迫っていた。




 曙光都市からラウラ・ドームへは、約1時間の移動となる。

 居住区画であるシータ区画、商業区画であるガンマ区画、IDAスクールを中心に展開する文教区画、司政官室、そして何層ものオフィス街——遷都以来、エルジオンの都市機能は、曙光都市に集中していた。


 それとは対照的に、ラウラ・ドームは、エルジオンの周縁である。

 人口が上級市民と労働者階級へと二極化する曙光都市に比べ、ラウラ・ドームの居住者は中流階級が多くを占める。また平均年齢は、曙光都市の40代前半を大きく越え、50代に近づいていた。

 一線を退いた壮年期の男女や、学齢期の児童をIDAスクールに送り、子育てを終えた夫婦——それらの市民たちが、ラウラ・ドームの人口を占めていた。


 ラウラ・ドームの産業を支えるのは、その麦畑である。

 農業従事者の住宅と、彼らを支える農具の製造工場や、農薬開発に携わる製薬会社の研究所。そしてその傍に並ぶ、高齢市民向けの福祉事業を担う企業の社屋。それが、ラウラ・ドームの風景を構成する要素であった。




 ロイの"自宅”は、その一角にあった。

 麦畑の側の通りに立ち並ぶ、小さな戸建ての家々は、ドームに社屋や工場を持つ企業によって、社宅として借り上げられている。その内の一つが、ロイの暮らす家だった。

 こじんまりと、必要最低限の機能が収められた内装——その中に、この家の主人であるロイの個性を探しながら、アルドは部屋を見渡した。


「狭い家ですが……、と言いましても、ボクのランクカッパー・シチズンの市民の住宅規格は、すべて同一なのですが。どうぞお入りください、アルドさん」


 そう言って、ロイはコートも脱がずにキッチンに立った。

 足音を立てながら、ロイは長い足で大股に歩き、ダイニング・スペースよりも一段高いキッチンに駆け上がる。

 ロイの家は、キッチンからベッド・ルームまでが一続きのワン・ルームで、几帳面に整えられたリビングのセンビジ・セットから、朝抜け出したままの形のベッドまでを、アルドのいるダイニングから一望することができた。

 太陽はまだ高く、窓際に置かれた鉢植えの中のクローン植物たちは、広げた葉に気持ちよさそうに陽光を受けていた。



 アルドはロイに言われるままに、テーブルについた。

 人工木材のダイニングテーブルの上には、不必要なものは置かれず、一見よく整頓されている。だがアルドは、テーブルの下を覗き込んだ拍子に、開けたままの工具箱が放置されているのを見つけた。

 ロイがテーブルに置いたマグカップの中に、薄い色のハーブティーがなみなみと注がれているのを、アルドは眺めていた。



「ありがとう、ロイ……」

 そう言ってアルドが、用意されたマグカップに口をつけながら、ロイに目を向ける。


「でも……、いきなり本題に入って、申し訳ないけど……。どうしてロイみたいなが、あんな凶暴なロボットの前に飛び出したりしたんだ?」


 そのアルドの言葉を受け——ロイは意を決したように頷き、口を開いた。



「ボクは……、このラウラ・ドームで、技師をしています」

 そう、ロイは言葉を続ける。

「正確には、企業研究者なのですが……。このラウラ・ドームにある、ある小さな企業の研究所で、主に高齢者市民向けの代替用身体パーツ——人工筋肉や、義手や義足の開発の仕事をしています」

 そう話すロイに、無言で相槌を打ちながら、アルドはさらに尋ねた。

「それがどうして、あんな事を?」



 しばしの逡巡の後に、ロイは尋ねた。


「アルドさん、あなたは……を知っていますか?」


「設計士……?」

 そう、アルドは口ごもり、首を傾げた。



「あの遊園地——トト・ドリームランドが、ある大富豪の資産を母体として創設された、半官半民の施設であることは、ご存知でしょうか」



 ロイは淀みなく、言葉を続ける。


「AD1000年の移住の後、初めてエルジオンに創られた遊園地。それは当時、ただの富豪の道楽以上の意味を持っていました」

 そう、ロイは言葉を続ける。

地を踏まない世代ポスト・グラビティ——移民2世、3世の子どもたちのための、初めての遊園地。その建設には、次代のエルジオンの希望を担う国家プロジェクトのような意味合いも、暗に含まれていたのです」

 そうロイが語る、エルジオンの物語に——アルドは、カップを持つ手も動かさずに、一心に聞き入っていた。


「多くの企業が、協賛に名乗りを上げました——その中には勿論、KMS社傘下の企業も、多数含まれていました」


「KMS社の看板を掲げる以上、その遊園地は、市民達にその最高水準の技術力をアピールするものでなくてはなりませんでした」

 そう、ロイはさらに言葉を続ける。

「そこでKMS社の巨額の研究費投資の元、エルジオンの選り抜きの工学者たちが抜擢され、遊園地の設計チームが作られました。そして、その中には——ロボット人形の設計士として、ロボット工学の専門家も含まれていたのです」


 そこまで言うと、ロイは——一瞬、戸惑うように言い淀んでから——、重々しく、その名前を発した。



「その人の名が、工学博士・メイエルド……ですが、彼は自分のことをこう呼ぶのを好んでいました——と」



「そうなのか……。でもその人とこの話に、一体何の関係があるんだ?」

 アルドはそう言って、軽く眉を顰めた。



 アルドのその言葉に——ロイはまるで、心を痛めたように眉根を寄せ——そして、ゆっくりと話し始めた。



「その設計士は……、ボクと同じ研究室の出身なんです」

 そう、ロイは苦しげに、言葉を継いだ。


「ボクたちの専門は、人造器工学という学問です。これはAD1060年代頃に誕生した、とても若い学問です」

 そう、ロイは言葉を続ける。

「ロボット工学の技術が発達し、サイボーグ化が進み……、機械を身体の延長として用いることが、普通のこととなった時代に——機械化した人間の福祉を追求するために、この学問は生まれました」

 その言葉の端々に滲む、秘めた情熱を押し込むようにしながら——ロイは目の前にアルドに、簡便な説明を行うことに努めようとしていた。


「その設計士——メイエルドという研究者は、その人造器工学の草分け的な存在で、ロボット工学の権威でもありました」

 そう、ロイは続けた。

「そして当時、エルジオンで最もロボット制作の知識に精通していた彼に——、遊園地の目玉である自動操縦ロボットの設計という、白羽の矢が立ったのです」


 そこまで言葉を続けると——ロイは俄かに、その表情を曇らせた。



「その彼が設計したマシン達が……、いま、エルジオンの市街地に出没し——市民を襲っているのです」



「エルジオンのあちこちに、ってことか……?」

 そう聞き返すアルドに、ロイは頷きを返す。

「アルドさんとお会いしたシータ区画だけではなく、ガンマ区画でも、IDAシティでも……ニルヴァやイオタ区画でも、被害の届け出があるといいます」

 そう、ロイは抑揚を抑えた声で続ける。

「幸い、まだ死者は出ず、報道も大々的にはされていませんが……。ロボット人形から暴行を受け、深刻な後遺症を負ってしまった人もいると聞きます」

「そうだったのか……。ん?」

 ロイの説明に、そう口を差し挟むと——アルドはまた、眉を顰めた。



「でも……トト・ドリームランドって確か、エルジオンからは、かなり離れた浮島にあったよな?」

 その地を訪れた過去の記憶を、自分のもとにたぐり寄せるようにしながら——アルドが、ロイに尋ねる。

「あそこからだったら——それこそ、シャトルか何かにでも乗らない限り、ロボット人形がひとりでにあの遊園地から出てくるなんて、できないんじゃないか……?」



「その……通りなんです」

 そう言い——ロイは徐に、口を開いた。


「あのロボット人形たちには——当時の大量生産モデルとしては、画期的なものだったとは言え——旧式のAIしか搭載されていません。自分たちで自分たちを輸送する方法を思いつき、使いこなすような、高度な知的作業は、とても出来ない筈です」

 そう、やや早口に、ロイは続ける。

「彼らの行動は、がなければ、不可能です。それを突き止めたいと思って、マシンの事を追跡していたら……」

 そう言うと、ロイは——先程アルドの前で自分が見せた醜態を思い返しているのか——がっくりとアルドの前で頭を落とした。



「なるほど……、だからロイは、丁度あそこにいたんだな」

 アルドはそう言うと、腕を組んだ。

「でも……いくらロイがロボットの専門家でも、あのロボット達を一人で相手にするのは、危険すぎるんじゃないか? EGPDに届け出るとか、ハンターを雇うとか……」

「はい……。ですが……」

 アルドの声に、ロイは言葉を濁した。



「まず、ハンターを雇わなかったのは……、その、お恥ずかしいながら……、ボクに、お金がなかったからです」

 そう言うと——ロイは、頬を赤らめた。

「ボクは、しがない会社員で……、あのロボット人形と互角に戦えるような、腕の良いハンターを雇うお金は、とても工面できません。でも、EGPDに任せたくなかったのは……」

 そう言って——ロイは、アルドに見えないテーブルの下で——その拳が白くなるまで、きつく握り絞めた。



……、この事件の真相を、突き止めたかったんです」


 ロイはそう、決然とした口調で言った。



「メイエルドという人は……、ボクたちにとって、神様のような存在なんです」

 そう——ロイは、静かに口にした。

「彼は10年ほど前に出奔し、行方をくらませてしまったのですが……。彼ほどロボットたちのことを愛し、ロボットと生きることに全てを捧げた科学者は、彼をおいて他にいませんでした」

 そうアルドに説明する、ロイの声は——今までにロイがアルドに見せたことのない、気迫と熱を帯びていた。



「メイエルドは……、人間とロボットが共に生きる未来を……、だれよりも強く、思い描いていたんです」

 そう語る、ロイの瞳は——目の前に座る、アルドの姿をも追い越し、遠い未来を見据えているようだった。

「合成人間の誕生と同時に、避けがたく募りはじめた、ロボットへの不信感と闘いながら……。彼はロボットが人間にとって、最良の血の通わない伴侶プラスティック・コンパニオンであることを……、信じて疑いませんでした」

 分厚いレンズに覆われた、ロイの瞳に——怒りと興奮のために涙が滲むのが、アルドには分かった。


「その彼の発明品——彼のであるそのロボットたちを弄び、人間を襲わせている人間がいるなんて……、それは、科学に対する——メイエルドに対する冒瀆ぼうとくです」


「ボクは……、それが……、どうしても、許せなくて……」

 そう、何かに憑かれたように、一心に言葉を続けた後に——ロイは、糸が切れたように脱力し、がくりと頭を垂れた。



「だから……アルドさんに、力を貸して欲しいんです」

 そう、ロイはかぼそい声で言った。

「これはボクの、ちっぽけな矜恃きょうじにすぎませんが……、ボクの手で、この事件に……蹴りを、つけたいんです」

 そう言うと、ロイは——僅かに溢れた涙とともに、鼻に上ってきた鼻水を、音を立てて啜った。



「ロイの気持ちは……、よく分かったよ」

 その蒼い目を向け、アルドはロイの言葉に耳を傾けていたが——胸元で堅く組んだ腕は、崩さなかった。

「でも……あの遊園地のロボットは今、とても凶暴化しているんだ。ロイだって、あいつらを追っていたら、危ない目に遭ってしまうかもしれない」


「だから……。もしロイがどうしても、あいつらと接触したいのなら……。オレに頼むか、せめてオレに、ロイに着いて行かせてほしいんだ」


「アルドさん……」

 そう、自分に語りかける、アルドの言葉に——ロイはまた、目の端に涙を滲ませた。



 ——そのとき。


「ひっ……!」

 途端に、ロイは引き攣った声を上げた。


「どっ……、どうしたっ!?」

 ロイの反応に、アルドは竦みあがる。

 だが怯えたロイの視線は、目の前のアルドではなく——座ったアルドの肩越しに見えている、大きな窓へと向けられていた。

 アルドは急ぎ、背後を振り返った。



 ——窓には、人形が張りついていた。



 厚い強化ガラスに押しつけられた、ひしゃげた顔。奇妙に脱力し、垂れ下がった手足。その黒い真珠の粒のような、高精度のレンズ・アイだけが、生き生きと光り——アルドの顔を、熱心に覗き込んでいた。


 それは——、道化師人形だった。


「けけ……」


 窓の外で——こちらに聞こえない笑い声を浮かべ、かたかたと、人形が口を動した。


「あ、あいつ……!」


 アルドが弾かれたように立ち上がると、人形は窓から離れた。

 まるでアルドが自分を認めたのを、認識したかのように——すぐさま窓から身を離すと、痙攣するように体を震わせながら、不安定にドームの遊歩道を飛行していく。


「聞いてたのか!?」

 アルドは思わず窓枠を握りしめ、悔しげな声を上げた。


「お、お知り合い……、ですか……!?」

 あまりの事に、声を裏返すロイに——アルドは早口に答える。

「ロイに会う前に、エルジオンであの人形を見つけたんだ! あいつのことを追いかけていったら、その先にあのトト人形と、ロイがいて……」


 それをアルドから聞くと——ロイは、きらりと眼鏡の奥の目を光らせた。

「なるほど……、ですが、先程の人形……、自動操縦ではないようです!」

 そう、ずれた眼鏡をロイが引き上げる。

「あのモデルは、完全自動操縦のAIが売りだったはずですが——当時の技術水準では、アルドさんの視線を認識するような、高度な機能は搭載されていないはずです!」

 そう、興奮気味にまくし立てながら——ロイは一刻も早く結論に急ごうと、口調を早める。

「なので……、彼はおそらく、リモコン人形です! ですからきっとどこかに、リモコンを操作している人間がいるはず……」


「そうか……、じゃあ、あいつの後を追っていけば、エルジオンにロボット人形を送り込んでいる人間の手がかりが掴めるかも知れないってことだな!?」

 そう言うと、アルドは即座にロイに振り返った。



「行こう、ロイ! あの道を一緒に走って行けば、まだ追いつける!」

「あ、アルドさんっ……!」

 その穏やかな見た目からは、想像もつかない瞬発力で、飛び出すアルドの後を——ロイは慌てて追いかけた。




 アルドとロイが辿り着いたのは、町外れの麦畑だった。

 日の傾きかけた畑では、麦の手入れの時間も既に終わり、辺りに人の姿はない。ただ強い日の光を受けた麦の穂が、優しく体を揺らしていた。


「あ……、アルドさん……、あの人形は、こ、こんな所で、いったい、何を……?」

 肩で息をしながら、ロイがうめく。

 そんなロイの様子を尻目に窺いながら、アルドは呼吸一つ乱すことなく、一心に視線の先にある姿を睨みつけていた。

 


 道化師人形が、麦畑に佇んでいた。


 日の光の中で見る人形は——つい先程までアルド達に向けてきた気迫が嘘のように、みすぼらしい姿をしていた。

 擦り切れ、ほつれ、尚その体から離れられない襤褸布ぼろぬのが、微かな風に揺れていた。塗装の剥がれた銅色の躯体に、光が降り注いでいた。

 ただ、数十年前と変わらない——変えられない笑顔だけが、その大きな口に、硬く張りついていた。

 

 その背後に、光の輪が現れた。


 その光は——アルドにとって、よく見慣れた光景だった。

 中空に浮かび上がった、球体のように見える、青い光——その光の輪の奥に向かい、周りの地面に落ちた小石や落穂が舞い上がり、次々に吸い込まれていく。



「じ……、時空の、穴……?」

 アルドは思わず、その目を見張った。



 人形は躊躇ちゅうちょなく、光の輪に振り向く。

 人形の周りの磁場が、歪み始める。そして地面の近くを漂っていた人形の重い体が、じわじわと、宙に持ち上がり——


「けけ……」


 そして人形は、光に吸い込まれて行った。

 耳に残る、乾いた笑い声を残して。


「————くっ……」

 アルドは、目の前の光の輪を睨んだ。

 アルドの前に現れてから、随分と時間が経つというのにも関わらず——その光の輪は、勢いを衰えさせることなく、強い光を放ち続けている。


「この光の先に……、きっと、ロボットたちを操っている真犯人がいるっ! 行こう、ロイッ!」

「えっ……、ひっ、ひえええええっ!」


 そして二人は、足下の地面を蹴り。

 光の輪の奥へと、吸い込まれて行った。





 やがて、アルドは目を覚ました。

 

 肘をついて、身体を起き上がらせようとしたとき——感じた絨毯じゅうたんの感触から、アルドは自分が既に、ドームの麦畑の中にいないことを悟った。


 自分がどこにいるのかを知ろうと、アルドは大きな瞳を開く。

 よく、見えない——。暗いだけではなく、埃か、煙か——空中に漂うなにかを、瞼が拒もうとする。それでもアルドは目を見開き、周囲の把握に努めた。


 最初に認めたのは、肖像画だった。


 忘れるはずもない、高貴な、獅子のたてがみのような金髪を湛えた男性の横顔——。そして、剣の紋章をあらわしたタピストリー——そして、さらに連鎖的に、大きな石柱やステンドグラスをあしらった窓、華美な燭台が、暗闇の中に次々と浮かび上がった。



 アルドは——

 長くくらい回廊の中に、横たわっていた。



(ここは……ミグランス城?)

 そう心中で呟きながら、アルドは身体を起こし、自分の周辺を見渡そうとする。

 だが、すぐに——その最初の直観は、誤りであったことを悟った。

 一見、中世の古城の内部に見える、アルドを取り巻く風景。しかしふと頭上に目を向ければ——その天井付近には、蚯蚓みみずの大群のように張り巡らされた、無数の配管設備があることに気づく。

 そしてそこから漏れ出してくる、目と鼻をつくような、緑色の臭気——老朽化したパイプから漏れる、経年劣化を極めた、産業用プリズマのえた匂い——

 そしてアルドはようやく、自分が目を覚ましたこの場所が、800年前の王城ではないことに、ようやく思い至った。



(いや……、?)



 アルドは、目を見張る。

 アルドにとって、いま信じがたいのは、その廃城が——以前この地を訪れたときと、まったく変わらない——荒廃しきった様子を湛えていることだった。

 そこは——AD1100の、廃墟の中だった。


(時空の穴を潜ったのに……、時空を、超えなかったのか……?)


 なにが起こっているのか、分からず——混乱した頭で、アルドは周りを見渡す。

 そして、それからすぐ、自分の足下に、見慣れた青年——ロイが、うつ伏せに倒れているのを見つけた。


(そうか……! ロイは、ワープに慣れていないから……!)

 衝撃に、全身の毛が逆立つのを感じながら——アルドはそう即時に悟り、息を飲んだ。

「ロイ……っ、大丈夫かっ……!?」

 そう言って——アルドがロイに、足早に駆け寄ろうとしたとき。


 ——ジュッ!!!

 アルドの足下を、炎が焦がした。


「なっ……!」


 アルドは瞬時に、後ろに飛びすさる。

 黴に覆われた紅い絨毯に走る、黒色の線。もう少し脚を踏み出していれば、灼き斬られていたかもしれない——アルドは思わず、恐怖に息を飲んだ。


 だが、アルドの視線を釘付けにしたのは、その線の形状——そのだった。


(——見覚えが、ある……)


 先程、炎が足下を走った時——アルドの鋭い眼は既に、自分に襲いかかってくる炎の波の正体を捉えていた。

 踏み出したアルドの無防備な脚を断ち切ろうとするかのように、どこからか、無慈悲に放たれた衝撃波。

 集中力を限界まで高め、発散する炎のプリズマを、周りの空気が燃え上がるほどに、刃の周りに凝縮させる。

 そして鍛え抜かれた剣の振りと共に、目標に到達させ——


(——いや……、見覚えがある、なんて、ものじゃなくて——)


 早鐘のように高鳴る心臓を押さえ、自分を落ち着かせようと務めながら——アルドは、自分の足元に広がった、自分自身の技ボルケーノ・ブレイドの痕跡を、呆然と見下ろした。



 廊下の奥で、人影が動く。

 アルドは、瞬時にそちらに向き直る。

 先程の衝撃波の飛距離から——その人影が、炎を帯びた熱波を放った張本人であることが、アルドには既に解っていた。



 打ち棄てられた、絡繰りの古城。

 その廊下に佇む、一人の

 不釣り合いな武骨な甲冑と、異形の怪剣を纏い、長剣を構えたその青年は、無垢に——そして無垢ゆえに、倒錯的な挑発すら、匂い立たせながら——目の前の、を、真っ直ぐに見つめる。

 その人懐こい蒼色の眼で、アルドを見つめると——青年はその無邪気な笑みを薔薇色の唇に浮かべ、微笑みを湛えたまま——


 シュウウウ——————

 青年の身体の、あらゆる関節から——腐ったプリズマ体が溢れ出し、古城の天井へと立ち昇る。



 そこに立っていたのは——



「お——オレ……?」


 アルドは言葉を失い、目の前の青年を、一心に見つめた。



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