アナザーエデン二次創作小説/Plastic Companions さまよえる人形たち

丞まどか

第1話 エルジオン・シータ区画

 


 空は、かげりのない晴天である。


 とはいえ、光学迷彩を施したドーム状の防御壁に包まれたこの都市国家では、天候という言葉は、大きな意味をなさない。


 雲を遥かに凌駕する、大空の高み。そこに吹く風に身を任せながら、穏やかな速さで旋回を続ける、空に浮く大陸。そこに、曙光都市・エルジオンはあった。


 ドームの頂点から街を見降ろせば、円錐状に展開する都市の中心部に、連綿と東西に走る網状の青い道路が姿を現す。


 磁場発生装置を利用したリニア・ロード。

 そこには、輸送物資を載せ往復を繰り返すコンテナ・カーが、人々を乗せたシャトルが、そして点状にひしめくく、通勤客やスクールに向かう子供達が、エルジオンの今日のパノラマを創っている。


 物質としてのステルス・ガラスと、電子のファイア・ウォール——二重の防護壁を透かし、陽光を受けて白く輝く、最も面積の広いプレートの一つ。そのプレートは、シータ区画と呼ばれるエリア——上級市民と定義される市民の居住区だった。

 そしてそこには、その風景の中を散策する、一人の青年の姿があった。



 奇妙な、青年だった。

 均整のとれた体つきをした、健康そうな青年。少年時代を漸く終え、成人の入り口に立ったばかりの齢だろうか。

 その豊かな黒髪と、黄味混じりの肌も——その大半がミグランス民族白色人種をルーツとするこの街では人目を引くが、この国家に異人種婚が根づいて久しいことを考えれば、奇異に見られるものではない。


 だが、それだけではなかった。

 青年の纏う、衣服と甲冑。それは中世ミグランス王朝の様式——今から800年を遡る時代の風俗を、忠実に模したものの

 いや、それは単純なレプリカだろうか。

 その甲冑のあまりの精巧さに、青年は一見、近年エルジオンの若者の間で流行している遊戯——コスチューム・プレイに、軽薄に興じているようにさえ見える。

 だが、その時にぎこちない歩みからは、武具が金属の重みを有していることが分かる。それだけでなく——その甲冑は、跳ね返った泥と無数の瑕疵と、乾いた返り血の跡で汚れていた。


 しかし。

 何よりも目を引くのは、彼の佩く剣だ。

 青年は、二振りの剣を提げていた。一丁は長剣——かつてミグランス王国が存在したとされる、バルオキー地方の民芸品の鞘に納められた剣。そしてもう一丁は、その背中に背負った、巨大な鞘の剣。

 いや、それは、果たして

 人間の腕に見合う大きさを優に越えた、剣の異形とでも言うべき、巨大な大剣。もし巨人族タイタンと呼ばれる神世の生物が存在するとすれば、彼らの巨躯きょくにとっては、相応しい大きさの剣なのか——あるいは彼らにとっては、懐刀やナイフの類にすぎないのだろうか。

 その鞘の中に納められている得物の姿は、見当もつかない。だがその剣から噴き出す禍々しい瘴気しょうきは、青年の華奢にすら見える四肢に、まるで悪霊のように憑き纏っていた。


 その青年——災厄の剣オーガベインを佩く青年・アルドは、自分に向かってやってくる静かな気配に、人懐こそうな、蒼い空の色を映した瞳を開いた。



「ん……?」


 跳ねた自然体の髪を、風にくすぐられ、アルドが首をかしげる。


(風だ……)


 この都市には似つかわしくない、軟らかな自然の気配。アルドは思わず、風の来た方角に視線を向けた。


(エルジオンで風が吹くなんて、珍しいな……。『エアコン』って機械が故障したりしてるのかな?)


 エルジオンのドーム内の気候は、空調システムによって管理されている。そのシステムは、地上生活に適応したヒトのバイオリズムを保護するために、不規則な風や季節の寒暖といった、自然の気象を擬似的に再現し、この大空の生態系を保っている。


 だが、それは純粋な自然ではないために——あるいは逆に、まさに本物の自然と同様に——時折アルゴリズムに不調をきたし、想定外の挙動を取ることもあるのだと、アルドはすでに知悉していた。


 アルドがこの空の都市を訪れてから、少なくない時間が経過していた。

 この場所で経験した様々な出逢いや、この街に暮らす仲間たちからの導きによって、旅人のアルドも、この都市への知識を深めつつあった。

 しかし、今日——穏やかな一日に、街の散策に耽りながら、アルドは、どこか違和感を拭うことができなかった。



 その時。


(——ん?)

 アルドの目は、小さな影を捉えていた。



 アルドの歩くリニア・ロードの先に、ぽつんと立ち尽くす、影。

 人影と呼ぶには、あまりにいびつな、その立ち姿。

 確かには、人間の身体と全く同じ、身体のパーツ——大きな頭部と、胴体と、四本の手足とを備えていた。

 だがを人間と呼ぶには、その頭部は、あまりに胴体に対して肥大しすぎていた。子供の体よりも小さな体に、細すぎる脚。そして——剥がれかけた白いドーランを塗った顔に、醜いほどに大きく引かれた赤い口。

 シータ区画の街並みを、その地点から変質させていくかのように——そのは、見えない糸で吊り下げられているかのように、空中に浮かんでいた。



 それは——

 道化師の姿をした、機械人形ロボットだった。



(あれ? あいつ……)

 その光景異様さに、目を奪われながら、 ——アルドは記憶を辿りはじめていた。

(トト・ドリームランドで見た、人形だよな……)


 アルドの脳裏に、の姿が蘇る。

 突如出現したオーガ族の砦を過去に送り返すために、エイミの幼馴染の足跡を追って訪れた、閉鎖された廃遊園地。

 平穏を取り戻すことができた今となっては、その不気味な姿は、アルドの意識の俎上に上ることすら久しくなかったが——息を飲みながら、アルドは目の前の人形を見つめる。


 その、人形は——

 アルドの姿を認め——にたりと、


「けけ……」


 ——そして。

 ケタタタタタッ!!

 人形は、弾かれたように動き出した。

「——!!!」

 まるでアルドの怯みを計算に入れていたかのように、宙を舞い上がり、地面に体を擦り付けながら、アルドを大きく引き離し、ビルの角を曲がる。


「あっ、待て……!」

 アルドがそう言葉を発する前に、人形は姿を消していた。


(このままにしておいたら——まずいよな)

 そう、アルドは息を飲む。

 廃遊園地を徘徊するロボット人形。万が一、市民に危害を加えることがなかったとしても、混乱は必至だ。


 アルドは発起し、道を駆け出して行った。



 白昼のシータ区画に、多くの人手はない。

 居住用の高層コンパートメントが中心となるこのエリアには、朝夕の通勤時間を除き、行き交う人々の姿は僅かである。

 それでも、アルドの先を飛行する道化師人形シャトー・クラウンは、行く手を遮る市民たちに衝突し、道路に轢き倒しかねないほどの速さで、一心不乱に区画を駆け抜けていく。

「ひええっ……!」

 自分の少し前で、突進してくる人形に慄く通行人の姿を目印にしながら、アルドは夢中でリニア・ロードを走る。

「待てっ……!」

 飛ぶ人形、それを追い全速力で走る、甲冑に身を包んだアルド。すれ違う人々は目を皿のようにしてそれを見つめ、興奮気味に罵声と歓声を口走る。

 なんだっ、あの爆走コスプレ野郎はっ!?

 お兄ちゃん、あっちに行ったよう!

 ——だが。

 遂に、筋肉の疲労からくる足の縺れを察知し、アルドは肩で息をしながら、その場に立ち止まった。

(あいつ——どこへ行ったんだ?)

 そう、アルドが辺りを見回すと——


「きゃあああっ…………!」

 路上に、悲鳴が響き渡った。


 とっさに、アルドは前方に顔を向ける。

 路上に転がる、小さな靴が一つ——そのすぐ先に、足を捻って路上に転倒したと思わしき、女児の姿が一つ。

 そして、その女児の前には——大柄な人間の男性ほどの大きさをした影が、まるで両手を広げるような姿勢で、立ち塞がっているように見えた。


 だが。

 女児の前に立っていたのは——、人間ではなかった。

 しかもそれは、アルドが追っていた、あの道化師の人形でもない。その数倍も大きな質量の躯体を持つが、アルドと女児の間に立ち塞がっていた。


(あいつは——……!)

 アルドは、目を見開いた。

 ずんぐりとした、ユーモラスな体型。

 それはかつて、子どもたちを歓迎する、遊園地の陽気なおともだちコンパニオンを演出するために施されたのだろうが——その文脈と、体の表面のつやつやとした加工が剥離したいま、その姿は、まるで病的な肥満児のように見えた。

 カンガルーかウサギを思わせるような、オレンジ色の巨体。かつては無辜の笑みを浮かべていた筈の、裂けた口元。緑青ろくしょうにその縁を侵食されつつある、黒々とした巨大な瞳。

 それは——

 遊園地のマスコット・キャラクターを模した、着ぐるみのロボット——だった。


 突き倒され、路上に転がされた女児は、自分が今置かれている状況を、何一つ理解できていないようだった。

 不自然に内側に曲がった脚を地面に投げ出したまま、捲れ上がったスカートの中の恥部を隠すこともできないままに——痛みと恐怖で真っ白に色を失った顔で、目の前のトト人形を見上げる。

 その女児が向ける視線を、トト人形は、あたかも認識しているかのようだった。

 人形はまるで、無邪気に、相対した女児の表情を探るかのように——まるできみのいうことを、もっとよく聞きたいよ、とでも言うかのように——首を伸ばし、女児の顔を覗き込む。だがそれは、だった。

 ばいぃんっ!

 人形の上体が、下半身に大きくめり込む。

 ウサギの後脚を模した脚に仕込まれた、超合金のバネに、ピストンが押し下げられ、強大な負荷が発生する。

 それが跳躍の予備動作であることを、アルドは理解していた。


(——圧し潰される……!!)


 アルドは地面を蹴り、助走をつける。

「あぶな…………!!」

 女児と機械人形の間に、自分の身を滑り込ませるように狙いをつけながら、アルドが腰の剣に手をかける。


 だが、アルドが身を乗り出すよりも早く、人影が飛び出した。

 まるで窮地に追い込まれた鼠のような速さで、人影は女児を抱え込み、飛び出した勢いで路上に転がりこむ。

 だがその人影は、突然の反射的な行動に、体がついていかないのか——女児の体をその背中でくるみこむようにしながら、その場に蹲っていた。

 その背中に着込んでいるのは、着古した市販の既製服。ハンターのバトルスーツでも、EGPDの制服でもない。ようやく起き上がったのは——髪を一つ縛りにして、眼鏡をかけた、冴えない青年だった。

「あっ、あっ、危なかったっ……!」

 青年は、レンズの奥の目に生理的な涙を滲ませ、少女を見つめる。まだ自分の取った行動に動揺しているのか、その手は小刻みに震えていた。

「は、はやく……、ボ……、ボクの後ろにっ……!」

 そう言って、女児を背後に追いやると——青年は、機械人形と女児の間に立ち塞がるようにして、人形に毅然と向き直った。


 顔にかかる、縺れた髪を払い退けもせずに、その蒼白な顔と爛々らんらんと光る眼の対照を見せながら、青年は何かに取り憑かれたように、トト人形を見上げる。

「こっ……、これ以上、き、キミの好きにはさせないっ!」

 そう言うと——青年は手に握った細長い長方形の装置を、人形に向かって振り翳した。

「こっ……、このジャミング・マシン! これを発動させれば、きっ、キミの頭部に仕込まれた電気信号送受信装置、つまり脳幹にあたる部分だが、そこに高音波によるジャミング・ランブルが干渉し、きっ、キミの、駆動系の統率は……」

 そう、固く握り締めた装置を振り回しながら、怒涛の如く畳みかける青年の弁舌に、トト人形はきょとんと首を傾げる。

 そして、その手から装置を吹き飛ばした。

「ああああぁ————っっっ!!!」

「敵に解説なんてしてたら、そうなるに決まってるだろっ!!」

 青年の絶叫に怒声を上げながら、アルドが青年の前に転がるように駆け込む。だがそこにすかさず、頭蓋を狙った機械人形の拳が叩き込まれた。

「く……っ!!!」

 アルドの剣が、人形の拳を受け止める。

 腕の感覚が麻痺するほどの、凄まじい圧力。衝撃に耐えながら、アルドは眉を硬く寄せる。

(最初に戦った時から、思っていたけど……。こいつ、恐ろしいほどの怪力だ……! まるで、アベトスやオーガのような、……! 量産型のドローンやガードマシンなんて、全然較べ物にならない……!)

 ——そのとき。

 アルドの剣が、空中に吹き飛ばされた。

「あっ……!!」

 反動で、アルドの体が大きく吹き飛ばされる。アルドは仰向けに路上に叩きつけられたまま、地面を滑った。

「いっ…………!!」

 背骨を強烈に打ち付けた激痛に、アルドは顔を歪め、歯を食いしばる。

(マズい……、オレ一人じゃ……!)

 やっと追い詰めた獲物を目がけ、トト人形は勢いよく身を縮めると、全体重に重力をかけてアルドを圧し殺すべく、再び跳躍の姿勢に入った。

 そのとき。


 イイイイィ…… ィィィイン……


 どこからともなく鳴る、不快な機械音。

 顳顬こめかみを圧迫するような音が、路上に響き渡る。


 青年が、先ほど吹き飛ばされた装置を、手元に取り返していた。

 握り締めた手を、ぶるぶると震わせながら——青年はそれを、目の前の機械人形に向かって突き出していた。


 どすううううん…………

 轟くような音を立てて、トト人形はその場に倒れた。


 うつ伏せにリニア・ロードに倒れたトト人形は、まるで魂を失った抜け殻のように、その場に横たわっていた。

 その様子を見て、青年がよろめく。あまりの安堵に、膝で上手く自重を支えることもできないようだった。

「よ……、よ、よかっ、た……」

 それから青年は、アルドに向き直った。

 その顔立ちを改めて見れば、青年という言葉もそぐわないような、立派な成人である。だが、そばかすのあちこちに残る、その頼りない顔つきは、どこか弱々しい少年を思わせるようだった。

「あっ、あの……、……、お怪我は、ありませんか……」

 そう青年に問われて、アルドは漸く我に帰り、改めてその顔を見上げた。


「ありがとう、助かったよ……」

 そう言うと、アルドは上体を起こす。

 ゆっくりと弱々しく自分に微笑みかけるアルドを、青年は眉を下げたまま、驚きに目を見張りながら見つめていた。

「急に飛び出してきたから、一体、何かと思ったけど……その機械、すごいんだな? オレはアルド。きみは?」

 そう言いながら、アルドは、まっすぐに青年を見つめた。

 深い海の、或いは空の底のような、蒼い、心を探るような瞳。その瞳の不思議さに真正面から射抜かれ、ただ青年は、鏡のようにアルドを見つめ返すことしかできなかった。

「ボクは……、ろ、ロイと言います」

 青年は、そう名乗ると——なぜか、その色素の薄い顔を羞恥に紅潮させた。


 それから青年は、意を決したようにアルドに向き直った。

 鼻にかけた丸縁の眼鏡を、ぐいと押し上げながら——精一杯の真摯さで、青年はアルドに尋ねた。


「アルド……さん。不躾ぶしつけなお願いで、恐縮ですが……。もしよろしければこの後、ラウラ・ドームにあるボクの自宅に、ご一緒していただきたいんです」


「アルドさんの力が……、必要なんです」

 そう青年——ロイは、懇願するように、アルドに訴えた。

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